ミュウル編 ビルト・レンクル
「……ここがビルト・レンクルの居所か……でかい建物だな……」
デルトラの街並みを一望できる小高い丘の崖地に、その建物はそびえ立っていた。木々が生い茂る自然の中にありながら、継ぎ目ひとつない真っ白な壁は、一点の染みすらなく、不自然なまでに完璧な正方形を成している。
「ねぇ~ほんとに戦いになんて発展するのぉ~? 怪しいところなんて何もなかったじゃん〜。考えすぎじゃないのぉ~? ねぇ~カノ君ってば〜」
ミュウルの気の抜けた声に、まるで反応を示さず進んでいくカノープス。対照的にフレッタは、その後方で目を輝かせていた。
「わわっ! 近くで見るとすごい角ばったお家ですね。どこが入り口なんでしょうか? 扉が見当たりません!」
フレッタの言う通り、ぐるりと一周見渡してみても、扉らしい物は見当たらない。ただ、辺り一帯になにもなかったわけではなく、
「なにこれ……」
「……なんだろうな……」
「あっ、私それ知ってます! 筋肉さんたちが使うトレーニング器具ですよ。確かダンベルと言って、腕の筋肉を鍛えるために使う道具です」
「でも、なんでこんなところにあるんでしょうか? なにか意図的なものを感じます!」
3人が訝しげに見つめる先には、ツヤやかに光る金色のダンベルが、石の台座にがっちりとはめ込まれていた。グリップ部分だけが握り込める仕様になっており、設置した者の意志を汲み取るなら「汝これを持ち上げてみせよ」と、言ってるように思えなくもない。
「ねぇねぇ! これ持ち上げてみてもい〜い? いいでしょ? じゃあいくよ〜。ふんっ!」
「わ〜ミュウルちゃん力持ち!」
いかにも何かが起こりそうな雰囲気を漂わせているダンベルを、ミュウルがあっさりと持ち上げてみせた「見てみてフレッタちゃん〜、マッチョのマネ〜」ミュウルはそれを軽々と上下に動かしながら、フレッタと楽しそうにふざけ合う。
案の定、と言うべきか。突如として、足元から突き上げるような激しい振動が3人を襲うと、継ぎ目ひとつなかった真白の壁面に、黒の縦線が一本すぅっと出現した。
線は重々しい音を立てながら、ゆっくりと左右に広がり、建物内部へと続く通路へと変貌を遂げる。どうやらこの仕掛けは、ダンベルを持ち上げることで起動するギミックだったようだ。
「……ミュウル……中にも同様の台座が見える……持っていくぞ……そのダンベルとやらを……」
「あっ、ほんとだ! なんかアトラクションみたいで楽しい〜」
一同が一歩中へ足を踏み入れると、そこには外観と同じような、真っ白な壁で囲まれた立方体の部屋が広がっていた。
ミュウルは、部屋の入り口付近に、ぽつんと置かれた台座を見つけると、自分だけの遊びを見つけた子どものように「装着〜!」と、嬉々としてダンベルを窪みにはめ込む。その瞬間、入り口がゆっくりと閉まり始め、ミュウルは閉まりゆく扉に「ああ! なるほど! 要はこれが開閉スイッチなんだ!」と無邪気に声を上げた。
白亜の扉が「ズッシーン」と重い音を響かせ閉ざされると、今度は前方の石床が静かにスライドし、新たな仕掛けが3人の前にせり上がってきた。またしても首を傾げたくなるような奇妙な金色の器具だったが、よく見てみると、傍らには看板が添えられていて、何か文字が書かれているようだ。
カノープスは面倒くさそうに、ミュウルは目を輝かせ、フレッタは不思議そうに、各自看板に目をくれた。
[オレに会いに来たのか? Haha〜! なんか知らんが、その意気やヨシッ! オレの神具、ゴールドジムからベンチプレスをひとつ貸し出してやる。限界を超えてみろ! 自己ベストも更新できない軟弱筋肉に、オレは会う気などないぞ! ※一応説明する、自分が持ちたい重さをまず申告しろ。そうすれば、宣言に応じたプレートがバーベルに自動で装着される。しっかりと胸までおろしてから上げろよ! じゃなきゃカウントしてやらないからな! ちなみに、この街の住民の最高記録は600キロだ。当然それは上回ってくれるよな? 期待してるぞ。ビルト・レンクルより]
「ねぇ。ベンチプレスってなにさ」
