2. 人狼との対峙
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昼過ぎ、6人の神官が私たちの留置所を訪れた。代表と思しき男が我々の檻の前に進み出た。歳は50頃で、恰幅が良く、ヒノキ皮のような茶色みがかった肌に、鼻はフクロウのクチバシのように丸く先端が曲がっている。
「まずは、こんなところに閉じ込めた事について謝罪させてほしい。私の名前は、ゴッゼフト=ゴンゴルド。我々の頭上におわす日輪を崇め、その力を行使するヴァリキリア教会審問会南方調査団の長官を務めている。我々は今、この近辺に潜み人々を襲う魔物を追っている。この2週間、多くの被害が出ている。そのためこれ以上の犠牲者を増やさぬため、冒険者や旅人に扮し村を移動している可能性を考えこういった処置を取る事となった。良ければ、お前たちがこの村に来た理由を聞いてもいいだろうか」
長官は穏やかな物腰だった。
「ご足労どうも。何よりおめでとう。君たちの仕事はこの街で完了できる。そして私の依頼も」
フレレクスは壁に凭れて、顔も向けずそんな事を言った。長官の後ろに控えていた男が低く唸った。
「口の利き方に気を付けろ、薄汚い放浪者め」
「やめなさい、ラフィス君。彼は私の知人だ。それで、フレレクス。どうして君がこんなところにいる?」
「ゴンゴルド長官、同じことを二度言わせないでくれ」
「探し物の依頼を受けたわけだね。我々の邪魔をしない限り、君に口出しする気はない。好きにするといい。それと、そこの……」
長官は私の方を見た。
「ナプティアです」
「ナプティア君。君はどうしてこの村に来たのかね?」
「通りかかっただけです」
「どこへ行く予定だったのかね?」
「国境越えを」
「目的は?」
「……新しい植物を見つけられたらと」
私は言葉を濁した。正直に亡命とは言えない。黒死病が未だに残る辺境部を通過するには陳腐かつ、余程の愚者でも無い限り破綻した動機であったが、長官は追及しなかった。
「旅人という訳か。君の事を知る者はいるかね?」
魔術学校の同僚や生徒を思い出しながら、私は首を振った。彼らの中には私の境遇に同情的な者もいないことは無いが、都まで馬で三日かかる。加えて私の離職は、穏便な形とは言えないものだった。
不謹慎を承知で恋人に例えるなら、日頃の不満を溜めた末に口論に発展し、その勢いのまま別れを宣言した。そんな具合だ。相手が国家というだけで。婚約指輪ならぬ印章指輪も返上してきた。そのため身分の証明が困難だ。
「困ったな。ナプティア君、そうなると君には儀式に協力してもらうしかない。人に化けた人ならざる者を暴く儀式だ。神前にて執り行う。少々の不快感はあるだろうが、君が人間なら健康には何も問題ない。協力してもらえるかな」
「はい」
「では準備をしてこよう。少し待っていてくれ」
六人は帰って行った。だが程なく一人が戻ってきた。長官にラフィスと呼ばれていた男だった。歳は30前後で、カマキリを彷彿させる顎の細さで、老いた禿鷹のような狡猾そうな目をしている。彼は鉄格子の前に立ち、私たち二人に値踏みするような目を向けた。
「我々の中に人狼がいると申告した不届き者がいると聞いたが、どっちだ?」
「私だ」
「その蛮勇を称えて牢から出してやろう。来い」
彼はフレレクスを檻から出した。私を残して檻を施錠すると、怒りも露わに詰め寄った。
「我々審問官は神の遣いだ。我々に対する侮辱は、相応の罰があると知っての事だな? 根拠のない嘘は今後止める事だ」
「根拠はあるとも。君が一人でここに戻ってきた事こそが証拠だ」
「馬鹿な事を__」
「私の目的は、君の右ポケットに入った純金のペンダントを本来の持ち主に返す事だ。そのペンダントには船と雄山羊の紋章が入っている。とある交易家の紋章だ。川船交易で資産を築いたが、戦時中武器輸送で襲撃を受け多くの船を喪い没落した。その末裔は、この近くの村で暮らしていた」
