キュートでとっても頼れるやつ
「ああー帰りたーいー!!」
たぶん夜明け頃、自分ながらに情けない泣き言が、馬鹿でかい大森林にこだましていた。
「どこで寝りゃいいんだよ! ああもう、どうすんだこれ!」
田舎育ち故の慢心とでもいうべきか、地べたで寝ることなんて容易だと侮っていたが、いざ横になってみると、まぁ寝れない、それに冷たい。地べたはとても冷たいんだ。石とか枝とか、寝返りを打つたび、ごりごりと体に当たるし。
さかのぼれば、子どもの時以来か? 外で寝るなんて。あの頃より神経質になってしまったのか、無邪気に熟睡とはいかないみたいだ。
「ほんとに、帰ろうかな」
全力で謝れば許してもらえるんじゃないだろうかと割と真剣に考えている、いや、腹も減ってるし。
死ぬぞこれ、普通に。
「いやいやいやいや、だめだろ。あんな啖呵切っといて、一日目で帰るとか」
「せめて、3日だ、3日頑張ってみよう。うんそうだ。まだその時じゃないな」
3日、3日頑張ろう。うん。餓死寸前の俺をみれば村のみんなだって、哀れんで飯の一つでも食わしてくれるんじゃないか? そうに決まってる。
「はぁ~。南ぃ〜どっちだったけぇ~。はぁ~。足いてぇ〜。腹減った〜。喉乾いたぁ~。ああ〜」
テンションがおかしくなっている自覚はある。が、そうでもしないと、この、平衡感覚を失ってしまいそうな高木が演出する、壮観な風景に、押しつぶされそうで不安だった。
幾重にも重なり合った枝葉が、お天道様を隠して、森をより薄気味悪いものにしている。
それは、時間感覚、方向感覚の認知を難しいものにさせた。
ヴァンテ村からそう離れてはないのに、まるで別の世界に来たようだ。
「なんかムカついてきたな」
おい大木、お前は下にいる者の気持ちを考えたことがあるのか?
ドスッと、両手を広げた長さの、3倍はあろうかという幹を、ひと突き殴った、痛ったい。
独占すんじゃねぇよ陽の光を!
次は蹴る、とうぜん痛い。
なんか起きろよ!
裏拳で行く、めっちゃ痛かった。
ちなみに最後のは八つ当たりだ。
「はぁ」
俺は、大きなため息を吐いて、赤くなってしまった拳を抱え、大木にもたれかかる。
そのままずるずると幹に体を当てながら、腰を掛ける体勢をとった。
どっと疲れが押し寄せてくる。興奮状態が消失して、今まで維持していた空元気も底が見えてきた。
「眠たい」
このまま眠るのはまずい。この眠り、深く長くなりそうだ。
「今寝るのは」
次、起きた時、俺は動ける状態にあるだろうか。
「まずい、か」
重さが増していくまぶたを、持ち上げる努力も虚しく目をつむる。
そこに広がる世界は、ずいぶんと気持ちのよい闇の空間だった。
モロホウが実っている。それも目の前にだ。飢餓状態の俺の前にだ。
これほど幸運なことはないと、俺が目を輝かしている。
当然、俺はかぶりつく、ひと粒ひと粒、味をしっかりと噛みしめるように。
別にモロホウは、今まで食ってきた、なんてことない食材のひとつだったが。こいつは違った。
とんでもない旨さだ。咀嚼が止まらない、意識せずとも手が口へと食材を運んでいく。
なんという幸せそうな顔をしているんだ俺は。よかったなぁ俺。
俯瞰からみる俺は、小動物みたいに頬袋を膨らませて、少年のような笑顔でモロホウを両手に、って。
なんかおかしくないか?
夢だこれぇ! っと夢の中で大声で叫ぶ俺。
「おごごごぼっ」
現実の俺は、口や舌はろくに動かず、声が漏れ出ただけだったが、それで充分、体の感覚ひとつ掴めば、目を開くことなんて楽勝だ。
さっさとこんな惨めな夢は覚めてやろうと、軽いまぶたを開けた。
「なんだこれ」
「まだ夢?」
目の前の光景に思わず頬をつねった。
「そんな、これは」
「実ってる! しかもこれ、見たことない種類だぞ! レア種か!」
いかにも果肉が詰まってそうな、まんまるとした赤色の実が、這った蔦から成っていた。
寝ぼけた末に垣間見る幻の類いか?
