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32. 毒杯の宴

毎週月曜更新中



「『私は(I am)全なる薬(the cure,)にして(and yet)(the bane,)

万物に(A gentle)等しく(rain)振り注ぐ(on all the)慈雨(same.)

されど(But even)止まぬ(I shall)日は(not)ない(remain.)

我が名は(Say what)なん(I am)ぞや(called)?』」


 鳥の魔物は眉を寄せ低く唸った。


「なんだ? 全ての薬であり毒でもある? 薬と毒は別物では? 止まない雨……先王の呪いに関係が? いや魔術師ニンゲンはそんなこと知らないか。だとすると比喩か?」

「俺分かったかも。先生、俺も賭けてもいい?」

「駄目だ。イブラヒム、君が当てたら私が君に支払うのか? 君がなんのためにここにいるか思い出してみろ」

「ちぇ! 折角わかったのに。今度再戦しようぜ。先生がくれた薬草酒ハーブリキュールでも飲みながらさ」

「うるさいぞ、犬。こっちは真剣に考えているのに」


 考え込む彼女の周りにカラスが集まり、主をおもんばかるように首を傾げた。


「もしや、なんらかの概念か? 誰にでも平等に降り注ぎ、薬にも毒にもなる……つまり、病を治し、病にもする? それも常に途絶えることのないなにか……もしかして」


 彼女は私を真っ直ぐ見詰めた。


「『時間』だ。時は怪我を癒やすが、老いさせ殺しもする。誰にでも平等に流れ、止まることはない」

「正解だ」


 私は彼女に銀貨を5枚渡した。


「これは我々の自戒と言うべきか。薬学塔ではあらゆる水薬ポーション魔法薬エリクシルを扱うが、すべてを癒やしくたす時間には及ばない」


 周囲がざわめき、頷く声や囁き合いが聞こえてくる。


「イブラヒム、良いエニグマ詩とはこういうものだ」

「でも負けてんじゃん」

「良い詩を詠むと負ける。それがこの勝負の問題だ」

「私も考えてみたが、賭けるか?」


 我々は5枚ずつ銀貨を出した。


「先に当てた方だけだ。

私は(I am)(the)(traveler)ざる(none)旅人(may see.)

手も口も(I knock on)ないが(doors and)門を(hum)叩き、笛(through)を吹く(tree.)

葉は(The leaves)(will)まし(whisper,)(soft)囁き(and shy,)

(And)は我(branches)が名を(call me)唱え(passing)(by.)

我が名は(Say what)なん(I am)ぞや(called)?』」


 喉まで出かかった答えが声になるより先に、人狼が声を上げた。


「『風』だ!」

「お見事。どうやらそこの魔術師の言葉を借りると、“良い詩”を詠んでしまったらしい」


 ハリスの言葉に潜んだ毒に気付くことなく、人狼は喜び跳ね回りながら、銀貨を受け取った。これで私の銀貨は15枚、イブラヒムは15枚、ハリスが10枚だ。人狼は真剣な顔になってテーブルの上の銀貨を見詰めた。


「あれ? なんか楽しかったけど、全然進んでないな。先生の銀貨が俺のとこに来ただけじゃん」

「ようやく気付いてくれて嬉しいよ、イブラヒム」

「次はどうする?」

「いっそ初心に戻り、サイコロ遊びに戻そうか」


 2人が驚いたように私を見た。


「ただし1杯酒を飲んでから。私の奢りだ」


 私は給仕から受け取った3杯の蜂蜜酒ミードを目の前に並べた。


「ただの酒ではつまらない。私のいた塔では、夜更けの酒には少しばかり刺激を追加することがある。ちょっとした眠気覚ましさ。もちろん、全員の同意の上でだが。なに死にはしない。弱い毒さ、少なくとも君たち魔物にとっては。君たちは先に選んでいい。私は残ったものを飲む。信用できないなら私が飲み終えたあとに、君たちが飲んだっていい。そして、そのうえで賭けをしよう。もっとも、魔術師の毒が怖いなら尻尾を巻いてくれても構わない」


