3. 処刑日
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私は長官に訴えた。
「彼は無実だ!! 私はこの目で見た。あの男が、彼を檻から出し人狼になって襲いかかった!」
「ラフィス君が? そんな事ある筈がない」
あの後、人狼は神官に助けられ宿舎に運ばれたらしい。一方、フレレクスは捕らえられ、人狼の嫌疑を受け、分教会へと連れられた。道すがら私は必死に訴えたが、長官を納得させるのは困難だった。
「私に看破の秘術だと? 冗談じゃない! 君たちのその濁った2つの目は何のためにある? 飾りか? 一体なにを見ている。目をさませ。宿舎で臥している男こそが人狼だ!」
フレレクスは儀式を嫌がった。
審問会で一番年少の男が術師のようだ。25前後のひょろ長い男は、祭壇の前で詠唱を始めた。長い詠唱と祈祷が終わった後も、当然ながらフレレクスに変化は無い。私も同じ儀式を受けた。
「長官、我々は無実だ。これで証明された!」
「いいや、証明されたのは君達が人狼でない事だけだ。この事実と同じ重みをもって、彼が許可なく牢の外に出ていた事も、彼がナイフを隠し持っていたことも、そのナイフに私の部下の血がついていた事も事実なのだ」
「頼む、せめてあなたの部下にも同じ儀式を受けさせてください。それで全てが明らかになる」
「君は少しは自分の立場を考えるべきだ。君の馬と荷物は引き続き差し押さえさせてもらおう。そもそもラフィス君がどんな状態か分かって言っているのか? 彼は息をしているのが奇跡なくらいだ。彼の服同様、彼の身体もあちこち引き裂かれている」
「あなたの部下が無実だったなら、私を捕らえればいい。彼の火傷は私によるものだ」
「彼が目覚めたら考えてやろう」
「それなら目覚めさせましょう、薬神ヒェギエイアの盃にかけて」
私は人狼の治療を条件に村内の自由を許された。それから2日、人狼は目覚めなかった。人の姿のまま眠り続けていた。彼の負った火傷は致命的なもので、彼の四肢は赤くはち切れんばかりに膨張し、全身の皮膚が薄い鱗のようになってところどころ剥がれ落ちていた。私は薬草の根を乾燥させ砕き溶かした水薬を初めとする、手持ちの材料で作り得る薬の全てで彼を治療した。3日目、彼は目を開けた。動くどころか、言葉も発せない状態だが、目を覚ましたことは事実だ。私は長官に報告し、すぐさま牢へ面会に向かった。あれからフレレクスは檻に捕らえられている。
「やったぞ! 我々の勝利だ。人狼は目をさました。長官は約束通り、彼に看破の儀式を行うと言っている!」
「……いいや、駄目だ。なにか別の方法を考えねば」
フレレクスは座ったまま、私の方を見もせず地面を睨んでいた。
そして、彼の言葉が正しかった事を私はその日のうちに知る事になる。私と審問官の五人で、ラフィスを分教会まで運んだ昼の事だ。
「『Per lumen qui penetrat umbras,
per nomen Altissimi,
faciem fallacem revela.
