ミュウル編 蕾が花開く時
静かな森の中を駆ける1匹のチョラビ。ナイトという青年を導くため、彼と共に旅をし、七難八苦を乗り越えてきた相棒とも呼べる存在の姿が今、茂みの奥へと姿を消した。
ラコと名付けられた小さな命は、果敢に先導者の役割をこなし、見事にエルフの御心を得る躍動を果たした。今思えば、このチョラビが青年に及ぼした精神的影響は計り知れなく、風前の灯火のような彼の心が、消えてしまうことなく燃え続けることができたのは、ひとえにラコのおかげと言っても過言ではないだろう。
「あー、疲れた。もう暴れる暴れる。森に帰すなんてカッコつけて言うんじゃなかったぁ」
道中、力のかぎり暴れるラコを、時に蹴られ、時に逃げられながらも、約束を果たすため、やっとの思いで森まで運んできたエルフが、ほっと肩を撫で下ろす大きな安堵の息を吐いた。
心機一転、彼女のトレードマークの長髪はバッサリと切られていて、顎下から肩につかないくらいの長さに仕上がっている。
以前より少し大人びて見えるか、キリリとした目鼻立ちがいつもより中性的に見える。服装は変わらず、影がメガネと外套の役割をこなし、時折ゆらゆらと外形がグラついていた。
「ふぅ~……だめだ。身体に嫌な力みがある〜、はぁ~あ、これじゃあ全盛期の半分の力も出せないかも」
なまりになまった身体、それが意味することをミュウルは肌で感じとっていた。いつもわりかし能天気な彼女なのだが、今、彼女の心を支配しているのは、紛れもなく、焦燥、であった。
この森には何かがある。
確信めいてそう断ずることができるのは、ミュウルのシロナに対する理解度の深さからきている。
あのシロナ先輩が人間を頼った。
そう、それは、シロナの性格をよく知るミュウルだからこそ、ありえないと驚愕する事態。
すんなりミュウルが引きこもりから脱却できたのも、その事実を重く受け止めたからにほかならなく、ましてや、神託を受けた青年が死んでしまう可能性すらあった事を踏まえると、なおさらに、良からぬ妄想は膨らんでいくのである。
「ミュウル! ミュウル! ミュウル!」
「ほぎゃああ〜〜!」
森にこだまするミュウルの甲高い声、警戒心を最大限に引き上げていた矢先のこと、急に耳に飛び込んできた音と呼応するように叫んでしまう。
自分の名を連呼する間の抜けた声の出処は、どこから。
「もう、びっくりさせないでよ!」
空を見上げたミュウルは、原因を把握する。
「シロナ先輩!」
「スイマセン。オドロカスキハナクテ」
エルフは他の生物にある程度の役割を与えることができる。例をあげれば、ラコがそうだし、ミュウルがやってみせた、カジノ場での騒動の沈静化がそう、その要領で今、シロナは鳥を遠方より操り、ミュウルとの意思疎通を行おうとしてた。
「ゲンキニシテイマシタカ? ミジカイカミモニアッテイマスネ」
人の言葉を話す奇っ怪な鳥、ノウム類のどれかだろう。よくエルフが連絡手段に使役する種だ。舌や喉の仕組みが人間と似ていて、カタコトだが相手と話す事ができる。ここは砂漠と違ってギリギリシロナの領地内なので、探知に成功し迎えを放つことができたのだろう。
「ごめんなさい先輩……今まで迷惑をかけて、先輩の方がはるかにしんどいってわかってたのに、私、全部ほっぽりだして、逃げだしちゃった……」
「ミュウル。イイノデスヨ。アナタガゲンキデイテクレル、ソレダケデワタシハウレシイノデス」
「ソレニ、アナタガキョウリョクシテクレルコトハ、ワカッテイマシタ。アナタガヤサシイコトハ、ワタシガイチバン、リカイシテイマスカラ」
「シロナ先輩……」
ミュウルは思った。良いことを、先輩は良いことを言ってくれている。でも、でも……カタコトだと耳障りのいい言葉でも、全部台無しじゃないか! と、涙が出そうで出ないよ、あんなおかしな抑揚の気の抜ける声じゃあ! 心の中で叫ぶミュウルであった。
