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弔いの旅路  作者: クジラ
とにかく南へ
9/53

急襲 深い森にて異様な化け物

「すごい食いっぷりだなモグは」


「食い溜めってやつか? そんなに食ってどうすんだよ」


 名前の由来どおりの食いっぷりには、名付け親としては鼻が高く、って、そうじゃなくて、度を越したモグの食事作法に、ほとほと困り果てている。


 つい先ほど、モロホウがびっしりと実っている一帯を発見したので、幸いとばかりに、その近くで一晩を過ごすことを決めたのだが、今の現状は、一言でいうと、見るに堪えない。だ。


「モグ! そんな真ん中ばっかり食って、罰が当たるぞ! 先っぽまで食いなさい! 先っぽまで!」


 食材を無駄にすれば、村のみんなや父母からよく怒られたもんだ。エルフ様の恵みを(ないがし)ろにするなって、まぁ、俺にそこまでの信仰心はないんだが、今のモグは、その人たちが見れば、顔を真っ赤にして怒ることをやってしまっている。


「はぁ〜贅沢食いにもほどがあるぞ」


 周囲に撒き散る、モロホウの残骸(ざんがい)たち、もはや足の踏み場もない。


「ラコを見習え、ラコを。お前が食わない端っこばっかり食ってるぞ。さっきから」


 散らばった食いさしを、積極的に、もぐもぐしているラコ。うーん、健気だ。


「ああっくそっ、こうなりゃやけだ! 俺だってたらふく食い溜めてやるよ!」


 なにかの糸が急に切れ、狂ったようにモロホウに食らいつく。


 大食い大会が開催された。と、言いたいとこだが、こんな腹持ちがいい食い物、2本も食べれば限界が来るのは目に見えている。


 モロホウ、ベツホウ、イモホウ、この3種が、どんな僻地でも種を残せる、特質を備えた食用の種だ。


 他の用途で使用する、スイホウとセンホウの種も同様。それら計5つの種は、実の姿形以外は、幹や葉にいたるまでまったく同じ色、形で成長し、6個と、決まった数の実を、環状(かんじょう)に実らせる。


 1本目を食べ終わり、2本目に手を伸ばす。


 ちょうど俺の肩の位置で実るモロホウを、ぶちっと、もぎとった。


 モロホウは、長さが肩幅ぐらい、太さが握りこぶしぐらいの、長方形型の食物で、硬く食べられない芯が中心を通っている。可食部(かしょくぶ)は、その外側を、鱗のようにびっしりと隙間なく覆う、黄色味がかった小さな粒がそうだ。

 

 限界まで開けた口で、豪快にかぶりつき、その小さな粒を一気に引っ剥(ひっぺ)がしていく。


 ジャリっと鳴る、小気味のよい音が、ストレス発散にちょうどいい、わざと大げさに響かせながら、食らった。


 少し青臭く、甘みの弱いモロホウだった。このあたりの土壌がよくないのか? それとも成ってから時間が経ちすぎているのか? 村で流通している物より、幾分(いくぶん)か味が落ちる。


 熱を加えれば、また違った味がするのだが、今は調理の仕様がない。我慢が求められた。


 不完全燃焼というやつだ。腹はいっぱいになったが、どこか不満が残る晩食だった。


 満足に至らなかったせいか、急に身体がむずがゆくなる。


 そういえば、3日も身体を洗えてないんだっけか。汗まみれ、土埃まみれだ、多少の死臭もついている。


「不潔すぎて人里に降りる頃には、ちょっとした異臭騒ぎになりそうだな」


「どうしたもんか」


 こんな時、スイホウの種でもあれば、汚れを洗い流せるんだが。


 少しの期待を込めて、モグとラコをちらっと見た。


 うん、動く気配がないな。仰向けになったまま、心ここにあらずといった感じだ。


「ははっ、なんだお前ら、腹パンパンじゃないか、ふふっ。食い過ぎだっての」


 そう言いつつ、お互い様である自分の膨れ上がった腹を軽く叩いた。


 食い意地を張って、動きづらそうにしている俺たちの姿は、はたから見れば、そうとう面白い絵面なんじゃないかと、そう思えば、自然と笑いが込み上がってくる。


 久しぶりに腹の底から笑えた気がした。


 少し、ほっとする。自分の中の人間味と、久ぶりに会えた気がしたから。


「ふぁ〜」


 全身に広がっていく安堵感、次第に肩の力が抜け、眠気が押し寄せてくる。


 今日は快眠できそうだ。


 地面が冷たいとか、凹凸が気になるとか、そんなの関係なくな。


 モグとラコも、直に眠るだろうし。遠慮なく寝てしまおうか。


 仰向けになり、寝る体制に入った。


 ん? 


