16. 我が友へ
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「もはや我々がここに留まる必要は無い。ここを発とうと思うのだが、ナプティア。君はどうする?」
帰ってきて早々フレレクスはそんな事を言った。私は同意した。
「ああ、確かにその通りだ。私の荷は戻ってきて、伯爵は回復した。これで全て解決だな。旅の続きをしよう」
「それがいい。ヴェダンテ伯爵、君は私と一緒に来るかね?」
「いや、吾輩は放浪に向いておらぬ。飢えと渇きに苦しみながら、雨に打たれるなど到底耐えられぬ悪夢だ。其方らの言う当代伯爵の顔でも見に行くとしよう。吾輩が眠っている間、随分と世話になったようだ。礼をせねばなるまい」
我々は伯爵と別れた。湿地を超え、林を抜け、B町に来るために我々がかつて通った山道に戻りついた頃私は問いかけた。
「フレレクス、君はどこへ行くつもりなんだ?」
「ああ……そうだな……」
彼はどこか上の空のまま返事をした。
「考えていたんだが、調べたいことがあるから、家に帰ろうかと思う」
「君、家があるのか?」
私は驚いた。てっきり彼は年中旅をしている根無し草なのかと思い込んでいたからだ。
彼は落ち着きなく周りを見回しながら答えた。
「意外かね。私にだって家くらいはある。ともあれ、君をトラブルに巻き込んでしまいすまなかった。幸い君も楽しんでいたように見えたが……。それもこれでおしまいだ。君は本当に変わった奴だった。友よ、君のような人間に出会ったのは初めてだ。そして最後になるのだろう。どうかこれからの君の旅路に幸あらんことを。さらばだ、ナプティア。いつかまた会う時まで」
実際のところ、私には目的地など無かった。
フレレクスがかつて言い当てた通り、私の立ち回りの失敗、つまり公然とした政治批判や、大学での退屈な日々が緩やかに私の首を絞め、そこから逃れるためだけに、行くあてもなく都を出た。その末に、ただ一瓶の毒薬を飲むに足る絶景を求めて、幽鬼の如くふらふらと探していただけだ。
だから彼がどこかへ向かうのであればそこへ同行するのもいいかもしれないとすら勝手に考えていた。しかし、そんな事を今更言い出せる訳もなく私は頷いた。有無を言わさぬ彼の口調は、私の同行を望んでいないように見えたのだ。そうして我々は別々の道へ進んだ。
こうして紆余曲折はあったものの、私の旅はようやく本来の自由なものへと戻った。にも関わらず、私の心はどこか暗澹としていた。何かを見落としている気がした。決定的に大きな間違いをしてしまったような嫌な心地があった。その直感には覚えがあった。
私はかつて同じような心地になった事がある。
16の時、妹と別れた時だ。あの時も説明のつかない不吉な予感を感じながら、私は妹の背を見送った。そうすべきではないとどこかで分かっていながらだ。
私の妹、アトラエル=ハシーンは私と似た子供だった。神の奇跡よりも人の起こす奇跡、つまり魔術を信奉した。そうしてある日、妹と私は国外へ旅立つ算段を立てた。不慮の事故を装い、我々は魔術を学べる国へ旅立つことにした。その旅の途中で、別れようと言ったのは妹だった。口論の末、置き手紙とともに去った彼女はもしかすると、私の足枷にならないように考えていたのかもしれない。そして、その時の愚かな私はそれに気付けなかった。
伯爵の言葉を何度も反芻するにつれ、やはり私は彼の解呪に協力すべきだったのではないかという心地が強くなった。私が馬を止めた時、空は曇り始めていた。そしてようやく反転を決意した時には雨が降り始めていた。馬鹿げた考えだった。私には彼のような卓越した追跡技術もないし、彼がそれを望んでいるという確信さえ無い。
彼と別れた場所には、当然ながら既に彼の姿は無かった。私は彼の向かった方へ馬を進めた。私は自分の行動が無意味であることを知りつつ、止められなかった。そうして驚くべきことに、私の稚拙な捜索は実を結んだ。
