四月十五日 前半
わたしと葉子は幼稚園からずっと一緒の,いわゆる腐れ縁ってやつだ.親友ってなんだか恥ずかしくて照れくさいから葉子には面と向かっては言わないけどわたしはそう思っている.
高校まで一緒になるとは思っていなかったから少し驚いた.
四月十五日―前半―
寒さで目を覚ます。時計はまだ四時半、暦の上では春なのに冬の気圧配置は一向に崩れる動きを見せない。
特に、この三日の間はこうやって寒くて目を覚ますほどだ。わたしの寝相が悪いせいで掛け布団がどこへに行ってしまうのも寒さをより強く感じさせるのだが。
外はまだ暗い。部屋着にコートを羽織って玄関を空ける。
少し廃れた温泉街の一角にあるわたしの家はまだ誰も起きておらず電気が消えている。戸締まりを確認して少し目を冷ますために散歩に出かけた。
一 葉子
温泉街の朝の空気はひんやりとしていて、側を流れる川の音だけが轟いている。
日が昇り始めると、同時に止まっていた時間が動き出すように雀たちが一斉に鳴き始め、山の稜線が照らされてオレンジに色づく。
こんなことなら昨日もおとといも外にでたらよかった。
ゆっくり景色を見渡しながら歩いていると、橋の向こう側の道を赤い自転車がゆっくりと走っている。橋の袂でよろよろと曲がってこちらに向かってきた。
見間違いではない。確かに葉子、臼田葉子の顔だった。まだ五時すぎだというのに制服を着て愛用の赤い自転車をこいでいた。
こちらに気づいたのか、おーいと手を振りながらふらふらと近づいてくる。
自転車に乗るのもままならないほどの運動音痴なくせに片手放しは危ないぞ。
ヨッス、おはようなんてあいさつするのもちょっと照れくさいような独特の雰囲気があった。
「どうしたの、こんな朝はやくに」
葉子は不思議そうな顔をした。
「早く起きたから散歩。」
ふうん、と葉子は相づちをうつ。これ以上話を掘りさげる訳でもなく
「ねえ、喉渇いてない?」
とわたしが歩いてきた曲がり角にある白い自販機を指さした。
葉子の言う喉渇いてない?はわたしと勝負しろという宣戦布告の合図だ。
何回この言葉を聞いただろうか、中学生のときの通学路にあった自販機がきっかけだった。
登下校時の買い食いは校則で禁止されているというのにこの女、入学した初日にめざとくそれを見つけて勝負を仕掛けてきた。
ケータイの持ち込みも当然ながら許されていなかった中学校の一階には緊急連絡用の電話がある。
そのために誰もが200円くらいは常備しているからお金は持っている。決して自販機に投じていいお金ではないのだが。
勝負、というのはじゃんけんでどちらがおごるかという賭けだった。
悪い友達を持ったものだなあと思いながらも売られたものは買わない訳にはいかない。ただでジュースが飲めるかも知れないと考える意地汚いところがわたしにもあったからだ。
「しょうがないなあ」
さほど喉は渇いていないがまあいいか、と回れ右して歩き出す。葉子は自転車をおして嬉しそうにわたしの後をついてくる。
じゃんけんぽん!