 寝返りをうった先の、モロホウの残骸のひとつに、なぜか目を奪われた。


 それには既視感(きしかん)があった。


 硬い芯ごと胃袋に入れる、モグの悪食(あくじき)によってできあがってしまった、両端しか残っていないモロホウ。


 その食いさしを、よく見ると、上部と下部が、薄皮1枚でつながり、それぞれ別の方向を向いて倒れていた。


 はっとする。あまりにも酷似(こくじ)している。ビングベアーの亡骸(なきがら)に。


 まさかな。


 ぞっとする考えが頭をよぎったが、すぐに白紙に戻した。


 喧嘩の最中に、勢い余って殺してしまうことは、人間にだってあることだ。

 

 あれもそのケース。だから、違う。


 目の前に横たわるモロホウのように、食欲を満たすためだけに、喰われてしまった、なんてことあるはずがない。


 というか、生き物の血肉など、食えるのか? いや、そもそも、食う理由がない。


 このモロホウしかり、生物はすべからく、エルフ様の恵みによって生きている。そう学んだし、俺だって村のみんなだって、そうやって生きてきた。


 だから、あるわけがない。


 それなのに、この腹の奥底から湧き上がってくる、底気味(そこぎみ)の悪さはなんだ。


 まぁ、どっちにせよ、あのビングベアーを、惨殺(ざんさつ)できるやつが、この森に生息していることに、変わりはないんだよな。


 まさか、近くにいたりして。


「………………」


 あたりを見回す、夜目(よめ)が利いていても、遠くまで目視できない暗闇が、そこには広がっていた。

 

 じっと見ていると、その闇がますます濃く染まり、自分以外の全てが膨張していくような感覚に襲われた。


 無限に膨らんでいく闇の世界に、小さな、小さな自分がひとり、うずくまって震えている。そんなおっかない感覚。


 たまらず目を閉じる。これ以上見ていると、気でも狂ってしまいそうだ。


 心細さが半端じゃないので、俺は、モグとラコと、なるべく近くで寝ることにした。


 安堵感に包まれる。ほんと、モグとラコがいてくれてよかった。


 薄れていく意識のなか、心の底から感謝を、モグとラコに送った。


 早朝。


 眠気眼(ねむけまなこ)でモグの背で揺れる俺は、まだ昨日のことを考えていた。


 思えば、あのビングベアーは、いつご遺体となってしまったのだろうか。


 血は乾ききっていた、が、血などすぐ乾くのは、親父の件で知っている。


 なら、殺された直後だったのか? いや、でもそう考えるには、遺体は朽ちていたように思う。


 少なくとも、死んでから3日は経っていると、推測していいだろう。


 そういえば、遺体を発見する前、ラコがなにかの音に反応してたよな。なんの音に反応したんだ? で、その後に、どこかに走り去って、モグを連れてきて、それで。


「ああもう、わかんねぇ!」


 ラコをもふもふして落ち着こうと試みるが、モグの頭の上に鎮座(ちんざ)しているので手が届きそうにない。


「はぁ、もうやめっ! しんどい! 考えんの!」


 と、一度は思考を止めてみたものの、モグの背で揺られてるだけの俺は、結局また考え込んでしまう。


 時間だけが過ぎる。いくら考えても、納得のいく答えは思いつかなかった。


「だいぶ下ってきたんじゃないか」


 俺が悩み抜いてる間も、モグは緩やかな山道を下り続けてくれている。


 正直、どこまで山々が連なっているかわからないが、ここまで下ったのなら、もう平地も近いはずだ。


 俺の故郷である山、ヴァント山地ともお別れが迫っている。


 山を下りたら、とりあえずどこかで種を入手しなきゃな。


 モロホウの種は採取済みだが、その他の種、とくにスイホウの種の入手が急だ。


 神託に、砂漠という単語があったし、この身体も洗いたいしな。


「どうしたラコ?」


 突然ラコがモグの頭の上でストレスを感じた際にすると思われる、後ろ足を下に叩きつける動作を繰り返し行いだした。


 それを受け取って、モグの歩行スピードが上がる。


「ちょっ、なんだ、なんだどうした!」


 しがみつくのもやっとのスピードで走るモグに、嫌な予感を抱かざるを得ない。


「はぁ、まさか……」


 さっきの自問自答のひとつに、怖くなってすぐ没にした仮説がここにきて急浮上した。


 そう、あのビングベアーは、殺されてからすぐに喰われたわけではなく、日を跨いで、食われ続けていたんじゃないかという説、そう仮定すれば、ラコが聴いた、なにかの音にも説明がつく。


