四 慴伏の村
そうして葵と楓丸は、おかしな道連れとともに山道を進むことになった。
葵は努めて冷淡に振る舞っているが、おかしな恰好をした武芸者たちはそれを気にする様子もない。とりわけ亜門寺なる大男は、しきりに楽しげな笑い声を響かせていた。
「さきほどそちらの童めが、降魔師殿を葵と呼んでござったな。葵! 実に典雅な響きでござる。某も、葵殿と呼ばせていただきたく存ずるぞ!」
「…………」
「そういえば、童の名前をまだ聞いておらんかったな。おぬしは、なんという名でござるのだ?」
「おれは、楓丸だ。お前は亜門寺……すまんが、すべては覚えきれなかった」
「亜門寺金剛次郎左衛門にてござる! 楓丸よ、おぬしも先刻はたいそうな働きでござったな。やはり、葵殿のもとで修練を積まれたのでござろうか?」
「いや。おれは山の中で生きてきた。葵と出会ったのは、つい十二日前のこととなる」
「楓丸よ。余計なことを口走るでない」
葵が冷たく言い放つと、楓丸は「そうなのか?」と小首を傾げた。
「何が余計で何が余計でないのか、おれにはいまひとつわからないのだが……葵がそのように言うならば、口をつつしもう」
「ふむ。葵殿は、謹厳であられるのだな」
そのように言いたてながら、亜門寺は巨躯を屈めて葵の顔を覗き込んだ。
葵が網代笠の陰からそれを睨み返すと、熊のごとき巨漢は幼子のように笑み崩れる。
「うむ! ちらちらと垣間見えていたが、やはりたいそう美麗な面立ちでござるな! そのような美しさであれほどの力量とは、まったく驚くべきことでござろう! 某は、心より感服してござるぞ!」
葵が黙殺していると、このやりとりを聞いていた桐塚鈴之進が「亜門寺よ」と険のある声をあげた。
「その方こそ、口をつつしむがいい。葵殿に、ご無礼であろうが?」
「うむ? おぬしは何をそのように取りすましておるのだ? ……ははあん。おぬしこそ、葵殿の美しさに心を奪われおったか。まったく、油断ならぬやつだ」
「た、たわけたことを抜かすな! 拙者は、葵殿の剣技の美しさに心を奪われたのだ! 断じてよこしまな気持ちではない!」
「美しき女人に心を奪われるは、決してよこしまな気持ちではあるまいよ。まったくいい歳をして、いつまでも初心なやつだ。そういうところは、洟を垂らしていた時分から変わらぬな!」
すると、おとなしく口をつぐんでいた楓丸が亜門寺の巨躯を見上げた。
「亜門寺よ。お前たちは、幼少の頃よりのつきあいであるのか?」
「うむ。某どもは同じ村落にて生まれ育ち、いずれ武の道で身を立てようと誓い合った仲でござるのだ。村落を脅かす妖異など、某どもの手で退けてみせよう、とな。それでついには、退魔士を志すことになったわけでござるよ」
「ふむ。自分たちの故郷ばかりでなく、もっと多くの人々を救いたいと願ったわけか?」
「いや。守るべき故郷を失った。妖異どもに、滅ぼされてしまったのだ。生命からがら逃げだした某どもは、老練なる退魔士のもとで修行に励み、晴れて免許皆伝と相成った。あとはこの身が朽ちるまで、一匹でも多くの妖異を道連れにする所存よ!」
「なるほど」と首肯してから、楓丸は葵を振り返った。
「葵よ。こやつらは、それほど悪い人間ではないように思えるぞ」
「捨て置け。そやつらが善人であろうと悪人であろうと、我々には関わりなきことだ」
葵がそのように応じたとき、亜門寺が「おお!」と大きな声を張り上げた。
「ここだここだ! 葵殿、こちらが村落に通ずる獣道にてござるぞ」
左手の側の樹林に、道とも呼べないような踏み荒らされた跡がある。その跡は、昏い樹林の奥深くにまで続いていた。
「こちらの村落から逃げ出した権三なる村人が、山麓の人間に助けを求めていたのでござる。川から生まれ出た妖異めが村落を脅かし、このままでは滅びを待つばかり、と――それだけ言い残して、その権三は息絶えることと相成った。山を下りるさなか、妖異めに襲われてしまったのでござるな。何やら毒を使う妖異であったらしく、顔も手足も倍ほどに腫らしながら悶え死ぬこととなってしまい……それは惨たらしい死にざまでござったぞ」
