試練の時
意味がいつまで経っても理解できそうになかった。頭が真っ白だ。殺すだって? ククポを? いったいなぜ? ディブタの奴も何考えてんだ。ククポを乗りこなせなかったからって、殺していいわけがないだろう。
「ディ……ディエゴ様……どっ、どうしてですか? じょ、冗談……ですよね? そっ、そんな、酷いこと……」
誰かが発した問いかけに、ディブタを除いたミミゼラブルの面々が、一縷の望みを託すようにディエゴを戦々恐々と見上げる。
その視線を、まるで聞き分けの悪い子を冷酷に突き放す親のように、ディエゴは首を振って一蹴した。
「機微に鈍だな。察しが悪い。私に殺せと言われれば、例えそれが家族であっても殺してみせろ」
「いいか、これは君たちの優先すべきことを実体験として心に刻む訓練だ」
「私の下部組織で働くその覚悟を問うている。他者の命を絶たねば守れない命があるとして、そんな時、秩序を守る側の人間が、臆病風に吹かれる『善良な弱者』では困るんだよ」
「手を汚せない奴は、他者どころか自分の命すら守れない」
「もう一度言うぞ。ククポを殺せ。その暴虐には意義がある」
何人かがディエゴの強い口調に弾かれたようにククポと向かい合った。ククポは人間が大好きなんだ。見つめ合えばとうぜん嬉しそうな顔して、撫でてもらえると思って、甲高い声をあげ鳴く。
こんなの……無理に決まっているだろ。その思いはみんな同じだった。どうすればいいのかと、互いに青ざめた顔で見つめ合っている。騎乗訓練を経て、俺たちはすっかりククポに愛情を持っているんだ。名前までつけて可愛がっている奴だっている。
「いまさら、殺せって……残酷すぎるよ……そんなの……」
吐き気がする。もしかして、エスタ教官が執拗に騎乗訓練をさせたのは、この時のためだったのか。愛着を持たせてから殺させる段取り……もしそうなら、悪趣味にもほどがあるだろ。
「でっ、できません! いくらディエゴ様の命令だからって、私、私には……うう……どう考えても無理です!」
嗚咽しながら膝をつくものまで現れる。
気持ちが痛いほどわかった。俺だってこんな理不尽、到底受け入れがたいよ。
「呪われながら生きてほしい」
「死んでほしいと望まれ、恨まれ、出会う人すべてに虐げられ、不幸にこよなく愛されてなお、戦う者は進むべき道を、立ち止まることなく走らなくてはいけない」
「なに、案ずるな。ククポは人間が大好きなんだ。殺したところで、さして恨まれんさ。この訓練にはもってこいの畜生だろ」
この滅茶苦茶な言い分、ディエゴの命を軽んじる発言に、俺の中のなにかがプッツンした。
「……勝手すぎるよ……そんなの……勝手すぎるよ、あんた!!」
震える唇に無理矢理言うことを聞かせ、腹の底から声を絞り出した。心配そうに見つめるマクたちを制止し俺は言葉を続ける。
「ククポがなにをしたって言うんだ! こんなの間違ってる! 絶対に間違ってる!! そんな身勝手な理由で、命を奪っていいはずがない!!」
思いの丈を吐く。自身の考えを否定されても、ディエゴは怒気のひとつ、感情のひとつ発露する様子がなかった。
「そうだそうだ!! よく言ったぜナイト! ディエゴ様! いくらあんたの聡明な頭脳から導き出された考えだからって、全部が全部正しいわけじゃねぇ! 俺はナイトに賛成だ。こんな非道! 認められねぇよ!」
ガウのみならず、多くの頷く声が聞こえた。全員、でないのは気がかりだが、どうやら俺の意見は多数派のようだ。
「行動は金、思考は銀だ。銅は知らん。君たちが遅れた選択をしている間に、一歩先を行く者がいることを考えたことがあるか?」
「……グボオオーー!!」
「!?」
「ふふふっ。さぁ! ナイト! 試練の時だぞ!! 自身が発したその綺麗事が、いったいどれほど脆弱なものか、身をもって確かめるがいい!!」
ククポの悲痛な叫び声、周囲のククポがその声聞いて震えながら身を屈める。
思い当たることはひとつ、拳を固く握って、怒りのままディブタの方へ身体を向けた。
「デヒヒヒ! ディエゴ様〜。これでいいか〜? ククポちゃん。ぶっ殺したぞぉ〜」
「……グッ……ポッ……ポポ、ピュ……」
「あで? まだ生きてやがるや〜。じゃあ〜、今度こそはぁ〜! 首の骨へし折ってやる〜!」
1秒がやけに長く感じられた。自分の足の速さが、これほどまでにもどかしいと感じたことはない。
苦痛に喘ぎながら転げ回るククポに、伸びるはずもない手を必死に向ける。無情にも時は進み、ディブタの大きな拳が、仕留め損なったククポの喉元にせまった。
間に合わない。最悪の光景を予感し思わずぎゅっと目を瞑った。心臓の高鳴りだけが暗闇の中でいやに響く。
「仮にも私の右腕とも称された男がする行動か、それが……」
ディエゴの声、なんだ? なにが起こって。
「げげっ、てめぇ〜! クソジジイ〜! またオデらの邪魔すんのかよ〜! どけろよ〜もぉ〜!」
「スタッドさん!!」
「……ワハハ、残念じゃったな。またそのクソジジイじゃ。お前さんにはいつも目を光らせておる、好き勝手できると思うなよ」
「調子乗んなよぉ〜。クソ鳥ごと、すり潰してやるぅ~!」
「くっ、相変わらずの馬鹿力っ! 誰か! ククポを助けてやってくれ! 適切な処置をすればまだ助けられるはずじゃ!」
眼前に広がっていた光景に心底安堵する。スタッドさんが拳を受け止めてくれていた。やっぱりスタッドさんは凄いや。順位を落としていても、いざという時の頼もしさは俺たちの比じゃない。
「ディエゴ様! 貴方様の意に反する気は毛頭ありませんが、こいつだけは、こいつだけはワシの宿敵なんでございます! 貴方様に仕えて幾年月、このバニング・スタッド! 今日だけは自分の意思を貫かせていただきます!! どうかご容赦を!!」
「……老いたなバニング。相手の力量すら測れんようになったか。今のお前ではその男には逆立ちしても勝てんよ。無駄な行いそのものだ。昔のお前ならもっと賢い選択を産み出せたはず。まぁ人間とは老いて若者を走らすもの、お前も例外ではないと言うことかな」
助けなきゃ。ククポを! スタッドさんが止めてくれている今のうちに!
俺は急いで負傷したククポ元へ駆けつける。駆けつけるが、どうすればいい? 虫の息で死に向かうククポを前にして、頭が真っ白になった。
いざという時だ。こういう窮地の時だ。自身の選択次第で、一生の後悔が生まれるかもしれない時、この時のために俺は強くあろうと誓ったはずだ。頑張ってきたはずだ。
冷静になれ。息を整えて、今俺にできることは。できることは……。