 ラコは、あの場でビングベアーが、なにかに喰われている音に気づき、急いでモグをボディガードとして連れてきた。


 ラコからすれば俺が移動してしまうのは、想定外だったろうが、あの場にいた、俺となにかは、上手くすれ違って事なきを得たんだろう。


 辻褄を合わせれば、この仮説が1番しっくりくる。下手すれば、はち合っていたという、ぞっとする考えだったので、すぐ没にしたが。


 ブオォオオオオオオオオオオン。


「やっ、やっぱり、あれか? なんか来てんのか? そうだよなこれ」


 後ろを振り返るが、なにもいない。


 おぞましい唸り声だけが、地鳴りとともに、あたりの木々と反響して、俺の鼓膜を揺れに揺らす。


「うぐぐっ」


 さらにスピードを上げて森を駆けていく、振り落とされないように必死で掴まる。


「あっ、あれっ……いっ、生き物なのか?」


 遠くだ。まだ遠く。それなのに、目視できる黒い物体。


「でかすぎるだろ……」


 血の気が引いていく。あらゆる森で1番の体躯(たいく)を誇るビングベアーの、8倍くらいでかくないか、あれ。


「はっ、走れ走れモグ! あんなの捕まったら! なすすべもなくだぞ! 撒け撒け!」


 とっくにそうやってるモグに(げき)を飛ばす。


 おそらくあいつは、俺の仮説が正しければ、肉を食らう化け物。このまま追いつかれれば、殺されるだけじゃ済まない、最悪の死が俺たちに訪れる。


 というか、自分の食い物を荒らされた、もしくは取られたと思って追ってきてんのか? あの化け物は。


 そんで、あまつさえ俺たちを次の食料にしてやろう、っていうんだろ? なんつーはた迷惑で、身勝手で、しつこい奴なんだ!


 服を一応脱ぎ捨てた。動物は人間より鼻が利くから。臭いでここまで辿ってきたのかも知れないし。


「まずい、このままじゃ、追いつかれるぞ」


 モグの力走も虚しく、距離を詰められる。まだ遠いといえる距離だが、向こう方の速度は上がっていく一方で、こちらはどんどん遅くなってきている。


 俺を背負ってる分、体力に差が出てしまうんだ。


 振り向く余裕があるたびに振り返って、現状把握に勤しむ。

 

 すると、急激に向こう方の速度が落ちた、というか止まった。


 下の方を気にしている?