Ostende verum sub pelle mendacii!』」
ラフィスは変化しなかった。一房の黒毛すら現さなかった。
「そんな、まさか……。ああそんな……秘術師、君はモグリか」
だが今の私の発言に信憑性など無いも同然だった。
この一件を機に、フレレクスと私の立場は極めて深刻な状況へ追い込まれた。このままこの村に滞在すれば、いずれ私も彼と同じように捕らえられるだろう。神官らが治療をしているが、人狼の容態はあれから悪化もしないが回復もしない。人々の守護者たる審問官にそれだけの怪我を負わせた我々を、同じ目に遭わせるべきだという声は一層大きくなっていた。元より部外者である私を庇うものはおらず、我々を見る村人の目は冷ややかなものだった。
私は檻の前でうなだれた。
「本当の事を言っているだけだ……。誰も信じてくれない」
「証明しろ。あの男をもう一度人狼にすればいい」
「看破の秘術は習得に5年はかかる。それに私じゃ信仰心が足りない」
「違う。習得する必要はない。人狼になるのは、極度の興奮を覚えた時だ。同じ状況にすればいい」
「彼はあれから寝たきりだ」
「……君はもう逃げろ。はやく、出来るだけ早く、遅くとも今日のうちにこの村を出ていくといい。そして二度と戻ってくるな。君の経歴に傷がついたのは悪いと思ってる。せめてこの事を本にして同情を買ったらいい。ついでに不幸な私の事はとても敏腕な良き捜し屋だったと書いてくれ。君の特技だろう」
場違いな軽さで冗談すら交えて彼は忠告した。私は彼が何を言っているのかすぐにはわからなかった。自らの命の危機を前にして、これほど無頓着でいられるのは、余程の愚か者か気の狂った者だけだ。しかし彼はそのどちらでも無い筈だった。
「わかっているのか? このままでは君は審問官を襲った罪を被る事になる。怖くないのか?」
「おかしなことを言うな。ああ、それとこのルリケールを君に」
彼はポケットから小さな聖遺物入れのペンダントを取り出して私に渡そうとした。私はぎょっとして牢から離れた。
「やめろ。形見のつもりか? 縁起でもない! そもそも、どうしてだ。私のせいだとどうして言わない?」
「形見じゃない。それに明白だ。言ったところで私の処遇は変わらないだろ」
長官から呼び出しを受けたのは翌日の朝だった。私は覚悟を決めていた。
「こんなことを告げるのは心苦しいが、……フレレクス氏を処刑する事になった」
「有り得ない! 彼は正当防衛をしただけだ! それに処罰するなら私だ。ラフィス氏の怪我は切り傷もあるが、あの状態にしたのは私だとあなたなら分かる筈だ。あれは魔術によるものだ。都から因果塔の専門家を呼べば、私のいた檻から魔法陣の痕跡を見つけて彼の魔術でないことを証明するだろう」
「ナプティア君、発言に気を付けたまえ。ここに我々しかいなくとも、聞く者が我々しかいないという訳ではないのだから。私が君をここに呼んだのは、彼の死刑を告げる為ではない」
長官は右手の指輪を外して、私の目の前に置いた。
「これが何かわかるかね?」
「……金製リング、古い付与魔術が施されている。……この魔術式は、かの大賢者ジェグラヌス卿の?」
既に魔力は感じられなかったが、この指輪が魔術具の類であることはすぐにわかった。付与術は刻んだ対象に特異的な効果を加える。自筆し写本を複製する羽ペンや、我々魔術師が学校を卒業すると同時に国より与えられる、所有者以外が嵌めると指が焼け落ちる印章指輪も付与術によるものだ。フレレクスが身に着けている眼鏡も魔術具の類だった。付与術は専門家でさえ構築に時間がかかり、それでいて短期間しか効力を持たない事も多く稀少な贅沢品である。
「そう非常に価値ある骨董品だ。だが、私にとってはそれ以上の価値がある。母の形見だ。一度私はこれを売り払った。そうする必要に迫られた。審問会に入り今の地位を手に入れてから、私は依頼したのだ。フレレクス氏に、30年以上前に手放した指輪を全大陸中から探してきてほしいと。不可能だと思ったよ、期待もしてなかった」
長官は指輪を戻した。
「たった1カ月だ。1カ月で優れた猟犬のように彼は、どこの国に流れたかもわからぬ指輪を見つけ出し、なんらかの手段で手に入れ、戻ってきた。彼は苛立つ男だが、同時に恐ろしく優秀な男だ。私とて彼を殺したくはない。だが私以外の審問官は彼の処罰を強く求めている。私にとっては彼もラフィス君も無罪のように見える。彼ら2人の事はよく知っている。だから申し訳ないが、個人的に最も怪しいのは君だと思っている。しかしそんな君はまだ逃げずにここに留まっている。その点において、君を信用しようと思う。君は調薬を専門とする魔術師なのだろう? ラフィス君を死の淵から救ったその力を見込んで言っているんだ。もう時間が無い。私に作れる時間は2日だ。明日の夕暮れまでに君の言葉を証明しろ」
