天才の俺だけが魔法を使えない
俺は天才。
子供の頃から紛れもない天才だった。
3歳で文字や簡単な計算を習うと、あっという間に覚えた。
父親が読んでいる新聞を読んで、大人と対等に話すようになった俺を皆神童だと褒め称えた。
もちろん学園は最年少で入学を果たし、たった1年で全ての単位を取得。
その後は独学で周辺国の言語を学んだ。
11の頃には大抵の言語を喋ることができた。もちろん翻訳できるレベルだ。
13になると外国語が読めることを良いことに、それぞれの国の政治や経済、文化について学び始めた。
生物学や古文書、医学に手を出したこともあった。
そのどれもがあっという間に、各界に名を知られる程になった。
時々大人が俺に助言を求めにくることもあった。
天才の俺にはわからないことなどない……はずだった。
俺も15になり、ようやく大人になった。
やっと俺の頭脳をこの社会に生かせる年になったのだ。
俺なら宰相でも、研究所長でも宮廷医師でもなんでもできる。
どうしてもと言うならいくつかの職を兼任してやってもいい。
そう思っていた。
15歳の成人の日。
面倒だと思いながら、煌びやかな服に手を通す。
今日はあっちこっちから声がかかるだろう。
面倒だが、俺は天才だから仕方ない。
馬車に乗って、城で行われる夜会に向かう。
ガコッ。ガタン!
不審な音が鳴り、馬車が大きく揺れる。
おそらく馬車の車輪が外れたのだ。
そう気づいた瞬間、ふわっと体が浮いた。
傾いた馬車の扉が開き、俺は外に投げ出される。
最後に視界を埋め尽くしたのは、真っ暗な夜の海だった。
◇
誰かに揺さぶられて気がついた。何か話しているようだ。
目を開けて声のする方を見れば、粗末な服の男が俺を揺さぶり話しかけていた。
男は俺と同じくらいの年だろうか。
喋っている言葉は、俺ですらわからない言葉だ。
海に落ちた時は夜だったはずだが、太陽はすっかりのぼっている。
あれからどれだけの時間が経ったのだろう。
太陽は登っているから半日は確実だ。
俺ですら知らぬ言葉を話していることを考えると、違う大陸に来てしまったのだろうか。
だとするともう何日も経っていることになる。
天才の俺がいなくてさぞ大問題になっていることだろう。早く帰らねば。
「俺、カルステン。お前は?」
自分を指差し名乗り、男を指差し尋ねる。
「ウリ」
ウリ? そんな名前は聞いたことがない。何語系の部族だろうか。
そんな心情を隠してウリに尋ねる。
「ウリか。ここ、どこ?」
ウリは頭を傾げている。通じないか。
埒が開かないと思ったのかウリは俺の腕を引っ張り立たせる。
手招きをして、数歩歩き、振り返って俺を見る。これは、ついてこいということか?
他にどうしようもないので、ウリについていく。
ウリが案内してくれたのは家だった。
天幕のように布を張って作られた家だ
俺の住むエイレン国では石で作るのが普通だ。周辺の国も似たり寄ったりで、布の家というのは、旅の時に使う天幕くらいだ。
布を張った家など、やはりエイレンから遠く離れた場所に来たようだ。
ウリはウリの家族と思われる女性に声をかけ、俺を床に座らせた。
この家に椅子はないようだ。
茶を出してくれる。紅茶……ではない。何か黄色の茶だ。
女性が出て行ってしばらく、俺とウリは無言のままただただ座り続けた。
しばらくして女性が返ってくる。連れもいるらしい。
その連れの容姿を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
金髪のくるくるとした巻き毛に白い肌、青い瞳。
俺が見慣れた外見だった。
エイレン国もその周辺国も個人差はあれど髪も肌も色素が薄い人ばかりだった。
瞳の色も青、水色、緑といった寒色系の色だった。
ウリやウリの家族と思われる女性は違う。
二人とも直毛でウリは黒、女性は濃い茶色の髪だ。
瞳の色だって、二人は黄色だ。
俺は黒い髪の人も黄色の瞳の人も見たことがなかった。
どうやら見知らぬ土地、言葉、民族に流石の俺も不安を覚えていたようだ。
金髪の子は俺より年下のように見えた。
彼は二言三言ウリに話しかけると、俺に向き直る。
「僕の名前はレオン。僕の言っていることわかる?」
まぎれもなく隣国メイスの言語だった。
ようやく言葉の通じる人に会えた。
よかった。帰れる。
ここがどこかさえわかれば、帰る事だってできるはずだ。
「俺の名はカルステン。エイレン国の者だ。早速で悪いが、ここはどこだ? 早く帰らなければ」
淀みのない完璧なメイス語で返答する。
「エイレンの人なの? 君のメイス語完璧だよ! すごいね」
「これくらい普通だ。それで、ここはどこだ?」
レオンは少し目を伏せた。
「悪いけど、帰ることはできない。この世界にはメイス国もエイレン国も存在していないんだ」
メイスもエイレンも存在していない? この世界? どういうことだ?
