六 毒牙
まばらに雑草の生えた地面を駆け抜けて、葵は大百足の群れの前に立ちはだかった。
その数は、五匹。その身を守る甲の頑強さを思えば、難敵というも甚だしい。しかも葵は、頼りの降魔刀を楓丸にあずけてしまっているのだ。半月前の葵であれば、死の覚悟を固めていたやもしれなかった。
(……降魔刀を楓丸にあずけたのは、私みずからの裁量だ。ならば、これしきの苦境で弱音を吐くことはできまい!)
楓丸は、これよりも難敵である大百足の主と対峙しているはずであるのだ。
ならば、葵がその分かれ身如きに後れを取るわけにはいかなかった。
五匹の大百足どもは、その平たい頭に鬼火のような眼をぎらつかせながら、葵の様子をうかがっている。すでに三匹の分かれ身が滅されていることを、このものどももわきまえているのだ。これらは主から分かたれた眷属であり、異なる眼で同じ光景を見ているはずであった。
いっぽう葵も、五匹もの大百足に取り囲まれては、勝機がない。相手のほうから動くのを待ち、一匹ずつ片付けていく所存であった。
そうしておたがいが間隙を狙うために、その場は一時膠着し――
それが、横合いから飛び込んできた闖入者によって破られることになった。
「くたばれ、妖異ども!」
桐塚鈴之進である。
桐塚鈴之進はどこかから拾い上げた棒切れを手にしており、それで大百足の横面を殴打した。
大百足は甲高い怒声をあげながら身をのけぞらせ、それで生じた甲の隙間に、桐塚鈴之進が逆の手の刀を振り下ろす。
わずかに青黒い体液が飛沫いたが、その穢れた生命を滅するまでには至らなかった。
桐塚鈴之進は「ちっ」と舌を打ちながら、太刀と棒切れを構えなおす。
「しくじったか。しかし、次は外さぬぞ!」
葵は大百足どもの挙動をうかがいつつ、横目で一瞬だけ桐塚鈴之進のほうを見た。
役者のように端整な顔をした桐塚鈴之進は、怒ったような顔で笑っている。
「拙者も葵殿を見習うことにいたした! 亜門寺は、あのていどの苦境で生命を散らすほどやわではない! ならば拙者は、自らの使命を果たすべきであろう!」
「……助力、感謝する」
言いざまに、葵は足もとの地面を蹴って、大百足どもに砂をあびせかけた。
大百足どもは弾かれたような勢いで散らばり、葵はその一匹に躍りかかる。
「か、感謝? 今、感謝と申されたのか、葵殿?」
どこか弾んだ声で言いながら、桐塚鈴之進も大百足の一匹に斬りかかった。
鞘や棒切れで頭を打ち、首をのけぞらせたところで、甲の隙間を狙う。葵と桐塚鈴之進は鏡に合わせたような所作で、それぞれ一匹ずつの大百足を滅することになった。
「……いまの私は猫の手を借りたいほどに苦境であった。お前のような未熟者でも、猫の手よりは力になろうと判じたまでだ」
「なるほど! 葵殿のご期待に応じたく存ずるぞ!」
桐塚鈴之進は嬉々として、新たな大百足に跳びかかった。
葵はすでに、二匹の大百足を相手取っている。桐塚鈴之進の助力のおかげで、すでに大百足の脅威は半分がた減じられていた。
だが――そのような安堵も、束の間であった。
新たな大百足どもが三匹、川のほうからぞろぞろと這いずってきたのだ。
そしてその大百足どもは騒乱の場を素通りして、村落のほうへと突進していったのだった。
「まずいぞ、葵殿! 村人たちが襲われてしまう!」
「心を乱すな! まずは、目前の敵を討ち倒すのだ!」
葵はまず、一匹の胴体を真ん中から断ち割ってみせた。
地面に落ちた大百足は、尻の側の半分だけが塵と化す。頭の側は苦悶に身をよじりつつ、それでもなお生き永らえていた。
「しぶとい虫けらめ!」
葵はもう一匹の腹を蹴り飛ばし、それが危険のない間合いまで下がったのを確認してから、のたうつ大百足の断面に杖刀を突き刺した。
そしてすぐさまもう一匹の大百足に躍りかかり、その頭を刎ね飛ばす。
ときを同じくして、桐塚鈴之進も一匹の大百足を仕留めていた。
「よし! それでは、さきほどの百足どもを――」
桐塚鈴之進の声が、途中で絶叫に変じた。
頭上の梢から飛びかかってきた大百足が、その首筋に牙をたてたのだ。
葵は一歩でその場に駆けつけて、大百足の青く光る眼に杖刀を刺し通した。
牙を抜いた大百足は、苦悶に首をのけぞらせる。その甲の隙間を寸断し、葵は何匹目かの大百足を討滅した。
「おい、桐塚! 桐塚鈴之進!」
「油断した……わけではないのだがな……やはり拙者は、未熟者であるようだ……」
桐塚鈴之進はがくりと膝をつき、そのまま棒のように倒れ伏した。
噛まれたのは首の裏であるのに、すでに咽喉もとまで赤黒く腫れあがっている。それで呼吸を圧迫されて、桐塚鈴之進の声は老人のようにかぼそくなっていた。
