ミュウル編 疑念の末
お前の自己ベストなんて、俺にとっちゃあただのウォーミングアップだぜ? 変幻自在に動くビルトの表情筋が、訪問者3人に、言葉を発せずとも全く同じ感情を明確に刻みつけていた。
ミュウルに課せられた任務の経緯を簡潔に伝えていく中で、ビルトは不適に、また挑発するように、話を聞いているのかも疑わしい態度で、自身が持つダンベルの重さを徐々に上げていった。説明を聞き終える頃には、片手に握られたダンベルの重さは30トンにも達し、両手の2つを合わせれば60トンにも及んだ。
最初は打ち解け合うために、笑顔なども見せていたミュウルだが、青天井で増していくビルトのトレーニング強度に、次第に表情からは色が失われていった。今はカノープスの後ろで、口を閉ざし沈黙に徹している。
ビルトの涼しげな顔で汗を流す姿が、これから起こり得る戦闘への「準備運動」をこなしているように見えてしまい、心にピンと緊張の糸が張られてしまったのだ。
なにせ相手は、カノープスが「黒」と確信を持って断定したエルフ。戦いに発展するかもしれない当人の、底知れぬ怪力をこうして見せつけられては、手に汗がじわりと滲むのも無理はないことだった。
「つーことはだ。結局はシロナさんの独断ってことだろ? お前らが動いてる理由は。それって弱くねぇか? 俺がお前らに協力する理由として」
一通りカノープスからの経緯を聞き終わり、少し考える素振りをみせた後、ビルトが表情筋を全く動かさずに淡々と発言した。
「ちょっとちょっと! 話聞いてた!? 私が死にそうになった相手だって言ってるでしょうが! ただごとじゃないんだって! それに、長老様だって、ちゃんと報酬を用意してくれてる! これは、シロナ先輩だけじゃなくて、長老様の意向も含まれてるってことだから!」
少し短気なところは治っていないなと、自身の視界の端から勢いよく飛び出したミュウルを見てカノープスは思った。
ミュウルの啖呵にも、まったく心打たれた様子もなく、ビルトは言葉を続ける。
「お前らは話を飛躍させすぎている。間違ったエビデンスを信じ、余計な出費と無駄な労力を重ね、しまいには身体を壊す愚かなトレーニーのようにな」
「お前らに返す言葉は一択。ゲットアウト。お帰り願おうか? 俺は卑劣な行いを嫌う清廉潔白なエルフだし、また、自己研鑽に追われるエルフでもある。お前らに協力する暇などないんだよ」
ビルトは非協力的である。最初の接触で判明したことは、カノープスにとってはある程度予測していた、実に芳しくない反応であった。
「なっ、なにぃ〜! わざわざここまで来たのにぃ〜! 帰れだってぇ~!?」
「……ミュウル……後は俺が話す……下がっててくれ……」
自身の肩を掴むカノープスに、一言苦言を呈しそうになったミュウルの口が閉じる。
そう、カノープスの目は口ほどにものを語る。その意図を読み取れるのはオリシア(カノープスの付き人)だけの特権ではない。
眼差しに込められた意図に従い、ミュウルは後方に下がって、フレッタの側で成り行きを見守るのだった。
「……ビルト……帰る前に俺のいくつかの質問に答えてもらう……」
「……何事もなかったと……長老様に報告するのはその後だ……」
「Yes。だが効率よく話せよ。大きな筋肉群から小さな筋肉群へと、段取りよく鍛えていくようにな」
静かな瞳が、独特の言い回しで悦に浸るビルトに突き刺さる。片側の口角だけをつり上げる笑み、自在に表情を操れるのなら、動揺を読み解くことは難しいかもしれないなと、カノープスは薄く思った。
「……まず確認しておこう……住民から聞いた話だと……この街は『変わりようもない日々』がずっと続いているそうだが……その認識に間違いはないか?」
「Yes」
「……次……住民は規則正しい生活をしているそうだな……『ルーチンワーク』と言っていたか……決まった時間に寝て……決まった時間に起きて……お前の手を煩わせることもないと自慢げに語っていたが……この発言に誇張は含まれていないか?」
「Yes。筋肉を成長させるには良質な睡眠が必要不可欠となる。デルトラは世界各地から、俺の噂を聞きつけたトレーニーたちが集う筋肉の聖地だ。言わずとも皆心得ているさ、そのぐらいは」
「……最後の質問だ……今しがた話した2つの内容……そのどちらについても……嘘をついた理由を教えてくれ……できるだけ簡潔にな……」
「……Haha……何を言うかと思えば……。ナッシングだよ。俺は嘘などついちゃいない。断じてな。Noを突きつけてやる。お前のその、すぎた妄想に」
トレーニングを中断し、カノープスの眼前に人差し指を突きつけながらビルトは言葉を吐き捨てた。その表情は、自身に掛けられた疑いという概念すらも殺してしまいそうなほどの恐ろしさを湛えていた。