内容を読み終わったミュウルが、ずいぶん冷めた口調で発した。
「あ、私この器具の使い方知ってます! ちょっとやってみていいですか?」
「ええ! 危ないよフレッタちゃん! こんな得体のしれないの。なんかギロチンみたいじゃない! これ!」
「心配してくれてありがとうミュウルちゃん! でも大丈夫! 私行商人だもん! いつも重いもの背負ってるから! 見てて!」
フレッタは自信満々に「にぱー」と笑うと、ミュウルの制止を振り切り、ベンチプレス(主に胸筋を鍛える器具)へ向かう。平らなベンチ(膝の高さほどの台)に仰向けになると、ラック(バーベルを固定する取っ掛かり)に掛かったバーベル(長さ2メートルほどの鉄棒)を両手でぐっと握りしめた。
「うーん、私の前やった時の記録は確か25キロだったから〜……じゃあ30キロで!」
フレッタが重さを申告すると、看板の説明通りにバーベルの両端に、金色のプレート(重り)が出現する。
「わっ! ほんとに出た! じゃあいくね。ふぬぬ……! これをこうやって、ぐっと背中を使って、しっかり胸までおろす……そして全身の力を使って、上げる! ぐっ、ぐぐっ、ぬぬぬ……う~~!」
バーベルはわずかに胸から持ち上がったものの、すぐにフレッタの身体は限界を迎え、ガチャン、とセーフティーバー(ラックとベンチの間にある安全装置)に勢いよくバーベルを落としてしまった。
「はぁ、はぁ……だ、ダメでした。えへ」
「でも、いい実演にはなりましたよね?」
バーベルを持ち上げる際のフレッタの表情。真剣な面持ちながら、頬をこれでもかと膨らませる愛らしい表情に、ミュウルは内心吹き出しそうな笑いをこらえていた。
「よし! んじゃあ次は私ね!」
ニヤケを悟られないように、ミュウルはそそくさとベンチに寝転がる。
「うわっ! なんか下から見ると本当にギロチンみたいじゃんこれ。首にでも落ちてきたら普通に死なない?」
「だっ、大丈夫だよ。 ほら、そこにセーフティーバーがあるでしょ? 落ちてきたとしても、それ以上下にいかないようになってるから!」
そういうことならと、フレッタの動きをそっくり真似て、ミュウルはベンチに仰向けになった「じゃあまずは300キロ!」ミュウルの声が響くと同時に、バーベルの両端に巨大な金プレートが装着される。バー自体の重さ20キロと合わせ、総重量300キロ。常軌を逸した光景だが、誰もかれも、そのおかしさには一切触れない。ただの冗談だと受け取ったのか、フレッタも微笑んでいるだけであった。
「じゃあ、いくぞ〜! ほい! ほい! ほいほい!」
「けっこう重いねこれ! 街の住民の最高記録が600でしょ? やるじゃん人間もさぁ〜。半分でもくる〜」
スパスパと涼しげに胸まで下ろしては上げきる動作を繰り返すミュウル。フレッタは一瞬、目の前の光景が信じられなかったが、バーベルがラックに戻される際に響く、脳髄を揺さぶるような重低音に、嫌でも現実を直視せざるを得なかった。
「ミュウルちゃん……それ……それ……300キロ……」
「私もういいわ。なんか疲れたし。カノ君、後はお願い! 私ならたぶんこれの5倍は持てそうだから、えーとカノ君は3000キロで! 自己ベストを超えろって話だからね。たぶんこんくらいでしょ」
「3トン……3トン……3トントン……」
バーベルの左右に1トンプレートと500キロプレートが出現する。呆然と同じことしか言えなくなってしまったフレッタには目もくれず。カノープスはベンチに静かに仰向けになった。
「……重いな……まぁ下ろすにはさほど問題ない重さだが……持ち上がるかどうか……」
この重さにはさすがのエルフでも苦労するらしく、胸にまで下ろしたバーベルを、また元の高さまで持ち上げるのに四苦八苦していた。
見る人が見れば、カノープスの表情は今、劇的に苦悶に歪んでいるとわかるだろうが、フレッタの目には、いまだクールにバーベルを持ち上げようと奮闘する彼の姿しか映っておらず、彼らへの疑問も、カノープスが見た目以上に踏ん張っていることにも気づかず、ただ熱い視線を向け見つめ続けていた。
「……!! ……!!」