自販機までまだ数メートルあったが先手必勝、わたしはかけ声と同時にチョキをだした。
不意打ちをくらった葉子は自転車のハンドルを握っていた右手を慌てて放し、ぽおんとワンテンポ遅れでパーをだす。
何かを握っていた手を慌てて放したら、多くの人はパーになる。わたしはそれを狙っていた。
「ひどーい。不意打ち反則」
葉子は自分の手のひらを訝しげに見つめて抗議した。
「勝負は勝負」
出した手をカニのようにチョキチョキしてわたしは勝ちをアピールする。
「わたしオレジュー」
「その言い方なんとかならないの?」
葉子は不満そうに自転車のスタンドを蹴り飛ばして自販機の右側に停めた。
「げ、この自販機高いじゃん」
「自分で指さしたんだから仕方ないじゃない」
しぶしぶと自販機を見上げる葉子の背は、同学年の中でも頭一つ分へっこんでいるくらい小さい。
わたしも大きいほうではないが、葉子と並んであるいているとよく姉妹に間違えられる。不幸なことにオレジューのボタンは一番上の段で光っている。
五百ミリで百五十円か、確かに高いな。中学の通学路の自販機が破格だっただけに余計高く感じられる。
つま先立ちになって、やっとの思いでボタンを押せた葉子は少し息を切らせながらペットボトルを渡してくれた。
「さんきゅ」
それを受け取り、少し口をつけながら何を飲むか考えている葉子の横顔をなんとなく見つめた。
小さいころから嫌になるほど見てきた顔だが、実際に嫌になったことはない。いや、あったか。
何回かつまらないことが原因でケンカしたことがあったっけ。でもお互い謝るわけでもなく、三日後には何にもなかったかのように元に戻っている。不思議な関係だなと改めて思う。
葉子は美人かと言われたらそうでもないが、人なつっこいコロコロとした大きい瞳は愛嬌があって動物で言えばタヌキに似ている。
そんなタヌキに不意打ちをかましたわたしは悪いキツネかな。
そう思い、財布から百五十円取り出して、自販機に滑り込ませた。
「いいの?」
葉子は申し訳なさそうに聞く。
「いいよ、ずるして勝って、おごって貰うのも悪いし。」
「いいやつだねえ」
「そうだろ」
これがマッチポンプか、卑怯者からいいやつという評価になってしまった。
「どうしよっかなー」
散々迷ったあげく、葉子は、「あと十円ある?」とわたしに聞いて、何かに使うのかと思いながらも、わたしはまだ口が開いたままの財布から十円を取り出して手渡した。
葉子は熟練の内野手のような流れる動作で、受け取った十円玉を自販機の中に落とし入れ、その中で一番高い百六十円の果肉入りのぶどうジュースのボタンをすばやく押した。
このタヌキ、こういうところで小賢しい。
「ごちそうさまー」
悪ダヌキはささっと自転車に乗って走り去ってしまったとさ。
「あー!十円かえしなさいよ!」
かわいそうなキツネの声は、すっかり明るくなった温泉街のひんやりとした空気に切なく響いた。
葉子とは親の仲が良かったため、物心つく前から一緒にいた。物心ついていないのだから覚えているはずないんだけど。たぶん一緒にいた。たぶん。
一緒というが年中ベタベタしているような仲ではない。
二 学食にて①
もう四月だっていうのに、昼休みの学食は凍てついていて、厨房のおばちゃんが入れてくれたお茶は数分もしないうちに冷えてしまった。
「それ、おいしそう」
わたしが持っているチョココロネをコロコロした目でじぃーっと見つめているのは今朝の悪ダヌキだ。
「一口わけろ、と」
仕方ないなと口の前に持っていってやると嬉しそうにかぶりついた。これじゃタヌキの飼育員じゃないか。
うん、ちょっと甘ったるいな、と冷えたお茶を飲み干す。自由なやつだ。
まず一口が大きい。そのうえチョコがぎっしり詰まった頭のほうをかじられたものだから、わたしの手にはチョココロネのコロネの部分しかのこっていない。
ケチって安いパンを買わないほうがいいな。しっぽのほうにチョコが入ってないじゃないか。
第一コロネってなんだよ。と思い、コロネ片手に制服の胸ポケットからケータイを取り出す。
出っ張りがない分、板状のものが入れやすい。わたしもパンのように焼けば膨らむものなのか。
コロネ、パン生地を円錐形の金属製の芯に巻き巻きして焼き上げ、内部にクリームを詰めたもの。
中身がクリームであればコロネはコロネなのか、なるほど。
つまり、これはチョココロネでもコロネでもないと。
