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嵬空百鬼帖【第一部完結】  作者: EDA
九尾の巻
11/84

一 白銀の妖異

挿絵(By みてみん)




「おお! 今度こそ、人里の明かりだぞ!」


 楓丸がそのような声をあげたのは、数々の妖異に脅かされていた村落の始末をつけて、三日が過ぎてからのことであった。

 場所は、山あいの獣道である。葵と楓丸は牛鬼の山を北の側に仰ぎながら、その山麓の樹林を西に向かって進んでいた。


 すでにとっぷりと夜は更けて、月明かりだけが目の頼りとなっている。

 そろそろ夜露をしのげるような寝場所を確保するべきかと、楓丸が視線を巡らせたところで、樹林の隙間に人里の明かりが垣間見えたのだった。


「この夜も山野で夜を明かすものと、半ば以上はあきらめていたところだ。これは喜びもひとしおだな、葵よ?」


「べつだん喜ぶほどのことではあるまい。山野にも人里にもそれぞれ苦難は存在するのだから、どちらが上ということもなかろう」


「葵はたまに、抹香臭いことを言うな。それも降魔師のたしなみというやつなのか?」


「……嵬空山は仏門の一派だが、降魔師というのは行者にすぎん。そんな我々が仏僧めいた言葉を口走っても、なんの功徳もありはしまいな」


 明かりの見えた方角に歩を進めながら、両名はいつもの調子で言葉を交わした。


 妖異を退治してから三日間、両名はいくつかの村落を踏み越えてきている。しかし、この山の南側に存在する村落は、いずれも妖異に蹂躙されたあとであった。葵たちがあの日に訪れた村落こそが、最後に残された人間の居場所であったのだ。


 とある村落には、腐り果てた亡骸が累々と転がされていた。

 また別の村落には、いつ朽ちたとも判別できぬような白いされこうべだけが残されていた。

 さらには、生きた人間も亡骸も存在せず、ただ蔦かずらを這わせた家だけが虚しく立ち並ぶ村落というものもあった。

 そういう村落の民たちは、おそらく妖異のもたらす絶望に耐えかねて、どこへともなく離散することとなったのだろう。二年の歳月を降魔師として過ごしてきた葵には、それもまた見慣れた光景であった。


(やはり楓丸の耳にしていた風聞の通り、いずれかの村は飢饉で滅んでいたのであろうな)


 そこから生じた無念と怨念によって、牛鬼や醉象や毒龍や――それに、名も知れぬ鼠の妖異などが顕現した。そうして三年ほどの歳月をかけて、近在の村落をじわじわと蝕んでいったのだ。あるいは妖異の何体かは、その過程で新たに生まれたのやもしれなかった。


 ともあれ、この近在の村落はのきなみ滅ぼされていた。

 また、どこかから救いの手がのばされた気配もない。大名などは自らの御膝元を守るだけで手一杯であるし、降魔師の手数も限られているのだ。主要な都市や街道から外れた村落などは、妖異にとって餌場にひとしい扱いであったのだった。


(そうであるからこそ、私もこういった地を修行の場に選んだわけだが……)


 葵ははっきりと、嵬空山の欺瞞を見せつけられたような心地であった。

 嵬空山は、将軍家や大名などの懇請がない限り、妖異の討滅に赴くことはない。そうしてお上の命令に従うことで褒美を頂戴して、嵬空山を存続させているのだ。


 無論、嵬空山の人間とて霞を食って生きているわけではないのだから、綺麗ごとだけでやっていけるはずはないのだが――さりとて、無辜の民を見殺しにすることが正しいなどとは、決して言えないはずであった。


「城下町に妖異が現れたというのなら、武家の人間が相手取ればよい! 辺遇の地には、自らを守る力も持たない人間がいくらでもあるのだぞ!」


 葵の父親は、かつて何度となくそのように訴えかけていた。

 しかし、嵬空山のありようは変わらなかったのだ。

 だから葵は嵬空山に戻らずに、辺遇の地をさまよっている。妖異を討滅することで腕を磨き、いずれ父の仇を討つために――と、果てしない旅路に身を置いているのである。


(それで仕舞いには、半妖の子が旅の道連れか。私はいったい、どれだけ偏狭な道を進めば気が済むのであろうな)