「ありがとうございます。今は、まだそこまでシロナ先輩の役に立てないかもしれないけど、いつかめちゃくちゃ役立ってみせますから、絶対! 見ててください私の頑張りっぷりを!」
「フフフ、キキタイコトバガキケマシタ。キタイシテマスヨ。ミュウル」
「はい!」
春の陽気のように、温かな笑顔が咲く。長年の心のつっかえが取れた爽快感がそうさせた。なにも特別なことはない、優しい2人が合わされば、自ずと訪れる平和な空間、冬の寒さに耐えしのぎ、この時を待ちわびた2つの蕾は、ただお互いに満開となった花弁を、嬉しそうに揺らす。
「ところでシロナ先輩! 色々聞きたい質問があるんですけどいいですか?」
移動しながらの会話。木々から木々へ飛び移っていくノウムに向かって、ミュウルが言う。
「シロナ先輩は、この世界に危機が迫っていると言ってましたけど、それってどこまで確信を得て言ってるんですか?」
なにから説明すればいいのかとシロナは迷う。そう、確信なんてものはない。ただ、自分の領地内で起こった悲劇とその起因が、今世界各地で起きている原因不明の死因と、少し毛色が違うようだと懸念を抱いたから、が理由。杞憂で終わってくれれば万々歳だが、どうも暗雲低迷、いつまでも嫌な胸騒ぎは収まってはくれず、行動に移った次第であった。
「ダイチョウロウサマ、ナラビ、タノエルフサマガタハ、マダ、ゲンインカイメイニムケテ、ホンゴシヲイレルキハナイヨウデス。ソレガコタエデス」
「確証はまだない。そういうことですね。でも、私はシロナ先輩を信じます! ええ、信じますとも!」
盲信ではなく、ミュウルはシロナの能力を知っての発言となる。人間の幸福を切に願うシロナだからこそ、この選択は大きな意味を持つかもしれないと。
「マズハ、ワタシニツイテキテクダサイ。アヤシイトノ、ホウコクガアッタバショヲ、マワリマス」
シロナは、1連の騒動には繋がりがあるとみていた。だからこそ、何者かが裏で暗躍しているのでは? と疑心暗鬼になっている。人を死に至らせ、痕跡を残さないやり口、作為的に行われているなら、それは卑怯極まりない醜行。やや強引でも解明に向けた手段は取って然るべきだと。
「ココモ、ナニモナイヨウデスネ。ツギニイキマショウ」
ミュウルとの雑談をしながらの探索。相変わらず人懐っこく可愛げのある子で、話していると、一緒に働いていた頃の記憶が否応なく浮かびあがってきてしまう。気前よく働いてくれた、この子がいた頃は仕事にかかる労力も今よりずっとマシだった。口に出して発言することはないが、それは疲労具合で嫌でも分かってしまうことだった。
「これは、家!? ですか! こんな森の奥深くに……なんで……」
年季の入っていそうな木造りの家がポツンと建っていた。明らかにこの場所だけ、周りと比べても木々が生えておらず、人が住んでいた形跡がある。
「キニナッテイタバショデス。サッソクナカヲミマショウ。ミュウルオネガイシマス。ワタシ、トリデスノデ、トビラ、アケラレマセン」
「はっ、はい……開けられませんね……」
「ハイ、アケラレマセン」
淡々と話す鳥の言葉が妙にツボに入り、笑いをこらえながら扉を開けようとするミュウル。鍵がかかっていたが、すぐにぶっ壊し、蔦をのけて中へと侵入した。
ギシギシと板材を踏む音がやけに不気味である。暗がりはミュウルが対応するとして、状況は誰が把握するか、ミュウルなどは、床のホコリを掬って、人の出入りがしばらくなかったことを確認し、シロナは砂や小枝などのゴミが家中に見当たらないことから、そこまで古くない建物だと推察をしていた。
「ドウヤラ。ココニスンデイタモノハ、シバラクカエッテイナイヨウデスネ。オクヘイキマショウカ」
ミュウルを明かり替わりに奥へと進む。これと言って変わった物はなく、あとは最後に残った小部屋を残すのみとなった。
