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24. 星を見る者、星に見られし者

毎日更新中


「伯爵は君が呪われていると言っていた。その呪いとはなんだ?」


 私の問いにフレレクスは語り始めた。慎重に言葉を選ぶように、彼にしては極めてゆっくりとした口調だった。


「これについて誰かに話すのは初めてだ。君には真実のみを話したいと考えているが、とても難しい。これは、“呪い”ではなく、“感染する知識”だからだ」

「感染する? つまり疫病だと?」

「そうだ。ただ“聞く”だけで感染する。これは、言葉を媒体にして広がる病だ。もっと正確に言えば、理解することそのものが、発症の引き金になる」

「……それではまるで呪いだ。構造的には何も違わない」

「違いは“意図”だ。呪文は目的を持って編まれるが、これはただ存在しているだけだ。ナプティア、君は熱帯に蔓延する、脚が象のように膨れ上がる病を知っているかね? あれは細い虫が足の中に入ることで起きるおぞましい病だ。それと同じだよ。寄生虫が肉体を蝕むならば、この疫病は知識が精神を食い荒らす。血の中を流れる虫卵を、皮膚の下を這い回る虫体を全て取り去る事が出来ないのと同じで、ひとたび知ってしまえば、手遅れだ。知識が理性に巣食い、自我を蚕食さんしょくしていく。心髄から腐り、やがて“自分が自分でなくなる”。それがこの病の終着点だ」

「……それが魔術を使えなくなった理由というのか?」


 そう問いかけるのがやっとだった。にわかには信じがたい話だ。


「それはただの副次的な結果だ、ナプティア。臓物を癒す薬を飲んだ結果、肌がただれるのと同じ。魔術を失うのは、知識の病に抗う代償だ。伯爵の死の淵からの回復を見た君なら、我々吸血鬼の再生能力を実感しているだろう? あれはなにも無尽蔵の恩寵というわけではない。再生するたびに、寿命を切り崩してるだけさ。ひと月で完治する火傷を治せば、ひと月分寿命が縮んで、相応する魔力も失うという具合に。単純な話だ。僕はそれを常にしているから魔力がまともにない」

「常に? 治っていないのに?」

「治らないというのは極めて楽観的な表現だ。正確には、悪化をかろうじて緩やかにしている、再生能力でね。僕がこうして一見まともに話しているように見えるのはその均衡の上に立っているだけだ。だが生憎、これまでも、この先も治す手段は無い。この疫病から逃れる唯一の方法は、知らぬ事だ」


 その内容に反して彼の語り口は淡々としていた。まるで結末の知っている物語を語るかのようだ。


「フレレクス、君の言っている事は道理に合わない。疫病なら知らない方が危険じゃないか?」

「逆だ、ナプティア。“知ること”そのものが、破滅の入り口なんだ。君は黒死病ペストを知っているだろう? あれは瘴気で広がると言われている。或いは、黒死病ペストに罹った死人の血や着ていた服から広まるのだと。だがこれは違う。言葉でしか伝わらない。耳に入り、意味を理解した時点で感染する。この病から逃れる唯一の方法は、知らぬままでいることだ」

「……つまり、私は今、感染しかけていると?」

「ああ。だから、これ以上は聞かないでくれ。僕は君を信じている。だからこそ、輪郭の一部だけ話した。だが、境界を越えてはいけない。中身を知れば、戻れなくなる」


 彼の物言いはいつになく遠回りだった。私は街に響く狼の遠吠えを聞きながら、彼の言葉を反芻した。呪いであれ疫病であれ、なんらかの治療や緩和の手段が見つかっている事は多い。だが彼の出した曖昧な情報だけでは、私には解呪の方法は思いつかなかった。


「誰にかけられた?」

「何にと言うべきだ。好奇心さ。僕は愚かだった。全ての真実を、分厚い覆い(ヴェイル)の下にあるこの世界の機械仕掛けを覗かずにはいられなかった。そうでなければ解読などしなかっただろう。あの忌々しくも、魅力的な、全知の記譜スクロール星見書アカシックレコードを!」

「書だと? つまり君は本を読んだせいで、その内容に呪われて、結果として魔術が使えなくなった?」

「そうだ」


 フレレクスは、それ以上話そうとしなかった。彼が初めに言ったように、解呪を求めていないのだろう。話す事で広まるという性質上、彼が諦念の元にその決断を下したという事は想像に難くない。私は彼の解呪を決意した。


「それが全ての顛末てんまつか。好奇心は吸血鬼も殺すわけだ」

「殺すだけなら話は簡単だった。実際僕はこうしてまだ生きているわけだしね。……あの書が僕に与えたのはただの呪いだけじゃない。あの全知の書には僕の記載もあってね。開くと、短くこう書いてあるだけだった。“この書を読み命を落とす”。予言から逃れるために、僕はあらゆる手を尽くして、最後に自分の項を破り捨てた。その結果が、僕に関する“正しい情報”の急激な腐朽だ。全知の書にないものは存在してはいけない。じゃないと全知でなくなる。書にないものは、次第に輪郭を失う。名前が消え、痕跡が消え、最後に存在が消える。それが“全知”の論理だ。とはいえ、僕はこれを祝福と呼んでいるがね。誰の記憶にも残らないなんて、人の間に紛れて潜む怪物には願ってもみない加護だろう? ……なんて、楽観していられたのも初めのうちだけだった」