「冗談はやめろ。貴様は死人から依頼を受けたとでもいうのか?」
「そうだ、既に死人だ。君が襲ったからな。彼にとってそのペンダントは唯一の遺産だった。一族以外の者の手に渡るのを彼は恐れ、奪う者が現れることを予期していた。獣のように食らうだけならまだしも、人間のように窃盗まで犯すとは、人狼の毒は君の信念までおかしたか」
「墓守犬の真似事か」
「こういう頼みは少なくない。もっとも私は墓守犬と違い墓所の外であろうと、どこまでも追跡するがね」
「……面倒だ。貴様には死んでもらう」
ラフィスは神官の白いローブを脱ぎ捨てると、胸を掻きむしり咆哮した。黒い毛皮がむくむくと膨らみ服を裂いて現れるのを私は呆然と見た。
見ていることしかできなかった。
瞬く間に熊ほどの体躯の人狼が、二足で立ったかと思うと、次の瞬間フレレクス目掛けて襲い掛かっていた。キン、と金属の音がした。彼が人狼の爪を短剣で弾いた音だった。信じがたいことだが、彼は振り下ろされる爪を掌程の刃渡りのナイフで防いでいた。その動きはあまりに早く、私の目には鈍く光る銀色が時折流星のように暗がりを走る様しか捉えられなかった。
肩へ突き立てられた短剣に、人狼は低く怒りの唸り声を上げた。だがすぐさま短剣を抜き投げ捨てると、より勢いを増したように襲い掛かった。
「そんなペンナイフで俺を殺せると思っているのか!」
彼はナイフで応戦を続けていた。だが、彼のナイフは鋼鉄製のようだ。銀でなければ魔物に有効な傷を負わせるのは難しい。私は門番に魔術行使用の手袋を預けた事を悔やんだ。
見回せば、焦げた薪の欠片が床に転がっていた。檻の隙間からなんとか拾い上げ、炭で鉄の床に魔法陣を描く。細かい凹凸のある檻の床は到底いいキャンバスとは言えない。そうしている間にも、彼が壁際に追いやられていく。完成した簡易陣を前に私は逡巡したが、結局ポケットから発火石を出した。だが打ち金がない。牢に入れられる際に武器になり得るからと取り上げられたのだ。先程人狼が弾き飛ばしたナイフを見つけ、私はそれを拾った。猛攻にバランスを崩した彼に人狼の爪が振りかぶられた。彼は地面に打ち付けられた。人狼が大口を開けて身を屈める。その喉笛へ、鋭い牙が突き立てられ──
「『Per nodos septem ligavi flammam.
Solve verba, solve vincula: ardeat.』」
私の手元で火花が弾けたのと、人狼の足元に炎が浮かんだのは同時だった。炎は瞬く間に人狼の身体を駆け上り、その巨躯を飲み込んだ。背筋が凍るような、ぞっとするけたたましい悲鳴を上げ、人狼は床の上を転げまわった。人狼に今にも止めを刺されかけていた彼も愕然とその様子を見ていた。
やがて人狼の身体が縮み始め、人間の姿に戻ると床に倒れたまま動かなくなった。煤と血、火傷に覆われたそれは正視に耐えない有様だった。魔物だと理解していても、人の姿をしているというだけで、私の心に強烈な不快を残した。それは彼も同じだったようで炎が消えても、彼は石像のように固まっていた。私は恐る恐る声をかけた。
「大丈夫か?」
「なんだって。君の方こそ大丈夫か? 人を燃やしたんだぞ!?」
「人じゃなくて人狼だ」
彼は倒れ伏した審問官を見下ろし首を振った。
「手は出さなくていいと言った!」
「殺されかけてたじゃないか」
「平気だった。だがいい魔術だ。ああ……まずい事になったぞ」
ばたばたと足音が降りてくる。駆け付けた審問官は3人だった。彼らは惨状を前に立ち尽くしたまま、傷だらけで倒れた同僚の姿と、牢から出ているフレレクスとの間に視線を行き来させた。やがて3人のうちの誰かが、声を上げた。
「そいつを捕らえろ!!」