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5. 最終試験

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「初めまして。彼の“空想の友人”、グルシュラム・フレレクスと申します。あなたは決闘塔名誉長のウェルナッグ=J=ドスタル先生ですね。ご令名はかねてより存じております。お目にかかれて光栄です」


 手を差し出せば、ドスタルは僕の顔を見て固まった。その目には純粋な驚愕と困惑、警戒。敵意は浮かんでいない。……今のところはまだ。

 ナプティアもまた同じように固まっていた。


「……本物だ。失礼、ナプティア君の話では聞いていたが、まさか。いや……君を見たときから、そうだと感じていた。ドスタルだ」


 彼は反射的に僕の手を掴んでから、我に返ったようにすぐに離して僕から距離を取った。彼は決して僕の目を見ようとしなかった。賢明だ。我々は目を見て魔術をかける。もっともそれは僕にはもう使えない。


「ナプティア君! 君は一体なにを考えている。魔物をよりによって、こんなところに招いて!」


 問い詰められたナプティアは僕に怪訝けげんげな目を向けた。その目が言いたいのは多分“君のせいだ”か“馬鹿はやめろ”、またはその両方。


「私は招いてません。勝手に来ただけです。神智塔の警備を見直したほうがいいかもしれません」

「困った。私はただナプティア君の様子を見に来ただけなのに……」


 ドスタルは手袋に覆われた両手を擦り合わせながらその場をうろついた。


「今回のことは書きませんし大丈夫です、先生」

「そういう問題じゃない! ナプティア君、魔物は討伐しなければならないという入学時の魔術師の誓約を君は忘れたのか!」


 ナプティアは肩をすくめた。


「先生も私の文書を読んだでしょう。あの誓約の効力が幻想であることは、私が3章費やして論じた通りです」

「読んだとも。だが……それでも……」


 ドスタルは苛立たしげに首を振ってから、僕を見た。


「魔物の君」

「フレレクスです」

「フレレクス君、私の大切な教え子が道を踏み外す原因が君と分かっている。我々は魔物を見つけ次第討伐しないといけない。これは私情に関係なくだ。……君をここで倒すのが私の義務だ」


 それだけ言って、決闘塔の魔術師はこちらをじっと見据えた。不意打ちをする気はないらしい。決闘を重んじる誇り高い魔術師らしい。魔物の討伐に慣れた生類科ならこんなことはしない。彼らは知っているからだ。どれだけ魔術に通じようとも、人間に過ぎない魔術師は手袋を奪われればおしまいだ。魔物の間合いに入ってしまったならば、手番を与えることは破滅を意味する。それはたとえ僕のような存在相手であっても。


 視界の隅でナプティアが動いた。代わりになにか言おうとしたナプティアは僕を見て口をつぐむ。僕の読みが正しいかはこれでわかる。


「どうぞ。僕は彼の書いた“善なる魔物”である以上、牙を剥くわけにはいかない。あなたの“大切な教え子”が書いた物語を、台無しにしないためにも」

「“善なる魔物”など存在しない。たとえナプティア君の話が“彼にとって真実”だったとしても」


 ドスタルは動かない僕を見て目を細めた。


「大した度胸だ。私には出来ないとでも思っているのか? 残念だが、私にとって魔物を滅ぼすことなど容易い。魔術師相手よりもずっと」

「ええ、そうでしょうとも。ただし僕がここで倒れたら、彼はまたあの面倒な長々しい文書を書く羽目になる。──その時、彼は“あなたが殺した”とは書かず、“あなたを信じていた”とだけ、残すんでしょう。それが“彼にとって真実”ですから」


 ドスタルは息を呑んで黙り込んだ。その目の奥で覚悟が揺らぎ、教え子を一瞥いちべつする顔に逡巡しゅんじゅんが滲む。長い沈黙の後、ドスタルは短い溜息をついた。


「……呪文を操るのは魔術師の専売特許ではないらしい。忌々しいな」


 苦々しく吐き捨て彼は手袋を脱いだ。


「……ナプティア君、この国は久しく平和だ。呑気に大鍋を覗き込んでいても、魔法陣を丸1日かけて書いていても、背中から刺されたり、足を吹き飛ばされることはない。今いる魔術師の殆どは鈍麻して、自分の立ち位置すら分かっていない。私からしたら、学生の延長を続けているだけだ。幸せなことだよ、本当に。それが許されるのは、ひとえに我々が守られているからだ。しかし、君はそれを手放すという」