わたしが左手に持っている「パン」の最後のひとかけらを口に放り込むと同時に、葉子の手元の呼び出しベルが鳴った。
注文したラーメンが出来た合図だ。
「取りに行ってくる。」と、立ち上がろうとした葉子の頬にはチョココロネのチョコの部分がついている。教えてやろうかどうか悩んだが、「待って」と葉子の手を取った。
いくら十円とチョコの恨みがあってもこのまま葉子のマヌケ面を晒すわけにはいかない。一緒にいるわたしまで恥をかくかもしれない。
「ついてる」
それが何のことかすぐに気づいた葉子はあらやだと制服の横ポケットを探る。ああ、悔しいなあ、と何も入っていないのに膨らんでいる葉子の胸ポケットを見つめる。
横ポケットからは白い金の刺繍が施されたハンカチしか出てこない。
今日に限ってティッシュは在庫切れか。それでチョコを拭かせるのも忍びない。
「あのう、つかぬ事をお聞きしますが、、」
少し高い声を使って葉子が訪ねる。チョコさえついていなければ、かわいらしいお嬢さんなのに残念だ。お聞きしたいことはわかっていた。
「はい」
ポケットティッシュを取り出し葉子に手渡す。
「ないす」
ないすはないだろ、ありがとうございます桜さまだろう。ないすはないっすよ。なんちゃって。
葉子は口を拭うと、しつこく鳴り続ける呼び出し機を片手に、軽い足取りで受け取り口まで向かった。おめでたいやつだ。
受け取ったラーメンのどんぶりをトレーに載せて、厨房のおばちゃんと談笑している。
人なつっこい葉子は近所のおじさんやおばさんに大人気だ。
何か餌付けをしたくなってしまうような愛嬌がある。はたらかなくても食べて行けるんじゃないかと思うほど、野菜やらお菓子やら、毎日ではないけれど、貰って家に帰ってくるらしい。
食費が浮いて助かるわと、葉子のお母さんが冗談交じりで話していたっけ。
厨房のおばちゃんとすっかり仲良くなった葉子は、得意げに席に戻ってきた。
どんぶりの上にはちょこんとチャーシューがおまけでトッピングされている。
頼んだのは普通のラーメンだったよな、と思い注文口の上に貼られている黄色い模造紙に黒マジックで書かれたメニューを確認する。
ラーメン、四百円
チャーシュー麺、四百五十円
確かチャーシュー麺にはチャーシューが五枚あったよな。
部活の同級生で大食いの望月が食べていた、チャーシューの数を頭の中で数える。
そうするとチャーシュー一個で十円か、やるな。と葉子の天賦の才能に感心する。
「どうよ」
戦利品を見せびらかして葉子が鼻をならす。よかったねえと相づちをうつ。
「ラーメン一口ちょうだい」
さっきのチョココロネをただで食えると思うなよ。
葉子はすんなりと承諾して、トレーごとわたしの前に滑らせた。
葉子側にある割り箸を取って ん、と渡してくれた。割り箸の左右をそれぞれ両手の人差し指と親指で持って引っ張る。ミシッと音を立てて割れたが、左側の持ち手の一部が右側に持っていかれた。
相変わらず不器用だな。わたしは。
「んじゃ、いただきまーす」
葉子の注意がそれているうちに、ラーメンの上に乗っかっていたチャーシューをつまみ上げた。
ああっと葉子が発するまもなく戦利品はわたしの口に収まる。
「ひどい!あほ!おに!」
侮辱する言葉を浴びせようと考えている葉子は、それ以上の言葉は見つからず悔しそうな顔をしている。
しかし、葉子にそう言われる筋合いはないはずだ。
今朝の十円、チョココロネ、ティッシュ、わたしの恨み貯金は現在3だ。
十円のチャーシューで相殺だったとしても2、まだまだやり返し足りないくらいだ。
「ごっつぁんです」
かすれた声で力士っぽい声を出し、自分のお腹を軽く叩くとぽん、といい音がなった。
葉子も本気で怒っているわけでもないようで、そんな力士除名処分だと親方のマネをしてコロコロ笑っている。
高校に入学して葉子とは違うクラスになったけれど、それも慣れっこだ。
クラス発表のときもお互いに残念がることはない。
仮に同じになったとしてもわたしたちの前で、クラス分けの紙に吸い付くように見ていた子たちのように抱き合って、飛び跳ねたりするわけでもない。
クラスが違うからといって休み時間に教室まで行って話しをする事もない。
でも、仲が悪いわけでもない。
入学早々、学食という響きに憧れていたわたしは、ひとりで一週間学食に通い詰めメニューを片っ端から食べて、自分のお気に入りでも探そうと意気込んでいたのだが、一食300円から500円でも5日間通えば最低でも1500円、それは女子高生の経済事情にとっては大きな出費だった。