暗い獣道を先頭きって歩きながら、亜門寺はそのように言いたてた。
頼んでもいないのに、桐塚鈴之進はしんがりを務めている。
「その権三が山を下りてから、いまだ二日も経ってはござらん。よほど質の悪い妖異でなければ、一夜やそこらで村人を皆殺しにすることもなかろう。妖異というものは猫が鼠を嬲るかの如く、人間を脅かすものでござろうからな」
「しかしこちらが下手を打てば、妖異は力を得るために近在の人間を殺し尽くす。未熟な人間が手を出すことで、いっそうの悲運をもたらす恐れもあるのだ」
数日前のやりきれない記憶を呼び起こしながら、葵は押し殺した声でそのように答えた。
亜門寺は「ほほう」と感心したような声をあげる。
「世間には、そのように悪辣な妖異もござるのか。まあ悪辣でない妖異などは存在しないのでござろうが……それはなかなかに、厄介なやり口でござろうな」
「しかし」と、しんがりの桐塚鈴之進が声をあげる。
「妖異めを放っておけば、近在の人間はじわじわと嬲り殺されるだけのことでござろう。ならば、覚悟を固めて立ち向かう他ない。我々は、そうして今日まで妖異と戦い続けてきたのだ」
「立派だな。……しかしお前たちは、どうしてそのように珍妙な姿をしているのだ?」
楓丸の問いかけに、亜門寺が豪快な笑い声を響かせた。
「これは、某どもの心意気よ! こうまで威張った身なりをしておいて、ぶざまな姿は見せられまい? それにまた、数ある退魔士の中で名をあげるには、とにかく目立つ必要がござるのだ!」
「目立つと、何かよいことでもあるのか?」
「我らの勇名が久留里の地に轟けば、それだけで民草の心を安らがせることもかなおうが? あとはまあ、この地に新たな藩主でも据えられれば、立身出世も望めるやもしれんしな」
「なるほど。葵よ、やっぱりこやつらは……ああ、善人でも悪人でもかまいはしないのだったな」
「わかっておるなら、口を閉ざしておけ。……村落にはまだ着かぬのか?」
「見えてきた。やはりこれは、なかなか剣呑な雰囲気でござるな」
ほどなくして、ようやく樹林が尽きた。
眼前に広がるのは、いかにもうらびれた村落の様相である。背後には岸壁がそそりたち、その足もとで身を寄せ合うように何戸かの粗末な家が建てられている。奥には畑が切り開かれていたが、そこで働く人間の姿はなかった。
「さしあたって、妖異の気配はないようだな」
葵は亜門寺の巨躯を追い越して、手近な家に歩を進めた。
草葺の古びた家で、窓には内から板が張られている。このように日の高いうちから、籠城のかまえであるようだ。
葵が玄関の戸板の向こう側に呼びかけようとすると、桐塚鈴之進が音もなくそのかたわらに進み出た。
「葵殿。仔細を知るのは我々であるので、ここはお任せいただきたい」
葵が横目でそちらを見やると、桐塚鈴之進はたちまちその白面に血の気をのぼらせた。
「あ、いや。助勢を求む声に従って参じたと告げれば、村のものたちも安心するのではないかと判じたのだが……余計な差し出口であっただろうか?」
「……かまわんから、好きにしてみるがよい」
「しょ、承知いたした。……誰かあるか? 我々は、退魔士である! こちらの村の権三なる男の言葉を聞き及び、助勢に参った!」
しばらくは、声を返すものもなかった。
それから、ごとごとと閂の外す音色が響き、戸板が開かれる。
「権三……権三は、無事に麓まで辿り着けたので……?」
そこから姿を現したのは、見るも無残にやつれ果てた老人であった。
その身はげっそりと痩せ細り、目もとは泣き明かしたかのように赤くただれている。肉の削げた細長い顔には、不安と恐怖の色がべったりとへばりついていた。