確かに、看破の秘術の代わりになる魔法薬は存在する。既に1つの秘薬に思い至り材料の確認はしていた。
「不可能だ。露呈薬の材料なんてこんな場所じゃ手に入らない。血余炭は用意できたとしても、竜骨なんて手に入るものか! 頼む、研究塔に戻れば必ず薬を完成できる。主都の学校だ。知っているだろう、王立魔術師養成学校の薬学塔、せめてそこに戻るだけの時間をくれ。私はそこの植生科に勤めていた。休まず馬で走れば片道2日、薬の作成に半日いや数時間、全部で4日あれば足りる。どうか4日くれないか。そうすれば君たちが生涯目にすることがないだろう、完全なる秘薬を持ち帰って見せよう」
「君は知らないかも知れないが、審問会内部の決定は基本的に協議制だ。私一人でこれ以上の時間稼ぎはできない。君を拘束しないように説得するだけでも簡単じゃなかった」
その後説得を試みたが、私の懇願が聞き届けられることはなかった。
「それと君は彼の友人か?」
「いや、牢で会ったばかりだ」
「そうか。まあどちらでもいい。彼にハンガーストライキをやめるように言ってくれないか。二日も持たずに死なれては私も困るよ」
その日、私は村中を駆け回った。付近に出産予定の妊婦がいないか調べ、蛇肉を取り扱う店を探し、宿舎の女主人に髪を分けてくれるように頼んだ。夕方、私は借りた炉床に材料を拡げた。手に入ったのは、柳の葉と断頭された蛇の死骸が複数、そして人髪だ。それぞれを革製の鉢の中で磨り潰す私の様子を女主人が奇異な顔で見詰めていた。彼女は歳が40前後で、鼻が赤くネズミのように耳が大きい。
「何を作っているんです、先生」
「露呈薬の材料です、マダム。短時間ながら隠蔽術を打ち消す効果と、獣人を獣に戻す作用がある。調合には材料を適した形にしなければいけません」
「薬ですか、水薬でしたらこの村にも作る方はいますけれど」
「ええ、水薬は魔術師でなくとも、材料と手順さえ守れば作成できる便利な薬です。これは魔法薬と言って、材料の他に聖水を用いて魔術行使を交えることで完成するものです。水薬は肉体、魔法薬は魂に作用すると考えてもらえると分かりやすいかもしれません。あなたが髪を譲ってくれて大変助かりました。我々を疑っていないのですか?」
彼女は摘んできた野草で作った花飾りを壁にかけているところだった。セージ、イラクサ、カモミールとジギタリス。この辺りの初夏に自生するありふれた野草だ。
「何があったかは知りません。でも彼、あの旅のお方。彼はこの宿のお客さまですから……。髪を買い取りたいなんてお方は初めてですわ。それも銅貨を5枚も。魔術師は皆さん、こういう事をなさるんですの?」
「魔術師とは専門によって全く異なるものです。一言に猟といっても、雁狩りもあれば虎狩りもある。それと同じです。得られる成果も、その危険度も科によって変わります。決闘科なんていう、何も得られないのに最も危険な科もありますから」
「薬はいつ完成するんです?」
「これだけでは完成できません。材料が足りないのです。人の胎盤と竜骨、竜がいないなら象牙でもいいのですが……それに、この蛇。皮が剥がれて頭を落とされています。これでは種類が分かりません。反鼻という、クサリヘビ……出来ればマムシを乾燥させたものが欲しいのですが、正直なところこれでは完成しても効果があるかどうかもわかりません」
言いながら私は消沈した。
「元気を出して、先生。何か別の材料じゃいけませんの?」
「マダム、薬はとても気難しいのです。決まった材料、決まった分量でなければ」
「なら別の薬は?」
「別の薬じゃ同じ効果は……。いや、そうです、……その通りだ!」
いきなり頓狂な声を上げた私を、女主人はぎょっとした目で見た。
「何も露呈薬じゃなくてもいい。あの人狼が変身するきっかけになれば十分だ。フレレクスは人狼は興奮した時に変身すると言っていた。興奮させる薬だ、だが奴は眠り続けている。奴の身体に物理的に作用する薬……どうすれば興奮したと見なせる? 呼吸数、瞳孔、それじゃ足りない。体温上昇、病人でも上昇する。より精神に深く結びついた変化……、脈拍だ!」