 イブラヒムとハリスは互いを見てから杯を見た。


「乗る! なんか面白そうだから」

「ここで降りるのも皆の興が冷める。だが、その毒とやらが私に効かなくても恨まないでくれ。これでも凰族の末裔なものでね」

「毒は博愛主義だ。貴賤を問わない」


 私は3杯を彼らから見えない場所へ運んだ。持ち合わせがあったことは幸運だった。分量を調整する私の後ろから2人の会話が聞こえてきた。


「お前が王族? 絶対嘘だ!」

「嘘ではない。この藍色の羽こそ、先代の王との繋がりを示す証」

「藍色っていうかどう見ても黒だけどな」

「犬の目で何がわかる? 赤と緑の区別もつかない目で?」

「つくわ! 今は無理でも人の姿になりゃわかるわ。第一、前のは今の王に封印されたろ」

「そもそもこの世界の創造主が我々空の一族(有翼種)なのだから、今がどうとかは関係ない」

「もしかして君たちは政治と宗教の話をしている? 酒場には最高の話題だ。なにせ出口がない」


 私が戻ると彼らは言い争っていた。


「その通り」

「魔物の政治と宗教か、興味深い。王がいると?」

「いるとも。創造主もいる」

「正しくは創造主と信じられてる奴な」

「そうだ。神は巨大な鳥の姿をしていた。翼を持つものが偉大という証だ。我々魔族は敬意を表し、鳥を食うことを避けている」


 私の脳裏に、カリをクロスボウで射落とし血を絞っていた友人フレレクスの姿が過ぎる。確か彼は井戸の悪魔にもキジを何羽も捧げていた気がする。このことは話さないほうが良さそうだ。


「鳥を食べないだと? それは勿体ない」

「やはり魔術師は野蛮だ」


 ハリスは呆れたように首を振った。彼らの前に私は木杯を並べた。


「好きに調べて選ぶといい」

「このうち何個がハズレ?」

「定義によるが、私にとっては1つか」

「なんの毒だ?」

「それは飲んでからの楽しみだ」

「なぁ、苦しかったりする? 全身痒くなるとか、息ができなくなるとか?」

「イブラヒム、自分が飲むかもしれない酒にそんなものは入れない。賭けが終わってしまう」


 2人は蜂蜜酒ミードの入った木杯を覗き込んだ。


「匂いはあんまり違わねえけど、いや色が違う? 鳥、お前、目いいんだろ。どう?」

「色は同じだ。全くわからない。そうすると、魔術師の顔を見たほうがわかるか?」


 ハリスは私の方を見ながら、木杯を選んだ。人狼がその次に杯を選び、残った杯を私は手に取った。


「どれがハズレか先生はわかってんの?」

「当たり前だ」

「マジで? やっぱりそっちと交換してもいい?」

「構わない」

「えっ、じゃあやめとく」


 人狼は杯を私から守るように引っ込める。我々は杯を交わした。飲み干した私を見て、2人も杯を空けた。2人は首を傾げた。


「変な味がしたような、しなかったような。気のせいか?」

「よく分からなかった。私ではない気がするが……」


 ハリスの声は不自然に途切れた。ローブの形を成していた羽がみるみる翼の形へ変わっていく。彼女の白い首から下は艶やかな黒い羽毛で覆われ、髪も長い冠羽へ形を変える。両腕は翼に変わり、全身が羽毛に覆われた伝承通りの半人半鳥ハルピュイアの姿があった。


