ミュウル編 際際
ビルトの推察通り、カノープスの睡結晶は色の濃淡によって性質を変える。空色のように透き通った結晶は、脆く砕け散ることで、微細な粒子となり、宙に漂いながら対象者に眠りを誘発する。また、深い紺色の結晶は、睡晶の力を凝縮した、ある程度強度を設定できる硬質の結晶であり、物体に熱や冷気が伝わるように、相手に眠気を伝えた。
「……千本魔睡針……」
睡結晶を警戒してか、なかなか攻めてこないビルトに痺れを切らし、カノープスが先に動く。先ほどの重さを増すダンベルから逃れるため、作り出した睡結晶に触れ、そこから無数の針を生成しビルトめがけて撃ち出した。
「Haha!! 結晶を壊して俺を眠らす気か? 甘ったるい考えだなカノープス! まるで煮詰めた果糖ジュースのようだ!」
「重量50トン!! ビルト〜MAX〜フルッスイングゥッッ〜!!」
カノープスの初撃の目論見は淡く崩れ去る。ビルト周囲の睡結晶を壊し、あわよくば魔睡針で蜂の巣にしてやろうと企んだ攻撃は、ビルトが1個の筋肉の塊になったのかと見紛うほどの、身体を捻る溜めから生み出された、解放の力の前にあっけなく散る。
50トンの重りのついたバーベルを、0.7秒の爆発的速さで振り抜く驚異の横薙ぎ。それは自身の前方に強烈な突風を巻き起こし、カノープスの攻撃をすべて押し返す。
台風の如き暴風に髪を乱されながら、カノープスは冷静に思考を巡らせた。
自身の得意とするのは中近距離戦、つかず離れず対象が眠るまで、安全圏を維持しながら攻撃を加えるのが戦闘スタイルであるが、これは不得手な接近戦に持ち込まざるを得ないなと。
「……夢幻蒼原……」
「ああん? なんだこの結晶の雑草どもは!」
「……お前の足元付近にだけ生え続ける結晶の草花だ……踏めばどうなるかは……自分で確かめてみろ……」
ジャリリ、と。ビルトが素足で結晶の草花を踏めば、案の定それは細かに砕け散って宙に舞い上がった。芸のない奴だ、とビルトが鼻を鳴らし、再びバーベルで周囲を蹴散らそうとした時、肌を刺すような殺気を前方から感じ、自身に迫るカノープスと真正面から向かい合った。
「この俺に肉弾戦を挑むか! Haha! いいことを教えてやるぞカノープス! なに、今のお前にとっちゃただの朗報だ」
「俺はな、この肉体の筋繊維の中に、日々鍛えた重さのパワーを溜め込んでいる! そして、俺の戦闘スタイルはそのパワーの消費量によって変化するのさ!」
「……ベラベラと……喋る余裕があるのか!」
目の前に迫っても呑気に話し続けるビルトに、カノープスの苛立ち混じりの回し蹴りが繰り出される。パキパキっとその踵には、鋭利な結晶が成形され、ビルトの無防備な脇腹に弧を描く一撃となるが、
「まぁ聞けって。まだ戦いは始まったばかりだろ。焦んなよ」
「……!?」
ガキィン、と鋼鉄を叩いたかのような音が響き渡った。カノープスの足撃は、ビルトの隆々とした筋肉、その皮膚一枚すら貫通できず、最大硬度で生成した睡晶は粉々に砕け散った。
「……なんだ……この肉体の硬さは……」
カノープスは自身の動揺を隠すように拳へ結晶を纏わせ、でたらめに連撃を叩き込む。が、回避する素振りすら見せないそのニヤケ面に、苦悶の色ひとつ浮かびあがらせることができなかった。
「筋力MAX!! な、今の俺はな、言うなれば“ディフェンスモード”だ。どんな傷もつかないし、どんな状態異常も即座に回復する無敵の状態。ただ、ぶっちゃけると……」
ビルトはカノープスの未だ続く拳を弾き返しながら、笑みに悪感情を込め、
「筋肉がつきすぎてしまっていて、動きづらいんだ。このモードは戦闘には向かない。重量は持てるのだが、それだけだ。服も着にくいし、背中も搔けない」