「どういうことだ? よくわかるように説明してくれ」
レオンが語るには、ここは元居た世界とは全く違う異世界らしい。
俄かには信じられないが、ここの住人にとっては驚くべきことでもないという。
元居た世界から、時折俺やレオンのように流れつく者がいるからだ。
俺らのように流れ着いたものを現地人は漂流者と呼んで、保護している。
ウリは俺の髪や肌の色、着ている服からすぐに漂流者と気が付き、保護する為に家へと連れてきた。
それからすぐにレオンを呼んだのは、同じ漂流者から説明した方が良いと判断したからだろう。
異世界? 帰れない?
俺には信じられなかったが、誰よりも知識のある俺ですら知らない言語、聞きなれない名前、ウリたちの容姿から、俺の知らない世界であることは間違いないようだった。
レオンと話して驚いたのは、ここが異世界というだけではない。
「レオンはどうやってここに来たんだ?」
「僕が来たのは3年前。君の時代がどうだか知らないけれど、僕がここに来る前、君の国エイレンと僕の国メイスは戦争状態でね。僕は音楽家だというのに、男ってだけで徴兵された。案の定戦場につくや否や敵に切られて、気づいたらここだよ」
「戦争だと? 我々の国はもう150年も戦争なんかしていない。友好国じゃないか」
メイスと戦争なんてない。何を言ってるんだと問えば、レオンは寂しげに笑った。
「そうか。こことあちらは時間の流れが違うからね。君の世界ではあれからもう150年経ったのか。僕にとってはまだ3年前のことなんだけどな」
レオンの話が本当だとすると、ここと元いた世界では時間の流れが違うらしい。
レオンの前に来た漂流者はレオンが生きた時代より200年先……つまり俺が生きた世界より約50年も未来からやってきたらしい。
俺より前に来た人が俺より先の未来から来たとは、いったいどうなっているんだ。
どういう原理でそうなるのだ。まったくわからん。
流石に嘘か?
そんな疑念が心を占めた。
レオンの助けもあり辞書もなく、教師もいなかったが、2か月ほどでここの言葉を話すことができるようになった。
「カルステンは、言葉を覚えるの速かったな」
そうウリが言う。俺は未だにウリのお世話になっている。
俺はもう15歳。元居た国では成人だ。
天才の俺は誰よりも世の役に立つと思っていたが、ここでは何の役にも立たない。
「まぁ、天才だからな」
もうエイレン国に帰ることはあまり考えていない。
現段階で帰る方法がない上、俺の頭脳をもってしても策が思い浮かばないので、この地で暮らすことを優先したというわけだ。
何はともあれ言葉だ。言葉がわからなければ不自由この上ない。
言葉さえ覚えられたら、俺の優秀な頭脳を活用できるしな。
最初の頃はそう考えていたが、その考えは甘かった。
あまりにこの世界は俺の元いた世界と違いすぎたのだ。
そう。ここにはエイレンにもメイスにもない魔法があった。
いや魔法の力があったという言い方ではぬるい。
この世界は魔法で成り立つ世界だったのだ。
家を建てるのも、ご飯を作るのも、病気を治すのも、服を着るのさえも全部魔法。
この魔法は現地人だけが使えるわけではない。
漂流者だって、魔法が使える。
現にレオンも「風よ!掃除だ」と言って、部屋の掃除をしている。
魔法というのは、どんな仕組みになっているんだ?
