三 闇を駆ける刃
「さあ、かかってくるがいい! 次はおれが相手となるぞ!」
夜の街道に飛び出した楓丸が、獣のように吠えたてた。
その手の降魔刀からは、漆黒の炎が渦を巻きながらたちのぼっているかのような、異形の刀身が生えのびている。真っ当な降魔師には決してありえない、禍々しい妖力に満ちた調伏の刃である。
しかしその刀身は術者の生命力が顕現したものであるので、目方というものが存在しない。楓丸は軽々と、片手でその長大なる刀を支えていた。
「どうした、臆したか? ふたりもの人間を殺めておいて、存外に意気地のない妖異であるようだな!」
半妖の正体をあらわにした楓丸は、野獣のように気性が荒い。その小さな体躯の内側には、妖異に対する憎悪が吹き荒れているようであるのだ。
その身は真紅の灼炎じみた妖気に包まれ、双眸も同じ色合いに燃えさかっている。何も知らないものが見れば、楓丸こそが妖異そのものと判じてしまうはずであった。
と――楓丸が、ふいに降魔刀を旋回させる。
それと同時に硬い音色が響きわたり、闇に青白い火花が散った。楓丸が降魔刀の斬撃でもって、青白い閃光を弾き返したのだ。
「いいぞ! 次こそ、叩き斬ってくれよう!」
楓丸は、再び降魔刀を振りかざした。
するとまた、青白い火花が四散する。
葵は玄関口の戸板にぴったりと背をつけて、顔を半分だけ表にさらし、その人外の戦いを見守っていた。
妖異めは、正体の知れぬ手管で人間を斬り刻む。その正体を見抜かぬ限り、葵など足手まといにしかならなかった。
だから葵は、闇の中に目を凝らしている。父親の伏士として行動をともにしていたときも、葵はこうして息を潜めて、助勢の好機をうかがうことが多かったのだ。
(土台、月蓮の八葉に討伐の命令がくだされるような妖異など、伏士に太刀打ちできるような相手ではなかったからな)
それでも伏士は生命を懸けて、主人を守るのが務めである。自分の生命をどこでどのように使うべきか、それを正しく見極めなければならないのだ。
そんな思いを胸に溜めて、葵はこの場に居残っている。
屋敷の中で虫けらのような妖異を追い回すのではなく、この場で楓丸の助勢をすることこそが肝要であるのだと、自分でそのように判じたのだ。これが間違った判断であったのなら、またもや罪なき人々を見殺しにして、葵の贖うべき罪が重さを増すだけの話であった。
(目を凝らせ。敵の正体を見極めるのだ)
闇に目が慣れていくように、葵の眼はじわじわと敵の妖気をとらえ始めている。
闇に瞬く青白き閃光は、やがて流星のように尾を引く妖気の塊として見て取ることができた。
妖異は矢のように攻撃を飛ばしているのではなく、自らが備えた両腕の爪で、相手を斬り刻もうとしているのだ。
楓丸にその攻撃を弾かれると、地面や家の壁に着地して、またすぐさま躍りかかってくる。降魔刀に触れても砕けない爪を有しているというのは、恐るべき話であった。
(だが、決して楓丸を上回るほどの妖力ではない。この疾風の如き素早さと、降魔刀に触れても砕けない爪というものに、すべての妖力を注ぎ込んでいるのであろう。ならば、私が助勢をする間隙もあるはずだ)
葵がそのように考えたとき、また楓丸の降魔刀が敵の攻撃を退けた。
そして――時を同じくして、楓丸の背中から鮮血が舞い散った。
「なに……どうして、おれの背中が……?」
楓丸が、がくりと膝をつく。
葵は戸板から背を離し、血臭の満ちた外界に一歩だけ足を踏み出した。
「楓丸! 妖異は、二体ひそんでおるのだ! これまでは、闇の中で好機をうかがっていたのであろう!」
「おう、そういうことか……こいつは、おれが迂闊だったな」
楓丸は野獣のように笑い、膝をついたまま降魔刀を旋回させた。
その一閃で、青白い火花が二回散る。
「うむ。これは確かに、二体いるな。こいつはいったい、どうしたものか……」
「その場に留まらず、お前も動き回るのだ! さすれば妖異めも、狙いを絞れなくなろう! 前後や左右から同時に襲われれば、またその身を斬り刻まれることとなるぞ!」
「相分かった。やはり葵は、熟練の降魔師だな」
何が熟練なものかと内心で舌を打ちながら、葵はようやく杖刀の鞘を打ち捨てた。
葵がこれだけ騒いでも、妖異は楓丸ばかりを執拗に攻めている。楓丸こそ難敵と見なし、まずは総力をあげて始末しようという考えであるのだろう。
