1. 牢中推理ショー
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──殺人だと? まさか、私が犯人に見えるとでも?
旅先の村で、私はいきなり拘束された。
国境付近で起きた虐殺事件の容疑だという。
「冗談じゃない。私はこの村を通過しようとしただけの旅人だ。なにか問題があるなら、すぐに立ち去る。だから離してくれ」
魔術師養成学校で教鞭を取って2年、諸事情から退職しD国から亡命を試みた私を待っていたのは、不当な強制収監だった。
「身元保証人のいない方は拘束しなければいけないのです。ご了承ください」
「保証人はいないが、そこの君の机で埃を被っている『ナプティア植生学』は私の著書だ。私はノアーグ=ナプティア、宮廷魔術師だ。……5日前まではだが」
「この薬草図鑑そんな名前なんですか?」
唯一の証人は物言わぬ本で、当然ながら都市部を離れた村落の識字率は高くない。
「宮廷魔術師さまがこんな辺境へ来るわけないでしょう。審問会の調査団がくる明日まで我慢してください。手枷などもありませんので」
「私の荷物に触れないでくれ。馬にもだ」
めでたく罪状に虚偽申告が加わると共に、私の旅は5日目にして監房へと終着したのである。
都ならば石造りの塔牢獄や穴牢獄が用意されているが、この小さな村は廃屋で代用しているらしい。牢代わりの小屋は薄暗く、家畜用らしき錆びた鉄製の檻が置かれていた。中には椅子代わりの丸太がおかれ、寝床用に藁が落ちている。こんな劣悪な環境で一夜を過ごさなければいけないという残酷な事実に、私は打ちのめされた。
おまけに先客が一人いた。長身の痩せた男だった。濃紺の外套を身に着けて、入り口に背を向けて腰かけている。
「ルームメイトまでいるとはありがたいな」
私の声に男は振り返った。歳は25頃で、黒胆汁質らしく掘りが深く、意志の強そうな眉をしている。上質な絹の長袖で踝丈の上着、水牛の角で出来た眼鏡を身に着けていて、彼が低からぬ身分の人物であることを知り私は安堵した。
「ノアーグ=ナプティアだ。旅の途中で足止めを食らった」
「足止め? ここに来たのは人狼に吠え面をかかせるためではなく?」
「人狼? 失礼。なんだって?」
「人狼だ。ミスター・ナプティア。彼らは人狼を炙り出そうとしている。そして明日人狼がこの村に来る。より正確に言うとこの牢へ」
男は突然立ち上がると、狭い檻の中を歩きながらそんなことを滔々と語った。
「村を襲った犯人の正体が人狼で、そいつが明日来るというのか? 人狼ならこの対応も理解はできる。奴らは吸血鬼以上に人と見分けがつかないからな」
人狼というのは人間に化けることの出来るおぞましい獣だ。暗闇に紛れ人を襲う吸血鬼と同じように、我々の中に紛れ牙を剥く。
「その通り。私はある依頼を受けてヤツを追っていた。ようやく恐ろしい虐殺者の尻尾を掴んだ訳だ。見て分かるだろうが放浪者だ。人とか物を請け負って代わりに探す、捜し屋をしている」
「そうは見えない。商人かなにかと。それにそれならどうして牢の中にいるんだ?」
彼は肩を竦めた。
「衛兵に私の話を理解する頭がなかったからだ。だが想定していたから構わない。ここで待っているだけで、目的は果たせる」
「人狼がこの牢までくるのか?」
「明白だ。衛兵もそう言っていただろう。調査団の中に人狼がいる」
彼は断言した。
「まさかとは思うが、それを門番に言ったのか?」
「聞く耳を持たなかったがね」
「それが事実でも間違っていても、まずい状況なのは確かだな」
「事実だ。私は追跡対象を間違えたりしない。彼らは我々を尋問し、その結果がどうあれ人狼の罪を押し付けるだろう。君か私、もしくは両方に」
私は自身の置かれている立場が、考えていた以上に良くない事にこの時になって気付いたのだった。遅かれ早かれ、明日にさえなれば自由の身だとばかり高を括っていた。
「君に訊きたいことは多いが、君を何と呼べばいい?」
「好きに呼ぶといい」
「名前を聞いていない」
彼は虚を突かれた顔をした。
「ゲゥルーャヒゥヴ、発音が難しいだろうからグルシュラムでいい。グルシュラム・フレレクス」
「聞いたことが無い、どこの国の名前だ?」
「ナプティアは偽名だ」
「今日同じことを言った男がもう一人いる。君が無能と断じた門番だ」
私はうんざりしながら言った。それが我が友フレレクスとの出会いだった。
