急襲 深い森にて異様な化け物
「すごい食いっぷりだなモグは」
「食い溜めってやつか? そんなに食ってどうすんだよ」
名前の由来どおりの食いっぷりには、名付け親としては鼻が高く、って、そうじゃなくて、度を越したモグの食事作法に、ほとほと困り果てている。
つい先ほど、モロホウがびっしりと実っている一帯を発見したので、幸いとばかりに、その近くで一晩を過ごすことを決めたのだが、今の現状は、一言でいうと、見るに堪えない。だ。
「モグ! そんな真ん中ばっかり食って、罰が当たるぞ! 先っぽまで食いなさい! 先っぽまで!」
食材を無駄にすれば、村のみんなや父母からよく怒られたもんだ。エルフ様の恵みを蔑ろにするなって、まぁ、俺にそこまでの信仰心はないんだが、今のモグは、その人たちが見れば、顔を真っ赤にして怒ることをやってしまっている。
「はぁ〜贅沢食いにもほどがあるぞ」
周囲に撒き散る、モロホウの残骸たち、もはや足の踏み場もない。
「ラコを見習え、ラコを。お前が食わない端っこばっかり食ってるぞ。さっきから」
散らばった食いさしを、積極的に、もぐもぐしているラコ。うーん、健気だ。
「ああっくそっ、こうなりゃやけだ! 俺だってたらふく食い溜めてやるよ!」
なにかの糸が急に切れ、狂ったようにモロホウに食らいつく。
大食い大会が開催された。と、言いたいとこだが、こんな腹持ちがいい食い物、2本も食べれば限界が来るのは目に見えている。
モロホウ、ベツホウ、イモホウ、この3種が、どんな僻地でも種を残せる、特質を備えた食用の種だ。
他の用途で使用する、スイホウとセンホウの種も同様。それら計5つの種は、実の姿形以外は、幹や葉にいたるまでまったく同じ色、形で成長し、6個と、決まった数の実を、環状に実らせる。
1本目を食べ終わり、2本目に手を伸ばす。
ちょうど俺の肩の位置で実るモロホウを、ぶちっと、もぎとった。
モロホウは、長さが肩幅ぐらい、太さが握りこぶしぐらいの、長方形型の食物で、硬く食べられない芯が中心を通っている。可食部は、その外側を、鱗のようにびっしりと隙間なく覆う、黄色味がかった小さな粒がそうだ。
限界まで開けた口で、豪快にかぶりつき、その小さな粒を一気に引っ剥がしていく。
ジャリっと鳴る、小気味のよい音が、ストレス発散にちょうどいい、わざと大げさに響かせながら、食らった。
少し青臭く、甘みの弱いモロホウだった。このあたりの土壌がよくないのか? それとも成ってから時間が経ちすぎているのか? 村で流通している物より、幾分か味が落ちる。
熱を加えれば、また違った味がするのだが、今は調理の仕様がない。我慢が求められた。
不完全燃焼というやつだ。腹はいっぱいになったが、どこか不満が残る晩食だった。
満足に至らなかったせいか、急に身体がむずがゆくなる。
そういえば、3日も身体を洗えてないんだっけか。汗まみれ、土埃まみれだ、多少の死臭もついている。
「不潔すぎて人里に降りる頃には、ちょっとした異臭騒ぎになりそうだな」
「どうしたもんか」
こんな時、スイホウの種でもあれば、汚れを洗い流せるんだが。
少しの期待を込めて、モグとラコをちらっと見た。
うん、動く気配がないな。仰向けになったまま、心ここにあらずといった感じだ。
「ははっ、なんだお前ら、腹パンパンじゃないか、ふふっ。食い過ぎだっての」
そう言いつつ、お互い様である自分の膨れ上がった腹を軽く叩いた。
食い意地を張って、動きづらそうにしている俺たちの姿は、はたから見れば、そうとう面白い絵面なんじゃないかと、そう思えば、自然と笑いが込み上がってくる。
久しぶりに腹の底から笑えた気がした。
少し、ほっとする。自分の中の人間味と、久ぶりに会えた気がしたから。
「ふぁ〜」
全身に広がっていく安堵感、次第に肩の力が抜け、眠気が押し寄せてくる。
今日は快眠できそうだ。
地面が冷たいとか、凹凸が気になるとか、そんなの関係なくな。
モグとラコも、直に眠るだろうし。遠慮なく寝てしまおうか。
仰向けになり、寝る体制に入った。
ん?
