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4. 口頭試問

毎日更新中

 後日、ナプティアの部屋を訪れると彼はちょうど、濾過布ろかふを通して瓶に注いでいるところだった。彼の手の中で透き通った琥珀色の液体が光っている。


「効果は確かか?」

「どうかな。彼の意志と私の技術のどちらが上回るか。だが、今のところ抗えた者はいない……らしい」


 ナプティアは瓶を軽く振って気泡を抜くと、瓶口に亜麻布リネンを被せ、黒染めの羊毛糸で巻き結びした。手袋をかざして蝋燭に火をつけると、その上に蝋匙を近付ける。深緑の蝋が融けると瓶の喉元へ垂らした。


 瓶口を縫い止めた蝋を彼は確認してから、嵌めたままの印章指輪を押し付けた。封に残った模様は蛇の巻き付いたさかずき──彼らがヒェギエイアのさかずきと呼ぶ薬学塔の紋章と、マンドレイクの根で飾られた彼のイニシャルだった。他ならぬ彼が調合したという証だ。彼の印章を刻めば、ただの蒸留酒も金貨に変わる。彼はその価値に興味がないだけだ。


 不意に遠くで足音がした。階段を降りる音だ。


「ナプティア、誰かが来たようだ」

「まさか。まだ受け取りには早い。向かいの製図室か?」


 重い足音は近づいてきている。大柄、または背の高い男性か。片足を微かに引きずる歩き方。棚に並んだ聖水の残りを僕は手に取った。


「どうやら君の客人らしい。僕は依頼人ということにしておこうか」

「神智塔は部外者の立ち入りが多い。素材の運び屋の方がいい。そもそも君は堂々と塔内を歩いてきたんだろ。知っての通り魔術師は人に興味がない」


 ノックの音がした。ナプティアは僕を見てから、扉の方を見た。


「ナプティア君、いるかね?」

「ええ、どうぞ」


 入ってきたのは背の高い初老の男だった。両腕まで及ぶ火傷の痕、その指に光る印章指輪。雄牛と月桂冠の紋章──決闘塔所属だ。ローブの胸元には、今では授与されない金糸の戦功章。右足を庇う立ち方ながらぴんと伸びた背筋。先の大戦を生き延びた歴戦の魔術師か。


 彼は僕には目もくれずナプティアに歩み寄った。


「対応中に失礼。君が辺境伯から召集を受けたと聞いてね」

「ドスタル先生は私の無実を信じてくれますか」


 ナプティアはそんなことをさらりと言ってのけた。

 僕が持ってきたのは聖遺物入れだけではない。ナプティアに対する、かのヴィルシアン伯爵邸での火災容疑の招集状。塔を出る口実だ。この魔術師がそれを知っているということは、ナプティアは正しくそれを使って塔を出る許可を申請したらしい。


「正直なところ難しい。君達薬学塔の普段の様子を見ていると」

「お言葉ですが先生、薬学塔ではあれを火事とは呼びません。新人の調薬を祝う門出の狼煙のようなものです」

「君達にとっては祝砲でも、残念ながら搭の外では火事だ、ナプティア君。差出人の伯爵にとってもね」


 ドスタルはそこで言葉を切ると周囲の匂いを嗅いで、ナプティアを不思議そうな目で見た。


「ん? ハーブをやめたのか?」

「仕事が入ったもので」


 ナプティアは目を伏せて、手の中で白舌薬の瓶を転がした。


「君は仕事中でも吸ってただろう。……それに、部屋が妙に片付いている」

「これから遠方に出頭するんですから片付けくらいします」

「……数日見ない間に、随分顔つきも明るくなった。辺境伯の召集が君にとってそんなに楽しいことだとは思えないが……まるで、なにか……別の、大きな……」


 彼は言いながら、なにかに思い至ったように目を見開き、僕を振り返った。顔を隠す帽子に向いた視線が逸れる前に、一瞬僕の口元と手を見る。まるで牙や爪がないか確認でもするように。


 ──疑われている。


 あのナプティアの記録を読んでいて、そしてなによりその証言を戯言たわごとと断じず“信じている”人物か。そうでなければ大半が“空想の友人”だと笑った非実在の正体を確かめるような素振りはしない。


 ナプティアの方を見遣る。僕の視線にナプティアは気付いたようだ。立ち上がるとポケットに手を入れたまま、机にもたれかかった。


「ドスタル先生、なにをおっしゃりたいのでしょう」

「ああ……君はもう行くのだろう? 無事に帰ってくることを私は祈ることしかできないが……その前に、1つ確かめておこう」


 不穏な言葉とともに彼の手はポケットに伸びて、手袋を嵌めた。何重も焼き付いた魔法陣で元の色がわからないほどに黒くなっている。ナプティアはほとんど同時に手袋を嵌めていた。


