ミュウル偏 眠りし者
私には使命があります。
御方の健やかなる肉体を労り清める、とても大切なお仕事です。
御方は1日にたった5分しかお目覚めにならない方ですから、23時間55分のお眠りに付いてる間は、私がお世話をさせていただくのです。
「今日も今日とて、お麗しいですわね。カノープス様」
まだ日も昇らない朝霧がたゆたう早朝、澄み切った空気が、緑々しい大樹から溢れる山里の一区画に、御方のお社はありました。
私はさっそくお仕事に必要な用具をもちいて、使命であるお世話にとりかかります。
「ただ少しだけ……私が子ども時から変わらない、その容姿が羨ましくもあります」
私は器用に立って寝ている、カノープス様の衣服を上半身から脱がせにかかりました。その際に露わとなった、病弱とまで言える真っ白な肌と、自分のシワの増えた手を見比べ、つい本音が吐露します。カノープス様がお目覚めになるまで、まだずいぶんと時間があるとは言え、軽率な発言でした。まぁ、寝ている時は何をやっても起きない事は、実証済みですが。
「では、失礼しますね。まずはお顔から」
木桶に浸した清水に、吸水性の高い布地を湿らせ、めいいっぱい絞ります。その絞った綺麗な布地を、カノープス様の子供のような柔肌に当て、感謝の気持を込めて優しく拭きました。
手に伝わる布地の感触からでも、カノープス様の容姿の美しさは際立ちます。
お顔を拭く際に手に引っかる、高々としたお鼻は、小鼻で折り返しが狭く、鼻筋の軟骨がしなやかに1本通った綺麗なお鼻です。
お目々なんかも私と比べると、とっても大きく、上まつ毛と下まつ毛がしっかりとその存在を主張してきます。ただ、カノープス様はいつもお眠りになってるはずなのに、なぜか目の下にクマがあって、常に眠たそう。なぜでしょうか? 私たちのためにご無理をされているのではと、いつも心配になってしまいます。
次は唇を丁寧に拭きます。無精ひげの毛穴ひとつない、綺麗な口周りです。布地を押し返す柔らかな唇は、若々しい生命力を連想させました。そういえばカノープス様は「俺はエルフの中でも特別長寿なんだよと」言っておられました。この水々しい唇となにか関連性があるような気がします。
次に耳の下から顎下にかけての輪郭に差し掛かります。喉仏がくっきりと浮き出す細長い首に、鋭く切れ込む輪郭は、カノープス様の凛としたかっこよさを演出する1番の要因になっていると個人的には思います。
耳をお拭きするため伸びた髪に手を伸ばしました。両側の横髪だけ肩辺りまで伸ばした髪型も、少し飽きがきましたね。変えどきでしょうか? 今度はカノープス様の地毛であるネイビーブルーの髪に、毛先だけ黒く染める髪型ではなく、思い切って全部ピンク色に染めてみてもいいかもしれませんね、それで髪はうんと短くして……なんて、こんな想像をしてる時が1番楽しいんです。
「さて、お次は……お身体を失礼しますね」
カノープス様の衣服は、ご本人のイメージカラーである青を基調にした、私作のオーダーメイドです。あえて濃淡の異なる青色を多めに使い、全体的に青が引き立つようにデザインしました。
上着は厚手の生地で、ボタンで前を閉めるタイプです。上から順に、黄色い三角のボタン、四角、丸と、3つのボタンでとめています。上着の丈は短く、スラリとした胴体が視認できるように施しました。上半身の衣服は少しダボっとした作りで、細すぎる印象を与えないようにしています。
ズボンのウエストは、みぞおちあたりまで上げて履くハイウエスト仕様に、腰回りに黒い布を巻き、脚がより長く細く見えるように工夫をしました。
丈の短い上着と組み合わせることで、激しい動きでもお肌が見えないように気をつけているのです。ズボンは脚のラインを美しく見せるため、少しタイトな作りです。
上半身はゆったり、下半身はタイトに、メリハリをつけることで、長所である長い脚を最大限に引き立てるように設計をしました。カノープス様には「そこまでしなくていい」と一言、クールに告げられたこともありましたが、関係ありません。奉仕の気持ちは、溢れる感謝の気持ちがあってこそ、これはあなた様の徳が招いた、助け合いの循環なのでございます。
「うふふ。極めつけは、このワートラ地方の黄色い花だけで作った花冠です! これを頭にかぶせって、っと……」
「わぁあ! とってもお似合いです! かわいい! カノープス様! お可愛いです!!」