前方を走る馬を見つけたのだ。もっともそれは、私の友人のものではなく、ベン・ハシーンズ派のものだった。彼らがこんなところにいるのは悪い予兆だった。ちらつく不吉な予感から目を逸らしながら、彼らを追う途中で私は彼の馬を見つけた。だがどこにも彼はいなかった。それはつまり彼が馬を降りる必要に駆られたという事だ。嫌な胸騒ぎがした。寒気が背筋を走り、心臓がうるさく跳ね回った。
私が行き着いたのは渓谷だった。そこには何人ものベン・ハシーンズ派の審問官がいた。土砂降りの雨の中、彼らは立ち尽くしていた。あたかも彼らの前でつい先刻なにかとんでもないことが起きて、そのために自失しているかのように見えた。彼らの視線の先で、深い断崖にかかった吊り橋は壊れ、半分はこちら側に、そしてもう半分は向こう側の断壁にぶら下がっていた。私は近くにいた審問官に問いかけた。
「ここで何があった?」
「士師が……、ルービン様が……」
「ユリウス・ルービンがここにいたのか?」
「ええ、彼は勇敢に……聖なる剣で魔物を貫き仕留めた……それなのに魔物は最後の力で吊り橋を切って、ルービン様も一緒に……」
「その魔物とはどんな格好をしていた!? 背は高かったか?」
「おお……神よ。お許しください。我々には助けられなかった。こんな高さではとても……どうして彼が……」
「どんな服を着ていた? 大事な事だ、教えてくれ!」
「……ああ確か……そう、ヤツは白いショールを身に着ていた」
それはまさしく私が彼に与えた火浣布だった。
私は恥を捨てて魔術師養成学校へと戻った。
この不当かつ卑劣な殺害を、せめて紙の上では告発しておきたかった。偏った認識がほんの少しでも揺らげば、それで十分だ。
私の話を「気の狂った与太話」と笑い飛ばす者がいることは承知している。空想の友人との冒険譚とでも思っているのだろう。だが誓って言おう。ここに記したすべては、あくまで事実である──筆者の目に映った、忌々しくも鮮明な現実だ。
これは供述書であり、弔辞であり、そして一通の警鐘である。
これを公表すれば、私は裁かれるだろう。
偽名での入学、禁術の研究、無許可の国境越え、誓約破り──
それらは全て事実だ。だが、私が今ここで敢えてそれを自白するのは、醜聞というのは得てして真実より早く広まるからである。
私は彼の主張を信じている。旅の最中、彼は進んで人を害したことはなかった。彼の戦闘は自衛に終始していた。私は明言しなければいけない。彼は無実だ。審問官を殺し、奪ってなどいない。彼の主張が偽りだったなら、どうして彼はわざわざ危険を犯して剣を返却する必要があっただろう。
彼はただその生まれ落ちた種族が故に、無差別に追い立てられ冤罪の元に処された。その手段がいかに野蛮かつ卑怯なものであったかは記した通りである。こんなことが許されてよいはずがない。
彼がいなければ、私は今ここにいなかった。彼がこれまでどのような功績を上げ、人を助けてきたか、私は多くを知らない。知ろうともしなかった。だが、少なくとも彼が1人の魔術師の人生を救った事は確かだ。
そして、その恩に報いる事が出来なかった慙愧の念を記すのみである。
最後にこれまで書き記した地名と人名は私の創作である。けれど、事情を少しでも知る方が読めば、簡単に分かってしまうのではないかと思う。この文章が運よく誰かの目に触れる頃には、検閲によって多くが黒塗りになるだろうが、私の伝えたい事が正しく届くことを私は祈っている。
そうして彼と同じような善なる魔物に、こういった悲劇が二度と起きない事を望む。
我が親愛なる友人に、心からの敬意をこめて。
文責:ノアーグ=ナプティア
王立サンクラウド魔術師養成学校所属(元 薬学塔植生科副術長)