 葵がそのように考えたとき、楓丸がまた弾んだ声を夜気に響かせた。


「あそこには、ずいぶんとたくさんの家が並んでいるようだぞ。おれがこれまで目にしてきた村落などとは、比べ物にならぬようだ! あれがいわゆる、宿場というやつなのだろうか?」


 人里の明かりは、いよいよ眼下に迫っている。樹林の隙間から覗くのは、確かに宿場と見まごうばかりの整然とした町並みの影であった。


「あれはおそらく、間宿あいのしゅくだな。街道を進む旅人たちが身を休めるための、憩いの地となる」


「ふむ。宿場とは異なるのか?」


「宿場から次の宿場を目指す道中で、身を休めるための場所だ。よって、旅籠や木賃宿などは存在しない」


 葵の言葉に、楓丸は「なに?」と目を剥いた。


「では、おれたちはどこで一夜を明かすのだ?」


「堂でもあれば借り受けるし、なければ山野で過ごす他あるまい。もとより私はこれまでも、そうして夜を明かしてきた。……お前は何をそのように、不平がましい顔をしておるのだ?」


「だっておれは家を捨ててもう八日ばかりも過ごしているのに、いまだ生きた人間と出くわしていないのだぞ? これではちっとも、山を出たような心地がしないのだ」


 足もとの悪い獣道を進みながら、楓丸はそのように言いたてた。

 網代笠の陰からそちらを盗み見た葵は、「ふん」と鼻を鳴らす。


「ならばこのまま、山に戻るか? 今ならまだ、人心を騒がせずに済ませられようからな」


 楓丸は、きょとんとした顔で葵を見上げた。


「いや、しかし、妖異の子であるおれを捨て置くことはできんのだろう? 葵はそのように言いたてて、おれを山から連れ出してくれたのではないか」


「冗談に決まっておろう。お前がうじうじとうるさいから、揶揄からかってやっただけのことだ」


「なんだ」と、楓丸は破顔する。


「しかし葵も、ようやく冗談口を叩いてくれるようになったのだな。葵と気安い仲になれたようで、おれはとても嬉しく思うぞ」


「……たわけたことを抜かすな。半妖などと気安い仲になる降魔師などあってたまるか」


「うむうむ。そうして都合が悪くなると不貞腐れてしまうのも、最近では愛らしく思えてきたところだ」


「ええい、お前はしばらく黙っておれ! 人里で騒ぎなど起こすのではないぞ!」


「騒いでいるのは、葵のほうではないか」


 そんな益体もない言葉を交わしている間に、ようやく樹林の獣道が尽きた。

 間宿ではなく、そこに通ずる街道に出た恰好である。馬でも駆けさせられるように、その街道は太く平らに切り開かれていた。


「おお! 街道からして、もう立派だな。これは、夜が明けるのが楽しみだ。あの間宿なる地では、おれの着るものをあつらえてくれるのだろう?」


「……間宿の住人が、妖異に皆殺しにされていなければな」


 素っ気なく言い捨てて、葵は街道を南に下った。

 街道は、左右を山岳にはさまれている。東の側が楓丸の生まれ育った山であり、西の側が久留里の地との国境となる山だ。葵の記憶に間違いがなければ、ここは上総国大多喜藩の西の外れであるはずであった。


 この街道もそれほどは寂れていないようだが、しょせんは辺遇の脇街道である。降魔師が常に配備されているのは国府を繋ぐ主街道のみであり、そうであるからこそ葵もこうして大手を振って歩いていられるのだった。


 きっとこの脇街道も、妖異が跳梁するようになるまでは、旅人や行商人などで賑わっていたのだろう。街道のつくりが立派であればあるほどに、侘しさがつのるところであった。


(この街道が東に折れて、大多喜城に向かうようであれば……いずれ嵬空山の人間に出くわしてしまうやもしれん。明日にはまた、山中に分け入ることになるやもしれんな)


