4. 冤罪証明のレシピ
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私は水薬を調合した。そして、翌日完成したそれを人狼に飲ませた。人狼は眠ったまま変化を遂げ、彼らは元同僚の正体を知る事となった。
「ミズター・ナプティア。君の使った魔法についてお聞かせ願えるかい」
「ただの水薬だ、フレレクス。誰にでも作れる」
フレレクスと私は宿舎の一階で祝杯を上げていた。彼はワインを手に私に説明を求め、私はベル状の紫の花を置いた。
「キツネノテブクロだ。魔女の指貫、或いはジギタリスとも呼ばれる。綺麗だろう? どこにでも生えている毒草だ。この植物の葉身には吐き気や下痢、頭痛の作用があるが、1番は心臓に効く。葉柄と葉脈を除き、乾燥させ粉末にして水に溶かした。だが流石は人狼だ。大量に必要だった。同じ量を人に与えたら無事では済まないと思う。正直、最後の方は手が震えたよ。ひどい賭けだったが、奴の心臓は私が望む働きをした。火のついた暴れ馬のように働いてくれた」
「見事だ」
彼は感嘆の声を上げた。私は久しぶりに浴びる賛辞に浮かれた。
「人に毒を盛ったのに?」
「『毒も薬も人の都合に過ぎない』」
「良い言葉だ。誰のだ?」
「君のだ」
「私があの本を書いたと認める気になったか?」
「初めから疑っていない」
「偽名だと言ってただろ」
「……ところであれは何だ?」
彼は炉床を示した。多くの瓶と、蛇肉、人の髪が載った木皿が置かれている。
「ああ、材料の余りだ。露呈薬を作ろうとしたが、結局足りなかった。あとで処理しなければ……」
「露呈薬? 実在するのか?」
「ああ、非常に珍しい魔法薬だ。調合も難しい」
「本に載ってなかった」
「書いてないからな」
晴れて我々の無実は証明され、審問会は我々に謝罪を述べて村を後にした。元同僚を手にかけた彼らの心情は察するに余りある。私の関与を秘匿することを条件に、私もまた彼らの未熟な術者の名を公表しない事を約束した。人狼の死体を荷車に載せ去って行く彼らを私は見送った。私が大学を去って10日が経っていた。
「荷が盗まれた? どういう意味だ?」
私は今にも門番に掴みかかりそうになった。
「落ち着いてください。昨夜まではあったんです。ですが今朝確認したら、鞄が減っていて__」
「冗談じゃない! あれにどれだけの価値があったと」
「中に金貨が?」
「より値打ちがあって、より危険なものだ。最悪だ……、あれが悪意ある者の手に渡ればどうなることか」
足元から地面が崩れ落ちていくかのようだった。
家を引き払い、都を出るにあたって私はこれまでの人生で収集したもののうち、手放すには惜しい稀少な品々を持ち出していた。この世に二つとない幻草の標本や、燃えない糸で編まれたローブ、完全な状態の吸血鬼の眼球、竜涎香、純粋なプラチナ。奇跡によって私の手元に訪れた珍品の数々を喪ったなど到底受け入れられなかった。茫然と立ち尽くす私は、私と同じように門番から説明を受けている男の姿を見つけた。
「申し訳ありません。お預かりしたクロスボウとバッグは__」
「盗まれた? 計画的だ。私がここにいる事を知っているものがいたようだ。鞄は気にしなくていい。中に入っているのはただの食料だ。勿論クロスボウにも大した価値はない。貴重品を君たちに預けるような馬鹿な真似を私はしない。足跡が複数、馬に乗って逃げている。わざと残している。明らかにこれは罠だ」
フレレクスは地面を検分していた。
「フレレクス、追えるのか?」
「追えるとも。当然だ。だが追う理由がない。ナプティア先生、顔色が悪いが__」
「私の荷物が盗まれた。非常に貴重なものだ。私の人生では、きっともう二度と手に入らないだろう」
「遺憾に思うよ。教訓を得たな。そういった類を人に預けるべきじゃない」
立ち去ろうとするフレレクスを私は慌てて引き留めた。
「フレレクス、君は捜し屋だ」
「ああ」
「君に依頼したい。盗まれた荷を見つけてくれ」
「なるほど。そうか……そういう訳か。考えたな。……ナプティア先生、悪いが先約がある。この後の予定はもう決まっている」
「いいさ。君があの人狼からペンダントを回収したのは知っている。それを返すんだろう」
その日の内に我々は村を出た。彼の依頼主の元へ向かった。以前人狼によって大きな被害を受けた村だ。馬を駆り、到着したころには日は沈みかけていた。村は閑散とし、既に葬儀も埋葬も終わっていた。木札を立てただけの墓の間を彼は歩き回り、その中の一つの前で彼は足を止めると、スコップで墓を掘り起こし始めた。やがて土の中からベージュの何かが覗き始めた。麻の袋だ。土から麻袋を僅かに露出させると、その上にペンダントを置いた。そうして彼が土を戻す間、私は待っていた。
「ナプティア先生、君の目には私が滑稽な事をしていると映るか?」
「そうだな、死人は何も持っていけない。だが死者であろうと尊厳は守られるべきだ」
「君がそういう考え方をするのか」
「魔術師は勘違いされやすい」
最後の一盛を被せ終え、彼は遂に振り返った。
「君の願いは?」
「私の荷を取り戻してほしい。賊の討伐は必要ない。私のコレクションが戻ってきさえすればいい」
「わかった」
「報酬は今すぐには用意できない。前払いも数日待ってもらえれば、君が満足できるだけのものを調達できるんだが」
私は己の境遇を呪った。
「見つけたら払えると信じているよ。取り戻したら君の元へ戻ってくる。君は亡命の続きをするといい」
「亡命について君に話した覚えはない」
「聞かなくともわかる。最近の君の本はいくつか検閲対象になっている。君が政治的な衝突をしていた事は明らかだ。君が弁護していた君の師、オーウェン卿は同じ理由で粛清されている。まして君たちの研究は、多くの者にとって受け入れがたいものだ」
「我々の研究がなんだって?」
「屍霊術だ。君は薬学塔の植生科から一度転向してすぐに戻っている。どういう理由か、無かったことにされているようだがね」
私は驚きの余り何も言えなかった。
それは、魔術師養成学校に所属する魔術師のみが知りうる秘密だった。
つまり、気の迷いで古代魔術塔の変成科に転科したものの、何一つ習得することができず、1年以上も棒に振り、尻尾を巻いて薬学塔に戻ったという認めたくない過去だ。
「……君は一体何者だ。どこでそれを知った。私を責めているのか?」
「まさか。興味がない。君が訊いたから私は答えただけだ」
目の前の男こそが最も危険な存在なのではないかと、私はこの時になってようやく知ったのだ。そして魔術学校を出てから初めて重大な決断をした瞬間だった。
「依頼についてだが、君に同行させてくれ」
「それは良い考えとは思えない」
「君の力になれる」
「……今すぐここを発つ」
彼は来た道と逆の方向へ歩を進めた。
「戻らないのか?」
「我々の荷を盗んだ賊はここを通っている」
「偶然にしては出来すぎているな」
彼は笑った。
「そうだ、だから偶然じゃない。ナプティア先生、君の荷物は囮だ。そして我々が獲物。全て盗人の掌の上だ」