月影の下 受け継がれ
「にっしても、あいつら最初の頃よりずいぶんと体力がついてたなぁ。どんだけ普段頑張ってたんだ。エスタの野郎に洗脳でもされちまったのか?」
「……俺なんて足がガクガクでろくに動かせねぇってのに。こんなことなら朝イチで山を下りればよかったなぁ〜。お〜っ足が、いたたっ。クソッ。下りづらくて仕方ねぇや」
夜暗にすっかりと目が馴染む頃。どうも素直に言うことを聞かない身体を引きずり、ひとり山を下りていた。
重い足取りだ。自然と摺り足になる。色々な鍛錬をやらされた。走る以外にも、全身の筋肉を部位ごとに大きくするための重りを使ったトレーニングや、剣や槍を持って戦う模擬戦など、ったく、病み上がりの俺にミミゼラブルのフルコースを振る舞いやがって。人の心ってもんがねぇのか、あの教官には。
「ううっ……ちょっと休むか……」
おかげで休み休みでしか進めない状況だ。こんなペースじゃ山を下りる前に朝日が昇っちまう。
「あれ、この池……温泉か? よく見りゃ」
休息のため、水辺の大きな石に腰を下ろしていた際、ふと頭によぎった。地下から湧く温泉のことを。名称は確か、足元湧出だったか。
「こんなところにもあったのか……」
湯に入ろうか一瞬迷ったが、それよりも、水面に映し出された、まーるいまーるい満月の綺羅びやかさに目を奪われた。
「…………」
月の輪郭が鮮明に浮かび上がっていた。夜空を見上げれば、数多の星の中央に、燦然と輝く荘厳華麗な満月がしんしんと世界に大人びた色合いを配色していて、自然が演出するその絶佳に、時など忘れ、しばらく魅入っていた。
美しい。ただひたすらに。心の中で何度も賞賛を繰り返す。想像なんて、人間が持つ想像力なんて、自然が生み出す創造性の後追いでしかない。みながこの素晴らしき世界の後を追うんだ。先頭を歩くのはディエゴ様で、俺たちはそのずっと後に続く。だけど、ディエゴ様と言えど、背にたどり着く日は来ないだろう、追い越せる瞬間など訪れるわけがない、そう確信させてくれるほどの壮観だった。
ここで俺は不意に怖くなって空の月から目を逸らす。水面に映る月に助けを求めるように視線を落とした。
胸のざわざわが落ち着ついた。それは裏を返せば、空に浮かぶ満月に心乱されたという証だった。
明鏡と化した水面に映る月は、いつだって手を伸ばせば届きそうな位置にある。その気になれば、いつでも踏みつぶせそうな足元で、俺を待ち構えてくれている。その事実は、いつだって俺の心を救ってくれた。
「ひとりになっちまった……俺は……この広い世界で……誰とも縁を結べなかったんだ……」
誰とも繋がってない。全ての人が、友でもなく恋人でもなく家族でもなく、ただの他人。俺もまた、彼らから見れば有象無象のひとり。俺は良く言えばなにも描かれていない白紙で、悪く言うと……なんだろうな。ろくなもんじゃねぇことはわかる。
「どこに行けばいい……この足はどこに向かおうとしている……」
行くべき場所の想像すらできない。目標の創造ができない。突如視界が崩れた。大粒の涙が止めどなく流れる。泣くのを必死に我慢する子どものように泣いた。もう俺の世界には、冷ややかな視線を向ける他人しか残っていないというのに。誰に叱られるわけでもないのに。
「どうしてこうなった……どこで間違えた……」
俺は俺なりの正しい選択ってやつをしてきただけなんだ。それは逆説的かもしれないが、確かに俺という人間を育んだ理なんだ。
まさか……それを否定されてんのか? 否定されてるから。俺の足はこんなにも重いのか? 動かないのか? 疲労だけの重さじゃないことは薄々感づいている。精神的な辛さが肉体を蝕んでいると。
今まで歩んできた生き方を全て否定されている気分に陥った。そんなことないよな? 言い聞かせた。何度も自分に、そんなことない。そんなことないって……何度も。
「どうしてみんなそんなに頑張ることができるんだよ。チクショウが……」
みんなの真剣な顔が思い浮かぶ。あの鬼気迫る表情が。