今日からはお弁当を作ったり、通学路のスーパーやコンビニで安いパンやおにぎりを買ったりして、教室で食べようと思っていたが、四限が終わって手を洗いにいっているうちに、わたしの席は他のクラスの名も知らぬ男子生徒によって占領されていた。
五日間連続で空けていたから、昼休みは誰も使わないと判断したのだろう。
椅子をナナメにしてわたしの横の席とその前の席の男子と、三段重ねのお弁当をつつきながら盛り上がっている。
お食事中にちょいと失礼、と水を差すのも気が引けるし、注文しないと座っちゃダメみたいな学食じゃないし、午前中のもわっとした空気が溜まった教室より、広くて風通しのいい学食の方が午後の授業へのモチベーションが保てる。
そう思って白いコンビニ袋をぶらさげて一階の学食へと足を向けた。
葉子は葉子で先週からお母さんに弁当を作ってもらって教室で食べていたが、低血圧のお母さんは一週間でギブアップしたという。
三食の飯より好きなものがない葉子だが自分で作ろうとはしない。
食べること専門、野球で言うDHみたいなものだと豪語するが、単純に料理下手、魔界のおやつ製造機の葉子はお母さんからの金銭的援助もあって毎日学食に通うことにしたらしい。
お互いそれぞれの理由で、示し合わせたわけでもないのにこうして一緒にいる。それがなんだかおかしくて居心地がいいのだ。
学食を出ると、葉子は美術部に行くと言ってそそくさと行ってしまった。
五十分の昼休みは短いようで長い。
あと二十分、いかに過ごそうか。
教室に帰ってもあの男子はまだいるだろうし、学食を出てすぐの吹きさらしの廊下の手すりにもたれていると、
「さーくちゃん」
という声と同時に横からものすごい勢いでタックルされた。
思わずひっくり返りそうになるも体制を持ち直す。
タックル班の犯人は部活で知り合った望月だった。さっきわたしの頭の中でチャーシュー麺をうまそうに食べてたやつ。
「お腹すいてない?」
お、勝負か、と一瞬臨戦態勢を整えるも相手は望月だ。
単に学食に誘っているのだろう。
「今わたしがどこから出てきたのか見えなかったのかね」
他にやることも行くところもないし断る理由は見つからなかった。
それに誰かさんのせいでわたしの昼食はチョココロネからかじられたパンに変身してしまったため、お腹もそこそこすいていた。
いいよ。と望月に同行することにした。
三 学食にて②
「おばちゃん、チャーシュー麺ください。」
学食に入るなり望月は厨房の奥に声をかける。
あいよー待っててねと呼び出しベルを渡されると、「さくちゃんは何食べる?」とメニューを見上げた。
今からラーメン食べるのもなあ、黄色い模造紙の左端にはサイドメニューの文字がある。
唐揚げは重いしなあ、
「ねえ、フレンチフライってなんだっけ」
唐揚げの左に書かれた文字は見覚えがあるけど、どんな食べ物だかわすれてしまった。
「俗に言うポテトよ。」
その呼び方が俗なのかわからないが、そもそもジャンクフード自体が俗な食べ物じゃないか。
「じゃ、ポテトください。」
あいよー、おばちゃんが返事をする。なんだ、ポテトでも注文とれるじゃないか。
呼び出しベル片手にさっき葉子が座っていた席に腰をかける。昭和な面影が残るオレンジの光沢のある椅子はまだ少しぬくい。
対面の椅子によっこいしょーいち、と望月が腰を下ろす。うわ寒っ、椅子よりも昭和度が高いな。
「今日はどうしたの?こんな時間に学食なんて珍しいじゃん。」
時計を見ると昼休みはあと15分。
「四限が体育でハードル走だったのよ。C組の陸上部わたししかいないじゃない?だから授業が終わってから、片付け手伝えってエビセンに言われて、倉庫の鍵締めまでしてたら遅くなっちゃった。。」
エビセンっていうのは陸上部の顧問の体育の先生、正式には海老名先生。
相当疲れたのか、望月は机に突っ伏した。
「それはひどいや。ご苦労さま」
わたしのクラスにはわたしも含めた陸上部が四人いる。
体育は明日の二限。メニューはきっとハードルだろう。エビセンだって、十分後に授業が控えている生徒を足止めするほど鬼畜じゃない。
仮にそうだとしても四人でかかればすぐに片付けられる。
人ごとのようにケタケタ笑っているわたしを望月は突っ伏したまま顔だけをあげて上目遣いで恨めしそうな表情をしている。
「しかしお腹減ったー。チャーシュー麺だけで足りるかな。」
「足りなかったらポテ、フレンチフライあげるよ。」