「権三なる男は、妖異の手にかかり生命を散らすことと相成った。……もしやあの権三は、その方の身内であったのか?」
桐塚鈴之進がそのように答えると、老人は「ああ……」とくずおれてしまった。
老人のほつれた髷ごしに、薄暗い座敷の様子が見て取れる。そこではむしろに寝かされた幼子が、うんうんと苦しげな声をあげていた。
「権三は……あっしの息子でございやした……孫の定吉が妖異の毒にやられちまったもんだから、どうしても助けを呼ぶんだと村を飛び出して……」
「権三は、まったく気の毒なことであった。しかしそうして我が身を犠牲にしてまで、おのれの村を救いたいと願ったのだ。我々は、その心意気に報いたいと考えている」
桐塚鈴之進は地面に膝をつき、老人の震える肩にそっと手を置いた。
「そちらの心情は察して余りあるが、ここは妖異めを退治して供養とする他あるまい。妖異について、とくと聞かせてはもらえぬだろうか?」
「妖異は……村の真ん中に流れる川をねぐらにしております……そいつに噛まれた人間は、手足が倍にもふくれあがっちまって……このままじゃあ、うちの定吉も……」
「妖異を滅すれば、毒も消えよう。そやつは、どのようななりをしておるのだ?」
「百足……巨大な百足の如き姿をした、おぞましき妖異にございます……あいつが川辺をねぐらにしているもんで、儂らは水を汲むこともできず……」
「百足」と、亜門寺がおかしな調子で繰り返した。
それに気づいた楓丸が、訝しそうに亜門寺の巨躯を振り仰ぐ。
「なんだ? 百足がどうかしたのか?」
「あいや、この村落を襲ったのは水妖と聞き及んでおったので……ううむ、よりにもよって百足とは……」
「百足だと、何か都合の悪いことでもあるのか?」
「……某は、長虫の類いがいささか不得手であるのだ」
亜門寺が体裁悪そうに応じると、楓丸は「ははは」と笑い声をあげた。
葵と桐塚鈴之進はそれぞれ眉をひそめながら、それぞれの相方を睨みつける。
「置け、亜門寺よ。妖異を相手に不得手もへったくれもなかろう」
「お前も口をつぐんでおれ、楓丸。このような場で笑うものがあるか」
楓丸と亜門寺は同時に「すまん」と言い放ち、ふたりそろって口をつぐんだ。
その姿を見届けてから、桐塚鈴之進は老人に向きなおる。
「では、妖異は川辺に潜んでおるのだな。毒のほかに、何か用心すべき点はあろうか?」
「妖異は……一匹ではないようで……こちらに妖異があらわれたとき、川向こうでも悲鳴が聞こえましたので……」
「川向こう? 川向こうにも、村落があるのか?」
「はい……普段は橋で行き来しておるのですが……妖異があらわれてからは、それもかないませぬ……このままでは、儂らも川向こうの連中も……」
老人の声は、そのまま悲嘆のうめき声に変じてしまった。
その間も、座敷の幼子は苦悶の声をあげている。桐塚鈴之進は秀麗なる面を厳しく引き締めながら、「相分かった」と老人を立ち上がらせた。
「その妖異めは、我々が必ずや退治してみせよう。おぬしたちは家にこもって、息を殺しておくがいい。我々が戻るまで、決して家を出るのではないぞ」
むせび泣く老人を土間に追いやり、戸板をぴっちりと閉めてから、桐塚鈴之進は葵に向きなおった。
その白面には武芸者としての気迫がみなぎり、涼やかな目もとに瞋恚の火が灯されている。
「妖異は分かれ身を使う上に、川向こうにも村落があるという。これは、いささかならず厄介でござろうな」
「うむ。すみやかに主めを討滅せねば、川向こうの村落にまで危険が及ぼう。左右に分かたれた村落を、同時に守らねばならぬということだ」
桐塚鈴之進を見つめ返す葵の双眸にも、憤激の炎が燃えあがっていた。
そんな両名を見下ろしながら、亜門寺は「ふむ」と下顎の髭をしごく。
「葵殿と鈴之進は、どこか似た部分があるようでござるな。存外、お似合いであるやもしれんぞ」
「た、たわけたことを抜かすな! その方も、長虫が苦手だなどと言うてはおられんぞ!」
