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29. 酒場の小鳥

毎日更新中




 夕過ぎ、我々は落ち合い、彼の星図アストロラーベを取り返すべく酒場へ向かった。夕焼けに染まる人狼の金毛は眩い橙色をしている。果たして目的の酒場の入口は、客で溢れていた。


「この人だかりはなんだ? 中でなにかあるのか?」

「ご名答。なんてったって、今日はお楽しみの日だからな」


 人狼は私の手になにかを押し付けた。くるみ大の青い宝石に見えたが、よく見ると表面に割れ目が走っている。それがなにか私が理解するよりも先に裏側から細い足が何本も飛び出て手の上でもぞもぞと動き始めた。甲虫だった。


「なんだ?」

徴蟲しるしむし、ここの割符みたいなもん。あの列に並びたいなら要らねえけど」


 人狼は同じ虫をスカーフの留め具の横に付けて、酒場の裏口へ向かった。店員は我々の生きた割符を見ると何も言わずに通した。店員用と思しき薄暗い通路を通って、2階へ上るとテンポの早い弦楽器フィドルの音と太鼓の音が聞こえてくる。

 扉を開けると大きなホールが広がっていた。以前来たときはこんなに店内が大きいとは気付かなかった。手元の麦粥がうっすら見えるだけの明るさだったからだ。階下の席では魔物がひしめいている。彼らの視線の先には舞台があった。


「さあさあ、みんなご注目! 今夜はみんなのために、新鮮なお肉(人間)を用意したよ」


 黒と銀のローブを纏った少女が、ナイフを回しながら壇上を歩いている。はためくローブの合間から覗く足はびっしりと鱗で覆われ、足先には靴の代わりに黒光りする長い鉤爪が4本生えている。舞台の上の彼女から反対側の壁際には、目隠しと轡をされた男が壁に鎖で括り付けられていた。男が藻掻く度に鎖が音を立てて揺れている。人狼はというと、この異様な光景に驚きもせず、他の店員から酒を受け取り、階下の舞台がよく見える席についた。


「イブラヒム、これはただの演出なんだろう?」


 縛られた人間の喉元を、魔物と思しき少女がナイフで撫でている。私は信じられない心地で問いかけた。


「さあな? この後、振る舞われる肉の味でわかるんじゃねえの」

「フレレクスはここが停戦区と言っていた」

「そりゃ魔族と魔術師の話だろ。ただの人間は──」


 弦楽器フィドルと太鼓の音が大きくなる。人狼の不穏な言葉の先は聞き取れなかった。

 ローブを纏った魔物は舞台の反対側で、ナイフを掲げた。客の歓声が大きくなる。ぴたりと曲が止まると同時に、踊るように魔物は飛び上がり、ナイフを投げた。風を切ったそれは、真っ直ぐ男の右腕に刺さった。正しくは、右腕があったはずの場所にだ。寸でのところで、男は右腕の鎖を解いていた。

 私は溜息をついて、席に腰を下ろした。私の前に給仕がエールを置いた。


おどかすようなことを言うな」

「その方が楽しめるだろ? 先生」


 階下では魔物が、人間に向かってナイフを投げている。そしてその様を見て、魔物が沸き立っている。あの人間も演者の一人なのだろうが、誤解を招く絵面だ。


星図アストロラーベを取り返しにきたのに、どうして我々はこんなものを見てる?」

「そりゃ、アイツが店に出るの演目ある日だけだし」


 最後の一投と同時に、男が拘束から抜け出す。男のいた場所に凶器が刺さる。歓声の中、男は目隠しと轡を取って拍手を浴びた。その顔は見覚えがある。以前ここに来たときに、私の対応をした人間の店主だった。


「店主が持ってると言っていたな。あの男か?」

「いや、そっちじゃなくて──」


 イブラヒムの言葉はまた騒音に掻き消えた。今度は曲ではなく、無数の鳥の鳴き声だ。見上げれば、梁の上におびただしい数のカラスが留まり、騒ぎ立てている。身の毛がよだつ光景だった。舞台の魔物は腕に乗せたカラスに顔を寄せた。鳥の鳴き声が止まる。


「次の獲物を探しておいで」


 少女の声に反応して、鳥が一斉に羽ばたく。巨大な蠢く黒雲が酒場の天井を支配し、客席の魔物はざわめいた。その中から黒い塊が飛び出し、我々のテーブルに真っ直ぐ降ってきた。何かが机とぶつかり硬い音を立てる。カラスの長く伸びた爪だった。銜えていた黒い布切れを私の前に置いて、鳥はけたたましい鳴き声を上げた。周囲が振り返り私を見た。


