33. 星図奪還
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「では彼を信じてみるとしよう。メインは8」
私はダイスを転がした。出た目は4と6。彼の言った通りの10だ。周囲でひそひそと話し声がした。ダイスを2つ振って出目の合計が10となる確率は低い。おそらく7の半分程度、12回に1回か。
「え? 当たった!? 俺の占いが?」
隣のイブラヒムはというと私以上に驚いていた。賭けた側からすると納得しがたい反応だ。ハリスも目を丸くしていたが、すぐに首を振って両腕ならぬ両翼を組んだ。
「まさか。喜ぶのはまだ早い。ただの偶然だ。さあ、これでチャンスは10。次に10が出たら君たちの勝ちだが、2、3、11、12、それとメインの8のどれかが出たら君たちの負けだ」
「まずい、月が揺れそう。先生、早く振ってくれ」
人狼は焦ったように私に促した。訳がわからないまま私はダイスを振った。
「5……6、9……7」
私がダイスを転がし出目を読み上げるにつれ、周囲が水を打ったようにしんと静まりかえる。それもそうだ。これは彼が先程述べた数字にほかならない。そして、それが偶然当たる確率は限りなく0に近い。なにかが、有り得ないなにかがこの場で起きていた。確かに占星術は未来を読む。しかしこんな、近い未来を正確に読む術を占星術と呼んでいいのか私には分からない。
私が投げたダイスは転がり机の中央で止まった。出目は5と5。チャンスの10だ。
「勝った!!」
人狼が叫んで飛び跳ねる。しかし、ハリスも私も彼を呆然と見ることしか出来なかった。
「なにが起きた? 魔術師、なにか術を使ったのか?」
「そんなものが使えるなら、わざわざ熱で羽を飛ばしたりしない」
「俺の占い当たることあるんだ!」
「これはもう単に当たるというレベルではない。神智塔の占星科でも同じことを出来る魔術師がいるか分からない」
「やれやれ、次から賭け中の占いは禁止とルールを書き足そう。しかし、今回は君の勝ちにしてやろう。他の客も満足したようだからな。取ってくる」
ハリスは席を立った。暫くして、店主が我々の方に近付いてきた。
「いつもより盛り上がっていると思ったら、貴方がたのおかげだったんですね。お陰様で倉庫の酒樽が空になりそうです」
「いえ、少し酔いすぎたようです。店中の蝋燭を溶かしてしまいました。申し訳ない。後日持ってきます」
「お構いなく」
「あ、パパ!」
ハリスの声だが、その内容に私は思わず振り返った。鳥の魔物は店主に走り寄った。
「まだ途中だから邪魔しないで、パパ」
私は何も言えなかった。聞き間違いのような内容にただ店主と鳥の魔物を交互に見ることしかできない。
「失礼。私の娘です。血は繋がってませんがね。ティナ、賭けはほどほどに」
「でも計算通り酒は売れた! これも販売戦略の一つだ」
「まったく。……娘が迷惑をかけました」
「さあ、星図だ。私がまだ売ってなくて幸運だったな」
ハリスは人狼に星図を渡した。
「しかし犬よ、牙で占えるなら、もう要らないんじゃないか?」
「あんな原始的な術じゃろくに占えねえよ」
「いや、十分当たっていたと思うが。魔術師もそう思うだろう? ともあれ、お開きだ。楽しかったぞ。また遊びに来てくれ」
立ち去ろうとするハリスと店主の背に私は声をかけた。
「ハリス、君が不老薬を求めていたのはもしかして」
「当然、我が父にだ。人間は短命で困る! このままでは私の嫁入りまで生きているかわからない!」
「大袈裟な。まず相手を探してから言いなさい」
一蹴した店主の後ろを追って、ハリスは去っていった。
