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モノトーン

作者: K

その男の部屋にあるカーペットは、モノトーンのチェス盤柄だった。男はそのカーペットの正方形に丁度収まるよう座るのが好きだった。ある時はルークの位置に、またある時はキングの位置に、この間はポーンの位置で仕事を片付けていた。

客人が来た時には、自分が座っている場所と対照になる場所に座らせた。ナイトの位置に座っていたら対戦相手のナイトの位置に座らせるといった具合だ。

そういった奇癖もあってか、男の家を訪れる人間は少なかった。少しでも位置をずれたら、男は途端に不機嫌になり、客人を追い出すからだ。

ある日、男はカフェの片隅でブレンドコーヒーを飲んでいた。店内に人気はなく、ジャズ調のBGMだけがゆったりと流れている。

そんなカフェに、一人の女が来店した。小さなバッグを肩から掛けた、凛とした風貌の客だ。女は迷うことなく男の真向かいの席に座り、戸惑う男を見て言った。

「貴方の家に伺ってもよろしいかしら」

その言葉に、男はさらに困惑するだけだった。すわ何かの勧誘かと身構えるも、次の女の言葉に固まった。

「チェスの勝負、私が勝ったらその妙な癖を辞めていただくわ」

一瞬、記憶の中をざっと探ってはみたが、全く見ず知らずの人間だった。友人のさらに友人が、男の悪癖を辞めさせようと差し向けて来たのだろうか。女はそれ以上何も言わず、レジへ向かい会計を済ませて外へ出た。向かう方向は、間違いなく男の家の方角だった。

女の足取りは軽く、まるでこれから始まるゲームを心待ちにしている子供のようだった。やがて男が住むアパートに到着すると、振り返って鍵を開けるよう促した。

部屋にはいつも通りチェッカー柄のカーペットが敷かれていた。手前2列と奥2列のマスは毛羽立っているが、それ以外の場所は中央の3マスを除いてまるで綺麗だ。女はカーペットの中央に座り込み、鞄から折りたたみ式のチェス盤を取り出した。

「城野さん、お先にどうぞ」

部屋の奥側の列に白い駒を並べながら、女は言った。城野と呼ばれた男は、これ以上相手のペースには飲まれまいとして訊いた。

「あなた、お名前は?なぜ私の名前を?どうして私とチェスがしたいんです」

女はその質問にも動じず答えた。

「黒崎と申します。これをする理由は……いずれ分かります」

名前を知っていることについては一言も触れず、黒崎は城野を待っているようだった。仕方なく、城野は白の駒の前に座った。

試合はつつがなく行われた。勝負が進むうち、城野は奇妙なことに気がついた。どうも黒崎は駒を多く取ることに気を使っているようなのだ。そのため、城野の駒が半分以上無くなる頃には2時間は経っていた。

自分の駒が城野のキングに近づいても、黒崎は試合をやめない。城野も黒崎の駒を相当数取っていたが、明らかに相手が優勢だ。なぜとどめを刺さないのか、疑問だけが膨らんでいく。

しかし同時に、不思議な気分の高揚も感じていた。一手の遅れが敗北に繋がる、黒崎はそれほどの腕前だった。

次第に城野の脳裏には、在りし日の思い出が蘇った。カーペットは元々祖父のものだった。英国趣味のあった祖父はチェスを殊更好み、そのための部屋を作る程だった。城野が家に来た時はいつもこのカーペットの中央に小さな机と椅子を置き、チェスに興じたものだった。そんな祖父が亡くなった時、城野はカーペットを譲り受けた。だが、チェスだけは続けられなかったのだ。中央を避けるように生活を送り、気がつけば今、ここでまた駒を動かしている。

「チェックメイト、です」

気がつけば、黒崎のクイーンとナイトが城野のキングに狙いを定めていた。思い出に浸っていた城野は、急に力が抜けて後ろに仰け反った。

「で、結局なんだったんです」

城野の問いに、黒崎は笑った。

「楽しかったでしょう?」

「……」

「人生は巡り会いです。せっかく出会った友人とそんなことで仲違いなんて悲しいでしょう。ところで、」

私の顔、覚えていませんか?と今度は逆に黒崎が尋ねた。そう聞かれても見覚えなんてないものはない。城野が答えあぐねていると、黒崎は続けた。

「城野さんの従姉妹です。幼い頃なのでもうお忘れかもしれませんが、このチェス盤は祖父から貰ったものなんですよ」

なんということだ、それではこの勝負は祖父の部屋の再現でもあったのか。思えば祖父は、家に来た人間を誰彼構わず部屋に引っ張り込んでチェスに誘っていた。懐かしさを覚えるのは当然だったという訳だ。

「夫が偶然職場で城野さんと親しくしていたというのを聞いて、放っておけなくなっちゃったんです。ごめんなさいね」

そう言うと、今度こそ黒崎は楽しげに笑った。それを見て城野もつられて笑う。今度は今まで距離を取ってきた友人とこの部屋でパーティーでもしよう、もしよければ、チェスも教えて勝負してみたい。人生は短いのだ、過去に囚われて縁を手放すのはもうやめにしよう。

窓の外から、夕焼け色に染まった西日が差し込んでいた。

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