「頑張れカノ君! もうちょっと! 行ける! 行けるって! お前ならできる! 立て! もう少しだ!! 立つんだカノ君!!」
「カノープスさん! 頑張って! なにがなんだか分からないけど、頑張る男の人はとってもかっこいいです!! だから……とにかく頑張って下さい!」
2人の熱烈な声援がカノープスの心に火をつける。見る人が見ればわかるという彼の表情は、かつてないほど変化し、少し目を凝らせば、素人目でもわかるほど眉間に力が集中していた。
汗が首筋を伝い、じわり服へ染みる。その刹那、歓声が沸いた。カノープスが見事にバーベルを上げきったのだ。彼はバーベルをラックへと戻し、そのまま立ち上がると、静かに、だが、確かな達成感を胸に、固く拳を作った。
「……ふぅ……まぁ……こんなもんだ……なかなか堪えたな……」
「すごいじゃんカノ君〜! やる時はやるんだね〜。よっ! さすがっ!」
「はぁ~……すごい、ほんとに3トンを持ち上げちゃうなんて……やっぱり、お二人は……」
エルフ様……なんですか? フレッタがそう言葉を発そうとした時、不意に近くから野太い声が響き渡った。
「Hahaha〜! お前らか! 俺のゴールドジムから、1トンプレートどもを引っ張り出したのは!」
「人じゃねぇとは思ったが、まさかエルフ3人組とはな! いったい俺になんのようだぁ? 合トレの誘いでもしにきたのかぁ〜? Haha〜ha〜!」
いつの間にかミュウルたちの側にいたそのエルフは、この異常な街の創造主に相応しい、圧倒的な肉体を有していた。街の誰よりも分厚い筋肉は、まるで重厚な黒鉄の鎧をまとっているかのように隆起している。
表情筋もまた常軌を逸しており、鍛錬なしには不可能なほど自在に操れるようだった。顔の片側だけで不適に笑いながら、もう片側では疑念と怒りを滲ませて眉間にシワを寄せるという、できそうでできない表情も平然とやってのけている。そして、ひとたび笑えば、太すぎる首筋を震わせ、これでもかと開いた大口で豪快に高笑いするのだった。
上半身は裸で、下半身には下着と見紛うような衣服だけをまとう。髪は一本もなく、肌は黒光りしている。鼻は潰れたように鼻腔が広く、耳はフレッタが一目でエルフだとわかるほど鋭く尖っていた。個々の顔のパーツには特段、特徴などないが、ひとたび変化させれば、雄弁に自分の意思を最適な形で伝える変幻自在性を有している。そんな、あらゆる肉体の部位から、活力があふれる彼こそが、このデルトラの住民からの憧れを一身に受けるエルフ、ビルト・レンクルその人であった。
「……エルフは俺とミュウルだけだ……フレッタは関係ない……」
「……ビルト・レンクル……お前は今……世界の情勢について……どれだけ把握している……」
「……聞かせてもらうぞ……色々と……そのために俺たちは来た……」
「……なに……難しい話じゃない……潔白を証明してみせろ……それだけの話だ……簡単だろ?」
不安げなミュウルとフレッタの視線を一身に受けながら、カノープスは言葉をまくし立てる。自在に変幻していたビルトの表情筋が、ピタリと静止した。
「ほぉ~? なんだそりゃ。合トレの誘いじゃないのかよ。残念だ。まっぁ!」
「Hey! 3トンダンベル!」
ビルトが呼びかけると、その手中に艷やかな金色のダンベルが出現する。両端の分厚さがもはや尋常ではない人外のダンベルだった。
「3トンなんて重さで騒いでるようじゃ、心まで鍛えるはめになってたぜ? 俺の隣で、惨めさに押しつぶされまいと必死にな」
くいっくいっと、カノープスがベンチプレスでようやく持ち上げた総重量3トンを、ビルトは挑発するように片手で軽々と持ち上げてみせる。
「トレーニーは常に時間を有効に使うんだ。ながらで構わねぇなら聞いてやるよ。さぁ、話してみろ」
ビルトの表情豊かな不遜な態度と、カノープスの氷のように冷え切った無表情がぶつかり合う。カノープスは事前に「このエルフは限りなく黒い」と告げている。その言葉を知っているからこそ、ミュウルとフレッタは、この異様な雰囲気に固唾をのまずには居られないのだった。