「朗報だろう? 俺がこのモードでいるうちは、お前の生存確率がグンと上がると言うことなのだから」
言い終わると同時に巨山が動く、のっそりと動くバーベルの先端を、カノープスはゆっくりと目で追った。
「まぁただし……重量100トン」
「お前が攻撃を加えるたび、俺が激しく動くたび、俺の最強のモード、オフェンスモードへの移行が早まるだけだがな!」
「ビルトMAX〜大天地割り〜!!」
振り下ろされるバーベルの重量感たるや、頭上から隕石が墜落してくるに等しい圧迫が、死の一文字をカノープスの脳内に浮かび上がらせた。
「……八柱六角守天睡灯籠……」
パキパキパキっと、地から瞬く間に睡結晶がせり出し、風雅な灯籠が形成される。自身が持ちうる最大限の防御技。六角の灯籠を支える八つの円柱の下に隠れ、真正面からビルトの攻撃を迎え撃った。
ズゥゥシッィ〜ンッ!! と100トンもの質量が叩きつけられた衝撃で、地が揺れる。腹の奥底まで響く重低音と共に、灯籠に亀裂が走るが、見事プレートは横滑りに逸れ、灯籠の柱を六本へし折るだけの結果となった。カノープスはもちろん無傷で耐え切っている。
「なるほど。上手く力を逃がす構造で作られているようだな。圧死させる気で振ったが半壊で済んだか」
「重量20トン。ビルトMAX〜カチ上げレッ〜プ!」
重量を下げた目にも止まらぬ速さの切り返し。ビルトにとっては羽のような軽さの一撃は、今までにない速度で、半壊した灯籠の中にいるカノープスを白亜の壁面へと叩きつけた。
「……ぐはっ……」
「重量30トン! ビルトMAX〜鉄アレイ連撃砲!」
「Ahaha! オラオラ! カノープス! そんなもんかぁ!? 防いでみろよ! すまし顔を浮かべてみろ! 顔面が潰れちまってできないかぁ?」
怒張した筋肉から投擲される、30トンの鉄アレイ群。壁に叩きつけられ、血反吐を吐いたカノープスの体を、それらは的確に、無慈悲に捉え続けた。
ドガッ! バキキッ! グシャッ! 畳み掛ける連撃に防御壁を張る暇もなく、カノープスは全弾を受け止める。力なく地に伏した肉塊にも似た身体からは、止めどなく血が流れ出し、血溜まりが広がり続けていた。
「回復……しないとなぁカノープス。まぁ、それができないほどダメージを与えてやったわけだが」
肉体の損傷が激しすぎると、自己治癒には非常に時間がかかってしまう。それを加味してエルフ同士の戦いでは、いかに早く相手に致命傷を与えるかが鍵となるわけだが、カノープスはすでに虫の息となり、立つことすらままならない状態にまで追い込まれてしまっていた。
「おいクソガキ、どんな気分だ? お前、俺に勝つ気でいたろ? ふふっ、こんなはずじゃなかったと、ガキらしい言い訳でもしてみるか?」
「そこでじっと這いつくばってな。まず殺すなら相方のエルフにしてやる。目覚めると面倒くさいからな」
ビルトは未だ眠りから覚めないミュウルの元につかつかと歩みより、
「それにしても、よく眠ってるじゃないかカノープス。俺が言うのもなんだが、少し可哀想だぞ。目が覚めると、あの世に旅立ってました〜だもんな。恨まれるぞぉ〜お前」
ケタケタと笑う、そしてなぜかそのままミュウルを素通りし、壁際まで歩き続けた。
「まぁ、ピンク髪のエルフには聞きたいことがある、今は殺しはしない」
壁面に手をつき、押す動作をする。すると、なにもなかったはずの壁面には直線が現れ、隠し扉が開いた。
「この扉は片方200トンある。俺にしか開けない扉だ。中は密室の作業部屋になっていて、扉を開くことができない奴らにとっては監禁部屋となる」
扉を開いたまま今度こそミュウルの元へ近づき、その首根っこを強引に掴んだ。
ミュウルが勢いよく監禁部屋に投げ込まれる。暗闇の中に吸い込まれるミュウルを見届けた後、ビルトはゆっくりと扉を閉めた。