寝返りをうった先の、モロホウの残骸のひとつに、なぜか目を奪われた。
それには既視感があった。
硬い芯ごと胃袋に入れる、モグの悪食によってできあがってしまった、両端しか残っていないモロホウ。
その食いさしを、よく見ると、上部と下部が、薄皮1枚でつながり、それぞれ別の方向を向いて倒れていた。
はっとする。あまりにも酷似している。ビングベアーの亡骸に。
まさかな。
ぞっとする考えが頭をよぎったが、すぐに白紙に戻した。
喧嘩の最中に、勢い余って殺してしまうことは、人間にだってあることだ。
あれもそのケース。だから、違う。
目の前に横たわるモロホウのように、食欲を満たすためだけに、喰われてしまった、なんてことあるはずがない。
というか、生き物の血肉など、食えるのか? いや、そもそも、食う理由がない。
このモロホウしかり、生物はすべからく、エルフ様の恵みによって生きている。そう学んだし、俺だって村のみんなだって、そうやって生きてきた。
だから、あるわけがない。
それなのに、この腹の奥底から湧き上がってくる、底気味の悪さはなんだ。
まぁ、どっちにせよ、あのビングベアーを、惨殺できるやつが、この森に生息していることに、変わりはないんだよな。
まさか、近くにいたりして。
「………………」
あたりを見回す、夜目が利いていても、遠くまで目視できない暗闇が、そこには広がっていた。
じっと見ていると、その闇がますます濃く染まり、自分以外の全てが膨張していくような感覚に襲われた。
無限に膨らんでいく闇の世界に、小さな、小さな自分がひとり、うずくまって震えている。そんなおっかない感覚。
たまらず目を閉じる。これ以上見ていると、気でも狂ってしまいそうだ。
心細さが半端じゃないので、俺は、モグとラコと、なるべく近くで寝ることにした。
安堵感に包まれる。ほんと、モグとラコがいてくれてよかった。
薄れていく意識のなか、心の底から感謝を、モグとラコに送った。
早朝。
眠気眼でモグの背で揺れる俺は、まだ昨日のことを考えていた。
思えば、あのビングベアーは、いつご遺体となってしまったのだろうか。
血は乾ききっていた、が、血などすぐ乾くのは、親父の件で知っている。
なら、殺された直後だったのか? いや、でもそう考えるには、遺体は朽ちていたように思う。
少なくとも、死んでから3日は経っていると、推測していいだろう。
そういえば、遺体を発見する前、ラコがなにかの音に反応してたよな。なんの音に反応したんだ? で、その後に、どこかに走り去って、モグを連れてきて、それで。
「ああもう、わかんねぇ!」
ラコをもふもふして落ち着こうと試みるが、モグの頭の上に鎮座しているので手が届きそうにない。
「はぁ、もうやめっ! しんどい! 考えんの!」
と、一度は思考を止めてみたものの、モグの背で揺られてるだけの俺は、結局また考え込んでしまう。
時間だけが過ぎる。いくら考えても、納得のいく答えは思いつかなかった。
「だいぶ下ってきたんじゃないか」
俺が悩み抜いてる間も、モグは緩やかな山道を下り続けてくれている。
正直、どこまで山々が連なっているかわからないが、ここまで下ったのなら、もう平地も近いはずだ。
俺の故郷である山、ヴァント山地ともお別れが迫っている。
山を下りたら、とりあえずどこかで種を入手しなきゃな。
モロホウの種は採取済みだが、その他の種、とくにスイホウの種の入手が急だ。
神託に、砂漠という単語があったし、この身体も洗いたいしな。
「どうしたラコ?」
突然ラコがモグの頭の上でストレスを感じた際にすると思われる、後ろ足を下に叩きつける動作を繰り返し行いだした。
それを受け取って、モグの歩行スピードが上がる。
「ちょっ、なんだ、なんだどうした!」
