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2. 毒と栄光の瓶詰め

毎日更新中


 6塔で構成されるこの魔術師学校で、最も魔物にとって耐え難い場所はこの神智塔だろう。彼らの研究内容や理念が、ではなく匂いの問題だ。どこへ行けども腐卵臭がする。これは彼らの使う聖水のせいだ。


 “聖水”などと彼らは仰々しい名をつけているが、その実態は高度に濃縮した魔素エーテルを含んだ硫酸ビトリオールだ。魔力の源、魔素エーテルは液体によく溶ける。特に低温で、酸性の強い液体に。そのため大量の魔素エーテルを固定して扱う手段として彼らが選んだのが硫酸ビトリオールだった。投げてよし、混ぜてよし。実に合理的だ。硫酸ビトリオールが聖水になるのなら、僕の保存食のヒルは聖餅せいへいとでも名付けよう。


「ところでナプティア、ひどい匂いがするが……」

「ん? ああ」


 彼が子供の頭ほどの大きさの木箱を荷台から持ち上げると、異臭は一際強くなった。生焼けの肉と、乾いた泥、墓地の空気を混ぜたような匂い。先程まで僕を苛んでいた腐卵臭など比べ物にならなかった。


 ナプティアは包みを開いて、何かを取り出した。


 いや、なにかなどとは言うまい。正体を見るまでもない。それは人間の腕だった。手首から先の塩漬け。僕の顔を見たナプティアは首を傾げて、ミイラの手に顔を近づけた。


「そんなに臭いか?」

「君がそれを嗅げるなら、もはや鼻などあってないようなものだ。胃が反転しそうだよ。猫の手でも借りたいという言葉があるが、君は死体の手まで借りるわけか。流石、1度は変成科で屍霊術を志したことのある魔術師だ。諦めずに続けていたほうが成功していたんじゃないかね」

「そう毛嫌いするな。これはれっきとした由緒ある品だ。名を“栄光の手ハンズ・オブ・グローリー”。昔の盗賊がこの学校に忍び込んだ時、ちょうどこの手を使ったらしい。それ以来、我々に文字通り“手”を貸してくれているというわけだ。これに火を灯せば眠るものは目を覚まさず、扉という扉はすべて開かれる。便利だろう?」


 ナプティアは講義でもするような口振りで、干からびた手を撫でた。魔法陣が幾重にも焦げ付いて黒くなった彼の手袋からパチリと僅かな音が立ち、“栄光の手”の指先に火が灯る。


 手慣れた動きは、まるで炉端で魚でも炙るような気軽さだ。


「ナプティア、君が蝋燭ロウソク代わりにしているそれは人間の手だ」

「当然だろう? じゃなきゃ“栄光の手”とは呼ばれまい。ヤギのひづめじゃ扉は開かない」


 これが魔術師である。


「嫉妬することはない。伯爵邸での一件を見るに、君の手だって塩に漬ければ、負けず劣らずの効果が……冗談だ」


 こういう失言を彼は自分では記録しないということだけは、きちんと記しておかねばならない。


 ナプティアは水の入った大きな木盆に、荷台から下ろした大量の硝石を入れた。僅かな土臭さと気泡音。その上から彼が、粉末ー恐らくは雪苔の砕いたものを振りかけた。部屋中の空気が瞬く間に冷え、窓ガラスが白く曇り無数の水滴が浮かんだ。甲高い音を立てて床の木々が軋む。ナプティアは依頼書の羊皮紙で、机を叩いた。カンッと硬質な音が澄んだ空気に響く。彼は白い息を吐きながら、僕を振り返った。


「何のためにこんなことをしているか、説明したほうがいいか?」

「いいや、必要ない。その荷台にある瓶のクサリヘビ鳶頭トビズムカデは眠っているようだが、生きている。さっきの趣味の悪いミイラの手で眠らせたまま、新鮮な毒が取れればいいが、起きれば無事では済まない。部屋を冷やしたのは万が一起きても、動きを止めておくための保険だ。加えて、そこの瓶は一見(から)に見えるが、コルクに霜が降りている。底にかすかに見えるのは花粉か。凍土に咲くという霜百合の蜜が入っているんだろう。常温では蒸発するから今は見えていないだけだ。君は次にその木盆で蜜の瓶を冷やす」


 ナプティアは溜息をついて首を振った。


「君が魔術師じゃないのが本当に残念だ」

「僕が魔術師だったらどうする?」

「今晩夕食に誘って、植生科へ勧誘する」

「植生科には入れないが、夕食は行けるよ」

「君の食事はあれだろ? 気は進まないな」


 僕の言った通り、彼は空の瓶を取って、白い蒸気を溢れさせる木盆に入れた。そして瓶から茶色の蛇を取り出した。蛇はぐったりとしていた。ナプティアは机の上で尾先をつついてから、その頭を掴み、口の中へピンセットを差し入れた。開いた蛇の口には一対の牙が伸びている。それを小瓶の縁に引っ掛けてから、ピンセットの先が牙の根本を押した。じわりと牙の先から滲んだ透明な液体が、やがて雫となって瓶の底へ落ちる。


「僕の食事になにか言う前に、自分のしていることを1度振り返ってほしいね」

「私は毒を採取してるだけだ。焼いたり茹でて食べたりしない」


 ナプティアは蛇をしまうとムカデに取り掛かった。


「でも飲むんだろ、薬にして。なにが違う?」

「……確かに」


 彼はピンセットでムカデの大顎を掴んで広げた。


「取り出す毒は多いほうがいいが、時間をかけると手の温度で動けるようになってしまう。だが、どちらも1度噛まれた程度ならどうってことはない」

「噛まれたらどうなるかより、なぜ噛まれても平気だと君が知っているかのほうが気になる」

「本当に聞きたいのか? フレレクス」

「いや、いい。君が“牙のある生き物”の扱いがうまいことはよく知ってる」


 ナプティアはムカデを掴んだまま吹き出した。


「ああ、自信はある。牙よりよく回る舌のほうが面倒な相手は特にな」


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