「服だ。あいつ俺の脱ぎ捨てた服を気にしているぞ」


「しめた、今のうちに」


 上半身裸になった甲斐があったというもの。


 俺はモグから降り、脇道へとそれるように促した。今からは自分の足で走ろう。


「はぁ、モグ今のうちにしっかり休んでくれよ。あいつが来たらまた背に乗せてもらうからな」


 見てて苦しくなるぐらい、乱れた呼吸のモグと並走する。


「頑張れ! 頑張れ! まだ来てないぞ! まだ……」


 気丈な振る舞いをみせるのは、俺の中で生まれていた自立心のおかげか、絶望的な状況だが、やるべきことはしっかりと見えている。


「あいつめ、さては見失ったか?」


「まぁ、念の為まだ走ろう。はぁ、はぁ」


 止まることなく走り続ける。自分の成長を喜ぶのは後だ。今はただ前を、


 視界の端、周辺視野で捉える、時間が止まったかのごとく迫りくるそれを捕捉し続けた。


 木々をなぎ倒しながら俺たちの前に(おど)り出るそれは、先回りしてやがった、化け物だった。


「あぁ……」


 思った通りのでかさ、全長でいえば20メートルはゆうに超えている。


 漆黒の毛並み、荒ぶる口元から垣間(かいま)見える鋭利な牙、大地を鷲掴む大爪。瞬時に理解させられる、運動能力の格差。


 見た目はビングベアーのようだが、こんなサイズは見たことないし、ところどころ似つかわしくないパーツもある。別種? とも考えにくい。いったいなんなんだこいつは。


「…………」


 声が出ない、というか動けない。


 間違いなく動いたやつから殺される。


 目の前の化け物は、肌に生暖かい風を感じるほどの咆哮を俺たちに浴びせ、心の中の反抗心までへし折ろうとする。


 臆病風が身体に纏わりつき、全身に浮遊感が巡った。しばらくこれはとれてくれないだろう。


 ぬめっと大量のよだれが地に垂れ続け、汚らしい水溜りができている。


 尋常じゃない興奮具合だ、その大きな目には生気がなく、焦点も合ってない。頻繁(ひんぱん)に頭を左右に傾けては、歯をがちゃがちゃと鳴らす。


 邪悪そのもの。まるで、自分の器が壊れるほどのなにかを、常に注がれ続けているような。


 はっと息を呑んだ。


 身体が浮遊感に包まれていたせいか、目の前で起きた一連の動きに、一拍(いっぱく)置いてでしか反応できない。


「ラコっ!」


 金縛りを解くように自由に走り出したラコに、化け物が迫り、振るい上げた前腕を、ラコめがけて豪快に下ろす。


 地面が抉れ削れる一撃の範囲に、ラコの姿はなかった。回避に成功したようだ。


 続いてモグが、化け物相手に攻撃を加える。モグにだって鋭い爪がある。痛がる素振りはまったくみせてはいないが、きっと少しは効いてるはず。


 束の間に起きた出来事、俺は? なにをすればいいんだ。今やるべきことは、なんだ。


「ふ……ふ……ぅ……」


 化け物と目が合う。一歩、化け物がこちらに近づくと、一歩、後退してしまう。


 生きた心地が……俺がやれることなんて……ここには……。


 ない……と、そう結論づけようとしたき、ラコが化け物の注意を惹くように、動き出してくれた。


「ああっ!」


 途端、羽虫を払うように、繰り出された軽打は、ラコの身体を中に舞い上がらせる。


 勢いは衰えず、ラコはそのまま近く木に衝突するまで吹き飛ばされ、その後ぴくりとも動かなくなった。


「ああああっ」


 嘆いてる暇もなく、モグが化け物めがけて突進を仕掛ける。


 決死の突進だ。たじろぐ化け物だったが、大きな咆哮とともに、モグほどの巨体を数メートル先まで投げ飛ばしてしまった。


 いつの間にか、化け物の爪には赤い血がついている。誰の血だ、モグかラコか、その両方か。


 化け物は、さもご馳走みたいに、血のついた爪を嬉しそうに(ねぶ)りだした。


 身の毛がよだつ。嫌悪感、吐き気を催す、虫酸が走る。


 この感情を言い表す言葉はない。


 強いていうなら、怒りだ。圧倒的怒り。(たぎ)るがごとくの。


 おぞましいことだが、奴は自分の手についた血を舐るのに夢中になって、周囲への注意が散漫になっている。


 動くなら今しかない。怒れ、ナイト・フォード。


 お前はなんのために、ここまで来た!


 決意しただろうが、弔ってやるって、みんなに、そう伝えただろうが。こんなところで、終わってたまるかよ!


「くっ」


 怒りを原動力に変えた力強い一歩は、たちまち俺をラコの元へと導いた。


「ラコ、大丈夫か」


 くそっ、吹き飛ばされた時は気づかなかったが、背中から腹にかけて大きな傷がある。爪が当たっていたのか。


「てんめぇ」


 怒りの矛先は常に同じ方向を向く。


 目の前のこいつにな。


 だが、殴ってやりたい気持ちは押し殺し、進行方向を南へと定め、ラコを抱えて走る。


 今の俺は、やるべきことが見えている。勝てない以上は最善を尽くす。


 案の定、追いかけて来やがった。


 モグが逃げる時間を稼げたこと、ひとつ収穫だ。


 後は俺が逃げきるだけ、山を抜ければ、誰かの助けを借りれるかもしないし、大きな川など流れていれば、そこに飛び込めば助かるかもしれない。


 とにかく、今はこのヴァント山地を抜けることだけを考えろ!