 しばらく進むと、街道の左右に草葺の家が並び始める。

 しょせんは間宿であるので、木戸も番人も存在しない。ただどの家も堅く戸を閉ざして、さまざまな脅威を孕んだ夜が明けるのをじっと耐え忍んでいるかのようだった。


「まずはこのまま街道を下って、南の側の出口を目指す。あとは裏町の様子を見届けておけば、ひとまずは十分であろう」


「うむうむ。これだけ月が明るければ、夜歩きにも不自由はないな」


 楓丸は妖異に変じずとも、野の獣めいた力を有している。とりわけ目鼻や耳の感覚が鋭く、山野においてはやすやすと狸や鼬を捕獲していたのだった。


 青白い月明かりの下、両名はひたひたと街道を南に下っていく。葵も楓丸も妖異が現れればすぐさま察知することがかなうので、不意打ちを警戒する必要もない。それでも葵は用心深く歩を進めていたが、錫杖の遊環はその動きに合わせて小さく鳴り響くばかりであった。


 一町も歩けば、間宿の果てが見えてくる。街道の西側に広がる町裏に向かうには、いったん間宿を出て回り込むべきか――などと、葵がそのように考えたとき、ふっと風向きが変わったようだった。


「おい、葵よ――」


「うむ。これは、血臭だな」


 三日前にも嗅がされた忌まわしき臭いが、行く手から強く漂ってきている。

 しかしその他に異変の兆しは感じられず、錫杖も黙りこくっている。少なくとも、それほど近場に妖異は存在しないはずだった。


「妖異はすでに立ち去った後なのか、あるいは妖異ならぬ何かが人を襲ったのか……ともあれ、確かめる他あるまい」


 葵と楓丸は、同時に駆け出した。

 が、二十歩と進まぬうちに、異変の正体があらわとなる。

 ちょうど左右の家並みが尽きる間宿の出口あたりに、黒々としたしみが広げられていたのである。


 黒いしみの真ん中に、無残な骸が転がされている。

 いや、転がされていたというよりは、ぶちまけられていたというほうが相応であろうか。それは手足も頭も胴体も生き別れとなって、血の海に沈められていたのだった。


 寸断された部位もなます切りにされて、脳漿や臓物があちらこちらに飛び散っている。街道はそれらの肉片と鮮血で覆い尽くされて、それ以上は進むことも難しいほどであった。


「ひどい有り様だな。やはり、妖異の仕業だろうか?」


 その惨状に心を乱した様子もなく、楓丸が低い声で呼びかける。

 葵は内心の憤激を押し殺しつつ、「うむ」と応じた。


「よほどの手練れでない限り、人の身をこうまで鮮やかに寸断できるわけがない。いずれ、妖異の仕業であろう」


「さてさて、それはどうかねェ。存外、手練れの辻斬りの仕業かもしれないよォ?」


 葵と楓丸は、同時に頭上を振り仰ぐことになった。

 左手の側の、家屋の屋根の上――青白い月輪を背景に、化生のものが潜んでいる。葵はすぐさま、錫杖の仕込み刀を抜き放ってみせた。


「おやおや、やっぱり降魔師かァい。そんなこったろうとは思ってたけど、まったく剣呑な話さァね。こんな片田舎まで、ご苦労さァん」


「……おい、葵よ。あやつはぺらぺらと言葉を発しているぞ。妖異でも、あれほど巧みに人の言葉をあやつれるものであるのか?」


 楓丸がうろんげに問い、葵は緊迫した声音でそれに答えた。


「ありえぬ話ではない。私もひとたびだけ、そのような妖異を目にしたことがある。人を千人も喰らえば、言葉など勝手に会得できよう――などと、その妖異めは嘯いていた」


「ははァん」と、妖異が艶めかしく鼻を鳴らした。


「アンタ、女だったのかァい? 女が坊主の恰好でお稚児と遊行たァ、けっこうな身分だねェ。まったく、あやかりたいもんさァ」