ちなみに俺は、なぜだか全く使えない。
ウリの話によると漂流者はたいていの人が言葉を覚えるとできるようになるらしい。
言葉を理解しないうちから使える人もいる。
「カルステンは、今までの漂流者に比べて圧倒的な速さで言葉を覚えたのに、魔法は全然だよな」
そう。いまだにウリに世話になっているのは、魔法が使えないからだ。
日常生活のほとんどすべてを魔法でしているため、元いた世界では当たり前にあった道具や機械がない。
服すら、魔法の力で纏うのだ。つまり、布がない。糸も針もない。当然服もない。
「服よ、来い」といえば、自分の思う服が着られるのだ。
だが、魔法の使えない俺にはできない。
俺が持っている唯一の服は、成人の日用のきらびやかな服だ。そんな服をずっと着ているわけにもいかないので、ウリに服を着せてもらっている。いや、言い方がよくない。
服を着る魔法をかけてもらっている。
俺だって、早く魔法を使えるようになりたい。
幼い子だって魔法を使うし、レオンも言葉を覚えたらすぐにできるようになったと言っていた。
誰もが簡単に使える魔法なんて天才の俺には朝飯前だと思っていたのに、なぜだか俺には全くできない。
なぜなのか、そもそも魔法というのはどういう理論で成り立っているのだろうか。
魔法の本を読んできっちり理論を理解すれば、できるはずと思ったが、ここには本などなかった。
では、学校のように魔法を教える場所があるのかと思えば、それもない。
ウリやレオンに「どうやったらできるようになるのか?」とさんざん問い詰めたが、「さぁなー。自然とできるようになるんじゃないか」と言われてしまう。
だが、いつまで経っても俺は魔法が使えない。
ここには紙とペンなんてものすらないが、俺は記憶力がいいので皆が言っていた呪文はすべて覚えている。
火をつけるときは「火よ」だった。
服を着る魔法は「服よ、来い」とウリは言っていた。
一言一句間違わぬよう発音してみるが、やはり魔法は使えない。
つまり、発動条件は音ではないのだ。
やはりな。言葉に出すだけで火がついたり、服を着たりできるなんておかしいと思っていた。
何もないところから火や服が出るわけがない。
動作はどうだったか。
火を出す時は確か人差し指で対象を指差ししていた。服を着せるときはくるくると指を回していたな。
人差し指をくるくる回しながら、「服よ、来い」と言ってみる。
もちろんできない。
呪文なしで人差し指を回してみる。
やはりできない。
うむ。やはり動作も関係ないな。
人差し指をくるくるするだけで何もないところから服を出すなんて常識では考えられないから当たり前だ。
じゃああれか。昔読んだ本に人間は「気」というエネルギーを持っていると書かれたいた。
あの当時は馬鹿馬鹿しいと一蹴していたが、その「気」を自在に操って魔法を使っているのだろうか。
ウリに聞いてみるが、ウリは「よくわからん」と言っていた。
俺の優秀な記憶力によれば、集中することで「気」は引き出せると書いてあったはずだ。
集中する。集中力には自信のある俺だが、「気」とやらはよくわからなかった。
よくわからないが、もしかしたら「気」が満ち溢れているかもしれないと思い、呪文を唱え、指をくるくると回す。
当然のことながら、できない。
やっぱり、「気」なんて眉唾だったか。
それから数か月たっても、俺が魔法を使える気配もなく、どういう理論で魔法が成り立っているかもわからないままだった。
「ウリ、魔法学者とかいないのか。本格的に俺はこの魔法の仕組みを知りたいんだ」
「学者などいない。だいたい知ってどうするんだ」
「知らないとできるようになんてならないだろう?」
ここの暮らしはよくわからない。
皆が魔法を使い、毎日思い思いに暮らしている。
学校もなければ、毎日の仕事もない。
個々人で、自由気ままに暮らしている。
ただ決まっているのは、漂流者がいたら自立まで手助けすることだけだ。