「まさか……」

「さあ、大人しく出てこい」


 固まる私を急かすように机の上のカラスが鳴く。頭上の黒雲は掻き消えて、周囲から無数の羽ばたく音と床や机を爪で引っ掻く音が聞こえた。今や我々の机は先程まで、飛んでいた大量のカラスに完全に囲まれていた。動かない私に焦れたように、カラスは身を屈めると私の袖に噛み付く。私はすぐにポケットへ手を引っ込めた。


「やめろ! 尻尾引っ張んなって」


 イブラヒムの悲鳴に目を遣ると、彼の前にも赤い布切れが置かれていた。どうやら演目の標的に選ばれたようだ。我々は無数のカラスに追い立てられ、席を立った。舞台の上に追い込まれた我々に魔物の少女が近づいてくる。小柄な彼女が動く度に、床に引き摺られるた長いローブが蠢き、奇妙な光沢を放っている。彼女は私にナイフを向けて、店内を見回した。


「みんな見ろ、人間の魔術師だ! 遠路遥々ようこそ、血に飢えた怪物どもの集う酒場コルチマへ!」


 彼女は両手を広げて優雅に礼をした。客席からどっと笑い声が上がる。薄闇の中で、大勢の魔物の好奇の目が光っている。とんでもないことになってしまった。


「みんな知っての通り、魔術師の血肉は蒸留酒とよく合う。だが、今夜の私は犬肉の気分だ」

「は? おい、今なんて?」


 カラスがわらう。舞台袖から出てきた黒衣の魔物達が、イブラヒムを押さえつけて、手際よく壁に括り付けた。両手を広げて壁に磔にされた人狼は、逃げようとした首を鎖で引かれて悲鳴を上げた。


「やめろ!」

「大人しくしていろ、犬。さて、君にはこれを」


 魔物は私になにかを差し出した。先程から彼女が使っていたナイフだ。しかし、よく見ると刀身の半分は黒い羽だ。まるで羽の片側が金属に変質したような奇妙な形状だった。


「私の羽だ。よく切れるから気をつけて。持ち方はこうだ。投げ方はこう。試しにあれを切ってもらおう」


 彼女が小声で説明している間に、人間の店主が、大きな生魚を天井から垂れた鉄鈎に引っ掛けた。空中で揺れる魚の死骸を前に、私は逡巡した。薬瓶ならまだしも、私のこれまでの人生はナイフ投げとは完全に無縁だ。


「大丈夫、適当でいいから。ほら」


 魔物に囁かれ、私は羽ナイフを投げた。出鱈目な方向に飛んだナイフは、しかし途中で意思でも芽生えたかのように軌道を変え、生魚を真っ二つに裂いた。起動を変える寸前、視界の隅で魔物の手が動いたような気がした。魔物は私にちらりと目配せした。

 2つに裂かれた血の滴る魚を、彼女は客席に投げ込んた。客席から悲鳴が上がる。いや、歓声だ。魚の死骸が宙に跳ねる。奪い合っているようだった。人狼が暴れて、鎖を鳴らした。


「さて、今度は生きた的だ。存分に投げてくれ」

「やめろ! 逆のほうがいいだろ!」

「なにを言うか、犬。人と魔、種族を超えた美しい友情を見せてもらおう」

「そんなもんあるかよ! 最近知り合ったばかりだぞ!」

「……魔術師の方」


 小声に振り返ると、人間の店主が私の後ろに立っていた。我々を隠すように魔物は人狼と言い争いながら、ナイフを宙に投げては片足で掴んで弄んでいる。つけたままだった私の黒手袋を見て、店主は囁いた。


「魔術なにが使えます?」

「……火を少しだけ」

「丁度いい。点けるタイミングはご自由に」


 店主は革袋から松脂ロジンを取って、指先で羽の部分に擦りつけた。それを3本私に渡すと彼は影の中へ下がる。魔物の少女は、青リンゴを人狼の肩の上に乗せた。丁度、彼の首の真横だ。囃し立てるようにカラスが鳴く。少女の手拍子に合わせて、客席も手を叩き始めた。煽り立てるような旋律を弦楽器フィドルと太鼓が奏でる。人狼は足の間に尻尾をくるりと巻き込みながらも大声で吠えた。


「クソ! 覚えてろよ!」

「さあ!」


 壇下は固唾をのんで我々を見ている。人狼の身を案じる様子はない。彼らも知っているのだろう。この魔物の少女がなんらかの術でナイフを操作していることに。これは一見野蛮なだけの、その実、計算された余興に過ぎない。

 私がナイフを構えて火をつけると、客席から口笛が上がった。ナイフを投げた瞬間、突風が吹いた。ナイフは風に運ばれるように、真っ直ぐ人狼に向かう。固まる人狼の顔前で、軌道を変えて林檎に突き刺さる。客席が沸いた。