「承知しておる。百足であろうが何であろうが、塵に返してしまえば同じことよ」
亜門寺は、がらごろと岩の転がるような笑い声を響かせた。
その姿を横目でねめつけてから、葵は楓丸を招き寄せると、僧衣の袖口から降魔刀の柄を抜き出した。
「楓丸よ。こちらは、お前に預けておく」
「ほう。相手の姿を見る前から受け渡してくれるのは、初めてだな」
「事と次第によれば、二手に分かれる必要が生じるやもしれん。ならば、今のうちから渡しておく他なかろう。……お前は私よりも遥かに強い力で、降魔刀を振るうことがかなうのだからな」
葵の決然とした面を見上げながら、楓丸はにこりと微笑んだ。
「相分かった。大切な父親の形見をおれに託してくれること、心からありがたく思っている」
「置け。我々は、何よりも妖異を滅することを一番に考えなければならんのだ」
楓丸は大きくうなずき、降魔刀の柄を受け取った。
すると、亜門寺と桐塚鈴之進がその手もとを覗き込む。
「なんだ、それは? 刀身もついていない、ただの柄ではないか」
「何か特別な武具でござろうか? 降魔師というのは、あれこれ不思議な術を使うと聞き及んだ覚えがござるぞ」
「お前たちには、関係なかろう。ゆくぞ、楓丸」
「あ、しばし待ってもらいたい。この場に荷物を置いていってもいいだろうか? これらの旅装束は邪魔になるし、それに、大事に使いたいのだ」
葵は一瞬押し黙ってから、自らも網代笠を取り去った。
「よかろう。まさかこのような場に、盗人などは現れなかろうからな」
「うむ。そうであることを信じたい。これらを盗まれてしまったら、おれはとても悲しいぞ」
そうして楓丸が菅笠を外すと、亜門寺らが「ほう」と目を丸くした。
「おぬしはずいぶんと珍しい髪をしておるのだな。南蛮の血でも入っているのでござろうか?」
「いや、そういうわけではないのだが」
そこで楓丸は、はたと思い当たったように葵を振り返った。
「そうか。こやつらは、おれの素性を知らんのだな。先刻はともに暴れていたのに、何も気づかなかったのだろうか?」
「……あのような騒ぎのさなかでは、そうまで頭も回るまい。このたびは、そういうわけにもいかぬであろうがな」
そう言って、葵は鋭く武芸者たちの姿を見回した。
「聞け。この楓丸は、降魔師の秘法によって人外の力をふるうことがかなう。それは妖異さながらの姿に見えるやもしれんが、ゆめゆめ刀など向けるのではないぞ」
「なに? 降魔師の秘法?」
「それは大した話でござるな! そのように幼き身でありながら、おぬしはそれほどの術を体得してござったのか!」
両名は何を疑う様子もなく、感心しきった面持ちになっていた。
その姿をじっと検分してから、葵は背に負っていた行李を家の壁にたてかける。
「妖異が現れたならば、私の手にした錫杖が鳴ってそれを告げる。その錫杖がこうして静まっているのだから、楓丸は妖異ではありえん。こやつがどれほど妖異じみた姿を見せたとて、決して取り乱すでないぞ」
「承知つかまつった! それがいったいどのような姿であるのか、いささか楽しみなところでござるな!」
「……では、ゆくぞ」
僧衣の裾をひるがえして、葵は村落の奥部へと歩を進める。
楓丸は足を急がせてそれに追いつき、小声で呼びかけた。
「だから葵は、あやつらがひっついてくることを嫌がっていたのだな。虚言を吐いてまで庇ってくれたこと、とてもありがたく思っている」
「置け。そのようなこととは関わりなく、私は武芸者も未熟者も好いてはおらん。たとえお前がいなくとも、あやつらに同行を許したりはしなかった」
「うむ。それも虚言ではないようだが、おれの身を思いやってくれていたことに変わりはない。やっぱり葵は頭が回るし、優しい性根をしているな」
葵はもはや、答えようともしなかった。
しかし楓丸はこれから妖異と対決する身とは思えぬほど無邪気な笑顔で、そんな葵の姿を見上げていた。