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25. 人狼と交わす盃

毎日更新中


 フレレクスとの会話を終えた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。私の分の食事を用意できないことを彼は申し訳なさそうに告げた。彼の鍋の血詰めヤマビルを試してみる勇気はまだ無かったので、私は今夜の夕食を諦めることにした。


 松明を手に私は宿屋へ向かった。夜闇に包まれた都市は、夕方とは別の街だった。街全体がまるで浮足立っていた。ざわめく周囲から何かが蠢いているのが判るが、この暗さでは正体は掴めない。時折何か巨大なものが上空を羽搏はばたく音や、どこからか獣の唸り音がする。それらに意識を奪われていると、前方の暗闇の中に緑色の眼が光った。


「よぉ! ナプティア先生、だったか?」

「君は確か……」


 その声には覚えがあった。フレレクスの家で脅しをかけてきた人狼だ。彼は最後に見たときと違い、人の姿をしていなかった。腰に布を巻いただけの全身は金色の毛で覆われ、葡萄の若葉のように生命力に溢れ、月光の下で艶やかに輝いていた。都の宰相が自慢していた人狼ライカンスロープ剥製ハンティングトロフィーを思い出す。あの色褪せたブラウンの毛皮が、生前これほどまでに美しかったのだとは知らなかった。私は警戒しつつも、興味を惹かれ彼に近づいた。


「イブラヒムだ。こんな夜中に一人たぁ、悪い狼が出たらどーすんだよ」


 人狼は上機嫌そうに、大口を開けてケラケラと笑った。ずらりと並んだ鋭い牙が月光の下で光る。私は彼が何かを持っていることに気付いた。


「それはリュートか?」

「ん? ああ。似てるけど、これはもっと古いやつ(ウード)だ。今から店に弾きに行くんだ」

酒場キャバレがまだ空いているのか?」

「当然だろ。先生も来る?」


 我々は酒屋へ向かった。真夜中にも関わらず、灯りは灯心草ラッシュライトのか細いもののみで、暗がりの中で営業していた。都では考えられない話だった。私には手元がかろうじて見える程度の明るさだったが、他の客は違うのだろう。そこかしこから聞こえてくる談笑や物音から店の繁盛を知る事ができた。


「困った。何も見えない」

「おいおい、ほんとかよ。しゃーねえ、こっちだ。こけるなよ」


 人狼は驚くべきことに、親切に私を席に案内してくれた。しかしながら、私が感激したのも束の間ですぐにどこかへ行ってしまった。暗がりの中で、私はとんでもないところに来てしまったと後悔しはじめていた。こんな真っ暗な閉所で、周囲には魔物が溢れている。複数に襲い掛かられては無事で済まないだろう。真っ直ぐ宿屋に向かわず、空腹に負けたのは失敗だった。私が席を立とうとした時、何かが私の横に立った。


「新顔の魔術師の方ですね。噂になってますよ。なにをお求めですか?」


 ごく普通の60頃の男性が蝋燭を手に立っていた。見る限り角が生えている訳でも、鱗に覆われている訳でもなく、人狼のような獣臭もない。人に似た姿は、喜ばしい事に間違いはないのだが、正体が分からないという理由で、かえって私の警戒心は募った。おかしな話だが、この魔物の街を訪れた人間は誰もが同じような心地に陥るだろう。


「何か適当な夕食と酒を。これで足りるか?」

「D国の通貨ですね。ええ、大丈夫です」


 踵を返して去ろうとする男を私は呼び止めた。


「失礼。気分を害したら本当に申し訳ないのだが、君は人間のように見える」

「はい、その通りです。私たちにとっては、この暗さじゃ何も見えないですよね」

「魔術師はフレレクス以外にはいないと聞いたのだが、君も?」

「いいえ、私は魔術師ではありません。本当にただの料理人です。でも妻が、ね」


 人間の店員はそれだけ言って暗がりへ消えていった。程なく、温かい麦粥ポリッジと水で薄めた果汁酒プルネレが提供された。まともな食事にありつけた事に私は喜びつつ麦粥ポリッジに舌鼓を打った。食事の最中、世にも美しい弦楽器の音が聞こえてきたのも相まって私はすっかり気を抜いていた。食後酒ブランデーを楽しんでいると、何かが私の正面にどかりと座った。暗闇に慣れ始めた目ではそれが先ほど別れた人狼ライカンスロープのイブラヒムだと分かった。


「なあ! なあ! どうだった? 鳥目でも曲は聞こえてたろ?」

「さっきの演奏は君が?」


 人狼は何度も頷いた。彼の尾が激しく揺れて机の脚に何度もぶつかったので、私はこぼれる前に木杯カップを避難させなければいけなかった。


「都の吟遊詩人トルヴェールを思い出した。聞いたことの無い曲だったが、どこの国のだ?」

「だろう! 俺が作った。気分いいから一杯奢ってやるよ」


 我々は杯を交わした。口が悪い事に目を瞑れば、彼は気さくで人当りの良い青年だった。酔いも回り始めた頃、彼は軽い調子で切り出した。


「なあ先生、アンタD国の魔術師の塔から来たんだろ? 俺のダチがさぁ、帰ってこねえんだけど……なんか知らねえ?」


 心地よい酔いに浮かれていた私は、彼の言葉を何度も頭の中で反芻した。そして一気に目が醒めた。


「君と同じ人狼ライカンスロープか?」

「そう」

「それはいつ頃だ?」

「あん? 最後に見たのは5カ月くらい前だったか」


 間違いない。彼が言及しているのは、宰相の剥製トロフィーになっている人狼だろう。彼が同じ人狼なのだから、知り合いである可能性は十分に考えられた。私は逡巡した末、簡潔に答えた。


「……彼は討伐されたよ」

「ふーん、そうかよ」


 人狼は項垂れながら、杯を傾けた。両耳が伏せて下を向く。先程まで機嫌良く跳ねていた尾がだらりと床に落ちていた。


「昔から血の気の多い奴だったんだ。そんな顔しなくても敵討ちとかしねえって。アイツいつかああなる気はしてたんだ。そもそも、アンタ無関係そうだし」

「どうしてそう思う? また匂いか?」

「ちげえよ、確かに俺たちの鼻は利くけど」


 イブラヒムは鼻先を宙に向けた。


「薬の匂いがする。それと、甘ったるい匂い……花と蜜か。さては香水アッタールでも持ってるな?」


 シーシャーとのやり取りを思い出しながら、私はただ曖昧に頷いた。


「な? 合ってるだろ? 先生がダチの討伐に関係してないってのは、占星術師の勘ってやつ」

「フレレクスは君の占いは当たった事が無いと言ってたが」


 ぴくりと耳の先が震えて、人狼は勢いよく顔を上げた。


「うっせえな! 人狼は騙すのが仕事なんだからそれで丁度いいんだよ。それに、死んじまったアイツと先生が話した事ないのもお見通しだぜ。……だってアイツ女なのにアンタ真面目な顔して彼とか言うし!」


 イブラヒムはゲラゲラと笑った。







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