「なぁ、ウリ。頼むよ。誰かいないか? 俺このままだとずっとここに住むことになるぜ」
俺が最初にウリの家に来た時にいた女性はウリの彼女だった。
ウリも俺が漂流者だから保護したが、俺がずっと住むのは嫌らしい。ぐっと考えている。
俺だって恋人同士の家にずっとなんていたくない。
「学者じゃないが、一番魔法が上手なのはアダーだ。ただ変わり者ではある」
火をつけたり、水を出したりというのは、誰でもできる、
しかし料理をしたり、服を着たりというのは、センスが出る。
たとえばウリに服を着せるよう頼むととりあえず布で体が隠れてればいいやという感じの粗末な服が出る。
ウリの彼女はベースはウリと同じようなものだが、布に模様が描いてあったり、多少装飾されている。
料理もそうだ。
ウリに頼めば、食えれば何でもいいだろという感じでただ焼いただけの丸焼きの肉がどんと出る。
彼女は丸焼きながらちゃんと味付けしてくれる。
病の治療となればできる人とできない人もいるらしい。
ウリ曰く、そのアダーという人は病が治せるのは当然のことながら、魔法を使った掃除や料理も出来がすこぶるいいのだとか。
変わり者だろうがなんだろうが関係ない。やれることをやるだけだ。
俺は早速アダーの住むという家へやってきた。
山の奥で一人住まいのようだ。
「こんにちはー」
ウリの家と同じく、天幕のような家だからノックではなく、大声を出す。
ふわっと扉の役目を果たしている布がはためき、奥から風に乗って声が飛んでくる。
「どちら様?」
俺はその声にびっくりした。
一番の魔法使いだというから年老いたおじさんを想像していたのだが、届いた声は若い女性の声だったからだ。
「俺はカルステン。漂流者だ。魔法を習いに来た。どうか俺に魔法を教えてくれ」
「魔法を、習いに?」
奥から腰まであるストレートな黒髪をたなびかせた少女がすーっと風に乗ってやってきた。
これも魔法だ。
確かにこんな使い方をウリたちはしていない。
やはり彼女が凄腕の魔法使いであることは間違いないらしい。
目の前にやってきた少女は首をコテンと傾げた。
「魔法、使えないの?」
まっすぐ切りそろえられた前髪のすぐ下の黒くて大きな瞳に吸い込まれそうになる。
「あぁ、どうか教えてくれないか」
「教える事なんて……」
やはりここの魔法に理論なんていうのはないらしい。
でも天才の俺ならきっと解明できるはずだ。
「じゃあ! 君の魔法を見せてくれ。俺が自分で解明して見せるから」
こうして俺は毎日アダーの所に通うようになった。
アダーは寝坊助だ。朝行くとまだ寝ている。
だから俺の1日は、朝アダーの家まで行くとアダーを起こすところから始まる。
もちろん俺だって最初は起きるまで外で待っていた。
だが彼女は昼を過ぎても起きないのだ。
アダーの家はウリの家と同じく天幕のように布を張ってできた家だ。鍵などない。
ズカズカ入ってアダーを起こす。
「ん……もうちょっと……寝る」と言って横になろうとするアダーの布団を引っ剥がし、強制的に起こす。
「もうちょっと寝かしてくれてもいいのに」
彼女がむくれながら起きてくる。
「薔薇もハラハラ、マリナーシュ!」
彼女は部屋でクルクル踊りながら唱える。
すると目の前には真っ赤なワンピースを着たアダーがいた。
ウリやウリの彼女が着る服とは全く違う俺が元いたエイレンの国で見るような服だ。
それにしても……今日の呪文も変じゃないか。
おそらくこれがアダーが変わり者と言われる理由だ。
ウリたちの呪文と似ても似つかないからな。
それに、今日は「薔薇もハラハラ、マリナーシュ!」といいながら服を着替えたわけだが、昨日は「タンポポポポントレイ!」と言っていたはずだ。
動作だって昨日と全く同じというわけではなかった。
部屋の掃除も今日は無言で手をひらひらさせただけで掃除していたが、昨日は「♪きーもちのいい日だ〜。風は舞い〜花は〜」といい加減な歌を歌い、くるくる踊りながら掃除の魔法を使っていた。