「行け……行って、村人たちを救ってくれ……戦いの場で死ぬるのなら、それは本望……」
「大百足の主が滅されれば、その毒も消え失せよう。それまで、こらえるのだ」
葵は桐塚鈴之進の手を握りしめて、そのように呼びかけた。
ひゅうひゅうと咽喉を鳴らしながら、桐塚鈴之進は微笑むように目を細める。
「あい……わかった……どうか、むらびとたちを……」
「承知した」と最後に強くその手を握ってから、葵は放たれた矢のように駆け出した。
その切れ上がった眼には、赫怒の炎が吹き荒れている。
杖刀とその鞘を両手に掲げて疾駆する葵の姿は、復讐に燃える羅刹さながらであった。
行く手からは、早くも魂消るような悲鳴が聞こえてきている。
もっとも手近な家の戸板が、破られていた。
葵がその場に踏み込むと、今まさに大百足が身を寄せ合った老夫婦に躍りかかろうとしているさなかであった。
こちらに背を向けてのびあがっている大百足の頭を、杖刀の鞘で横合いからしたたかに打ちのめす。
大百足は聞き苦しいわめき声をあげながら、葵に向きなおってきた。
鉤爪のような牙が、くわっと横に開かれている。そこから覗く口内に、葵は杖刀の切っ先を突き入れた。
そのまま杖刀を振り払うと、大百足は壁まで飛んでいく。同じ勢いで躍りかかった葵は大百足の顔面を踏みにじり、甲の隙間に杖刀をねじ込んで、寸断した。
老夫婦にいたわりの言葉をかけるいとまもなく家を飛び出すと、隣の家の窓が破られている。
葵は戸板を蹴り飛ばし、家の内に踏み入った。
壮年の男が、倍ほども膨れあがった右足を抱え込んで、苦悶のうめきをあげている。座敷の隅では幼い兄妹が泣き叫びながら身を寄せ合い、その鼻先に大百足が迫っていた。
「こちらを向け、虫けらめ!」
大百足が、ゆらりと葵のほうを見た。
牙から、赤い血がしたたっている。床でのたうち回っている男の血であろう。
葵は鞘で大百足の頭を打ち、甲の隙間を杖刀で斬り裂いた。
「妖異の毒に効く薬はない。苦しかろうが、しばらくの辛抱だ。幼子を残して死ぬのではないぞ」
それだけ言い置いて、葵はまた家を飛び出した。
最後の一匹は――向かいの家だ。戸板は内側に倒されて、女の悲鳴が聞こえている。
葵は僧衣をなびかせながら、その家の内に駆け込んだ。
若い娘が、大百足に絡みつかれている。
親と思しき男と女が、泣きながらその背中を鉈や薪で殴打していた。
「そこをどけ! 私が、討滅する!」
葵は力ずくで、親たちを払いのけた。
大百足はわしゃわしゃと黄色い脚を蠢かしながら、娘の肩口に牙を食い込ませている。娘はかっと目を見開き、もはや死人のような顔色になってしまっていた。
憤激に双眸を燃やしながら、葵はひと筋の乱れもない動きで、大百足の目に杖刀の切っ先を突き通す。
たちまち大百足は娘から飛び離れて、家の外に逃げのびようとした。
その背中を蹴り飛ばし、もがく大百足の咽喉もとに杖刀を叩き込む。
青黒い体液が四散したが、角度が甘かったために、首は半分がた繋がっている。それで葵が顔面を蹴りつけると、空中で頭が引き千切れて、大百足の身は黒い塵と化した。
「噛まれたのは、肩のみだな? ならば、すぐさま死に至ることはあるまい。毒が消えるまで、なんとか耐えるのだ」
「あ、ありがとうございやす。なんとお礼を言えばいいのか……」
泣き伏す親たちを捨て置いて、葵はまた家を飛び出した。
目に映る限り、他の家に異常は見られない。どの家も戸板を閉めきって、死んだように静まりかえっていた。
それを入念にあらためてから、葵は道を駆け戻る。
桐塚鈴之進は、同じ場所で倒れ伏していた。
そちらに駆け寄った葵は――無念のうめきを呑み込んだ。
あれほど端整であった桐塚鈴之進の白面が、西瓜のように膨れ上がって、紫色に鬱血してしまっている。
微笑むように細められていた目は、眼窩から押し出されて半分がたこぼれ落ちてしまっていた。
肩や足ならば、数日ぐらいは生きられるに違いない。妖異はなぶり殺しにすることによって悪念を喰らうのだから、その毒もじわじわと苦しめるような性質のものであるはずなのだ。
しかし、首筋を噛まれた桐塚鈴之進は、あえなく絶命してしまっていた。
先刻の大百足は、葵たちを危険な敵と見なし、容赦なく生命を奪おうとしていたのだ。
死者のまぶたを閉ざすこともかなわない葵は、その鼓動を失った胸もとにそっと手を置いて、楓丸にも聞かせたことのない声を絞り出した。
「お前は未熟者だったが……立派な剣士であったぞ、桐塚鈴之進よ」