覚えた単語を使いたくなる。
「ポテトしか頼まなかったけどそれだけでいいの?」
聡明な望月はバカの一つ覚えなんてしないんだろうな。
いやしかし、さっきわたしが学食から出てくるところを本当に見てなかったらしい。
「うん、もう食べたから。お腹はすいてるけどラーメンだと重いし。」
「無理に誘っちゃってごめん。つきあってくれてありがと。」
突っ伏していた望月はがばっと上半身をおこして手を胸の前でかるく合わせて微笑んだ。
あああ、優しいなあ。
「いやいや、いいの、気にしないでよ。」
「さっきまで学食にいたんでしょ?」
「そうだけど、この席でタヌキにチョココロネ囓られてね。」
タヌキ?と望月の頭にはてなマークが浮かぶと同時に、二人の呼び出しベルが同時に鳴った。
望月はすっと椅子を静かに引くと、机の上に置いていたわたしの呼び出しベルも持って立ち上がった。
「ついでにとってくるよ。」
律儀に気を利かせてくれた望月に,素直に甘えることにした。
受け取り口から帰ってくる望月のトレーの上には、チャーシューが五枚乗ったチャーシュー麺とわたしの頼んだポテトが仲良く乗っかっていた。
昼休み終了まであと十分
「時間ギリギリだね、早くたべちゃおっか。」
あつっ、あ、あつう、とできたてラーメンと格闘している望月の観戦をしながら、白地に赤いストライプが入った手のひらサイズの紙袋からポテトひとつ取り出して頬張る。
塩っ気がしつこすぎなくておいしい。厚切りのポテトは中の水分のせいでしっとりしていることが多いけれど、このポテトはジャガイモのみずみずしさを残しつつも、表面はサクサクしていて食感が素晴らしい。これはいいものだ。
「このポテトうまい。」
ぼそり、とわたしがつぶやく。
「へえ、今度食べてみようかな。」
相変わらずラーメンをはふはふしながら望月が反応する。
その返答が少し意外だった。
そうか、相手は望月だ。
無理にこのポテト食えってわけでもないし、まあいいか。
残りのポテトを機械的に口にサクサクサク、サクサクサクサク、と口に押し入れていく。
ポテトの在庫がゼロになってしばらくすると、望月はラーメンを汁まできれいに飲み干しておいしかったあ、と満足そうな顔をした。
一階の学食から一年生のフロアの四階まで急いで駆け上がる。五限には間に合いそうだ。階段を上がって右手側がA組からC組までの教室、左手側はD組からF組までの教室と分かれている。
まじめちゃんが多いC組の中は静かでまだ椅子に座っていない生徒が何人かいても教科書とノートが机の上にお行儀良く準備されているのが廊下側の窓越しに見えた。
「今日もありがとう。また明日も学食いく?」
階段を昇りきると、望月は食べてすぐ運動したせいか前屈みになって脇腹をさすった。
「そうするつもり」
「そっか」と望月は微笑んだ。ん?
「また放課後にねー」
それ以上何も言うわけでもなく、望月はすすすっと教室に吸い込まれるように消えていく。
なんだったんだ。まあいいか。
予鈴が鳴っているのにまだ賑やかなD組に足を運んだ。
四 いいんちょう
坊主頭は姿を消していた。何組の人なんだろう。
席に着くと机の左上に赤い横長の付箋がついていた。
「席お借りしました。ありがとう。」
そう書かれている。
「それさっきのちんちくりんが書いていったよ。」
付箋から目を上げると前の席の、名前が、、学級委員の女子が座りながら身体をひねらせてこっちを向いている。
わたしが手を洗って帰ってくるところを見ていて、どうもそれを坊主頭に指摘してくれたらしい。
気の強そうなつり目から放たれる雰囲気はわたしも恐縮してしまうほどだ。坊主頭もそうだったに違いない。
「あらまあ、ありがとう」
とふぬけた声をだして目線を付箋に下げる。
特に気にしてなかったのに。
かわいそうな事したかなと罪悪感めいたものを感じるが、わたしは何もしていないし、どちらかといえば被害者だ。
「でも大丈夫、昼休みには学食に行くし、こうやって綺麗に片付けてくれているんだから。」
隣とその前でしょぼんとしている坊主と坊主、ああ、野球部の友達同士だったのか。その二人が聞き耳をたてている。一緒になってこの委員長にお説教されたのだろう。
男女の争いの原因にはなりたくないし、その火中に身を置くのも居心地が悪い。
面倒ごとには巻き込まれないためには、わたしが身を引くのが一番だ。
この付箋を残していった坊主頭がこの教室に来られなくなると、もう二人の坊主頭も他の場所でお昼をとることを余儀なくされる。
