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28. 人狼の骨粉

毎日更新中


 ──反魂酒というものがある。

 薬学塔でも存在を知るのはごく一部の、禁じられた秘薬だ。この情報が出回っていないのは、単に希少だからではなく、その危険性を鑑みてのことだ。その中毒性から、かつてはこう呼ばれていた。夢路の死水と。


 その由来は、口にすればおおよそ死が確約される。不幸にもその薬そのものにより存在が希釈され消えることもあるが、運良く戻ってこれたとしても、反魂酒によって得られた経験を求めて再び煽ってしまう。不幸が訪れるまで何度でも。


 この秘薬のため、我々は材料集めを始めた訳だが、私の目的の人狼ライカンスロープは見つからなかった。嵐の過ぎた街は、火山灰と雨の混じった泥で覆われ、街全体から色が抜けてしまったようだ。住人らがスコップで排水路から灰泥を掘り出している。そんな中、通りで一際大きな豪奢な邸宅の前で私は立ち尽くし、シーシャーの書いてくれた地図と見比べていた。


 高くそびえる玄武岩の外壁に窓は少なく、幾何学模様の彫金をあしらった真鍮の大きな装飾門が目を引く。周囲の家並みから外れた見た目が異彩を放っている。そんな私に気付いたのか、赤い長衣ジュッバを着た使用人が近付いてきた。彼の手には灰を落とすための水壺と刷毛ハケが握られていた。


「ご用でしょうか?」

「イブラヒム氏を探しているのですが、この近くに住んでいるとお聞きしまして」


 正確に言えばこの邸宅をシーシャーの地図は示していたが、私はなにかの間違いだと思い込んでいた。この時までは。


「ああ、イロル坊ちゃまですか。失礼ですが、お名前とご要件をお伺いしても?」

「ナプティアです。ノアーグ=ナプティア。調薬で彼に相談事があって来ました」

「本日は来客の予定が無かった筈ですので、お会いできるかもしれません。少々お待ち下さい」


 使用人が屋敷に戻っていくのを私は驚きとともに見つめることしか出来なかった。戻ってきた使用人は扉を開いた。中は薄暗かった。曲がりくねった廊下の先で、突然視界が開ける。眩しい光に怯んだのも束の間、水のせせらぎと木の葉が風にゆれる音がした。中庭リアドだった。天に開いた青空の下、柘榴とナツメヤシの木が囲む八角形の水盤からは絶えず水が溢れている。外とはまるで別世界だ。呆気に取られる私を使用人は応接間マジュリスに案内した。


 重厚で甘い沈香ウードの漂う中、白い漆喰壁に濃紺に金糸が光るタペストリーがいくつも飾られている。紋様は、黄道十二宮や月を追う狼の絵図や、占星盤など天体や星の流れを示すものだ。壁際に座布団やカウチが並び、床には夜空のような藍色ウォードの絨毯が敷かれていた。学生の頃に数度だけ入った神智塔の占星科の天文室を、私は思い出していた。


「よう、学者先生がなんの用だよ」


 イブラヒムは欠伸をしながら入ってきた。最後に見たときとは違い人の姿をしている。着崩した服から綿のような胸毛が飛び出ていた。珠玉の調度品で飾られた部屋に、ボサボサの人狼は住人としてはあまりに不釣り合いだった。


「見事な部屋だ」

「みんなそれ言う。雰囲気あるよな? そのせいで、俺なんかの予言でも、それっぽく見えちまうんだろうな」


 人狼はカウチにどっかりと腰を下ろした。


「いきなり訪問してすまない。君の助けが必要だ」


 私は彼に包みを差し出すと、イブラヒムはすぐさま首を振って、手土産から距離を取った。


「いやいや、フレレクスがいるだろ。それに仕事道具アストロラーベ賭けて、酒場の店主に奪われたって話、アンタ聞いてただろ?」

「占いじゃない。つまり……調薬に人狼の一部が必要だ」


 私は言葉を濁した。冷静になって考えれば、魔術師から骨粉を欲しいと言われるのは不愉快な話題に他ならない。


 実際、生類科の魔術師は素材を目当てに彼らを狩る。一攫千金のために彼らを狙う放浪者もいる。人狼の頭だとうそぶいて、狼の首が薬学塔管理下の査定所へ持ち込まれたなんて話もある。歯の数を数えれば簡単に分かると、生類科は笑い草にしていたが、薬草の花糸かしの数ならまだしも、普通は魔物の歯の数など覚えていない。


「一部ってなんだよ」


 恐れていた通り、人狼は目を細め、露骨に顔をしかめて私を見た。


「抜け毛とか?」

「いや骨だ」

「はぁ!? 嫌だよ! 何するつもりだよ!」


 イブラヒムは大仰に叫ぶなり、身体を仰け反らせ、背もたれに背を押し付けた。そうだ。これが正常な反応だ。あの無頓着な吸血鬼が異常なだけで。


「これだから魔術師ニンゲンは野蛮で困る!」


 初対面で頭から齧るぞと脅してきた男が放つには滑稽なセリフだったが、私は喉まで上った反論を飲み込んだ。


「君になにかをするつもりはない。君が首飾りにしていた牙を分けてくれれば十分だ」

「牙? ああ、あれか……」


 人狼は肩を竦めた。私が改めて手土産を差し出すと、彼はようやく受け取った。


 ラム革の巾着を開けて彼は中を覗き込んだ。緩衝材のウールと羊皮紙のくず布の中でガラス瓶が光る。人狼の鼻がピクリと震えた。


「酒か?」

薬草酒ハーブリキュールだ。急造品ではあるが、蜂蜜とセージ、それから黒スグリを香りの芯に据えてある。君の演奏に敬意を表して、後口に少しだけ月桂を足した。薬草としての役割もあるが、これは本来、詩人や芸術家に捧げるものだ」


 彼の口角が一瞬だけ震えて、僅かに吊り上がるのが私には見えた。


「へぇ、洒落てんな。でも悪いけど、あれはやれねえよ。俺だけのってより、先祖代々受け継いでんだ。はいどうぞって訳にはいかねえ」


 そう言われては引き下がるほかない。他に人狼のあては、生類科しかない。学内最大の保管庫を有する彼らならばいくつか保存しているだろう。ただし、今回以上に難しい交渉になる。この街か、黒樹海で彼らの興味に値するものを見つけられれば、可能性はあるかもしれない。少なくとも先日拾った鱗は取引材料の1つになるだろう。


「で、どうすんだ?」

「そうだな。他の魔術師に、掛け合う他ない」


 心苦しいが、フレレクスと合流して作戦を練り直さなければいけない。考え込む私をイブラヒムは眺めていた。


「……ちょっと俺の手伝いしてくれたら考えてやってもいいけど?」


 ボソリと呟かれた言葉に、私は驚いて声の方を見た。


「手伝いとはなんだ?」


 人狼は私を見て悪戯っぽく笑った。そこでようやく、私は彼がずっと演技していたことに、そしてまんまと騙されていたことに気付いた。


「俺の星図アストロラーベ、賭けで取り戻してくれ」


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