全く訳がわからない。
だが、彼女が凄腕なのはわかる。
彼女が着ているエイレンの国にあるようなワンピースは、彼女が他の漂流者から話を聞いて魔法で作ったのだ。
細かいディテールまで再現できるのは、魔法が上手い証拠だ。
魔法が上手いので、料理もうまかった。
「ねぇ。カルステンの国で美味しい食べ物と言えば何?」
「そうだな。俺はハンバーグが好きだった」
「ハンバーグって?」
「細かいミンチにした肉を捏ねてまた丸く成形するんだ。肉汁がブワッと出て美味いぞ」
アダーは興味津々だ。
あぁ、漂流者のいた世界に興味を持つのもアダーが変わり者と言われる所以かもしれない。
アダー以外の現地人はあまり興味がないようだからな。
「るーるるぱっぱ、るーるるぱっぱ、はいっ!こんな感じ?」
焼く前のハンバーグが出てきた。
「おぉ! でも悪い。それを焼いて食べるんだ」
「あーなるほど。ぱっぱやぱー、っと出来上がり」
完璧だ。
変で毎回変わる呪文の謎は解けないが、久しぶりのハンバーグに俺はアダーの魔法の腕に感謝した。
季節は移り変わったが、未だに俺は魔法を使えない。
今日も朝からアダーの家へ向かう。
なんとか起きた彼女はまた「グリノス!」なんて変な呪文を唱えて服を着替えた。
俺やウリはほとんど変わり映えしないが、彼女の服は時にレースがついたワンピース、時に男のようなズボンとシャツといったように様々だ。
ここ最近は、アダーとも結構打ち解けて、俺の服はアダーが着せてくれている。
ちなみに今日俺の服は「グラグラグレグランダー」と言って魔法をかけてくれた。
なんだそれ。
アダーの魔法を観察しているが、未だにわかったことは一つもない。
アダーと打ち解けてきたこともあり、俺は積極的に解明しようと動き出した。
ある時は、俺が考えた呪文で魔法を使ってもらった。
またある時は、呪文を唱えるのを禁止した。
それでも魔法はつかえる。
くるくる回ったり、手をヒラヒラさせて舞い踊るような動作を禁止したり、指差しだけさせたりもした。
アダーは「楽しくなーい」と文句を言いながらも言われた通りに魔法を使ってくれた。もちろんできた。
魔法を使う前後で身体的変化がないかと額に手を当て熱を測ったり、手首で脈を測ったりした。
何も変わりはなかった。
まったく……。俺の頭脳をもってしても解明できないことがあるとは。
手ごたえのない魔法解明に、俺はどんどん躍起になっていった。
他にも変わったことはある。
毎日アダーの家に通うのを見て、アダーが近くに家を建ててくれた。アダーの家は山の中にあるので遠かったのだ。
あとはハンバーグが気に入ったのか、アダーがエイレン国の料理に興味を持ったので、アダーと二人でエイレンの食べ物を食べるようにもなった。
ちなみに料理は俺とアダーの合作だ。
材料、道具の調達は魔法でアダーが担当、実際の調理は俺だ。
今までは魔法で料理が出来上がる為、調理器具などなかったアダーの家だが、俺が作るには必要なので今ではフライパンや包丁などのひと通りの道具が揃っている。
わざわざ俺が作るのは、アダーが俺の説明だけで見たことも食べたこともない料理を魔法で再現できない時があったからだ。
俺は元々料理などしたことがなかったが、国内にある本は一応全て目を通してある。
もちろんその中にはレシピ本もあるわけだから、拙いながらある程度のものは作ることができた。
俺の優秀な記憶力あってのことだ。
俺の記憶の通りにきっちり計量する俺を見て、アダーが言った。
「カルステンにはわからないことないの?」
「魔法……」
「あぁ、そっか。それ以外は?」
ないな。
だって俺は……
「天才だから……でしょ?」
アダーが笑いながら、俺の思考を読む。
「でもさ。思ったんだけど、だからなんじゃない? 魔法使えないの」
は?