しがみつくのもやっとのスピードで走るモグに、嫌な予感を抱かざるを得ない。
「はぁ、まさか……」
さっきの自問自答のひとつに、怖くなってすぐ没にした仮説がここにきて急浮上した。
そう、あのビングベアーは、殺されてからすぐに喰われたわけではなく、日を跨いで、食われ続けていたんじゃないかという説、そう仮定すれば、ラコが聴いた、なにかの音にも説明がつく。
ラコは、あの場でビングベアーが、なにかに喰われている音に気づき、急いでモグをボディガードとして連れてきた。
ラコからすれば俺が移動してしまうのは、想定外だったろうが、あの場にいた、俺となにかは、上手くすれ違って事なきを得たんだろう。
辻褄を合わせれば、この仮説が1番しっくりくる。下手すれば、はち合っていたという、ぞっとする考えだったので、すぐ没にしたが。
ブオォオオオオオオオオオオン。
「やっ、やっぱり、あれか? なんか来てんのか? そうだよなこれ」
後ろを振り返るが、なにもいない。
おぞましい唸り声だけが、地鳴りとともに、あたりの木々と反響して、俺の鼓膜を揺れに揺らす。
「うぐぐっ」
さらにスピードを上げて森を駆けていく、振り落とされないように必死で掴まる。
「あっ、あれっ……いっ、生き物なのか?」
遠くだ。まだ遠く。それなのに、目視できる黒い物体。
「でかすぎるだろ……」
血の気が引いていく。あらゆる森で1番の体躯を誇るビングベアーの、8倍くらいでかくないか、あれ。
「はっ、走れ走れモグ! あんなの捕まったら! なすすべもなくだぞ! 撒け撒け!」
とっくにそうやってるモグに激を飛ばす。
おそらくあいつは、俺の仮説が正しければ、肉を食らう化け物。このまま追いつかれれば、殺されるだけじゃ済まない、最悪の死が俺たちに訪れる。
というか、自分の食い物を荒らされた、もしくは取られたと思って追ってきてんのか? あの化け物は。
そんで、あまつさえ俺たちを次の食料にしてやろう、っていうんだろ? なんつーはた迷惑で、身勝手で、しつこい奴なんだ!
服を一応脱ぎ捨てた。動物は人間より鼻が利くから。臭いでここまで辿ってきたのかも知れないし。
「まずい、このままじゃ、追いつかれるぞ」
モグの力走も虚しく、距離を詰められる。まだ遠いといえる距離だが、向こう方の速度は上がっていく一方で、こちらはどんどん遅くなってきている。
俺を背負ってる分、体力に差が出てしまうんだ。
振り向く余裕があるたびに振り返って、現状把握に勤しむ。
すると、急激に向こう方の速度が落ちた、というか止まった。
下の方を気にしている?
「服だ。あいつ俺の脱ぎ捨てた服を気にしているぞ」
「しめた、今のうちに」
上半身裸になった甲斐があったというもの。
俺はモグから降り、脇道へとそれるように促した。今からは自分の足で走ろう。
「はぁ、モグ今のうちにしっかり休んでくれよ。あいつが来たらまた背に乗せてもらうからな」
見てて苦しくなるぐらい、乱れた呼吸のモグと並走する。
「頑張れ! 頑張れ! まだ来てないぞ! まだ……」
気丈な振る舞いをみせるのは、俺の中で生まれていた自立心のおかげか、絶望的な状況だが、やるべきことはしっかりと見えている。
「あいつめ、さては見失ったか?」
「まぁ、念の為まだ走ろう。はぁ、はぁ」
止まることなく走り続ける。自分の成長を喜ぶのは後だ。今はただ前を、
視界の端、周辺視野で捉える、時間が止まったかのごとく迫りくるそれを捕捉し続けた。
木々をなぎ倒しながら俺たちの前に踊り出るそれは、先回りしてやがった、化け物だった。
「あぁ……」
思った通りのでかさ、全長でいえば20メートルはゆうに超えている。
漆黒の毛並み、荒ぶる口元から垣間見える鋭利な牙、大地を鷲掴む大爪。瞬時に理解させられる、運動能力の格差。