「お見事。でも次はどうかな?」


 松脂を燃やし尽くしたナイフの火が消える。リンゴが床に落ちると、カラスが群がり啄み始めた。店主は人狼に近付くと両脚を開かせ、その間に椅子を置きリンゴを乗せた。丁度、イブラヒムの股の真下だ。人狼の顔がさっと青ざめたように見えた。狼の表情は分からないが、少なくとも彼の動揺は鎖の暴れる音が物語っていた。


「嘘だろ! 正気かよ!?」

「こら、動くと尻尾がなくなるぞ。折角だ、次は2本同時と行こう」


 魔物の言葉に店主は頷き、人狼の頭を真っ直ぐに手で押さえてから、その上にリンゴを乗せた。客席から興奮の声が飛ぶ。

 魔物は私に2本重ねて持つように示し、耳打ちした。


「次は空中で点けて。一瞬動きを止めるから」


 ガチャガチャと鎖を鳴らす人狼に私は僅かな憐憫を抱いた。しかし、私と目が合うとイブラヒムは不自然に動きを止めて耳を伏せて目を背けた。その奇妙な振る舞いを理解できないまま、私がズレた方向へナイフを投げると、また突風が吹いた。有り得ない起動を描いて2本が空中に舞い上がった。宙で減速したそれに火をつければ、まるで火を纏った2羽の鳥のように火の粉を上げて舞った。その奇異な光景に思わず私は見入った。観客も静まり返っていた。2本は真っ直ぐに人狼、ではなくリンゴに突き刺さった。客席から低い感嘆の声が上がった。


「お見事! 残念だが、犬肉はまた今度になりそうだ」


 魔物は手を叩いた。そうしている間に店主がイブラヒムの鎖を解いた。人狼は低く唸りながら私の方へ歩いてきた。


「さあみんな、協力してくれた勇敢な魔術師と人狼に拍手を!」


 酒場を震わすような拍手が鳴った。魔物の少女は、舞台から降りる我々を呼び止めた。私の手に木箱を押し付けて、魔物は片目を閉じた。


「持っていくといい。余興ショーの記念品だ。それとイブラヒム、相変わらずいい演技だったよ」

「おう。あとで蜂蜜酒寄越せよな。お前に用がある」


 我々は二階の席に戻った。


「演技だって?」

「あんな困った顔されたら、笑い堪えんの難しいって。なあ先生、ほんとに魔術師? 人狼の心配するなんて」

「まんまと騙された」

「俺達《人狼》には最高の褒め言葉だ」


 木箱を開けると、先程のナイフが入っていた。火をつけたにも関わらず、羽の部分は焦げ跡1つ付いていない。灯心草ラッシュライトの明かりを浴びて、黒い羽の部分が深い藍色に色を変える。

 階下では別の演目が始まっていた。天井に届かんばかりの背の巨人が、人間ほどの大きさの何かを糸で動かしている。人形劇のつもりだろうか。

 我々の机に3つ蜂蜜酒が置かれ、誰かが隣の席についた。それはつい先程まで壇上にいた魔物の少女だった。


「さて、用とはなんだ? イブラヒム」

「先生、こいつ。こいつが俺の星図アストロラーベ奪ったやつ」

「奪ったとは酷い言い草だ。正しくは君が自分から献上した。私は君の足の爪でも肝臓の欠片でも良かった」

「今日こそ取り返しに来たんだからな! 先生からもなにか言ってやってくれ」


 人狼は期待のこもった目で私を見た。フレレクスは店主の寝室に飾られていると言っていた覚えがあるが、交渉相手は彼女らしい。私は内心首を傾げながらも、口火を切った。


「彼が星図アストロラーベを返してほしいそうだ。どうすれば返してくれる?」

「いい値がつきそうだから、次の行商が来たら売りつけるつもりだった。あれは彼の負け分の正当な支払いだ。返す理由はない」

「では行商の代わりに私が買い取ろう」

「賭けで取り返すではなく買い取り?」


 少女は面白そうに身体を揺らして笑った。ローブがぶわりと膨らみ、鱗のように逆立つ。いや鱗ではない。全て羽だった。


「慎重な魔術師だ。だが、生憎私は賭けの気分だ。魔術師と遊ぶ貴重な機会を逃したくない。あわよくば指の一本でも貰えるかもしれないし、蒸留酒が余っていてね」


 半人半鳥ハルピュイアの魔物は、グラスを我々のものにぶつけた。


「私の名はハリスティーナ・ホヴァノヴァ。ハリスって呼んでくれ。さあ、楽しい夜に乾杯しよう」


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