天才にできないこと、わからないことなどないはずだ。
何を言っている。
「カルステンは、確かに天才だよ。何でも知ってる。でも神様じゃない。だからカルステンにもわからないことがあってもおかしくないよ。それなのに、カルステンの常識で考えるからダメなんじゃないの? カルステンの常識が正しいとは限らないでしょ?」
彼女の言葉は俺の頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
彼女の言いたことは分かる。
俺は天才。だが同時にただの人間だ。
アダーはこう言いたいのだ。
この世は人には理解できぬ、人智を超える事だってあるのではないかと。
人智を超える物事について、人の常識に当てはめても意味がないと。
もしくは、俺の常識なんてここじゃ通用しない、俺の常識は非常識だと言っているのかもしれない。
いづれにせよ言いたいことはわかったが、受け入れられない自分がいた。
今まで俺にわからないことはなかった。
知らないこともすぐに習得できた。
わからないものが、俺の想像を超えるような事象が、ある。
それは俺の自信がガラガラと崩れるような認識の転換だった。
「私たちは魔法使うのに、何も考えてないわ。魔法というものをそういうものとして、あるがままに受け入れれば……」
アダーは話し続けていたが、もう半分も聞いていなかった。
「今日はもう帰る」
料理は出来上がったところだったが、楽しく食事をする元気もなくて帰ることにした。
帰宅すると、先程アダーの家で作ったグラタンが届いていた。
翌日用なのかパンやりんご、水まであった。
きっとアダーが魔法で届けてくれたのだ。
本当アダーの魔法はなんでもありだな。
なんであんな何も考えてない奴がこんなに魔法を使えるんだ。
普通、俺みたいに苦労して勉強して身につけるべきものだろう。
何の努力もなく魔法を使うアダーに苛立つ。
……あぁ、その普通が普通じゃないって言われたんだったな。
「普通が普通じゃないってなんだよ。普通は普通だろ……」
何もやる気が起きなくて、布団に横たわる。
胸につっかえるものがあるからか、その日はなかなか眠りにつくことが出来なかった。
翌朝すっかり冷えたグラタンを食う。
そのあともやる気は出なくて、アダーの家には行かなかった。アダーの家に通い始めてから行かなかったのは初めてだった。
差し入れられたリンゴやパンをちびちび食べながら布団に横になる。
あー俺何してるんだろうな。
そのまた次の日、突然アダーはやってきた。
変な呪文を唱えてハンバーグを出してくれる。
好物だが、心は踊らない。
アダーも気を遣ってか他愛無い話しかしない。
「あぁ、そうそう。もうすぐ審判の日だからね。よく神様に祈っておくといいよ」
審判の日? 聞き慣れない言葉に首を傾げる。
どうしても俺は知らないことを知らないままにできる性格ではないらしい。
アダーに聞くと、審判の日とは神が俺らの日頃の行いを見て、罰を下す日なのだそうだ。
罰がない年もあるが、大抵は今ぐらいの時期にやってくるのだという。
「罰?」
「うん。空では強い風が吹き荒れて、風が色んな物を持っていくの。それから海も怒りで私たちを襲ってくる。だから、その日は家で神様に懺悔と日頃のお礼をたっぷり祈るんだよ」
何言ってんだ?
アダーの話を聞いて、頭の奥でずっと警報が鳴っている。
アダーを質問攻めにして確信を得た。
審判の日は神によるものなんかじゃない!
エイレンは内陸の国だったから実際に見たことはないが、海に面する国の書物で読んだことがある。
確かサイクロンと言うやつだ。サイクロンが来ると海面が高まり、時に風が海を波立たせ、大波が起こるとも書いてあった。
アダーの言った通りの現象だ。
そうとわかれば、急いで対策しなければ。
祈ってる場合なんかじゃない。
「アダー。行くぞ。この家はサイクロンに耐えられない」