「なにを確かめると?」

「覚悟を」


 彼は手をナプティアの方へ向けた。ナプティアは引き攣った笑みで後ずさった。


「ご冗談を。先生の試験は大昔に受かった筈です」

「実際、君は薬学塔に渡すには惜しい魔術師だった。もちろん、塔の外で野垂れ死にさせるにもだ。それとも……」


 客人は再び僕の方を見た。僕の手の中には聖水の瓶。手の届く距離に火皿。先日の毒霧の再演は状況を覆すには十分だ。


「先生が用があるのは私でしょう」


 ナプティアが手を彼に向けたのに気付くと、彼はナプティアに向き直る。向き合った2人の魔術師は睨み合っていた。先に動いたのは決闘科の客人だった。


「“Fremi(吼えよ), tremi(震えよ), ruat(意思を) mens(砕け);

Sonus meus(我が音にて)cadat(意識よ) sensus(沈め).”」


「……“Tace(黙せ), quiesce(鎮まれ), stet mens(意思よ留まれ);

Vox nulla(声は絶え)clausus(感覚を) sensus(閉ざせ).”」


 1拍置いてナプティアの詠唱が重なる。部屋の空気がおののくように震える。ドスタルの手の上に魔法陣が何重にも展開する。だが、その端からほつれて緩み力を持つ前に消えていく。


 轟音を起こす呪文とその反呪文だ。彼らのいう魔術師同士の決闘は概ねこの形式で行われる。攻撃側の呪文に対応する反呪文を重ねて効果を打ち消す。膨大な攻撃呪文の数だけ膨大な反呪文が存在する。それをいかに早く想起し、正確に詠唱するか。反呪文に呪文を打ち消す以外の効果は無い。対魔術師戦のみに特化した護身用の呪文だ。


「ふむ、よく覚えていたね、ナプティア君。薬学塔の生活ですっかり勘が鈍ったものかと思っていたが」

「冗談を。先生こそ外の世界から隔離されて久しいのでは?」

「たしかに決闘塔に入ると都の外には出れなくなるからね。戦争でも起きてくれないと」


 ドスタルは肩をすくめた。


「さて、それではもう少し難しいものを試そうか。

Lux cadat(光は堕ち), nubes(雲は) crescat(満つ);

Oculus(目は) claudat(閉ざされる), umbra(影の) regnat(帳に).」


「…………"Lux(光よ) refulgeat(瞬け), nubes ruat(雲よ散れ);

……Oculus(目を) pateat(開け), visus fiat(視界よ戻れ)."」


 部屋全体が薄ら暗くなったのもつかの間、すぐに元に戻る。いや、部屋が暗くなったのではない。我々の視界に直接干渉する魔術だ。


「ならこれは?

"Fixa(四肢は) membra(固まり), riget vis(力は凍る);

Nerva frangor(痺れ), voluntas(惑え) lis."」


 ナプティアは数瞬、沈黙した。瞬く間に足先から痺れが這い上る。手の中の瓶が温い。まだだ。まだ動くときではない。彼ならばきっと。


「………………"Solve(四肢は)membra(解け), fluat vis(力は満つ);

……Nerva(復し), surgat…… voluntas(目覚めよ) vis."」


 痺れが膝上に上ったところで、ドスタルの詠唱と重なるナプティアの鋭い声とともに掻き消された。ナプティアが小さく溜息をついたのが聞こえた。その手が僅かに震えている。


「お次は?」

「十分だよ」


 ドスタルは頷いて、今度はこちらを向いた。彼はすでに勘づいている。彼が僕を巻き込む呪文ばかり選んでいたのは挑発にほかならない。だが、それでも僕は動かなかった。ついに痺れを切らした訳だ。


 これまでのやり取りから、相手はナプティアと長い付き合いで、些細な違和感に気付けるほどの親しい仲。そしてナプティアの主張を“信じた”魔術師。このままでも退路は作れるが、ひとつ賭けに出る価値はある。


 聖水をポケットへしまって、帽子を脱ぐ。


「初めまして。彼の“空想の友人”、グルシュラム・フレレクスと申します。あなたは決闘塔名誉長のウェルナッグ=J=ドスタル先生ですね。ご令名はかねてより存じております。お目にかかれて光栄です」

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