青色に鮮やかな黄色がよく映えています。188センチの背がお高い方なので、頭に花冠を乗せるのに手こずりましたが、我ながらバッチリな仕上げです。
「興が乗ってきました! さぁ、このまま下の方もお綺麗にしていきましょう!」
勢いそのまま足先、ふくらはぎ、太ももと、と下半身を懇切丁寧に拭き上げていきます。筋肉質とはとても言い難い肉体は、私の中の母性本能をくすぐります。
「……誰だ? こんな所に……ろくな用事じゃなさそうだな……」
「そう! あと拭き残すは、カノープス様の大事な大事な、ろくな所の……って……えっ? ええ? カノープス様!! お目覚めに!? そんな!! どうしましょう! こんなこと初めてです! どうなされたんですか? えっ、えっ……なにがどうなって……」
耳の鼓膜を他人より長く揺らす特徴的な低音は、直ぐにカノープス様がお喋りになっていると、私に悟らせました。
見上げると、想像通りカノープス様のグレー色の瞳がパッチリと開いており、じっと外界の景色を見据えています。本当にどうしましょう、こんな事態は経験したことがありません。
「……ごめん……オリシア……服を返してほしい……」
「……客人だ……この感じ……旧友かも……全裸だと……滑稽だよ……」
客人、旧友……ですか。なにか嫌な予感がします。いつもカノープス様じゃありません。普段よりまぁ、こんなにハキハキと喋られて、焦っておられる気配を感じます。長いお付き合いですから、私にははっきりと分かるのです。
「ですがカノープス様……まだ、まだ……お綺麗にできてない箇所が……」
「……オリシア……俺が後で拭けばいい話だろ? いつもありがとう……世話をかけてさ……」
カノープス様はとてもお優しい方です。やや垂れたように見える人畜無害この上ない目が「……大丈夫だよオリシア……落ち着いて……」と、口ほどにものを言っています。
「ですが、ですが、それでも私は……お拭きしたいのです! 私の誇りにかけて! メインデッシュ……じゃなくて、1番お汚れになるところを残したまま、任を終える事は承知いたしかねます!!」
「……ふぅ~……オリシア……君は相変わらず仕事熱心だな……素晴らしい心がけだと思うよ……でも……いや……もう何も言うまい……好きにしてくれ……」
「ありがとうございます! 私のわがままをお聞きしてくださって! カノープス様大好きです!」
人間ごときの私の意を汲んでくださる器の大きさ、オリシアはあなた様にお使えできて幸せでございます。
「これこそが、助け合いの循環というものでございます! 私のこれまでの経験と技術の総力を挙げて! 丹精にお拭きいたしますので!」
「……手短にお願いできないか……」
そういえば、もうカノープス様が起床して5分は経ってますね。お眠りにならないのでしょうか? いつもなら直ぐに寝てしまわれるのに、まだお社の出入り口に視線を向けたままです。
あれ、あれ……今思えば……カノープス様が起床されている間にお身体を拭くのは、初めてのことかもしれません。あれ……あれ……なんでしょう? もしかして私は今……とんでもないことをしているのでは? なんだか、そう思うと、身体がみるみる熱く……すごく熱くなって……。
「カノ君〜! いるぅ? ミュウちゃんが来ったぞ~! ひっさしぶり……だ……ね……って、えっ……なにしてんの……」
後ろ! 誰かが喋っています! まだ視認してはいませんが、若い女性の声です! おそらくカノープス様が客人と言っていた人物でしょう。こんなアホっぽいしゃべり方をする人物は、お里にはおりませんから。
「……ミュウルか……よりにもって来訪者がお前か……ずいぶんとまぁ……嫌な予感しか感じさせない奴が来たもんだな……」
「いやいや……というかカノ君。えっ、なんで全裸? その子だれ? 本当になにして……」
嫌な汗が止まらなくなってきました。時を置いて徐々に、この状況のおかしさを頭が理解しだしたのです。
「いやぁあああーーーー!!」
「ええ!? これあんたの従者だよね。すごい怯えようだけど、えっ? いったい彼女になんの命令させてたの!? こんな小屋で、えっ? 男女2人きりで、えっ? あんた……まさか……まさか……」
「…………ふぅ~…………いや…………これは…………」
突然羞恥心に襲われ、何がなんだか分からなくなって叫んでしまいました。オリシア一生の不覚です。心を持ち直し、一刻も早くカノープス様の誤解を解かなければ!
