ただよう不穏 おぞましい気配
村を追い出されるパターン以外で、俺みたいな臆病者が、外に旅立つなんてこと、できやしなかっただろうなぁと、感慨に浸る。
でも、門出なんてのは、総じてそんなもんかもな、とも思った。
突拍子に起きる事態に慌てふためき、退路が断たれる形でしか前に進めないんだ。
自分の道は自分で切り開く、そんなことをできるやつらが心底うらやましいよ。俺は結局、最後までそれができなかったから。
「それにしても、ラコ! お前ほんとに仕事ができるやつだよなぁ~。どっからその種持ってきてんだ?」
ラコは休息の度、どこからか持ってきた種を植え、俺に食料を分けてくれた。
それはバリエーションに富んでいて、何一つ持たぬ身としては、まさに冥利につきる。と、いうやつだった。
「しかも、見たことないやつばっかり」
「まぁ、普通に考えりゃあ、エルフ様の意図を汲んでるんだろうけど」
「ラコは、チョラビ界1の天才だな!」
この意思疎通などできない、不思議な実体験も慣れてきた頃。
「ん? どうしたラコ?」
ラコが突然その歩みを止め、二足歩行で立ち上がり、耳をピンと立てた。
「おい、どこ行くんだ。ちょっ、置いてかないでくれ! お前がいないと、何もできないから! わたくし! ねぇ!」
まさかの方向転換に慌ててついていく。
南と思われていた方向とは違う道を、猛ダッシュで走っていくラコに、驚きを隠せなかったが、そんなことよりも、ラコを見失って野垂れ死ぬ自分が容易に想像できたので、全速力で追いかけた。
なにが起きてるっていうんだよほんと。
「はぁ、はぁ、相変わらず素早いやつだな」
すでに見失ってしまってるが、ラコが駆けていった方角を、まっすぐに走る。
草木をかき分ける、そこである異変に気づかざるを得なかった。
「これは……血の匂い……?」
フラッシュバックする、血まみれの親父の姿。母さんとリアが殺されたという現場まで、親父と共に向かっていた際に、ずっと漂っていた、あの独特な臭い、今さら止められない歩みが、臭いが濃くなって行く方向へと足を運ばせる。
「……なんだ。これ……」
開けた場所に出た。
ある程度、腹はくくっていた。
でも、そこに広がっていた光景は、想像なんてもの、所詮は経験則の域を出ない、薄っぺらな空想であると、証するような凄惨な現場だった。
目の前に、生物だったと思われるものが横たわっている。
乾ききった赤黒い血が、その肉塊から放射状に飛散していた。
原型から察するに、森に生息する生物で、1番大きな個体を誇る、ビングベアーで間違いなさそうだ。
巨岩と見紛うほどの体躯で、体毛の上からでもわかる筋骨たくましい四足歩行動物。太い四足は、大きな体に似合わずの俊敏性を可能にし、長く鋭利な爪までついている。
2匹居ると最初は思った。が、よくよく見ると、上半身と下半身が薄皮一枚で繋がり、それぞれ別の方向を向いていたのだとわかった。
仰向けの上半身からは、だらんと垂らした長い舌が口からはみ出し、無機質な小さい瞳が、虚空を見つめている。うつ伏せの下半身からは、細長い筋のような内臓が、体内から幾つも地を這うように伸びていた。
「なんか変だぞ?」
そう、何かがおかしい。
いや、違和感の正体には気づいている。が、それを踏まえて、なぜ? の疑問が消えない。
欠損している。明らかに。上半身と下半身を繋ぎ合わせたとしても、ビングベアーの元の体積にはなりえない。
腹の部分が、引きちぎられたようになくなっているんだ。
「おぇっ」
えずきが先にきた。胃酸が上ってくる感覚が腹からした。やせ我慢も限界か。
俺は、死体の反対方向に倒れ込むようにして、この凄惨な光景から目をそむけた。ただ、この臭いからは逃げられそうにないので、嘔吐は避けられないだろう。
「……」
吐き気が止まった。それはもう、ピッタリと。
今まで見失っていたラコが、倒れ込んだ目の先にいたからだ。
いつからいた?