 背に張りつかれる。当然だ。あいつのほうが足が速いんだから。


 化け物が、ぶっとい剛腕を振り上げるのが横目で見えた。


「今!」


 いちか八か、俺は、そのタイミングで、化け物に向かって思いっきり飛んだ。


 斜め上から繰り出された攻撃は、俺の頭上を通り過ぎ、前にあった樹木(じゅもく)を薙ぎ倒す。

 

 倒れた方向が幸いする。


 樹木は、そのまま削れた方に倒れ込み、化け物に直撃する。


 速やかに、身体を起こし駆けていた俺は、化け物の嫌がることを徹底して走り続けた。


 なるべく、奴が通る直線上に、樹木が立ちふさがるように走ってやった。


 図体のでかい奴は、立ちふさがる樹木に、わざわざ立ち止って回り込んでしないと、また走り出せないらしい。


 これで大幅に時間を稼げる。


「はぁ、はぁ、はぁ? あれは!」


「やった、森を抜けるぞ!」


 ついに来たぞこの時が、森で鬼ごっこをしていても、いずれ力尽きて食われるのは目に見えている。


 もし、山を出た先が、遮蔽物(しゃへいぶつ)のない平原だとすれば、だいぶ苦しいが、それでも、誰かの助けがあるかもしれない、今の状況より悪くなることはないだろう。


「あ? なんだ……これ……」


 森を抜けた先の光景に、言葉を失う、というか思考が停止する。


 開いた口が塞がらなかった。


「もしかして、これが」


「砂漠……ってやつなのか?」


 そこに広がっていた景色は、遮蔽物など一切なく、川が流れている想像すらさせてくれない、ましてや、人の助けなんてあろうはずがないと悟さられる、地平線の彼方まで、茶色一色の、砂の世界だった。


「しまっ」


 あまりの衝撃に呆けていると、後ろからの一撃に気づくのが遅れてしまった。


 下から上へ、振り上げる一撃が、俺の背中を掠める。


 俺はそのまま砂漠へと転がり、地に這いつくばった。


 痛みで動けない。どうやら背中に大きな傷を負ってしまったらしい。


「くっそぉ」


 砂が肌にへばりつく、手が砂に埋もれ、上手く立ち上がれない。


 こんなことなら、森の中を走っておくべきだったか。


 いや、同じことだな。どのみち。


「ま、足掻いたよな」


 俺の手から放り出されてしまったラコを見つめた。


「ラコ、ごめんな。俺のために、こんなことにつきあわせちまって」


 目をつむる。楽には逝けない。これから待っているのは、壮絶な痛みを伴う死だ。食われるという恐怖が、全身を硬直させた。


 そうだ、ラコを砂に埋めてしまおう。もしそれがばれずに済んだら、ラコだけは痛い思いをせずに死ねるんじゃないか?


 そう思いたった俺は、目を開け、ラコのもとに腹ばいでにじり寄る。


「くあっ」


 身体を動かすたび、背中に焼けるような痛みが走る。


 途中信じられないもの見た。


 あの化け物が、こっちになかなか来ないんだ。


 いや、砂地に足を踏み入れようと、何度か試しているようだが、一歩、足を踏み出すたびに、踏み出した足の一歩を、必ず後退させる。


 まるで、砂を怖がってるみたいに。


 俺は死力を振り絞って立ち上がった。


 そのまま、ラコを抱え、牛歩で砂場を歩く。


 この、歩きづらさが、嫌に傷に障る。


 思った通り、あの化け物は、追ってこない。そうとう砂を嫌ってるようだった。


「たっ、助かったぁ〜……! 痛ってぇ!」


 あの化け物が、豆粒に見える距離までこれた。背中に痛みはあるが、もう、安心していいだろう。


 ポケットから、種を取り出す。モロホウの種だ。そして、それをくるんでいたモロホウ葉を、こうして、くしゃくしゃにして。


 ラコの傷口に張りつけた。あの葉には傷を治す効力がある。これでいくらか、生存率が上がるはず。


「あれ、なんで実らないんだ」


 種が落ちたところ、未だに発芽しない。いつもなら、とっくにしているのに。


 砂をたくさんかけるが、なにも起きない。


「まさか、砂漠じゃあ、種は芽吹かないのか? そんな、じゃあどうすればいいんだよこれから」


 途方に暮れる。あの野郎はまだしつこく森と砂漠の境界線にいるし、進むしかないのか。


「ああっ、しっ、死ぬ。もっ、もう限界」


 砂漠にも居住区があると信じ、ひたすら進んでいるが、広大な一色の世界は、いつまで歩いても一色の世界から変わってはくれなかった。


 一応は聞き及んでいた砂漠の情報。砂で覆われた地域だと聞いてはいたが、これほどまでに広大だとは。


「これじゃあまるで……」


「砂の海じゃないか……」


 そう言い残し、倒れる。


 身体半分が砂に埋もれてしまったが、もう、それを気にする気力なんて残ってやしない。


 目を開いてられない、薄まる意識のなか、ラコの容態だけが、気がかりだった。


 

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