 ドスタルは真っ直ぐナプティアを見据えた。


「その魔物といる限りどこへ行っても戦場になる。すべての魔術師も、審問官も、あらゆる人間が君の敵となりうる。君の目に映る全てのものの意味が変わる。君のもとに平穏は、訪れない」


 最後の言葉に、ナプティアの口角がぴくりと動く。ほんの一瞬、彼の唇に深い笑みが浮かびかけたのが、僕からは見えた。見間違えようがない。嗅ぎつけたスリルへの渇望。次の瞬間、彼の本性は真面目な顔に封じ込まれていた。


「承知の上です」

「忠告はした。その“空想の友人”とやらを連れて行くのなら、責任を持って戻ってこい。印章指輪をぽいと引き出しに放って蒸発、なんて芸は1度で十分だ」

「あれは“ぽい”ではなく、心を込めて放ったんですよ。ただ今回は投げようにも、まずこの指を置いていくところから始めないと」


 ドスタルは心底うんざりした顔をした。あの顔はナプティアの“指ごと放る”のが比喩で済まないと知っている顔だ。だが、その口は安堵に緩んでいた。


「フレレクス君、頼むから彼に2度と“追悼の機会”を与えないでくれ。彼の弔辞がどれほど厄介な火種になるか、部外者の君だって理解しただろう」

「ええ、もう一篇も要らないでしょう。彼にも火の粉が飛びすぎる」


 事実だ。事実だが、少しまずい言い方だった。気付いたときには遅く、ナプティアの目が一瞬細まった。


「そうだな、確かに一篇で十分だ。まさか、死人が自分で出てくるとは想定してなかった。お陰様で手間が2倍になった」

「……君のかけた手間については誰よりも知ってるつもりだ」


 彼の指先がほんのわずか止まったのを、僕は見逃さなかった。図星だった。あるいは、図星すぎたか。


「知ってるなら黙ってろ」


 吐き捨てたナプティアと口を閉ざした僕との間で、ドスタルは視線を往復させた。


「本当に大丈夫かね? ともかく……今日私はここにはいなかった。フレレクス君、君もだ。次にこの部屋の外で会った場合、私に慈悲を期待してくれるな」

「ええ、これにて彼の“空想”に戻ります」


 我々の睨み合いを遮ったのはナプティアだった。


「先生の魔術はわかりやすい。燃やしたり、凍らせたり、爆破しないことは初めから分かってました」

「ナプティア君、ここは神智塔だ。薬学塔でも決闘塔でもない。ただでさえ、我々が模擬演習のたびに医務室を占拠していることに彼らは苛立っている。そんな中で、神智塔の備品を破壊したらどうなるか……、いくら戦闘に慣れた私でも怖くて舌が動かなくなる」

「この瓶もありますしね」


 ナプティアが机の上の白舌薬を手に取った。ドスタルは顔をしかめた。


「ああ、そんなものを軽々しく机の上に置くな。君の破産に巻き込まれるのは勘弁だ。さらばだ、ナプティア君」

「先生もお気をつけて」


 ドスタルは最後にもう一度ナプティアを振り返ってから部屋を出ていった。



 沈黙を破ったのはナプティアの笑い声だった。彼は薬瓶を抱えたまま肩を震わせた。


「はは、ははは! “善なる魔物”だって?」

「書いたのは君だ」

「認めるよ、あのときはちょっと感傷的だった。故人は美化するものだろ? でも君は死んでなかったからあの一節は没収だ」

「残念だ。気に入ってたのに。もう一度行方不明になれば貰えるかい?」


 ナプティアは笑いが収まらないまま頷いた。


「そうだな。“彼はもともと幻想の存在であった可能性がある”……とでも次は記すか」

「ずいぶんロマンがない」

「当然だ。死人が自力で帰ってくるなら、今後は“存在の有無も曖昧”くらいにしておかないと帳尻が合わないだろ」


 ナプティアは自分の言葉にけらけらと笑っていた。


 “感傷的だった”か。その感傷で、彼は僕を舞台の上に引きずり戻した。見事な呪文だ。だが、自分のかけた魔術の種類をこの屍霊術師は理解していないらしい。余りある代償を払っておいて今更、成功するとは思わなかったなんて、よくも言ったものだ。


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