見た目はビングベアーのようだが、こんなサイズは見たことないし、ところどころ似つかわしくないパーツもある。別種? とも考えにくい。いったいなんなんだこいつは。
「…………」
声が出ない、というか動けない。
間違いなく動いたやつから殺される。
目の前の化け物は、肌に生暖かい風を感じるほどの咆哮を俺たちに浴びせ、心の中の反抗心までへし折ろうとする。
臆病風が身体に纏わりつき、全身に浮遊感が巡った。しばらくこれはとれてくれないだろう。
ぬめっと大量のよだれが地に垂れ続け、汚らしい水溜りができている。
尋常じゃない興奮具合だ、その大きな目には生気がなく、焦点も合ってない。頻繁に頭を左右に傾けては、歯をがちゃがちゃと鳴らす。
邪悪そのもの。まるで、自分の器が壊れるほどのなにかを、常に注がれ続けているような。
はっと息を呑んだ。
身体が浮遊感に包まれていたせいか、目の前で起きた一連の動きに、一拍置いてでしか反応できない。
「ラコっ!」
金縛りを解くように自由に走り出したラコに、化け物が迫り、振るい上げた前腕を、ラコめがけて豪快に下ろす。
地面が抉れ削れる一撃の範囲に、ラコの姿はなかった。回避に成功したようだ。
続いてモグが、化け物相手に攻撃を加える。モグにだって鋭い爪がある。痛がる素振りはまったくみせてはいないが、きっと少しは効いてるはず。
束の間に起きた出来事、俺は? なにをすればいいんだ。今やるべきことは、なんだ。
「ふ……ふ……ぅ……」
化け物と目が合う。一歩、化け物がこちらに近づくと、一歩、後退してしまう。
生きた心地が……俺がやれることなんて……ここには……。
ない……と、そう結論づけようとしたき、ラコが化け物の注意を惹くように、動き出してくれた。
「ああっ!」
途端、羽虫を払うように、繰り出された軽打は、ラコの身体を中に舞い上がらせる。
勢いは衰えず、ラコはそのまま近く木に衝突するまで吹き飛ばされ、その後ぴくりとも動かなくなった。
「ああああっ」
嘆いてる暇もなく、モグが化け物めがけて突進を仕掛ける。
決死の突進だ。たじろぐ化け物だったが、大きな咆哮とともに、モグほどの巨体を数メートル先まで投げ飛ばしてしまった。
いつの間にか、化け物の爪には赤い血がついている。誰の血だ、モグかラコか、その両方か。
化け物は、さもご馳走みたいに、血のついた爪を嬉しそうに舐りだした。
身の毛がよだつ。嫌悪感、吐き気を催す、虫酸が走る。
この感情を言い表す言葉はない。
強いていうなら、怒りだ。圧倒的怒り。滾るがごとくの。
おぞましいことだが、奴は自分の手についた血を舐るのに夢中になって、周囲への注意が散漫になっている。
動くなら今しかない。怒れ、ナイト・フォード。
お前はなんのために、ここまで来た!
決意しただろうが、弔ってやるって、みんなに、そう伝えただろうが。こんなところで、終わってたまるかよ!
「くっ」
怒りを原動力に変えた力強い一歩は、たちまち俺をラコの元へと導いた。
「ラコ、大丈夫か」
くそっ、吹き飛ばされた時は気づかなかったが、背中から腹にかけて大きな傷がある。爪が当たっていたのか。
「てんめぇ」
怒りの矛先は常に同じ方向を向く。
目の前のこいつにな。
だが、殴ってやりたい気持ちは押し殺し、進行方向を南へと定め、ラコを抱えて走る。
今の俺は、やるべきことが見えている。勝てない以上は最善を尽くす。
案の定、追いかけて来やがった。
モグが逃げる時間を稼げたこと、ひとつ収穫だ。
後は俺が逃げきるだけ、山を抜ければ、誰かの助けを借りれるかもしないし、大きな川など流れていれば、そこに飛び込めば助かるかもしれない。
とにかく、今はこのヴァント山地を抜けることだけを考えろ!