「置け、妖異……貴様の怨念を、その穢れた身ごと斬り伏せてくれよう」


「おやおや、大きく出たもんだねェ。その細腕で、アタシをどうこうできるとでも思ってんのかァい?」


 妖異はけらけらと嘲笑った。

 一見は、人と見まごう容姿である。

 しかしその身は、まぎれもなく青白い妖気に包まれていた。


 腰のあたりにまで渦を巻く髪は白銀で、肌は抜けるように白い。狐のように目尻の上がった目には金色の瞳が妖しく燃え、嘲笑を浮かべた唇は血のように紅かった。

 凄惨なまでに美しい、女の姿である。

 そのなよやかな肢体には緋色の襦袢と純白の羽織を纏い、胸もとや足もとはみだりがましくはだけてしまっている。男の色欲をかき集めて練りあげたような、それは淫猥なる妖異であった。


「そっちのアンタ……アンタは何だか、たまらなくいい匂いがするねェ」


 と、白銀の妖異が楓丸のほうに流し目をくれた。


「決めたァ。今日の夕餉は、アンタの生命だ。その心臓をえぐり出して、思うさまねぶり倒してあげるよォ」


「それは、御免こうむるな」


 楓丸はいくぶん眉を曇らせながら、腰の木剣を引き抜いた。

 白銀の妖異は紅い唇を半月の形に吊り上げつつ、白い指先をぱちんと鳴らす。それと同時に、青白い鬼火が葵と楓丸を取り囲んだ。


 すわ、白銀の妖異めの分かれ身か、と葵は視線を巡らせたが――それは妖異の眼光ならぬ、まごうことなき鬼火であった。氷のように冷たい色合いをした、この世ならぬ炎である。


「そォら、楽しく踊りなァ」


 鬼火が、二人に襲いかかった。

 葵は身を屈めて跳びすさり、楓丸は木剣で鬼火を砕き割る。鬼火はあっけなく四散したが、しかしすぐさま寄り集まって、愚かな人間を嘲笑うかのようにゆらめいた。


「葵よ、こやつは木剣で退けることはできないようだぞ。おれは、どうするべきであろうか?」


「……やむをえん。これを使うがいい」


 迫り来る鬼火を頭上にやり過ごしてから、葵は楓丸のもとに身を寄せた。

 そして、袖口から抜き出した降魔刀の柄を、楓丸の手もとに押しつける。


 葵とて、嵬空山にて修練した身である。その五体には尋常ならざる膂力が宿り、自分の背丈ほどの高さであれば跳躍することも可能であったが――白銀の妖異めは、それよりも高い屋根の上に居座っている。これでは楓丸の人外の力に頼る他なしと、即座にほぞを固めたのだった。

 が、それを迎える楓丸は、まだ眉を曇らせていた。


「うむ。そのようにおれを頼ってくれるのは、とても嬉しく思うのだが……」


「何をうだうだと抜かしている! 疾く疾く、あやつを討て!」


 楓丸に降魔刀の柄を託した葵は、地面を転がって鬼火から逃げまどった。

 楓丸は右手の木剣で鬼火どもを打ち砕き、逆の手に持たされた降魔刀の柄を見下ろす。


「そうしたいのは、山々だが……おれには、こいつの扱い方がわからん」


「たわけたことを抜かすな! お前はすでに、二度までも調伏の刃を顕現させておろうが!」


「あれは、自然に生まれ出たのだ。妖異を滅したいと願うおれの怒りが、そのまま刀身となったかのような心地だったな」


 蘇った鬼火どもが、楓丸のもとに殺到する。

 それを木剣で一掃してから、楓丸は葵を振り返った。


「しかし、今のおれは見ての通りだ。これはいったい、どういうことなのだろうな?」


 葵はようやく、己の迂闊さを思い知らされることになった。楓丸は野兎のように黒い瞳をしたままで、その身も妖気には包まれておらず――そして、葵の手にした錫杖もまた、警鐘を鳴らしてはいなかったのだった。