ラコっと名を呼ぼうとしたが、声が恐怖で出ない。
思い出す。母さんとリアはチョラビに殺されたという親父の証言を、このチョラビは、ほんとにラコなのか?
このビングベアーは、まさか、このチョラビに、
真正面で互いに向かい合う。チョラビの目は、後ろで横たわっているビングベアーに、よく似ていると思った。大きさも、その無機質さも。
息を呑む。時間が経つのがやけに遅く感じる。口の中が乾き切る。
刹那に起きたこと。それだけ俺は今、身の危険を、
「うほぉおおーー!」
不意に左手の茂みが揺れる、その音に、自分でも聞いたことのない甲高い声が出た。
茂みの奥から、ぬっと影を揺らし現れたのは、
「ビングベアー! はぁ、はぁ」
驚きすぎて息継ぎが苦しい。
状況の把握に難儀していると、いつの間にかビングベアーの足元にいたチョラビが、その場で飛び跳ねる動作を何回か繰り返した。
この動作はよく知っている。ラコが俺に何かを伝えたい時にする動作だ。
「ラコー、もぉーお前、ビビらすなよぉー。心臓止まるかと思ったわ」
いや、ほんと心臓に悪い。胸に手を置かなくてもわかる。ばっくばくだ今も。
「はぁ~、とりあえずどうすりゃいいんだ? この状況」
意思疎通などできないが、どうやら、ラコがビングベアーを連れてきたとみてよさそうだった。互いになにかコミュニケーションをとっているようにみえるし、仲もよさそうだ。
ラコは交友関係が広いのか?
などと考えていると、ビングベアーがラコから離れ、死体の近くへと歩いていく。
そして、死体に鼻の先端を近づけ、低い唸り声で鳴いた。
それは、空気を大きく揺らす、聞く人が聞けば、震え上がりそうな低音だったが、この状況下の俺には、まったく別の含みがあるように聞こえた。
「お前まさか、家族なのか?」
悲痛な泣き声に聞こえた。鼻を近づけ、首を小さく振る仕草が、慈愛に満ちているように見えた。
ビングベアーは、なおも低い声で鳴き続ける。
胸が痛くなった。もしほんとうに、家族、もしくは仲間の死を悲しんでるのであれば、それは、俺たち親子と等しい、悲哀を背負ったということ。
「もういいのか?」
動向を見守ってしばらく、ラコと俺が見つめるなか、ビングベアーは、死体に背を向け、小さく鳴いた。
用が済んだと言わんばかりに、のしのしと巨体を揺らし、どこかへと歩を進める。
「おいラコ! お前いつの間に」
ラコがビングベアーの背中の上に乗っかっていた。もう神出鬼没を名乗りなさい、あんたは。
ラコがその場でぴょんぴょんと跳ねだす。あれは俺に何かを伝えたい時にする合図。
「もしかして、一緒に来てくれるのか?」
ビングベアーが腰を降ろし、姿勢を低くした。まるで、お前も俺の背中に乗れよ、と促しているようだ。
「そうか、これからよろしくな。えーと、名前はなににしようかな?」
モグでいいんじゃないか? なんかいっぱい食いそうだし。よし、モグでいこう。
「モグ!」
背中に勢いよく飛び乗ってやろうと意気込み、片足をめいいっぱい上げるが、モグの図体がでかすぎて上手く乗れない。
「ありゃりゃ、うーん、ちょっと待ってくれよモグ。もうちょっとで、よいしょ!」
不意に、この場を離れるにおいての懸念点が頭をよぎった。
あの死体はあのままでいいのか?
