31. 風と火と詩
毎週月曜更新中
「いい度胸だ。少々こちらに甘すぎる条件だが、構わないと?」
「他の賭けがいいと言ったのはこちらだ。ある程度は不利であるべきだろう」
「先生、俺は?」
「銀貨を捨てたくなければ大人しく見ていろ。それとも私に賭けるか?」
人狼は激しく首を横に振って席についた。そんな我々のやり取りを、ハリスは疑り深く見詰めていたが、やがて頷いた。呼び寄せたカラスに彼女が囁くと、2羽のカラスが羽を咥えて戻ってくる。鳥は私に白い羽を押し付けた。彼女の手には黒い羽が握られている。
「どちらも私の羽だ。どこの梁がいい?」
「高ければどこでもいい」
「ではあちらの梁に運ばせて落とす。片方が床に落ちたとき、宙に白い羽が残っていたら君の勝ち、黒い羽なら私の勝ち。これでいいな?」
二羽のカラスが天井近くに飛び上がった。周囲の客らは驚いた顔で我々の方を振り返った。
「始める合図は?」
「君の好きにしていい」
彼女は怪訝げな目を私に向けた。私が自棄になっているとでも思ったのかもしれない。二羽は梁の上で嘴を擦り合わせて、じゃれあっている。私は周囲を見渡した。壁にはガーランドや、絵が貼られ、壁掛け燭台がある。小さなテーブルの上に火の付いた灯心草がいくつかと、蝋燭が立っているものもある。いずれの蝋燭にも火はついていない。
「さあ、始めようか」
彼女が手を叩くと鳥は同時に2枚の羽を離した。ふわりと白と黒の羽が頭上を舞う。周囲から微かな火花の音が鳴る。1つずつ灯っていく蝋燭の火に、頭上を見上げる者が気付く様子はなかった。どれか1つでいい。どれか1つの上を私の羽が通れば十分だ。
ゆっくり落ちてくる2枚の羽。しかし、彼女の黒い羽のほうが少しだけ速度が遅い。風と戯れるように揺れながら不自然なく宙を舞っている。彼女は私と目が合うと微笑み、両手を背後に隠した。
「先生、やっぱりこんなの無茶だ。あいつにとっちゃ朝飯前だって」
人狼は天井を見上げ暗い声で呟いた。だが、突然ピクリとその耳が震えてピンと立った。その視線の先で、白い羽が空中で静止していた。
周囲がざわめく。異変に気づいたハリスが、宙で止まった羽と私を何度も見た。熱を持った手袋を私は擦った。
「なんだ? なにをした?」
「私も君と同じように風の力を借りただけだ」
彼女は白い羽から離れた真下、テーブルの上で燃える蝋燭に気付いたようだった。青白い眩い火が細く伸びている。通常の蝋燭ならば到達し得ない高温に蝋が溶け落ちていく。
「少し温めてやれば、風は天に向く。煙が真っ直ぐ上るのと同じだ」
「そうか、よく考えたものだ。だが、“風前の灯火”という言葉はご存知かな?」
彼女は悪戯っぽく笑って、手を振った。彼女のローブが一瞬その腕に纏わりつき翼の形となる。いや、戻ったと言うべきなのだろう。きっとこれが本来の彼女の姿だ。強風が火を掻き消した。白い羽が風で煽られ揺れ、落ち始める。周囲から歓声と野次が飛んだ。
「随分と強引だが、これでもただの灯火と呼べるかな。
……『Per nodos septem ligavi flammam.
Solve verba, solve vincula: ardeat.』」
白い羽の遥か下で真っ白な光が弾ける。周囲の温度がじわじわと上がる。近くにいた魔物が悲鳴を上げた。先程消えたばかりの蝋燭に、微かな紫の交じる透明な火が細長く揺れていた。白い羽は熱に煽られ、再び宙へと舞い上がる。
かつて人狼に襲われて使った魔術を人狼のために使うことになるとは、奇妙な縁だ。単純な火花を起こすだけならまだしも、高温の維持や制御は本来、事前に魔法陣を用意しなければいけない。焼いた鉄のように熱くなる手袋から焦げた匂いが立ち上った。人狼の鼻がひくつき、こちらを振り向く。私は両手を後ろへ回した。
「色が変わっても同じだ」
再び彼女が翼を振った。強烈な突風に火が揺れる。熱せられた新たな風が宙へ上り、白い羽を浮かび上がらせた。その余波を受け黒い羽が大きく落ちる。
「しまった」
振り返る彼女の動きに、再び風が巻き起こる。彼女は慌てて翼を畳んだ。再び羽を浮かび上がらせようとした彼女は手を振る前に何かに気付いたように周囲を見た。他の客はこの奇妙な賭けの行方を固唾をのんで見守っている。動かない彼女の目の前で黒い羽が床に着地した。ようやく彼女の手が動いたかと思うと拍手をした。彼女につられたかのように周囲の魔物も口笛とともに手を叩く。
「見事だ。火で風を制するとは、実に腹立たしいが、見事と言わざるを得ない。この銀貨は君に返そう」
「褒めてもらえて光栄だ。普段は濡れた薪に火をつけるくらいしか使ってないものでね」
「まじかよ、賭けときゃよかった」
術の解けた火は蝋を溶かし尽くして消えた。その上に白い羽が落ちる。私は手袋を丸めてポケットへ押し込んだ。
席に戻った我々は銀貨を分配した。私の手元には始まったときと同じだけの枚数、つまり20枚。イブラヒムは半分に減った10枚、そしてそれを巻き上げたハリスの10枚。