背に張りつかれる。当然だ。あいつのほうが足が速いんだから。
化け物が、ぶっとい剛腕を振り上げるのが横目で見えた。
「今!」
いちか八か、俺は、そのタイミングで、化け物に向かって思いっきり飛んだ。
斜め上から繰り出された攻撃は、俺の頭上を通り過ぎ、前にあった樹木を薙ぎ倒す。
倒れた方向が幸いする。
樹木は、そのまま削れた方に倒れ込み、化け物に直撃する。
速やかに、身体を起こし駆けていた俺は、化け物の嫌がることを徹底して走り続けた。
なるべく、奴が通る直線上に、樹木が立ちふさがるように走ってやった。
図体のでかい奴は、立ちふさがる樹木に、わざわざ立ち止って回り込んでしないと、また走り出せないらしい。
これで大幅に時間を稼げる。
「はぁ、はぁ、はぁ? あれは!」
「やった、森を抜けるぞ!」
ついに来たぞこの時が、森で鬼ごっこをしていても、いずれ力尽きて食われるのは目に見えている。
もし、山を出た先が、遮蔽物のない平原だとすれば、だいぶ苦しいが、それでも、誰かの助けがあるかもしれない、今の状況より悪くなることはないだろう。
「あ? なんだ……これ……」
森を抜けた先の光景に、言葉を失う、というか思考が停止する。
開いた口が塞がらなかった。
「もしかして、これが」
「砂漠……ってやつなのか?」
そこに広がっていた景色は、遮蔽物など一切なく、川が流れている想像すらさせてくれない、ましてや、人の助けなんてあろうはずがないと悟さられる、地平線の彼方まで、茶色一色の、砂の世界だった。
「しまっ」
あまりの衝撃に呆けていると、後ろからの一撃に気づくのが遅れてしまった。
下から上へ、振り上げる一撃が、俺の背中を掠める。
俺はそのまま砂漠へと転がり、地に這いつくばった。
痛みで動けない。どうやら背中に大きな傷を負ってしまったらしい。
「くっそぉ」
砂が肌にへばりつく、手が砂に埋もれ、上手く立ち上がれない。
こんなことなら、森の中を走っておくべきだったか。
いや、同じことだな。どのみち。
「ま、足掻いたよな」
俺の手から放り出されてしまったラコを見つめた。
「ラコ、ごめんな。俺のために、こんなことにつきあわせちまって」
目をつむる。楽には逝けない。これから待っているのは、壮絶な痛みを伴う死だ。食われるという恐怖が、全身を硬直させた。
そうだ、ラコを砂に埋めてしまおう。もしそれがばれずに済んだら、ラコだけは痛い思いをせずに死ねるんじゃないか?
そう思いたった俺は、目を開け、ラコのもとに腹ばいでにじり寄る。
「くあっ」
身体を動かすたび、背中に焼けるような痛みが走る。
途中信じられないもの見た。
あの化け物が、こっちになかなか来ないんだ。
いや、砂地に足を踏み入れようと、何度か試しているようだが、一歩、足を踏み出すたびに、踏み出した足の一歩を、必ず後退させる。
まるで、砂を怖がってるみたいに。
俺は死力を振り絞って立ち上がった。
そのまま、ラコを抱え、牛歩で砂場を歩く。
この、歩きづらさが、嫌に傷に障る。
思った通り、あの化け物は、追ってこない。そうとう砂を嫌ってるようだった。
「たっ、助かったぁ〜……! 痛ってぇ!」
あの化け物が、豆粒に見える距離までこれた。背中に痛みはあるが、もう、安心していいだろう。
ポケットから、種を取り出す。モロホウの種だ。そして、それをくるんでいたモロホウ葉を、こうして、くしゃくしゃにして。
ラコの傷口に張りつけた。あの葉には傷を治す効力がある。これでいくらか、生存率が上がるはず。
「あれ、なんで実らないんだ」
種が落ちたところ、未だに発芽しない。いつもなら、とっくにしているのに。
砂をたくさんかけるが、なにも起きない。
「まさか、砂漠じゃあ、種は芽吹かないのか? そんな、じゃあどうすればいいんだよこれから」
途方に暮れる。あの野郎はまだしつこく森と砂漠の境界線にいるし、進むしかないのか。
「ああっ、しっ、死ぬ。もっ、もう限界」
砂漠にも居住区があると信じ、ひたすら進んでいるが、広大な一色の世界は、いつまで歩いても一色の世界から変わってはくれなかった。
一応は聞き及んでいた砂漠の情報。砂で覆われた地域だと聞いてはいたが、これほどまでに広大だとは。
「これじゃあまるで……」
「砂の海じゃないか……」
そう言い残し、倒れる。
身体半分が砂に埋もれてしまったが、もう、それを気にする気力なんて残ってやしない。
目を開いてられない、薄まる意識のなか、ラコの容態だけが、気がかりだった。