「どうして怖くないんだ。どうして諦めずに頑張ることができる。怖いだろそれ、怖くて仕方ねぇだろ。俺がそうだったんだから。お前らだって同じだろ? 俺が弱いんじゃない。お前らが強いんだよ! 震えるだろ! 手が! 足が! 身体が、心が……壊れそうで……逃げたくなるだろ……」
声が時折裏返るが構いやしなかった。
「ナイト、モッコ、マク、バニング。お前らはどうして怖がらずに戦うことができる? どうして前に進んで行ける!」
どうして恐れないんだ。どうして。
「俺みたいに下を向いて生きてりゃいいじゃねぇか。ほら、手が届きそうだ。あの水面の月に! その気になればいつだって! 触れそうだ!」
「お前らが目指す場所は……向かおうとしてる先は……あんなにも……あんなにも遠いんだぞ!!」
夜空に浮かぶ満月に向かって手を伸ばす。手のすき間からからこぼれる淡い月光が、うつむき夜目になっていた瞳を優しく焦がした。
「届くわけねぇだろ……この距離に絶望すんだろぉ……地べたに這いつくばるしかねぇ……俺なんかじゃたどり着けないって……」
認める。誤認していたかっただけだ。俺は。少し本気を出せばいつだって月に手が届くって。あらゆる物を大した努力もせずに見下していたかっただけだ。顔を上げるのは疲れるから、上なんて見ないふりして。足元の月に心の安寧を求め。
それが多才の正体。何をやっても何者にもなれなかった。俺のバカみたいな悪癖。
頑張ることはするけれど。なまじ上達してしまうと、本物との距離がはっきりと理解できてしまうから、その前に他のことをする。目を輝かし挑戦などと宣い。努力が実らなかったのは道理だ。育てる気などなかったのだから、土壌を整え、水をやり続ける気などなかったのだから。めんどくさい工程が生まれてしまうことに、深層心理で怯えていた。
「言語化したらもう最後だな。心の逃げ道すらなくなった」
「ああ……死にてぇ……」
もし過去からやり直せたらなんてよく言うけど、俺は何度過去をやり直しても、名門せグリット家の呪縛に縛られる。過去に戻ったところで、父さんに失望される辛い日々がまた始まるだけ、また20歳に見放され、また31歳で縁を切られる。
「はははっ……詰んでんじゃん……笑える……」
恨み飽きた父さんの顔が水面に浮かび上がろうとした。その時、
「なんだ……この音」
僅かだが水面が揺らいだ気がして、感覚を研ぎ澄ませると、何かがぶつかるような音が辺りに響いていた。水面に映る月が揺らめいて核心に変わる。
音の鳴る方に進んだ。茂みをかき分け。
そこで見たのは。
「はぁはぁ、もう一回! はぁあああ!」
ナイト……お前……。思わず声が漏れた。
ありゃなんだ? いや、わかってる。でも、脳が理解を拒む。瀕死のプライドが、惨めさで圧死すると判断した。
本気なんだな。ナイト。お前は。自分を変えるために。足元など見ないのだな。
訓練用の棍棒を、ナイトは目前の木に打ちつけていた。打ちけている個所は木の皮が剥がれ、今日のこの日だけの行いでないことを物語っている。
走った。その場から逃げるように。断として今まで力を貸しやがらなかった肉体も、この時ばかりは協力的だった。
ツタに足が絡め取られ、盛大に転ぶ。うつ伏せた身体を起こそうと力を込めるが、一転、肉体は動かなくなっていた。怖いものから逃げる、その役目は果たせたからか。
「……このまま朽ちたい……」
目を開けてるんだか閉じてるんだかわからない暗闇で、浮かび上がってきたのは父さんの顔だった。惨めな子が生まれたものですね。縁は切ったとて、その事実は消えませんよ。完璧主義のあなたは、俺という不出来な存在を思い出しては、顔を顰めるのです。ざまぁないですね。
自業自得でしょう? あなたが俺にくれたものは……愛情とは正反対の、憎悪だけだったのですから。
もし俺が親なら、自分の子はうんと自由に育ててやりますよ。何でも好きなことやれって、子の可能性を縛ることなんて絶対にしない。してたまるか。
幾つもの言葉が脳内を飛び交う中、それは聞こえてきた。この言葉は、確かバニングさんが言った言葉だったな。
ガウ、お前はいい親になれるぞ。
はっ、俺が? こんないい加減な人間の元に生まれてくる子は可哀想だ。それにハニーにはもう振られちまった。結婚……したがってたなぁ。ハニーには悪いことをした、婚期を伸ばしちまって。