「もしかして俺だけ負けてる?」
「一度も勝っていないのだから当たり前だ」
ハリスは高い声で笑って、周囲を見回した。いつの間にか壇上の演目は終わり、2階で騒ぎ立てる我々に他の客の注目が集まっていた。
「哀れな君にチャンスをやろう、イブラヒム、君が次の賭けの内容を決めていいぞ」
「いいんだな? じゃあ、次は詩だ!」
「詩だと?」
人狼は頷いた。
「詩の出来を競うとでも? そもそも誰が審査する?」
「違えよ。謎詩だ。俺が読んで、お前が答える。お前が読んで俺が答える」
「なんだそれは?」
ハリスは首を傾げた。
「つまりだな。例えばこんなのだ。
『私は人の役に立ち、
世界の果てまで知られし者。
私は木立や丘から運ばれ、
羽根に乗り、屋根下に届けられる。
今や、私は老賢者すら組み伏せる。
我が名はなんぞや?』」
「さっぱりわからない」
「先生ならわかるよな?」
有名な詩だ。10世紀頃に残された写本の引用だろう。彼は少々改変しているようだった。
「『蜂蜜酒』だ。エクセター写本の27番」
「ご名答」
「どういうことだ?」
「蜂蜜酒は広く知られ役立っている。木立や丘の花の蜜が蜂の羽で集められ、発酵や醸造され屋根の下へ運ばれる。酒精には賢者もあらがえない」
「そういうこと。俺が言いたかったのはまさにそれ」
「謎詩は、簡単に言うと詩の形をした謎掛けだ。大抵、物体か抽象的なものを、人や生き物に喩えて詠む。詩人の賭け事というべきか」
鳥の魔物は腕を組んだまま唸った。
「まあ、やってみるか」
「よし、じゃあ銀貨10枚な!」
「いや、3枚だ。よくわからないし」
「まあいいや。じゃあ、これはどうだ?
『私は汝を酔わせる伴侶。
人も魔もあまねく私の足元に跪く。
私に奪えぬものはなし。
我が名はなんぞや?』」
聞いたことがない。どうやら彼の自作らしい。あまりに抽象的で答えが絞りづらい。
「それだけ?」
「これだけ。どう考えても、答えは一つだけだろ」
ハリスは周囲を見た。彼女と目があった他の客らもまた、お手上げというふうに首を振る。
「難しいな。伴侶……ということは長い付き合い、生涯付き合う相手か。人も魔も跪く? 随分と強大な力を持ってるらしい。その上、奪えないものまでないと来ると……わかった!」
鳥の魔物は、嬉々として答えた。
「『金』だ!!」
一理はある。それが答えとは私には思えないが、否定するだけの強い根拠もこの短い詩にはない。しかし、人狼は呆れたように溜息をついて首を振った。
「金なわけあるか。金にそんな大層な価値あるわけねえだろ。もっとほらあるだろ? ぴったりのがさ」
人狼の言葉に周りの魔物も首を傾げる。
「先生はわかってるよな?」
「多分これだろうというのはあるが」
「なんだ? もう『金』以外思いつかない」
二人の視線を受けて私は答えた。
「『毒』だろう?」
二人は顔を見合わせた。
「毒? いやいや金よりもずっと遠えよ! かすってすらいねえ。なんでこの詩で毒になるんだよ? 伴侶って言ってんだろ!?」
「一体どんな人生を送ればそんな答えに?」
突如として降り注ぐ誹謗中傷に私は気圧された。
「なら答えはなんだと?」
「『恋』だよ、恋。決まってんだろ。ったく、お前ら揃いも揃って恋したことねえのかよ!」
今度はハリスと私が顔を見合わせる番だった。
「いや犬よ、夢を見すぎではないか。お言葉だが、恋をしたことがないのは君では?」
「はぁ? 言いやがったな!」
「イブラヒム、言いづらいが詩自体に少し問題があるのでは? 恋に酔うものもいるが、酔わないものもいる。その点で毒は確実だ」
「薬理の話じゃねえんだよ。ロマンを知らねえ魔術師め」
人狼は助け舟を求めて周囲を見渡したが、彼に賛同するものはいなかった。
「これでは賭けとは言えない。この銀貨は渡さないからな」
「クソ、お前らがそんな冷血種だったとは」
頭を抱える人狼は私の方を見た。
「ならなんか、答えがわかれねえやつ出してくれよ」
「私が? 詩か。2年次の自由七科以来だ」
「それって何年前?」
「10年以上前だ」
「先生は成績良かった? やっぱり答えなくていいや。さっきの答えを考えりゃわかる」
聞き捨てならない言葉だ。私は人狼を睨んだ。
「確かに私に詩才はないが、謎詩なら出すことができる。我が六塔にはそれぞれの塔に伝わる謎詩がいくつかある。私のいた薬学塔も例外ではない。魔術師相手なら使えないが、魔術師学校に足を踏み入れたことのない君達はきっと知らないだろう。賭けるか?」
ハリスは銀貨を5枚置いた。
「また納得できないような答えだったら無効だ」
「構わない。先のよりは幾分かましと思う。さて、我が薬学塔に伝わる謎詩はこうだ。
『私は全なる薬にして毒。
万物に等しく振り注ぐ慈雨。
されど止まぬ日はない。
我が名はなんぞや?』」
※※※※
参考:Wikipedia『Exeter Book Riddle 27』