店を出た人狼はやけに上機嫌だった。星図を抱えながら、石畳の階段の上で人狼は尾を振りながらステップを踏んだ。
「賭けには勝つし、占いは当たるし今夜は最高の気分!」
「まさか、君にあんな術が使えたとは」
「俺も初めてだ。なんで当たったんだ? 俺って本当は才能あったのか?」
「良かったじゃないか」
「なんか妙な気がする。まあ、いいか。毎日こんなだったらいいのに。先生が人間なのが、本当に残念だ。なあ、運が良けりゃ人狼になれるかもしれねえし、ちょびっと噛んでやろっか? 俺と一緒に月の下で詩でも歌って遊び暮らそうぜ」
「冗談でもやめてくれ。人狼もどきにはいい思い出がない」
「それにしても、アイツがハズレを引くなんて、俺たち今日なにからなにまで運が良すぎるよな? 毒が入ってたのは1つだけなのに」
「いや、イブラヒム。あれは私にとってのハズレだ。本当はあの毒は君か私が飲めばいいと思っていた」
「へ?」
人狼は呆然と私を見た。
「え? どういうことだよ。それじゃまるで、他に狙いがあったみてえな……」
「その通りだ。私は言った筈だ。夜更けの酒には刺激をと。1つにしか入れないなんて、そんな不平等はしない。ただの酒に当たった人が可哀想だ」
「え? じゃあ他にも入ってたってこと?」
「他の2つには魔法薬を混ぜた」
「なんの魔法薬?」
「白舌薬。ある依頼で作ったものの余りものだ。口にすれば、判断力が鈍り、その舌は羽よりも軽くなる。今の我々のようにね。本来はこれを彼女に飲んでもらって、風でダイスを操っていたことを認めてもらうつもりだった。彼女は私の顔を見ながら杯を選んだが、どうやら表情に出ていたらしい。まんまと読まれて逃げられて、我々の賭けはただの運試しになった」
「それを先生と俺が飲んだってこと?」
「ああ」
「解毒薬は?」
「イブラヒム、解毒薬は毒に使うものだ。薬にはない」
人狼は戦慄いた。
「え……じゃあ今の俺、嘘つけねえってこと?」
私が頷けば、イブラヒムはなにかを言いたげに口を開いては閉じた。
「もう今日は俺なんも喋らねえ」
「その方がいい」
人狼の宣言に私も口を噤む。沈黙が続いたのはほんの短い間だった。
「なあなあ、気になることあるんだけど」
「もう破るのか」
「うるせえよ。なんで3つとも魔法薬にしなかったんだ?」
「それでは遊びにならない。……というのもあるが、そもそも余りものの魔法薬だ。3つ分には足りなかった」
「それで数合わせのヒュドラの毒ってことか。でも結果的には良かったかもな。アイツのズルは他の客にバレずに済んでアイツも儲かった。大団円ってやつ? そういや牙だったな? やるよ。でもその前に、寄りたいとこあるんだけどいい?」
「ああ、急いでいない」
果たして辿りついた先は、人狼の邸宅だった。
「寄りたいところとはここか?」
「いや、こっちは物を取りに来ただけ。そこで待ってな」
人狼はすぐに家から出てきた。その手には瓶が握られている。私が彼に贈った薬草酒だ。
「飲み直そうぜ!」
「構わないが、それは君の分だぞ」
「だからだよ。一緒に飲もうぜ。それとこれ」
私の目の前に黒いなにかが突きつけられた。それがなにか、私はすぐには分からなかった。
「魔術師の手袋。先生の焦げてただろ。牛革か? そんなヤワな革で作るからすぐ壊れんだよ」
「なぜ君が魔術師の手袋を持っている?」
確かに人狼の言う通り、賭けの最中に使った魔法陣で片方が破損していた。しかし、それ以上に目の前の魔物がそれを所有していることが問題だった。
「なんでって。わかるだろ。俺に言わせたいのかよ?」
月光の下で人狼は牙を剥いて笑った。