「ん? あれ?」

「おいおい、お前はしゃぎすぎだろ。尾羽はみ出てんぞ」

「魔術を解いたつもりはないんだが」


 ハリスは翼を振って、首を傾げた。


「なんの毒を我々は飲んだ?」

「主にヒュドラだ。薄めてあるが、暫く魔術行使を阻害する」

「なんでそんなもん持ち歩いてんだよ?」

「この街の下水に幼体がいると聞いて、誘き寄せられるか試すつもりだった」

「誰だよ余計なこと教えたやつ」

「どうやらハズレを引いたのは私らしい」


 ハリスは呟き、盃を翼爪で引っ掻いた。これは私の想定の中で最も望ましくない結果だった。


「ヒュドラの毒だと? 幼体を捕えて食べることはあるが、あの時感じた舌の痺れがないな」

「そんなもん食うなよ。気持ち悪ぃ」

「我が一族は食物連鎖の頂点だ。食せぬものはない」

「食えるってのと、実際に食うのはだいぶ違うだろ」

「しかし、奴らの毒は苦味と匂いが強かったはずだが、味がしなかった」

「味がしてもいい毒と、しない方がいい毒があるが、これは後者だ。薄める前に精製している」

「そんなことが可能なのか」


 彼女の前に私は小瓶を置いた。


「解毒薬だ。ヒュドラの中和腺から取り出した。魔術を使えなくなることで君に不都合があるかもしれない。ここで勝負を降りるのも君の自由だ」


 周囲の視線が彼女に向く。ハリスは一瞬固まった。すぐにその翼爪が解毒薬を私に突き返し、挑戦的に笑った。


「結構だ。奴らの毒など少し経てば消える。受けて立つぞ」

「なあなあ、今15枚だけど、これ全部賭けて勝ったら返してくれる?」

「うーん、君のその指輪なら、銀貨じゃなくてもいいぞ。綺麗だし」


 ハリスは人狼の指に嵌まった彼の目と同じ翡翠色の宝石を指した。


「はぁ!? お前価値分かって言ってないだろ! これはお前らカラスの好きなガラス玉じゃなくて魔石だぜ!?」


 魔石というのは、高濃度の魔素が凝縮した希少石だ。明確な鉱脈が見つかっている訳でもなく、時折死んだ魔物から回収できるということしか判明していない。砕いて服用すれば、魔力を回復させることから、先の大戦では前線に招集された一部の魔術師らは摂取していたという。食事と休息で補える魔力補充のために希少石を消費するなど今の時代では考えられない話だ。


「本物か?」


 私は興味を惹かれて石を見た。実物を見たことは数度しかない。魔術師塔でも厳重に管理されていたからだ。


「当たり前だ。見りゃわかんだろ。流石にこれはダメ」

「そんなものを持ち歩いて危険じゃないのか?」

「いや持ち歩かなきゃ意味ねえだろ……って先生もしかして知らねえの?」


 人狼は不思議そうに私を見た。私には彼がなにを言いたいのか分からなかった。


「なにを?」

「いやこれはお守りみたいなもん。俺らって魔力が尽きると致命的なんだよ。あまりに苦しいから、気が狂って目につくもの全部引き裂いちまう。あ、引き裂くってのはかなり優しめの表現な。俺はなったことねえから、全部聞いた話だけど。ま、そうならないよう、それなりの(血統)の魔族は代々受け継いだ魔石を持ち歩いてんの。少なくとも1回はそれで防げるから」


 私は言葉を失った。突拍子も無い話だった。それが本当ならば、我々が観測した魔物の被害の一部はそれに起因する可能性すらある。我々魔術師が知らずに狩っていた魔物は彼らと同じように知性があったとでも言うのか。このことを生類科は知っていたのだろうか。

 人狼は残った銀貨の隣に楽器ウードを置いた。


「わざわざサイコロをまたするってことは、勝算があるってことだよな? 俺は先生を信じるぜ? 今ある全部と弦楽器ウードも賭ける! その代わり俺が勝ったら星図アストロラーベな!」

「いやイブラヒム」

「俺は先生を信じてるからな!」

「それはあまりいい考えとは──」

「いいや! 次は勝てる気がする!」

「いい度胸だ、犬。やはり賭け金は大きくなければな」


 人狼は止まらなかった。ハリスは上機嫌に巨大な両翼を広げた。


「さっきと同じルール(ハザード)だ。その犬の楽器もまとめて行商に売ってやる」


 ハザードとは最も一般的なサイコロ遊びのルールだ。2つのダイスを投げて合計の目で勝敗を競う。

 ハリスはサイコロを翼爪で捕えた。


「3回戦だ。まずは私が振ろう。メインは7」


 始めにダイスを振る者(シューター)が5から9の間で好きな数字を宣言する。出目の合計がこの数字だった場合、振る者(シューター)の勝利となる。一方で、2や3、11や12だった場合は振る者(シューター)の負けだ。

 周囲で彼女の勝敗に賭けている声がする。

 風の加護を失くしたダイスは、鳥の魔物の前で自由に転がった。


「9か」


 それ以外の出目では勝負は保留だ。その時の出目、つまりこの場合の9をチャンスと呼び、以後チャンスの9が出れば振る者(シューター)の勝ち。2、3、11、12、そして、始めに宣言した7が出れば振る者(シューター)の負けというのが大まかなルールだ。

 少し考えればわかることだが、振る者(シューター)に不利な勝負だ。だから外野が賭ける場合は、振る者(シューター)の勝利に賭けて勝てば取り分が多くなる。今回は我々が順に振る者(シューター)となり勝った回数を競うため、各人の勝率の偏りは理論上ない。