モグが、自分なりのけじめをつけ終わったんだ。部外者の俺が、出しゃばることじゃない、ってのは、わかってはいるんだが。
あんな姿で、朽ち果てていくのは、不幸だ。人間の勝手な倫理観を持ち出してしまえば。
遺体がなかったせいで、いつまでも母と妹の死を受け入れない人間がここにいる。
2人の生存を信じる、淡く今にも消えてしまいそうな希望の灯火が、心の最も深い場所で、消えてくれずに苦しんでいる者がここにいる。
そんなのだから、たまらなく、思ってしまうんだ。
弔うべきだって。そこに形があるなら。
「なぁ、モグ。俺はさぁ、ちゃんと弔ってやれなかったんだよ」
「自分より大切な人たちをさ」
「後悔だらけだ」
「まぁ、こんなこと言っても伝わるかわかんねぇけどさ」
「弔わせてくれないだろうか? 人間の葬法で申し訳ないけど」
「命を弔うこともできない馬鹿には、もうなりたくないんだよ」
相手が言葉を理解できないことをいいことに、わがままを言い連ねている。
都合がよすぎだろうが、と、自分を叱ってやりたくなった。
自己満足以外のなにものでもない提案だ。
モグと俺、互いが瞳を見つめる。
俺は、ありったけの思いを目に込めて、視線を送り続けた。
しばらくして、モグが小さく唸る。いいと、言ってくれた気がした。
「ありがとう」
葬法は土葬にしようと思う。今はそれくらいしかできそうにないし。
「なんだ、手伝ってくれるのか」
木の棒などを使って地面を掘っていると、モグとラコが穴掘りに参加してくれる。作業効率が一気に上がり、またたく間に大きな穴ができあがった。
「重った」
遺体を押す、鼻がひん曲がりそうな臭いに、腰が引けてしまいそうだが、なんとか押し込む。
「なにも言わないんだな、モグは」
カチコチになった遺体に触れる際、なにからのアクションがモグから発生すると踏んでいたが、なにも起きなかった。
「かっこいいなモグは、もうけじめは完全につけたってことか」
動物に生死観なんて存在するかどうかわからないが、モグは、目の前に遺体にすっかり興味をなくしているように見えた。
「ふぅ~こんなもんか」
途中、手向けの花をいくつか添えてあげた。葬制で、一般的であるエルフ式ではそうするから。
「じゃあ後は」
黙祷を捧げる。
目をつむり、亡くなってしまった命への追悼。
どんなふうにして、生きてきたんだろうか、産声を上げてから、死に至るまで。
思い馳せる。
いつも考えるのは、自分のことばかり。他者のことなんて、なんとなくしか考えない。
どんな食べ物が好きだったんだろうか、どんな場所で遊んできたんだろうか、恋だの愛だの、モグとの関係性は友達か、恋人か、それとももっと大事な。
ああ、偲ばしい。
他者のことを本気で考えるこの時間が。馬鹿な自分が、成長している気分になれる。
目を開けた。
「行こうか」
充分だろう。もう、自分なりの誠意は果たした。
ラコと俺はモグの背中に乗り南へと向かう。
あの木の下、土がこんもりと盛り上がっているところが墓だ、振り返ればまだ見える。
「辛いよな、ほんとにさ」
モグの上で揺れる中、ぽんぽんと背を叩く。
死者にしてやれることは少ない。いや、そもそも、ないのかもしれない。
なら、生者のためにする、それが葬儀というものなのだろうか。
きっと、死という耐え難い理不尽を突きつけられた時に、なんとかやれることを探しだして、形になったのが葬式というものなのだろうな。
尊ぶ気持ちを、上手く置いてこれたと思う。
土掘ったり埋めたり、めっちゃ頑張ったからな、うん。達成感がある。少し、晴れ晴れしい気分だ。
顔が2つ思い浮かんできた。
弔ってやりたい2人の顔が。
村のみんなに聞いても、ユシーラ式という葬式の詳細はわからなかったが。
俺はそれを知る必要がある。
お告げで聞いた、真実と仇討ちとやらが、どんな選択肢を俺に授けるかわからないが、どのみち、この旅路で見つけださなければならないんだ。
残された者たちの、思いを形にするためにも、耐え難い悔みを、導くためにも。
拳をぎゅっと握った。祈るような気持ちがそうさせた。
「もっと成長しなきゃな」
今の俺では、全部をこなすのは厳しいかも知れないな。
モグの背で揺れるなか、自分の力不足をしみじみと感じた。