「ああ、もうわかんねぇけど。我慢できねぇ」
本能のままに貪りつく、果肉の断面は、黄色味がかってみずみずしく、甘く噛み応えがある。
実は3つなっていた。1個でこの食べごたえなら、3個も食えば充分に満たされるだろう。水分補給もできる。
種は取れなさそうだが、この幸福感を妨げる情報にはなりえない。
「なにが起こってんだぁ。こんな奇跡的な、まぁ、助かったけど」
3つ目を食べ終え、もっと他にないかと、蔦のごちゃごちゃした部分をかき分け探す。
「おっ、あった。今度は茶色の、なんだ?」
茶色く丸い実が、蔦の葉をめくったところにあった。
「毛深いな、食えんのかこれ? って!」
動いた? いや、これは、実じゃない! 生きてるっていうかこれ。
「チョラビ! うぉおっ!」
モグモグと目の前のチョラビは、赤色の実を食べていた。
チョラビ、手づかみができるくらいのサイズ感で、四足歩行のペットとしても人気の小動物。
つぶらな瞳や長い耳が特徴的で、脚力に優れた細長い脚は、その愛らしい丸っこいフォルムを崩さぬように、折りたたむようにして備わる。
走るときなどは、その折りたたんだ脚をバネみたい伸ばして、飛ぶように走る。もし、こいつを捕まえたいのなら、あの時の俺みたいに、見失ってしまうこと請け合いだろう。とにかくすばしっこいんだ。
「お前」
チョラビがこちらに気づき振り向く、俺はなぜか警戒心を解いてしまった。
「こっち来るか?」
いま思えば、俺はどうしてあんなにチョラビに敵対心を向けていたのだろうか。目の前のチョラビは、ただ、懸命に生きてる、純粋そのものの命であって、憎む対象なんかじゃないのに。チョラビの目が、つぶらな瞳が、自分に危険性などないと、そう教えてくれている。
「おいおい、お前それ」
赤色の実を食べ終わったチョラビは、俺の膝上まで飛び乗ってきて、見覚えのあるものを咥え、これみよがしに顎を突き出してくる。
「お前もしかして、あの時のチョラビか?」
チョラビが咥えていたのは、中央に数字で10000と書かれた、あの軽い素材のコインだった。
おそるおそる手に取ると、チョラビは嬉しそうに俺の周りを駆け回る。
「なんの招待状だこれ。はっ、まぁ、持っとけってことだよな。どう考えても」
そういえば、このチョラビと会った日に、神託を受けたんだっけか。
「エルフ様のお導きってかい? なぁ」
チョラビの頭を撫でる、ふがふがと嬉しそうな息遣いで反応してくれた。
癒やされる実感が湧いて、逆に、相当深いところまで、自分のメンタルがやられていたことに気づく。
俺はまた、考えなくちゃいけない。腹が満たされ、心が癒され、幸福感に包まれた今、それを根こそぎかっさらっていくような、厳しい現実ってやつを。
「ああ〜あったけぇ。もふもふ」
今はこのもふもふを全力で堪能しよう。厳しい現実ってやつを考えるのは、後回しだ。
癒やされる。癒やされるぞ。心細くて、千切れてしまいそうなスピリットが。
「いってぇ」
うっ、しつこすぎたか、腕を蹴られてしまった。かなり痛い、やはり強力な脚力だ。
「悪かったよ、ちょっと触りすぎたな。謝る謝る、ごめんって」
チョラビは、両脚を地面に叩きつける動作を繰り返していた、きっと不快感を示しているのだろなと推測した。
言葉なんて通じるわけないが、謝罪をする。一応。
「なぁ、もしかしてお前が植えてくれたのか。この種」
「なんて、答えてくれるわけないよなぁ」
偶然というには出来すぎている。もしかしてこのチョラビは、エルフ様の使いなんじゃないだろうか?
このコインもそうだし、状況的にみて、種だって、チョラビが植えてくれたものに決まってるし。
「まぁ、食うもん食ったし、行くとしますか!」
頭に栄養が回ってきた頃合い、うだうだ考えていても意味はないと、決起にいたる。
「南は、多分こっちだな」
太陽の位置が分かりづらいので、ほぼ勘で行先を決める。
「ん? なんだ? もしかして、そっちが南か?」
歩みを進めた直後、チョラビが俺になにか訴えるように、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねるので、俺はそれを手引きだ受けとった。
近づくと、少し距離をとって振り返る、また近づくと距離をとって振り返る。2度も3度も同様の手順、見立てどおり、道案内を買って出てくれたようだ。
「一緒に行くか。ははっ、お前のこと名前で呼ぼうかな」
「うーん。なんて呼んじゃおうか、ラコなんてどうだ?」
ラコ。うん、いい響きだ。決めたラコで行こう。
「ラコ!」
意味もなく呼んでみた。すると、ラコは耳をぴくっと動かし、俺の言葉を理解してくれて、なんて、そんなわけないな。偶然、耳を動かしただけか。
でも、ひとりでいるなんかより、よっぽどマシだな。
時々、話しかければ気休めにもなるし、俺が付いてきてるかどうかと、つぶらな瞳で見つめてくる様が、愛おしいったらありゃしない。
「ふふっ」
しばらく、退屈しなさそうだな。