顔中の筋肉が怒張し、深いシワが刻まれたその顔面は、もはや怒りという感情を過剰なまでに伝える、凶器と呼ぶにふさわしいものと化していた。
ビルトはカノープスよりも頭半分ほど背が高く、体格もがっしりしているため、その威圧感たるや凄まじく、フレッタは今にも腰が抜けそうになり、ミュウルは自身を屠りそうになった化け物を想起するほどだった。
ミュウルは震えるフレッタの肩を引き寄せ、臨戦態勢に入る。
「……演技が上手だなビルト……迫真のいい表情だ……筋肉を鍛えれば……嘯くにも役立つか……ひとつ学びを得た……」
「貴様……なにを知っている? カノープスとか言ったか……ハッ! なにか知っているからこその態度なのだろう? 言ってみろ。言っておくが、虚言ならただじゃおかんぞ」
「……どうやらお前に必要なのはトレーニング相手ではなく……その虚言体質を叱ってくれる保護者のようだな……」
しばしの沈黙を破り、カノープスが再び口を開く。ビルトは、人が変わったかのような鋭い眼差しで、ただ目の前のエルフを睨みつけていた。
「……フレッタ……」
「ひゃっ! ひゃい! びっ、ビックリした〜。きゅ、急に呼ぶから……なっ、なんですか?」
「……君はこの街の住民と……商売をするためにやってきた……行商人だと言っていたな……」
「……売れ行きはどうだった?」
「うう、言わないとだめですか? 全然でしたよ。今日でこの街に来て3日目ですが、お情けでミュウちゃんとカノープスさんに買ってもらうまでは、ひとつも売れなかったです。まさか嗜好品の方が売れるなんて、思いもしませんでした」
言い終えると、フレッタは意気消沈したように肩を落とした。良かれと思って選んできた品々は、大量の在庫となって手元に残っている。自身の商才のなさを改めて嘆かずにはいられなかったのだ。
「……いや……フレッタ……君の商品の選定は間違っていなかった……この街に“ある異変“が起きる前なら……問題なく売れていたはずだ……」
「“ある異変“……ですか?」
「……ああ……住民の話だと……『供給過多』によって需要が減り……売れ行きが悪くなっているとのことだったが……」
「……冷静に考えて……そんなことが本当に起きると思うか?」
「……え? それはどういう……」
ビルトの睨みつけから、けして目を逸らさないカノープスを見つめながら、フレッタは目を丸くする。
「……裏付けを取るため……俺は雑貨店を訪れていた……そこの帳票には……この話の嘘がありありと記録されていたよ……」
「……ちょうど半年前に遡る……その時期を境に……この街の住民は……まるで悪いものにでも憑かれたように……一斉に趣味嗜好が“反転“した……」
「……そのため……トレーニーたちにとっての必需品は売れ残り……およそ筋肉に良くないと思われる嗜好品が売れ続ける現象が起きたんだ……」
「……これは間違いなくこの街に起きた“異変“だ……なにもなかったなどと……よくも言えたな……ビルト……」
どこに閉まっていたか、皮肉げに翻った分厚い下唇が、3人の疑いの目を心底嘲笑っていた。ビルトは、やれやれといった表情で、大げさに両手の手のひらを上に向け、困ったように眉を下げてみせる。
「異変? ……Haha、そんな些細なこと……俺の基準では、異変とは呼ばない」
「なにもわかっちゃいない、お前は。いいか? 嗜好品が一斉に売れ出した理由、それは、俺たちトレーニーが“増量期“に入ったからだ」
「バルクアップには体重増加が必須。ストレスも筋肥大の妨げになる。だから好きなものを買い、好きなものを食った。それだけの話だ」
「……言い訳が苦しいな……その増量期とやらは半年も続くのか?」
「……答えられないか……まぁいい……次の質問だ……」
「……この街の住民はルーチンワークを遵守していると言っていたが……あれも嘘だ……」
カノープスの畳み掛けるような追及がビルトに降りかかる。ビルトの表情は、ピクリとも動かなくなったが、かえってその無表情こそが、彼の劣勢を物語っているように、ミュウルとフレッタには映る。
「……俺は睡眠と起床を触媒とするエルフ……ゆえに他人の睡眠時間が手に取るように分かる……」
「……街に来た時からずっと違和感があった……」
「……この街の住民はどいつもこいつも……睡眠時間が短かすぎるんだ……全員4時間にも満たない……」
「……筋肉には良質な睡眠が必要不可欠……お前の言葉だ……」
「……選りすぐりのトレーニーたちなんだろう? この街の住民は……なのに皆が睡眠を削り……欲望のままに嗜好品を貪る……」
「……使っているな……エルフの洗脳の力を……この街の住民たちに……いったいなにを企んでいる……お前はこの街で……」
ビルトからの返事はなかった。殺伐とした沈黙だけが場を支配し、吸う息を苦しいまでに薄くした。