「あゎばゎふぅぐんっべべぇ!(訳 誤解です。カノープス様は悪くありません)」
「堕ちたな!! カノ君!! 自分を慕ってくれる従者に!! こんな酷い仕打ちをするなんて!!」
「べぇんべぇ~〜!! にゃぐっんでっしぃかぁ〜(訳 そうじゃなくて、ああ、嗚咽で上手く喋れません)」
「……ミュウル……オリシア……」
「…………すまん…………」
その謝罪は、私が今まで聞いてきた謝罪の中でも、ありとあらゆる弁明を押し殺した。渾身の「すまん」でした。
重圧な空気の中にめり込んでいく「すまん」は、ただ消えゆくには、名残惜しいと思わせるほど余韻を残し、私たちに、冷静を取り戻す機会を与えてくれました。この誤解が広がりかねない状況下で、最適解を踏み抜けるなんて、さすがはカノープス様です。
「な〜んだ〜! そういうことだったのぉ〜! 早く言ってよ〜! すっごい勘違いしちゃったじゃない、もぉ〜!」
「申し訳ないです。私が急に取り乱してしまったばっかりに」
「まっ、考えてみりゃそうか! 筋金入りの根暗のあんたが、そうそう変わるわけないよね! あははは!」
「……俺は根暗じゃない……本気を出してないだけだ……」
ミュウルとカノープス様に名を呼ばれた人物は、実に気さくに御方へ話しかけています。一体どういうご関係なのでしょうか。とてもお美しい方で、頭には真っ黒な花飾りなどつけておられますが。
エルフ様? なのでしょうか? 頭につけた花飾りの輪郭が、よく見れば時折ふっと影のように揺らめいておりますし。エルフ様には固有の不思議な力があると聞きますが。きっとあれは、自身の能力で作り出した花飾りなのでしょうね。
「出たよ。あんたまだそれ言ってんの、死にたい、ってやつ」
「ええ!? なんですかそれ! カノープス様!?」
「ああ〜、ええ〜っと、オリシアだっけ? そうなの、こいつってさぁ、ずっと昔から死にたい死にたいって言って辛気臭いったらないの。俺はエルフの中でも寿命が長いんだぁ〜とか言ってさ?」
「……ミュウル……何度言ったらわかるんだ……誤解するな……俺は死にたいんじゃない……燃えるように生きたいんだ……この人生を……ただ……エルフの中でも特別長い寿命がそれを邪魔している……と嘆いているだけだ……」
「……俺の寿命が……人間ほどの寿命に縮まれば……なんか頑張れそうな気がするんだ……あっという間だろ……人の一生なんて……走れば直ぐにゴールが待ち受けている……考えるだけでやる気が出そうだ……」
「……1日に5分しか目覚めないことで……長すぎる寿命の体感を減らす……そんな労力を割かなくもいいと思うとな……」
初耳です。そんな経緯があったのですか。カノープスが長時間お眠りになる理由には。自身のお力だけの理由ではなかったのですね。
「そうだったんですか。カノープス様……ところで、ミュウル様とはどのようなご関係なのです? ずいぶん親しげのようですが」
「ああ、こいつと? ただの腐れ縁だよ。昔からね」
「……ミュウル……お前が親しげにカノ君……なんて呼ぶからだぞ……誤解をされるから……昔の呼び名では呼ぶなと言っているだろう……」
「ええ!? カノ君はカノ君だよ。絶対! 私の中じゃ! それよりカノ君! ミュウちゃんって昔みたいに呼んでよ! なんか寂しいじゃんか〜!」
「……呼ぶわけないだろ……恥ずかしい……」
「ああ! 見て見てオリシア! こいつ照れてるよ! 照れてる! あははは!」
顔を背けているカノープス様。確かにあの顔は照れていますね。普段の起伏の少ない表情なので、素人では見分けはつきませんが。どうやら腐れ縁というだけはあるようです。ミュウル様は。
「あははは……ああ……って、こんな話をしに来たんじゃなかった。さっ、世界に旅立つ時間だぞ! 幼馴染のミュウちゃんと一緒に、各地を回ろうじゃないか! カノ君!」