「だめだよ! ただでさえ、カルステンは魔法使えないんだよ。神様によく思われてないかもしれない。だから熱心に祈らないと!」
確かに俺は神を信じちゃいない。だから魔法が使えないのかもしれない。だが、これは別だ。
「アダー! それは神の怒りなんかじゃない。サイクロンって言うんだ。晴れたり、雨が降ったり、雪になったりと同じなんだ」
「不敬だよ!」
聞きたくないとでも言うように、背を向けるアダーの手首を掴み、無理矢理こちらに向かせる。
「お前の言うとおり、俺の常識は非常識なのかもしれない。だが、お前らの常識だって非常識だ。俺は知ってる。お前の言うそれはサイクロンだ。こんな布の家じゃなく、山の上に岩の家を建て、海岸に堤防を作るんだ! そうするだけで被害は減るはずだ。そんな知識がなくても、山の上まで登って逃げれば命は助かるはずなんだ。なのにお前らはなんだ? 神のせいにして、生きる努力もせず家でずっと祈ってるだけなのか? 足掻けよ! なんで死ぬかもしれないのに何もしねぇんだ!」
力なく座り込んだアダーはもう何も言わない。
俺はそんなアダーを置いて、ウリの家へと走った。
魔法の使えない俺一人では堤防も岩の家も作れない。アダーが駄目ならウリに訴えるしかない。
「ウリ! もうすぐサイクロンが来る。手伝ってくれ!」
最初はウリもアダーと同じだった。神にそんなこと言うなんてと取り合ってくれなかった。
それでも俺は話した。
神の罰ではなく、サイクロンというものであること、対策をすれば被害が抑えられること。ウリの家は海に近いから家にいては危ないことも。
ウリは一瞬迷ったようだが、すぐに心を決めた。
「わかった。何をすればいい」
「信じて……くれるのか?」
「だって天才なんだろ? きっとカルステンの言う通りにした方がいいに決まっている。それに……俺もうすぐ父親になるんだ。だから守らないと」
ニカッと笑うウリは頼れる父親の顔をしていた。
その日からウリと俺は海岸線へ行き、堤防をつくる。
もちろん俺は作れないから、俺は指示を出すしかできない。
ウリ一人では、疲れてしまうようで初日は海岸線10メートルほど作って終わった。
堤防よりも家を作りたいと思ったのだが、ウリに作れる家はあの天幕のような家だけらしい。
アダーならあっという間に堤防も家も作れたはずだが、仕方ない。
今俺らにできることをするだけだ。
次の日はレオンも呼んできた。
もうウリとレオンには堤防を作る場所を説明してあるから、俺は家を回り、協力をお願いして回った。
俺に対する反応は、あまりよくない。
魔法が使えない俺は、アダーの言うように神に嫌われているのでは? と思われているのだ。
それに、すでに神の審判で近しい人を亡くした人は、俺の言葉を信じたくないという気持ちもあるのだろう。
結局、協力してくれたのはたったの二人だった。
堤防を作り始めて三日目。
俺はまた家を巡っている。
せめて、山の上へと家を移してほしいとお願いして回っている。
だが、昨日の今日で俺への信頼が急上昇しているはずもなく、俺の話をよく聞くこともなく追い払われてしまう。
「お願いだから、もう来ないでちょうだい。私たちまで神様に嫌われたくないのよ!」
5軒目の家をそう追い払われた時だった。
「山の上に、神様に祈る教会を建てました。皆で一緒に祈りを届けませんか」
アダーの声だ。
振り向けば、何人もの人がアダーの言葉に耳を傾けている。
変わり者ではあるが、一番魔法の上手な彼女は神に愛された女の子なのかもしれない。
そう考えれば審判の日まで日がない今、みんながアダーの話を聞くのは当然だ。
「アダー、ありがとう」
「別に。カルステンのためじゃないよ。もしカルステンの言うことが本当だったら寝覚めが悪いと思っただけ」
そう言って、アダーはみんなを連れて山を登って行った。
ぽつり。
雨が降り始めた。風も少し出ているか?