親になれば、自分のことに構えなくなる。家族やその周りの人間を見返すためには、結果が必要だった。だから結婚は渋った。
ハニーと結婚してる未来もあったのかなぁ。もしそんな未来があったなら、俺は親として子にどんなふうにして接したんだろう。
俺が親なら、親なら、我が子に……。
「……そうだ……教えてやれるんじゃないか……? 俺が親なら、今までやってきたこと全部。子どもがやりたいって言ったこと全部。手取り足取り教えてやれるんじゃないか?」
「絵画、音楽、工芸、彫刻、演芸、書道、華道、まだまだ他にも。俺が無意味に頑張ったことはたくさんある」
心臓の鼓動が早くなっているのが分かった。そうだ……そうだ……俺は……
「いい親になれる……」
身体の芯に力がみなぎっていく、流動が全身へと巡り、俺様は失われていた肉体の支配権を取りした。難なく容易に立ってみせた足で、疾くあの場所へ駆ける。
外れしか入ってなかったお宝くじ、それを引かされたのがこの俺様だ。ただ、そんな俺でも、なにもできず死ぬわけじゃない。
残せる。入れてやれる。当たりくじってやつを、我が子には。
努力は、頑張ったことは、悪あがきは、無意味になんかならないんだ。今、それを理解した。
そして、幸運にも1等2等を引き当てた奴らにも、嫉妬など向ける必要はない。なぜなら、
俺が頑張って頑張り抜いた先に生まれる、愛の結晶が掴んだ、親と子の悲願の栄光、その結末なのかもしれないのだから。
「ナイトぉおおおおーーーー!!」
「ぎゃああああーー! びっくりしたぁ! がっ、ガウ? どうしてここに!」
茂みを突き破って目的地へとたどり着く。ナイトは大口を開けて驚いた後、涙目になっているがそんなこと今は構いやしなかった。
「なんだなんだぁ~! 俺様に隠れて自主練かぁ? 頑張るねぇナイト。俺様も混ぜろよ!」
「えっ、えっ? べっ、別にいいけど。急にどうしたの? あっ、でも病み上がりだから今は無理しない方がいいんじゃ……」
「関係ねぇそんなこと!」
「ナイト……俺はお前を、友として見てねぇんだ」
「ええっ……」
困惑の表情を浮かべるナイト。まぁそりゃ急にこんなこと言われれば当然か。
「俺と戦え。いずれ、このミミゼラブルで培う力と技と誇りをかけて」
「俺はお前を好敵手として見てる。超えるべき壁として」
「……ガウ」
「お前が引っ張ったんだよ。俺も、モッコもマクも全員。お前が胸に秘めた、1本の芯に支えられた」
ナイトの胸に拳をつける。ナイトはぶれない。会ってから1度も。聞くことはないが、聞かずともわかる。とても強い思いを秘めていること。今も輝くお前の真っ直ぐな瞳が、口ほどに物を言ってるぜ。
「……わかった。約束だ。ガウ。ぶつけ合おう。全身全霊をかけて、ガウの熱い思いを、迎え撃ってみせるよ」
「にははっ! そうこなくっちゃな!! 相棒!!」
「あっ、相棒? 好敵手じゃなかったの?」
「こまけぇことぁいいんだよ! ほら、誓いの腕組しろ!」
久しぶりに腹の底から笑えた気がする。なすべきことがわかれば、人生はこんなにも加速する。無限に力が湧いてくる、なんでもできそうだ。
「にははっ! さっそく俺も自主練開始だぁ!!」
「ええ!? 俺もう終わろうと思ってたんだけど! まっ、いっか。あはは……」
互いに腕組んで、男の誓いってやつをやった後、俺たちは馬鹿みたいに自主練に励んだ。次の日に悪影響を及ばすまでやった。さすがにやりすぎた。
まぁ、まずはミミゼラブルで結果を残さないとな、良い職に就いてる男ってのは、女にモテるんだ。
ハニーがまた俺に振り向いてくれりゃいいんだけど。まっ、無理なら無理で、また考えるさ。気楽にな。
待ってろよ。まだ見ぬ我が子よ。
お前の人生に、たんまり当たりくじ入れてやれるように、父ちゃん死ぬほど頑張るからなぁ。
って、気が早ぇか! にははは!!
ミミゼラブル前半終わりです。
次はミュウル編 行こうかなと思っています。
整合性をとるため 来週の投稿はお休みするかも。
ここまでお読みいただきありがとうございます。