これも葵には、馴染みの深い状況であった。
父親とともに使命を果たすとき、おおよその妖異は凄まじき力を持つ月蓮の八葉に気を取られて、非力なる葵を捨て置いてしまうのだ。
それを屈辱と思うような気持ちは、この一年ほどで枯れ果てていた。
生半可な自尊心など、犬にでも食わせてしまえばいい。葵はただ、非力なる自分が寸毫でも役に立てるように、力を振り絞るだけの話であった。
葵の助言を聞き入れた楓丸は、獣のようにあちこち跳びすさりながら、降魔刀を振り回している。それで挟撃の恐れはなくなったが、同時に二体からの攻撃を受けている状況に変わりはない。自らも動きながらそれを迎え撃つというのは、楓丸にしても至難の業であるはずだった。
かわしきれなかった攻撃が、楓丸の腕や足から血を飛沫かせている。
楓丸は獣のように敏捷であったが、なんの体術も修めてはいないのだ。楓丸の身の力に、葵の体術をあわせることがかなえば、どのような相手にも後れを取ることはないものを――と、葵は頭の片隅で、そんな埒もない想念を思い浮かべた。
葵は気配を殺しつつ、ただその場で死闘のさまを見据えている。
なんの策もなく飛び出しても、妖異の餌食になるだけであろう。下手をすれば、楓丸が葵の身を庇おうとして深手を負ってしまうかもしれない。それこそが、葵にとっては何よりの屈辱であった。
(勝機を、見定めるのだ……)
葵の心は、凪の海のように静まりかえっていた。
ただ、来たるべきその瞬間に備えて、ひたすら目を凝らしている。
もはや二体の妖異の動きは、手に取るように見えていた。
降魔刀に弾かれて、地面に着地するや、再び矢のように闇を駆けて、楓丸へと襲いかかる。時にはその爪が楓丸の身を引き裂き、赤い血の花を闇に咲かせた。
「おのれッ!」と、楓丸が風車のように降魔刀を旋回させる。
一体はその斬撃に弾かれて、闇の向こうに消え去った。
そして、もう一体は――背中の側から楓丸に襲いかかり、その脇腹をわずかに傷つけてから、葵のほうに飛来してきた。
高さは葵の腰ぐらいで、五尺ばかり左にずれている。
すべての意識をその瞬間に集中していた葵は、空気も乱さぬ所作で左の側に向きなおり、一歩だけ足を踏み込んで、杖刀を大きく振りかぶった。
妖異は葵の鼻先を通りすぎて、家の壁に着地する。
人外ならぬ葵には、それよりも速く刀を振り下ろすことなどできるはずもなかった。
よって、葵が狙いすましていたのは、次の瞬間であった。
すでに振り下ろされている葵の杖刀の下に、壁を蹴った妖異が飛び込んでくる。
この妖異は地面や壁に足をつくと同時に、その反動を利用して、絶え間なく楓丸に跳びかかっていたのである。葵はその動きを読んで、妖異が次に通るべき道筋に杖刀を振り下ろしてみせたのだった。
金物を擦り合わせるような絶叫とともに、胴体を寸断された妖異が地面に落ちる。
それは、細長い体躯で両手の先に鋭い鉤爪を生やした、一尺ていどのちっぽけな妖異――鎌鼬であった。
それを判ずるより早く、葵は再び杖刀を振り下ろす。
頭を叩き割られた鎌鼬は、それでようやく黒い塵と化した。
「一体は仕留めたぞ! 油断はせぬまま、迎え撃つがいい!」
「おう! さすがは、葵だな!」
威勢のいい声をほとばしらせるや、楓丸は天高く跳躍した。
残り一体となった鎌鼬も、地面を蹴ってそれに追いすがる。
空中で、楓丸はおもいきり降魔刀を振り下ろした。
硬質の音色が響きわたり、鎌鼬は同じ勢いで地面に墜落する。
それでも鎌鼬は地面を蹴って、別の方向へと逃げるべく跳躍したが、長大なる刀身を持つ降魔刀の間合いの外まで逃れることはできなかった。楓丸が落下の途中で降魔刀を横合いに振り回すと、あっけなく首を刎ね飛ばされて、黒い塵と化すことになった。
地面に着地した楓丸は、ぜいぜいと荒い息をつく。
手足や胴体を斬り刻まれて、総身が朱に染まってしまっていた。
しかし葵はそちらに駆け寄ろうともせず、じっと杖刀を構えている。楓丸はあちこち破けた頭巾を煩わしそうに引き剥がし、顔の鮮血をぬぐってから地面に放り捨てた。
「おい、葵よ……」
「うむ。この地からは、いまだ妖気が消え去っておらん」
楓丸の身は妖気に包まれており、葵の錫杖はしゃくしゃくと鳴っている。三日前に不覚を取った記憶も新しい両名は、同じ轍を踏むことなく、さらなる襲撃に備えていた。