空いた二つの椅子に委員長の友達だったり、わたしの友達が座っていたらまたそのことでもめ事になるだろう。
この委員長の場合、粛々と坊主たちをねじ伏せるのだろうけれど。
どちらにせよ、わたしが折れることで問題は解決できそうだった。
五 五限
冷えた教室に南から暖かい日差しが差し込む。窓側の席の恩恵を享受し、うとうとする。
前の席の委員長の背はぴしっとしていて美しい。斜め前の坊主頭は、机に両肘をついて頭をうなだれて完全に落ちている。
後ろからみると首なし人間のように見えてちょっとおかしい。
そういえば、委員長とちゃんと話をしたのはじめてかもしれない。
まだ入学式から一週間だからそれほど不思議なことではない。話しかけられなければ特に話をする必要はない。わたしはそういうスタンスなのだ。
でも、前の席の人の名前を覚えていないのはさすがにまずい。うえだ、の前だからかなり限られるはずなのに思い出せない。あ、あ、安藤、ちがうなあ、あ、あ、、い、いとう、い、いいんちょう、ちがうなあ、埒が明かない。
机の引き出しのファイルの中から先週配られた名簿を取り出し目を通す。
い、飯島というのか。
クラスごとの名簿を見て、おもしろい苗字探しをしているうちに、いつの間にか時間が流れてチャイムが鳴った。
坊主二人の名前は調べなかったけど、まあいいか。と一覧をファイルにもどして引き出しにしまう。
日本史の先生のここまで、という終わりの合図とともに、静まっていた教室に活気がもどってくる。
今日は月曜日で5限授業の日だから、今日どこ行くか話はじめたり、部活の準備を始めたりする。
陸上部のわたしは後者のほうだったが、男子がいる教室で着替えるわけにもいかないので手持ちぶさたになってしまう。
隣の前の坊主が、人目も気にしないで練習着に着替えようと制服とシャツを一緒に脱いだ。鍛えられた上半身はまさに筋骨隆々って感じで、日焼けした肌がまぶしい。
じっと見つめるとこっちが恥ずかしくなってきて、思わず目を背ける。
男子はデリカシーも情緒もあったもんじゃない。
そんな教室の中はそれぞれの制汗剤の匂いが混じり合って、もわっとして思わずむせそうになる。
「飯島さん、空けていい?」
さっき知ったばかりの名前を、さも当然知ってましたかののように呼びかける。
教室がもわっとしていても、外はまだ寒い四月の上旬の空気、わたしひとりの独断で開けたら怒られそう。
「ちょっと換気が必要ね」
飯島さんも同じことを思っていたのか、鼻をハンカチで覆いながらロックに手をかけてはずしてから窓を滑らせた。うお寒っ、と坊主が悲鳴をあげる。早く上着ろよ。
すっかり凍えて小さくなった坊主は、ユニフォームに着替えてトイレ、トイレ、と逃げていった。
「見せたがりなのよ。鍛えているんだったらこんな寒さに屈しない精神ももちなさいよね」
飯島さんは鼻をならして笑う。
「見せてたのか‥」
わたしもユニフォームの後ろ姿を目で追いながら苦笑いをする。見ちゃだめなものじゃなければもうちょっと拝んでおくべきだった。
「太ももとか凄いのかな」
わたしは両手で○の字を作って動かした。
「やだ上田さんいやらしい。」
さっきまで厳しい表情をしていた顔が緩んで、ニマニマとわたしを見つめる。
「別に、そんなんじゃなくって!」
ううん、○を揉むように動かしたのがいけなかったか、それにさっきまで僧帽筋に見とれていたわたしは、なにも反論できずに恥ずかしさで顔が熱くなっているのがわかる。
「あなた、おもしろいわね。」
クラスのドンに目をつけられてしまった。男子の太ももを想像の中でもみほぐす変態と噂が流れたら、始まって二週間も立っていない高校生活のお先は真っ暗だ。
六 望月
さくちゃーん。更衣室でジャージに着替え終えてから、グラウンドで冷え切った身体をゆっくりと温めながらストレッチをしていると、ピロティから望月がハーフパンツ姿で飛び出してきてその勢いのままどーんとタックルしてきた。
「さむいい。」
そりゃハーフパンツは寒いだろう。動いているうちに熱くなるから最初っからジャージを着ない。というのが望月の言い分だ。
そうかそうか、と望月のくせっ毛のショートヘアをわしゃわしゃと撫でる。満足したのかわたしの腹部を締め上げていた腕を放し、屈伸をはじめた。
陸上部、と言っても、入部して間もない一年生は外周を走って筋トレをしておわる。
インターハイを目指しているような熱心な部活じゃないから、練習ものほほんとしている。