 再び転がったダイスが止まる。1と6だ。この場合、初めに宣言したメインの7が出たため振る者(シューター)の負けだ。周りから嘆息ともに酒をやり取りする声が聞こえてくる。


「メインか。ついてない。ほら犬、君の番だ」

「なあ、俺棄権するからさ。その代わり占ってきていい?」

「なに?」


 ハリスと私は驚き人狼を見た。イブラヒムは慌ただしく首飾りを外しているところだった。牙が連なった首飾りだ。


「君の賭け金はどうなる?」

「それ全部先生に賭けるわ」

「正気か? 弦楽器ウードを奪われたと君に噛みつかれるのは勘弁だ」

「そんなことしねえよ。なんせ勝つからな!」


 人狼は首飾りを手にバルコニーへ出た。月光の下で金毛が揺れる。彼の爪が尾の長い毛を数本切り落とすと床に円を描くように並べた。その周囲を足の爪でなぞり、何かを書き込むと、人狼はその周りを回りながら、首飾りの牙を円の中へ投げた。


「『(أَسيرُ)たどり(بِالدَّمِ)(دِلُّ)(أَسْتَ)たずね(بِالعِظامِ)

古き(القُدَماءِ)影を(ظِلالَ)越えて(وأَعْبُرُ)──

目を開けよ(افتح عينيك)我が祖霊たち(يا أسلافي)

満ち(مُكْتَمِلِ)(الـ)月の(القمرِ)下で(تحتَ)吠えかけよ(اعْوُوا)

闇の(الظَّلَامِ)中で、(حِجَابِهِ)真実が(الحَقُّ)遠吠える(يَعْوي)!』」


 彼の足元が青白く光ったような気がした。人狼は散らばった牙をじっと見下ろした。


「9? いや、8かな? うーん」

「イブラヒム、なにをしてる」

「次の出目を占ってる」

「おや、明日の天気も当てられないのに?」


 ハリスは心底おかしそうに身体を揺らして笑った。彼女の動きに合わせて長い冠羽がひらひらと揺れる。他の客の囁き合いが聞こえる。彼らも真剣には捉えていないようだった。


「うっせえ! わかったぞ、10だ! 先生が次に振ったら10が出る! 10をメインにしたら俺たちの勝ち!」

「10はメインに出来ないぞ、犬。5から9の間だ」

「あ、そっか。意味ねえや」

「仮に10だとして、次に出るのも分かるのか?」


 私は半信半疑のまま問いかけた。人狼は地面に散らばった牙に鼻先を近づけた。


「チャンスが10として、その次が5か……? で、その後6。うーん、こりゃ難しい。9で7か? そんで10! やった、勝てる! じゃ、途中の5と6、9と7をメインにすると負けるから……メインは8だ!」

「8をメインにしろというのか?」


 地面の牙を拾い集めて戻ってきた人狼は頷いた。


「そう! 8以外だと負ける」


 実のところ、この賭けには勝率の高い数字と低い数字がある。ダイスの2つの目を足した合計を使う以上、2から12の出目があるが、その中央値の7が出る確率が最も確率が高い。そして7から離れれば離れるほど出る確率は下がる。計算しなくとも、参加したことのある全員が体感する、ただの違和感では到底済ませられない確率の偏りだ。そのため、メインを7で宣言すれば、初投で勝利する確率は最も高くなる。恐らくおよそ6回に1回程度だ。


 ただし注意点がある。このゲームは2投目からはメインが出ると敗北するのだ。もし、初投で7を外した場合、つまり6回に5回は外すことになるが、そうなると次からは7の確率の高さは足を引っ張ることとなる。さっきのハリスのように。結果としては、初投で勝つ確率の高さから7が最も勝率が高いが、次点は7に近い6や8ではなく5や9となる。つまり2投目以降のメインが敗北することをふまえて、より低い確率で出る5や9をメインに宣言したほうが結果的には安全ということだ。これは、私が計算したわけではなく同僚の言葉だ。私は調薬で満足しているので、賭けは嗜む程度だと名誉のため明言しておきたい。


「8か。普段ならまず選ばないが……」


 理論上の勝ち筋は低い数字だ。人狼の期待のこもった視線を感じる。かたやハリスは面白そうにこちらを見ている。当たるはずなどないとその表情が物語っている。


「では彼を信じてみるとしよう。メインは8」


 私はダイスを転がした。



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