 実感に乏しい話だった。彼は確かに私の目の前にいて、話している。


「存在が消えるといっても君は確かにここにいるのだから、消えようがないだろう」

「いいや、ナプティア。誰にも記銘されず、思い出されない生き物は、存在していなかったのと同じようなものだ。あの書は別の手で結果の帳尻を合わせに来たわけだ」

「詩的だな。だが生憎シーシャーさんも私も君を忘れていない」

「忘れるわけじゃない。思い出せなくなる。久しく会っていない友人の声を思い出せなくなるようなものさ。また本人に会えば思い出すが、……“会わない限りは忘却の彼方”だ。君たちはきっと知覚できない。僕を思い出せなくなったことすら忘れてしまう。呼ばれない名に、忘れられるだけの名になんの意味がある? 僕の部屋が不在の間に片付けられて売られないためには、忘れられないよう虚構を分厚く着るほかない。そうでもないと、“存在しなかった”ことにされる。真実を求めた末路が虚実の中とは、実によくできた寓話ぐうわだ。そう思わないか」


 もしそれが事実とすれば、その境遇は空虚などという言葉では表しきれないが、果たして本当にそんなことが起きうるのか。それは世界に対する改竄だ。信じがたいというより、信じたくない心地で私は反証を探した。


「いや、辻褄が合わない。少なくとも私は忘れたことがない。もしかして数年単位の話をしているのか? 言っておくが、昔の出来事を忘れるのは加護だとか複雑な魔術作用ではなく、生き物なら普通だ。君が全部覚えているのが異常なだけだ」

「違う。もっと短期間で消える。記録を残していなければ、君は今頃殆ど忘れて、魔術学校の暮らしに戻っていた。“一人旅”の甘酸っぱい思い出とともにね」


 あれを甘酸っぱく感じる舌なら、聖水も砂糖水に感じるだろう。一度飲んでみせてから言ってほしいものだ。しかし、それ以上に引っかかる言葉に私の意識は持っていかれた。


「馬鹿げてる。私が一人で伯爵邸に忍び込んだと思いこむことになるのか? なんのために?」

「その理由をつくろうのは君だ。君の記憶は、整合性を求めて想起するたびに、修正されめられていく。“正しくない情報”、僕の名乗った偽名だけが、あの牢にいた男の存在を薄っすら残すだけだ」

「なら君を追っていたルービンは?」

「消えるのは“正しい情報”だけだ。思い込みや妄想は含まない」

「私が記録を残していたから、覚えていられたとでも言うのか?」

「君の手稿がどれほどの意味を持っているか、君は知らないだけだ。君の手で記名される限り、記銘はいかりとなって僕をこの世界に繋ぎとめる。全知の書が消しても、君の文が僕を思い出すのなら、それは抵抗たり得る。虚構の中でしか生きられないなら、せめて君の筆がいい」

「つまり……私は君の存在証明の発行者か。この内容も記録しておけと遠回しに求めているわけだな」


 言いながらも笑えなかった。託されたのはただの記録ではない。いわば改竄能力をもつ魔法書グリモワールへの反呪文だ。そんなもの、ただの魔法薬師の手に負えるものではない。


「それは君の自由だ。しかし、そうしなければ君の記憶は剥がれ落ちる。その方が物語として美しいと君が思うなら、きっとそうなんだろう」

「物語の美醜に興味はない」


 言われずとも、記すほかない。記憶が不確かになる可能性があるならば。これは私でなくとも、字が読める者であれば同意するだろう。ただ吸血鬼一匹の重さが筆先に乗っただけのこと。

 私は震えそうな嘆息とともに、すっかり強張り痺れてしまった両手を揉んだ。


「フレレクス、君が必要に駆られたためだとわかった。とはいえ、魔術も使えないのに魔術師だなんて無茶な話だ。そのうち私じゃなくても誰か勘づくんじゃないか?」

「その通りだ。でもそれなりにサマになってるのさ。火傷はないが、見た目だけは」


 彼は先までの会話など無かったかのように笑って、魔術師の使う手袋を懐から取り出して嵌めて見せた。本来無資格では所持が許されない黒手袋は各所が魔法陣の跡に焦げ付いていて、いかにも熟練の魔術師らしく見えた。伯爵邸での爆発や湿地帯での火災を思い出す。確かにこの恰好かっこうで彼が演じれば、魔術師ですら騙されるかもしれない。特に魔術師というのはまさにパンドラの箱のようなもので、どんな魔術を使えるかは実際に行使しているところを見るまではわからない。


「それに、なんてったって今は本物がいる」

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