「開けますね。シロナ先輩」
「オネガイシマス。ワタシ、トリデスノデ。トビラ、アケレマセンノデ」
ぎぎぎぃっ……いつもどっからこんな不気味な音が鳴るんだという、木製の扉の開閉音が響き渡り、ミュウルたちは、恐る恐る部屋へと侵入した。
「こ、これは……」
「ナニカ、ケンキュウデモシテイタンデショウカ? ココノヤヌシハ」
「本がいっぱい、それになにこれ? ガラスのコップ?」
私物感溢れる部屋、散らかっているのか片付いているのか、一見、乱雑に物が置かれているように見えるが、きっちりと本などは積み重なっていて、家主の変わり者の性格がうっすら透けて見える部屋だと両者が思った。
「あ、これ聖書? 懐かしい〜」
「コレハ、ヤクヒンデスネ。コチラハ、ソノザイリョウデショウカ」
だんだん見えてくる家主の形象。膨大な聖書、部屋の全てを合わせれば全巻揃っていそうな数で、学者か医者か、どちらにせよ、家主の知性の高さが伺えた。
「えっ、ちょっと待って、これ、ウソっ! 全部手書きなんですけど! よく見たら、うぇ~、これもこれも! 写しじゃない! どんだけ暇だったらこんなことできるの! シロナ先輩! やばいよここの家主!」
「ミュウル。コレヲミテクダサイ。ドウヤラココノヤヌシハ、ワタシタチ、エルフニ、トテモ、ゴシュウシンダッタヨウデスヨ」
鳥であるシロナが紙の束を咥えミュウルにみせる。
「なにこれ! エルフ解体新書って」
「これ、私たちの体のことが載ってるの? きっ、キモ〜」
シロナは考える。解体新書と銘打つには少し杜撰な仕上がりだと。ただそんなことはどうでもよく、1番重要なのは、この執念だ。こんな森の奥深く、聖書を手書きで全て書き下ろし、かつこんな物を作り出した、知性の高い人間。なにか、きな臭い。
「ギェピィィィィ!!」
「シっシロナ先輩?! 急、急にどうしたんですか? ぎえ、ぎえなんです? 今なんて言いました。すんごい鳥っぽかったんですけど」
「ギェピィィィィ!! ……ミュウル……ミュウル……ギェピィィィィ!!」
背筋が凍りつくミュウル。自分の呼吸の荒さが、静かな部屋の中でやけにこだまし、気が高揚している事実を自覚させる。
使役が弱まっている? シロナ先輩の力が? まさか、そんなことが。いったいなにが?
「……ウル……ル…………ソノバカラスグニハナレナサイ!! ギェピィィィィ!!」
ノイズの中にゾッとする1言が紛れる、離れる、確かに今そう言った。シロナ先輩はいったいなにを探知したのか、
「ブオォオオオオオオオオオオン」
地響きと共に家中を揺らす重低音。ガタガタとガラスのコップが揺れ、それはこの場所に何者かが急接近していることを告げていた。上がる心拍数、中を舞う鳥はもうなにも喋ってはくれない。
「なに、なに? なんの声これ? シロナ先輩! なにか喋ってよ! 怖い、怖いって!」
慌てふためくミュウルに静寂が訪れる。ミュウルは、近くにある積み重なった聖書に、咄嗟に身を屈めるように背をつけた。それはまるで、何かから隠れるような所作であった。背は外に向かっている、部屋の窓枠その先に、
見られている。なにかに、聖書の裏で身を潜め、息を小さくはいては、小さく吸い、今この時をやりすごす。
低い唸り声だ、明らかに巨大な何かが外にいる。
ミュウルは意を決し、聖書に頬ずりするように顔を滑らせ対象の確認を、ゆっくりゆっくりと慎重に行った。
窓枠その縦横、いっぱいに広がる黒い円。濁り、くすんだ黒の色。その縁を飾る黄ばんだ白。
目と目が合っている。
窓の外からミュウルを捉える目玉は、ミュウルを視界にとらえた途端に瞳孔がぎゅっと凝縮し、白の面積を増やした。
風切音がどこから鳴る。身の毛がよだつ音が迫りくる。
そして、大きな衝撃が家を襲い。木造の建築物は、跡形も残らず総崩れとなるのだった。