「……まぁ……突拍子もない話だとは予測していたよ……ミュウル……」
「……ただ……知らんわけじゃないだろう……エルフには各々担当とする地域があって……そうやすやすと持ち場を離れるわけにはいかないと……」
「詳細は後で話すよ。人の子に聞かれちゃまずい話でもあるし」
「……ふぅ……わかったよ……お前がこき使われているぐらいだ……よほどの災いごとなのだろう……ついていこう……」
えっ……今……なんとおっしゃいました? ついていく? 出ていく? ここを……この地、ワートラを……カノープス様が。そんな……。
「カノープス様……いかないで……ずっとここにいてください……」
思わずカノープス様に抱きついてしまいました。カノープス様の目は口ほどにものを語ります「……オリシア……済まない……それでも俺は君を置いて、行かなければならないんだ……許しておくれ……」と。あんまりです。ずっとお側でお使えしたかったのに。こんな仕打ち。
「……オリシア……今生の別れになるわけじゃない……用が終われば直ぐに帰る……だから……ね……」
私もバカじゃないです。ただ、しばらく会えないというから、なかなか抱きついた手を離せないだけなんです。この温もりを自ら冷ましたくない、それだけなんです。
「……わかったオリシア……ならこうしよう……俺の力は知ってるだろう?」
「はい。睡眠時間と起床時間を媒体とするお力でございます」
「……夢を見せてあげるよ……どんなに離れたって……俺と繋がることができる夢を……」
「それは、本当でございますか!」
「……夢共有……俺が寝ている時と、君が寝ている時が重なれば発動する技……夢であった時の会話や内容は……2人の記憶としてちゃんと刻まれるから安心して……」
私は、そういうことなら、と言って手を離しました。この破格の条件に、納得したつもりでしたが、自身の発した声の震えに、嫌でも自身の気持ちを、気付かされざるを得ませんでした。
じゃあ、行ってくる。里のみんなに説明しといて、と告げ、遠のいていく2人のお背中が小さくなっていきます。
走りました。だって、だって、私はまだ、あなたに伝えてないことがあるんですもの。
「カノープス様……私……私……」
しつこくまた抱きつきます。でも、肝心の言いたいことは、言えそうにありませんでした。
あなたはエルフ、私は人間……この恋は……叶わぬ恋なのです。2人の生きる時間は……あまりに違いすぎるから。
「……オリシア……俺は時々思うんだ……もし俺の寿命が……人の子のように短かったらと……」
「……もっと俺は情熱的な男になって……例えば君のような素敵な人と……燃えるような恋に堕ちる……そんな未来もあったのかなって……」
心を見透かされたようなセリフです。叶わないと知りつつ、それでも私を傷つけることをしない、優しい言葉の選択をしてくださいました。お別れするその時まで。
そんなあなただからこそ私は……。
子供のような柔肌の右頬にそっと、自身の恋心を置き去るよう唇を重ねます。すると、カノープス様は、私の左頬に同じ行為を返してくれて、
「……また夢で会おう……」
そう、耳元で囁いてくださいました。
「カノープス様!! 私はこの場所で、あなた様の帰りを、いつまでもお待ちしております!!」
「ですから!! お身体には気をつけて! 頑張って!! 行ってらっしゃいませぇぇ〜!!」
遠のく背に投げつけるように、人生で出したことのない大声を張り上げ言いました。やまびことなって、自身の声が返ってきます。
行ってらっしゃいませ。カノープス様。ミュウル様。
どうか……私のこの胸のざわめきが、取り越し苦労であるようにと願い続けます。なんだかすごく嫌な予感がしますので。
また巡り会えますよね。肌と肌が触れ合うその距離で……信じていますよ。
この身が朽ちるまで……いつまでも……。