「昔殺したからだよ、先生と同じ魔術師をな。これはそいつが持ってたやつ。人狼の革製だ。まあ俺の鼻が正しければ、俺の兄貴の革だけど」
私は何も言えなかった。
「俺ら頑丈だから、銀でもない限りナイフで傷もつかない。並の魔術も平気だし、魔術師の手袋にするにはちょうどいいわけだ。……その反応だと、先生のいた国じゃ違った?」
「いや、聞いたことはあるが……途方もない希少品だ」
「じゃやるよ。俺使わねえし」
私はぎょっとして首を振った。
「まさか。受け取れない」
「なんでだよ」
「それは……君のご令兄の形見のようなものだ」
「そう思ってた時期もあるけど、使われないのも可哀想じゃねえ? 剥がれてこんなになってさ、挙げ句埃被るだけなんて俺なら嫌かも」
とても頷ける内容ではない。私は断る理由を探した。
「仮に私がそれを使ったとして、それをもし他の人狼に見つかったら無事で済まない」
「そりゃそっか。じゃこうしよう」
人狼は身を屈めると突然私の耳元に鼻先を寄せた。人狼からは濃い蜂蜜酒の匂いがした。
「『夢で汝を呼ぶものは?』『我らが父祖の骨』」
「なんだ?」
「俺らの合言葉。それに答えられねえ奴は満月の集会に来てない半端者だから、燃やしちまっていいぜ」
人狼は有無を言わさず私の手に手袋を押し付けた。私は手の中の手袋を見た。左手用だ。牛革とはまるで違う、馬革よりも軽く、仔羊革よりも柔らかくしなやかな触り心地だ。内側の色が違うことに気付いた私はひっくり返そうとして、途中でやめた。それはあまりにも人の肌に似た見た目をしていた。
「軽率だ。私がその知識を使って人狼を狩るとは思わないのか?」
「へへ、出来るものならやってみな。それさ、たとえ傷付いても、満月の下で干したら治るから今度試してみりゃいい」
人狼は笑いながら階段を降りてどこかへ向かい始めた。
「どこに行く?」
「月の冥府に最も近いところ。ご先祖さまに声が届くところ」
「なんのために?」
「そりゃ、この人に牙あげまーすって報告」
ついた先は、多くの石像が並ぶ大きな公園のような広場だった。火山岩を彫ったらしき様々な魔物像が並んでいる。両翼を広げた翼蜥蜴像の隣、空に向かって吠える狼像の前で人狼は足を止めて、盃に薬草酒を注ぎ始めた。その一つを石像の前に置き、もう一つを私に渡し、人狼は盃を掲げた。
「月の女神と俺たちの勝利に!」
「薬神と我々の幸運に!」
我々は盃を煽った。晴れて人狼の牙は手に入り、依頼人を追うための反魂酒の完成まであと僅かだ。フレレクスが戻ってきたら、いい報告が出来そうだ。
「街にこんな公園があったとは。見事な彫像だ。ここに住む魔物の像か?」
「公園? いやいや、なに言ってんだよ」
人狼は心底可笑しそうに笑った。
「ここは墓地。だから彫像っていうより墓石だな」
「墓地だと?」
宵の市でフレレクスと交わした会話が私の頭の中に蘇る。この街の墓地には近付いてはいけない。人間を魅了し、生気を吸い上げる魔樹が存在するからだ。一度、影響を受ければ最後、逃れる方法はない。
「この街の墓地には、確か大呪木が植えてあると……」
「魂吸い樹のことか? そこにあるけど──」
イブラヒムの言葉は最後まで耳に入らなかった。ふいに甘い香りがした。今まで気付かなかったのが不思議なくらい存在感のある香りだった。その匂いのする方へ、頭上へと私は顔を向けていた。そこには巨大な樹木が立っていた。霜で覆われたように葉は白く染まり、幹も粉雪が纏わりついているように薄ら白い。死にかけた樹だ。だがそれでもなお、その魔樹の本来の姿は完全に失われていない。私は目を奪われた。目を離せないまま、陶然とした誰かの声を聞いた。
「……綺麗だ」