アダーやウリの話ではまだ少し余裕があったと思ったのだが……。
ここで俺にできることもなくなったので、海岸線へと戻る。
人数も増えたからか残りは3分の1になっていた。
「雨が降り始めた。風もある。堤防はまだ完成していないが、もうすぐそばまでサイクロンは来ているはずだ。引き上げよう!」
「だめだ! まだ、まだあと少しある」
「ここで波を食い止められれば、家を守れるんだろ? もう少しなんだ。最後までやろう」
「アダーがみんなを山の上に避難させてくれた。だから俺らも命を第一に考えるんだ」
それから2時間ほど堤防づくりをしたが、風がその2時間で一気に強くなり、いよいよ命の危険が出てきた。
残りひと区画だけ残ったが、もうタイムアップだ。
「もう駄目だ。山へ引き上げるぞ!」
皆、満身創痍で山へと急ぐ。激しい雨風が、疲労の積もった体からなけなしの体力を奪う。
それでも1歩また1歩進むしかない。
「くそっ!ここは進めない!」
山への最短ルートには、強い風のせいで木々が倒れていた。
「仕方ない。少し戻って迂回だ」
そう言って元来た道に戻ろうと後ろを向いた時だ。
堤防を作れなかったひと区画を中心に大きな波が侵入してくるのが見えた。
「急げ! 急げ、急げ! 少しでも高い場所へ」
迂回をあきらめ、倒れた木をよじ登り少しでも高いところへ避難する。
倒木を超えた先は、ぬかるみ、俺らの足を滑らせる。
それでも前へ。少しでも先に足を延ばす。
ごぉぉ。ざざざ。
風の音、雨の音、雷に波の音、そしてバリバリと何かが壊れるような音。
後ろなど振り返らなくても、波が俺らの近くまで来ているのがわかる。
くそっ。
くそっ、くそっ。間に合わなかった。
くそっ。俺を信用したがためにこいつらは。
俺の前には堤防づくりに協力してくれた4人が走っている。
くそっ。
こんな時に俺がアダーみたいに魔法を使えたら、守ることもできるのに。
簡単な魔法すら使えない俺には何もできない。
もう波に追いつかれそうだ。
くそっ。ここには神がいるんじゃねーのかよ。
助けてくれよ。俺らをアダーのとこまで連れてってくれよ。
神様、お前聞いてんだろ。頼むよ。あいつらだけでも山の上のアダーのところまで……。
ゴン!
飛んできた何かが頭にあたり、俺はそのまま昏倒した。
意識がなくなる直前前を走るウリが消えたような気がした。
「……ルステン、カルステン」
目を開けると真っ黒な瞳を潤ませ、俺の名を呼ぶアダーがいた。
「アダー? みんな、は?」
「みんな、生きてるよ! みんな突然ここに現れたの。」
そうか。俺の願い……叶ったのか。
「アダー。神って……いるんだな」
◇
あれから、しばらく経った。
俺が流れ着いたこの魔法の国は、あの日から少しずつ変わった。
まず、漂流者の元いた世界に皆が興味を持ち始めた。
変わり者と呼ばれていたアダーの洋服は、密かに女性たちの憧れだったらしい。
ただアダーほどの魔法の才がないため、皆あきらめていたのだ。
その話を聞いた俺がアダーに頼んで針、布、糸を魔法で出してもらい、縫い物を教えたところ皆競って作るようになった。
布や糸はアダーでなくても作れるようだが、布に入れる模様は今まで魔法で身につけていた服と同じ素朴な柄だ。
花柄のワンピースを着たアダーを見て、服作りにハマった女性たちは俺に殺到。
今度はアダーに機織り機を作ってもらう予定だ。
他にも俺とアダーが作る料理に魅せられた人たちにランチを振る舞ったり、料理教室をすることもある。
そういうわけでアダーは、針や機織りの機械のみならず、フライパンなどの調理器具や岩の家を作ったり大忙し。
今やアダーは天才魔法使いだ。
大忙しと言っても、今まで仕事などなかった社会だ。
針仕事をするものも料理するものも、もちろん色々な物を作るアダーも働いているのは一日数時間だけどな。
レオンもアダーに楽器を作ってもらったらしく、夕方皆を集めてコンサートを開いている。
何の娯楽もないこの社会で、レオンのコンサートは極上の娯楽だ。
寄り添いながら音に耳を傾けるもの、立ち上がって体を揺するもの、皆自由に楽しんでいる。
変わらないものもある。
俺のことだ。
そう、あの日神に祈った俺は皆を連れて山の上まで魔法で移動させたはずだが、魔法が使えたのはあれが最初で最後だった。
やはり俺は神という存在があるなら何故……とか、どんなメカニズムで……と考えてしまうからだろうか。
ここまで使えないとあの日の魔法も俺ではなかったのかもしれない。
エイレン国にいた頃の俺は、宰相にも研究所の所長にも、宮廷医師にもなれると思っていた。
皆が求めるならその全てを兼任したっていいとも。
それに比べて今の俺は、天才魔法使いのお世話係と料理と裁縫の先生だ。
昔の俺が今の俺をみたらどう思うだろうか。
まぁ、信じないだろうな。
だが、今の俺はこの暮らしが結構気に入っている。
「おい! もう昼飯の時間になるぞ!」
そう言って今日も俺は布団を剥ぎ取って、寝坊助な天才を起こすのだ。