温まってきた身体は、動かしていないとすぐに冷えて凍えてしまいそうだ。準備運動が一通り終わると、すぐに外周をはじめた。
背の高いレンガの校門の前は、桜が立ち並ぶうすピンクの道が長く伸びている。
見頃は今日明日だろうか、弱い風が吹く度に一枚、二枚、とはらはら落ちてくる。
「桜、同じ名前だよね。」
ふと望月が上を見上げてつぶやいた。
「桜、好き?」と続けて聞いてきた。
「うん、同じ名前だし、悪い気はしないかな。綺麗だし、葉桜とかの色合いが特に好きかな。」率直な感想を述べてみる。
「わたしも桜好きだな。」ぽそり、望月が呟く。
やっぱり日本を代表する花の桜はみんなの人気者だ。少し誇らしい。
門から出て通りを左へ進む。
高校の裏には中学校が隣接していて、わたしたちのより一回り小さいグラウンドが柵越しで見える。まだ授業中なのか、人影はない。
中学校の敷地の角を曲がって少しすると、家が三件ぽつんぽつんとあってあとは田んぼを両端に囲まれた景色へと変わっていく。
田んぼにはまだ水が貼っていない状態で、子供たちがサッカーをして遊んでいる。
一面田んぼで目印がないものだから、いつもどこで曲がるかわからなくなってしまう。
「どこでまがるんだっけ。」
望月に聞く。
「確か、止まれの標識から三番目の曲がり角。」
こういうときに望月は頼りになる。
確かに、止まれの標識が見えてきて、望月の記憶通り三番目の角を曲がると、いつも外周のときに目にとまる、赤い三角屋根の西洋風の家が見えて安心する。
ここからは記憶メモリが少ないわたしでもわかる。
三角屋根の家から進んで、昔懐かしい円柱形のポストがある角を曲がって、まっすぐいけば、ゴールの高校の裏門へと到着する。
望月に続いて、ポストを曲がろうと身体を傾けると、三角屋根とポストと同じ色の、赤い自転車を漕いだ葉子とすれ違った気がした。
そのまま通りすぎたから、気のせいかと思ったが、後ろでペダルを漕ぐ音が鳴り止んだ。
わたしも足を止めて振り返る。
「もう帰り?」
わたしのほうから声をかける。
「そうだよ、美術部は自由参加だから。」
五メートルくらいの距離で会話すると自然と大きな声になる。
「部活、何時まで?」と葉子が聞く。
「うーん。四時すぎかな。」
「そっか、頑張って」
「ん、ありがと。」
五秒、十秒くらい時間が空く。
ん、わたしの番か?劇でもないのにセリフを間違えたような気分だ。
何か言わないとこの間から抜け出せない。
「それじゃ、気をつけて」
と言うと葉子は、今までフリーズしていたのが嘘のように
「うん、それじゃ」
と,手を顔の横でひらひらさせて、去って行った。だから片手放しは危ないぞー。
手をひらひらさせるたびに、ゆらゆら揺れる赤い自転車を見送る。いつ転ぶかわからないから心配だ。
さくちゃーん。わたしの前を走って行った望月が戻ってきて、わたしにまたタックルを仕掛ける。
「おいていかないでくれよ」
「いや、置いていったのは望月でしょ」
「そうだった。」
とケタケタ笑っている。
「お友達?」
望月は葉子が走って行った方向を指さす。
「まあ、腐れ縁、みたいなものかな」
「そっかあ、いいね。」
と望月はわたしをみつめて、行くよ、とまた走り始めた。
腐れ縁、と咄嗟に言ってしまったけど、友達とか、親友とか、自分で公言するのはなんか照れくさい。
知り合いと友達と親友の境界線は非常に曖昧だ。他よりその人と過ごした時間が長ければ親友なのか、他より信用がおけるから親友なのか、その定義の根拠はいったいなんだろう。
時間の問題?心の問題?仮に、こっちが親友と思っていても、向こうがただの友達と思っていたらそれはそれでちょっとショックだ。
だから、そこは曖昧なままでもいいんじゃないかと思う。
子供の頃、特に小学校の低学年のころはよく、わたしたち、お友達になりましょうなんて言って友達になった子もいた。
でも、中学に上がるころには接点がなくなって、だんだん話もしなくなって、今どうしているかなんてわからないような、「知り合い」になってしまった子がたくさんいる。
口も聞きたくないし、目も合わせたくなくなるような、壮絶なケンカをしたわけでも、口論になってギスギスしたわけでもないのに。
自然と時間軸にそって、小さなずれが大きなずれへと成長して関係が途絶えてしまうのだ。
結局、本能的に何か近しいものや、運命的な巡り合わせによって、偶然糸が絡まるように淘汰された結果が知り合いと、友達との曖昧な境界線のひきどころになるのだ。