「馬鹿な……どうして貴様は、妖気を放たずに妖力をふるうことがかなうのだ!?」


 葵は鬼火から逃げまどいつつ、頭上の妖異を睨みあげた。

 草葺の屋根にしどけなく横座りとなった白銀の妖異は、紅い唇で妖艶に微笑んでいる。


「さァて、なんの話かねェ。いいからアンタは、さっさと火だるまになっちまいなァ」


 妖異はしかと、その場に存在している。たとえその姿が幻影であろうとも、幻影を生み出すには妖力が必要であるのだから、この錫杖の目をかわすことはかなわないはずであるのだ。


(なおかつ私の目には、あやつの纏った青白い妖気がはっきりと見て取れる。人間が何らかの手管で鬼火を操っているわけではなく、あやつはまぎれもなく妖異であるはずなのだ)


 そうであるにも拘わらず、葵の錫杖も楓丸の身も妖気を感じ取ることができていない。

 嵬空山においてさまざまな知識を学んだ葵にしても、このような事例を耳にはさんだことはなかった。


「どうする、葵よ? おれも人の身では、さすがに屋根の上まで跳び上がることはできそうにない。どうか知恵を授けてほしい」


 手当たり次第に鬼火を打ち砕きながら、楓丸はそのように言いたてた。

 いったい何としたものか、さすがの葵も考えあぐねたとき――北の果てから、喧噪の気配が近づいてきた。

 鬼火ならぬ赤い火が、こちらにぐんぐんと近づいてくる。そちらを見やった白銀の妖異は、「はァん」と小憎たらしげに鼻を鳴らした。


「なんだい、無粋な連中だねェ。ま、それほど腹が空いてるわけでもなし、アンタをいただくのは明日のお楽しみってことにしておこうかァ」


「待て! 逃げるな、妖異よ!」


「やなこったァ。悔しかったら、追いかけてごらァん」


 白銀の妖異は、屋根の向こうへと身をひるがえしてしまった。そちらに待ち受けているのは、山麓の樹林である。

 妖異が逃げ去るのと同時に、鬼火どもも消え失せている。楓丸はなんとも浮かない顔つきで、葵のもとに身を寄せた。


「葵よ、降魔刀を返しておくぞ。……あやつはいったい、如何なる妖異であったのだろうな?」


 葵がどれだけ頭を悩ませても、それに答える言葉は持てなかった。

 そうして両名が立ち尽くしている間に、提灯を掲げた人々が駆けつける。そのうちのひとりが、路上の無惨な屍に気づいてへたり込んだ。


「ひゃあ、なんだこりゃあ! お、お前たちが、こいつを斬り刻んだのか!?」


 たすきで袖をたくし上げた、五名ばかりの男どもである。男どもは恐怖に顔色をなくしながら、葵たちに刺股さすまたを突きつけてきた。


「たわけたことを抜かすな。これが人の所業に見えようか? これなるものを殺めたのは、妖異に他ならん」


「よ……妖異!」


 葵たちを取り囲んだまま、男たちはいっそう惑乱してしまう。

 このような騒ぎになってしまっては、是非もない。葵は遊環の揺れる錫杖の杖頭を、男たちに突き出してみせた。


「見やれ。これなるは、嵬空山の蓮華紋。この身は妖異を討滅する降魔師となる。この間宿の主人に目通りを願いたい」


 嵬空山の掟を破った葵が市井で身分を明かすのは、きわめて危険なこととなる。

 しかし葵は多少の危険を犯してでも、この地で討滅の使命を果たさなければならなかった。


(妖気を発さぬまま妖力をふるう妖異など、決して捨て置くことはできん。あやつはこの地で討滅しなければならんのだ)


 そのように念じる葵のかたわらで、楓丸はあらぬ方向に目を向けている。ついに生きた人間たちと顔をあわせることがかなったというのに、まったく知らぬ顔である。

 その黒い瞳は憂いの光をたたえつつ、ただひたすら白銀の妖異が逃げ去った方角を見やっているようだった。

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