「なにか、妙だな……」
ビルトは瀕死のカノープスを前に、頬をさすり長考を始めた。
「違和感がある……なんだ?」
あまりに呆気なく片付いたからか? 戦闘後の虚無感に襲われているのだろうか? そう考えるビルトはいま一度、違和感の正体に探りを入れる。
「あの扉、あんなに軽かったか? いつもより筋肉に乳酸が溜まっていない気がする。まさか……10トンプレート2枚カモン!」
ビルトは空間から出現させたプレートとプレートの間に、自身の指を差し入れ、わざとプレートを落とした。
「この間に指を挟むのはとても痛いんだ。どれ、確かめてやる」
トレーニング中など、たまにやってしまう激痛。その再現をして、ビルトは自身の疑念の確信を得た。
「Ahaha……痛みがない!! やってくれたなカノープス!!」
「今俺が見てる景色……これは、すべて夢だ!!」
歯を思いっきり食いしばり、夢の世界からの脱出を試みるビルト。己が夢の中にいるとさえ自覚すれば、目覚めのコツを掴むのは容易い。ビルトの世界にはたちまち亀裂が入り、歪みが生じ始める。あと数秒、この屈辱的な夢の目覚まで。
「やばっ! カノ君! こいつ起きそうだよ!!」
「……ミュウル距離を取れ!!」
世界の上層から響くような声が、ビルトの鼓膜を震わせた。目の前で血まみれになっていたカノープスの姿が霞のように薄れ、景色がガラス細工のように砕け散る。ビルトは怒りの咆哮を上げながら、現実へと帰還した。
「ウォオオオオオオッ!!」
ビルトの目がカッと見開く。カノープスの灯籠を破壊した直後の立ち位置だった。
「くくくっ、こいつは一本取られたよカノォープスゥ……まさか、ディフェンスモードの回復量を超える催眠を与えてくるとは」
ビルトは自身の体を確かめる。パンプアップしていた筋肉は削げ落ち、体積がひと回り小さくなっていた。だが、その代わりに全身に血管が浮き上がり、モードが移行した事実を実感する。
「筋肉量もだいぶ減っているな。お前、俺が寝てる間も催眠を与え続けやがったな。抜かりのない奴だ」
ビルトのディフェンスモードは自動的に回復が行われる。寝てる間にも催眠を与え続けられた肉体は、蓄えられたパワーを著しく消耗していた。
また、ビルトは、カノープスの生成した灯籠を破壊した際に、飛び散った破片から漏れ出た濃密な眠りの結晶によって、夢の世界へ誘われていた。それからのビルトが見ていた光景は、カノープスの夢現という技で見せられていた、現実と瓜二つの夢であった。
「だが、すべてを許してやる、カノープス! なぜだか分かるか?」
ビルトの全身から、ゆらりと闘気が立ち上る。
「俺の最強のモード。オフェンスモードに肉体が仕上がったからだ」
「お前らの命運は、なにも変わっちゃいない。第3ラウンドは訪れない。このターンで終わりだよ、貧弱な筋肉どもが」
ビルトは輝かしいまでの肉体美を見せつけるように、ポージングを決める。脂肪はおろか、水一滴すら絞り尽くしたかのような、彫刻を思わせる筋肉の造形美。巨躯だった先ほどとは打って変わり、鋭利な印象へと変貌を遂げたその立ち姿は、機能性の極致を体現しているようだった。満を持した全身からは絶対強者のプライドが沸々と溢れ出す。
「カノ君。久しぶりの共闘だね。いつ以来?」
「……ミュウル……前を見ろ……思ってたより数倍手強い相手だ……油断するな……」
「念押し!! いらないって! こんな筋肉ダルマ、油断するわけないでしょうが!」
2人はアイコンタクトで意思の疎通を図る。ミュウルのその無鉄砲なまでの力強い瞳に、劣勢を感じていたカノープスは、強張っていた心がふっと軽くなるのを感じた。
「……頼りにしてるぞミュウル……」
「任せなさい! このミュウちゃんにね!」
戦いは後半戦へと続く。