「つまり、フレレクス。君は実際に襲撃にあった村に行って犠牲者を見た結果、人狼の仕業だと考えた。そして被害にあった村と調査団の滞在地に関連性を見出したと?」
「簡単に言うとそうだ」
腐りかけの藁の上で寝るのは初めての経験だったが、二度と体験したくないものだ。私の勤めていた薬学塔の植生科は植物採取のためのフィールドワークも多かったが、こんな粗末な寝床を用意した宿屋はなかった。翌朝、愛用の薬草の煎じ汁を飲みながら、私は状況を整理していた。彼は一睡も出来なかったようだ。昨日以上に青白い顔で、落ち着きなく檻の中を歩き回っていた。
「何故人狼だと? 人に化ける魔物は多い。吸血鬼という可能性もある」
「ナプティア先生、吸血鬼は今や絶滅危惧種だ。既に審問官や魔術師が狩り尽くしている。余程の間抜けでなければ、あんな考えなしの食事はしない。それに被害者の全身、特に首や顔には裂傷が残っていた。中でも深い傷は馬蹄状に皮膚が欠損していた。咬傷、それも円錐状に盛り上がった歯冠が複数ある証拠だ。吸血鬼の牙は上下で4本。同じ傷を付けるには足りない。創傷の周縁部は挫滅していた。強い力を持った生き物の噛み痕だ。これが可能なのは獣か、獣人のどちらかだ。加えて、複数の体表に涎と思しき液体が残っていた。それでこれだ」
彼は懐から香水瓶を取り出した。ごく少量の褐色の液体が入っている。
「海藻を焼き、その灰を磨り潰して水に溶かしてから濾したものを、硫酸で酸に傾け、火薬のもととなる硝石を加えて分離したものだ。本来これにスターチを加えると色が変わる」
「海藻の灰に硫酸を?」
「もともと硝石を作ろうとしてたのさ。……変だと?」
「いや。薬の調合みたいだ」
「本当に?」
「ああ」
「他ならぬ君にそう言われるなんて光栄だ、ナプティア先生。さて、ここに採取した唾液を加えた後だと変わらなかった。これはどういう意味か。私は既に多くの獣で同じことを試している。犬、狼、虎……肉食の獣では色が変わる。つまりこういった獣の仕業ではない。色が変わらないのは人間や豚、獣人の唾液だ。思うに、唾液でスターチに何らかの変化を与えるかどうか、という違いではないかと思う」
「つまり、穀物も食べる雑食性ということか?」
「その通りだ。だが、これは証拠として十分と言えない。獣人は人狼だけじゃない。西の彼方の森に棲むという人虎かもしれないし、人熊、人鼠という可能性もある。もっともこの3種が深刻な人害を出した前例を私は知らないがね。あの村の大量虐殺は初めてじゃない。派手だったというだけだ。君も知っていると思うが、以前から他の村でも失踪は起きている。それらは審問会の調査団が魔物の討伐を行った日時と場所に関連性を持っている」
「だから審問会の中に人狼がいるっていうのか? どうやって審問会に入ったんだ。彼らは教会の精鋭部隊だ。誰でもなれるわけじゃない」
魔術学校の3年次の歴史学で習うことだが、およそ1世紀前の1340年代から蔓延した黒死病と急増した魔物に、当時の世は大いに混乱した。黒死病や魔物の解釈と対応で意見が分かれ、多くの宗派が生まれた。愚かな人に下された天譴として治療も討伐もしないことを推奨する教えもあったが、一方で神の試練として真っ向から立ち向かうことを説く教えもあった。審問会の魔物調査団は後者の体現だ。
「違う。審問会に入ったんじゃない。人狼になったんだ。1か月前、D国南部で人狼の上位種の討伐があったのを知っているだろう?」
「ああ、都は大賑わいだった。宰相のトロフィー・コレクションが増えたとか。我が植生科に人狼の血を渡すよう進言する者がいなかった事が嘆かわしい。剥製にするにしても牙の一本は欲しいところだった。奥歯なら見た目も問題ないだろうに。同じ薬学塔なのに、どうして生類科は他科と分け合う事を学ばない」
「討伐したのはこの地区の審問会だ。だが彼らも無事では済まなかったらしい。人狼の中でも上位種に傷をつけられた者は、ごく稀に下位の人狼もどきになる。これは受傷から2週間ほどかけて進行し、失踪が増えた時期と重なる」
「なんてことだ」
驚くべきは敬虔なる審問会の悲劇ではなく、彼の話術と頭脳だ。私は、これから我々の元を訪れる神の使徒らが人狼に違いないように思えていた。
「それでどうするつもりだ。君は魔術師ではないようだが」
「その通りだ、ナプティア先生。私は魔術師ではない。魔術については全くの素人だ。だが、計画がある。君を巻き込むつもりはない」