望月だって今後長距離選手になるか、わたしと同じ短距離選手になるかによって、心の周期のずれが生じていくのかもしれない。
そう考えると少し切なくなった。望月の背中も、葉子の背中もずっと小さくなっていくばかりで、ひとりで置いて行かれるのが怖くなる。
ひとりが怖いと感じたのは今日が初めてだ。ひとりだけ宇宙の中の知らない星に取り残されてしまったようだ。
無人島なら楽しく生きて行けそうなわたしだが、例え星の裏側でもいい。同じ星には同胞が生きていてほしい。
少しでも望月に近寄ろうとペースを上げる。しかし、体力のある望月は遠ざかる一方だった。
息を切らして裏門までやっとの思いでたどり着くと、そこに望月の姿はなかった。
わたしは青い鉄製の門にうなだれて息を整える。
ペース配分を間違えた。後半やけになって加速したせいで、いつもの三倍は疲れている。
さーくちゃん、と言う甘い声と一緒に、おおきな衝撃派が身体を襲う。
「うげっ」
走ったばかりで熱い身体に、さらに熱い身体が覆い被さって余計暑苦しい。
「お疲れさま、疲れてるねー」
一度取りに戻ってからここに来てくれたのだろうか、わたしを背後から締め上げるようにまわせれている手には、わたしのクリーム色のスポーツタオルが握られていた。
それを受け取って額に浮かんだ汗を拭き取ると、望月はわたしの肩に頭をのせて
「喉渇かない?」
とやさしくささやいた。
じゃんけんの必要はない。望月は望月だ。
「いいよ、いこうか。」
身体に絡まった望月の手をほどいて、汗でぬれた背中を拭きながら、学食前の自動販売機へ歩き出した。
望月はその後を追いかけてくる。わたしは少し止まって横並びになるまで待つ。
わたしの横で止まった望月は不思議そうな表情を浮かべてこちらを見たが、わたしがまた歩き出すと、またおなじペースで足を進める。
突然、望月の口が開く。
「ねえ、今日一緒に帰らない?」
望月にそんなことを言われるのは初めてだった。
急なことで一瞬たじろいだが、うん、いいよと返事をする。
やったあ、と望月は飛んで喜び、わたしの前を楽しそうにスキップする。
一時間後でも未来は未来、少し先の時間軸に楽しみを見つけ出せることに喜びを感じる。
「何飲むー?」
自販機前で望月がピロティに響き渡るような声で言った。
「わたしオレジュー、」
「なにそれー」
望月がケタケタ笑う。
望月ともこんな生活がこれからも続いていくんだろうな、と思わず、わたしも笑みがこぼれた。
今日明日が見頃の桜は風がふくたび、はらはら、はらはらと散っていく。
帰りに望月と写真を撮って帰ろう。そう決めて薄紅色を背に自販機へと駆けだした。
荒井鹿と申します.
最後までお読みくださりありがとうございました.
このまま2人で,いかがでしたか?初めて書く小説で,見よう見まねな状態なのでご指摘ありましたらコメントお願いします.
桜は何事にもあまり動じないタイプの女の子のようです.感情の波があまり激しくなくて平穏を願うタイプなのでしょう.
それにくらべて葉子は明るくて,ちょこまかしてて少し落ち着きがないかなってところはありますが,それが近所や学食のおばちゃんからも好評で,愛嬌のあるタイプなのでしょう.
と言うのも,この二人,書いてる途中でかってに動き出すのです.よく著名な作家さんとかがあとがきで,キャラクターがかってに動き出すって書いてるのを,そんなわけあるまいと笑っていたのですが,書いてみるとわかるものですね.葉子は実はもっとクールなキャラを設定していました.どちらかと言えば桜がボケて葉子がツッコミをするような話の進め方にしようと書いていたら,どういうわけかおてんば娘が誕生してしまいました.親が望むような子にはならないようです.現実でも同じですね笑
さて,キーワードに「百合」,「GL」と書きましたが,この展開はまだ先の先です.そこまでわたしの制作意欲が持つかどうかわかりませんが,ふと思い出したときに覗いてください.
わたし自身は異性愛者であるのですが,昔から「BL,GL」のジャンルがとにかく好きでした.
近年,二次元がきっかけで新しい分野に興味を持つ人が増えています.この作品を含む多くの「BL,GL作品」がきっかけとなってリアルのLGBTへの理解を深めていけるようになってもらえると嬉しいです..
あと本編の序盤から登場する望月に関しての話もまたいつか.
それではごきげんよう.