前編
「アリアの笑顔は可愛いね」
そう言って私の頭を優しく撫でてくださるジョシュア様。
10人並みの容姿でも、
良いところを褒めてくださるジョシュア様は
侯爵家の嫡男で王国の女性達に大人気です。
容姿端麗、頭脳明晰、優れた人柄。
そんなジョシュア・エドワーズ様ですが、
王都の邸がたまたまお隣だったせいで、
しがない子爵令嬢の私とは幼馴染です。
お邸が隣と言っても、大豪邸のエドワーズ侯爵邸とその隣のこじんまりとした猟番小屋のような我が邸とでは、比ぶべくもありませんが。
体の弱い母は寒さ厳しい北の領地での生活が難しく温暖な王都の邸に私と暮らしています。
父と兄は北の領地におります。
そんな私を可哀想に思ったのか、
優しいジョシュア様はお茶に呼んでくださったり、お菓子をくださったり、散歩に誘ってくださったりと、とても親切でした。
ジョシュア様は4歳年上で、侯爵家の一粒種でしたので、私を妹のように可愛がってくださったのかもしれません。
そんなジョシュア様をお慕いするようになるのは自明の理です。
10歳を過ぎる頃には募る思いで胸がいっぱいでした。
だからといって、身の程は知っています。
容姿が並の貧乏子爵令嬢が相手になる術はありません。
せめて可愛い妹として少しでもお側に居たいと願っておりました。
そんな私に時は残酷でした。
16歳になられたジョシュア様は王宮騎士団に入団され、それから2年の間に私との交友は段々と少なくなりました。
たまには、美味しいお菓子が手に入ったよ、とお招きくださる事もありますが、回数は激減しました。
それもその筈でした。
ジョシュア様に意中の方がお出来になったからです。
お相手はローズ・ベネット侯爵令嬢。
王国の薔薇の二つ名で讃えられる美貌と、凛とした佇まい、知的で思いやりのある方と、噂の的です。
まさにジョシュア様とお似合いの方でした。
おふたりは舞踏会などの行事に揃って出席されるなど、最早、社交界公認の好一対と言われるほどです。
ご婚約も間近と言うことでした。
まだ社交界デビューもしていない私は、ローズ様にお会いした事がありません。
ですので世間の噂は噂として、何処か現実味も無く、ジョシュア様のたまのお誘いを楽しみにしておりました。
そんな状態は2年余り続きました。
ある日、ジョシュア様から来週末の休日は久しぶりに馬車で遠出をしないか、とお誘いをいただきました。
遠出など子供の頃以来です。
私は指折り数えて待っていました。
ところが前日夜に侯爵家から伝言があり、約束は取り消しとなりました。
いつも約束はきちんと守られるジョシュア様ですので、何かあったのかと、心配になった私は、翌日侯爵家を訪ねる事にしました。
訪問のご連絡もしておりませんので、こっそり中庭からお隣の様子を窺うと、侯爵家の広い庭園にある東屋にジョシュア様が立っておられたのです。
思わず声をおかけしようとすると、東屋の奥から、それは美しい女性が現れました。
その美しい女性は微笑みながら、ジョシュア様の腕に手を掛けていました。
美しく整えられた庭園で微笑み合うふたりは
その景色と相まって一幅の絵のようでした。
私は後退り、部屋に駆け戻りました。
約束を反故にされた事よりも、あの美しいふたりの姿が何よりも衝撃でした。
知らないうちに涙が頬を止めどなく流れました。
その日は気分が良くないので、と部屋に閉じ籠りました。
夕刻になり執事がジョシュア様の訪問を告げましたが、具合が悪いとお断りしました。
あのおふたりを見てしまったら、とても今までのように側にいる事は出来ないと悟りました。
妹のような存在でもいい、なんて欺瞞でした。
いえ、違います。
私は自分自身を騙していたのです。
本当はひとりの女性として私を見て欲しかった。
愛して欲しかった。
でも、全ては終わりました。
私はまんじりともせず朝を迎えました。
のろのろと食堂に向かうと、執事がジョシュア様からの手紙を差し出しました。
暫くその手紙を眺めていましたが、結局封を切らずに一旦部屋へ戻り、小さな石がひとつだけ入っている宝石箱の1番下にしまいました。
それからは何も無かったように食事をして、
何も無かったように日々を過ごしました。
そうなのです。
結局私とジョシュア様は何も無かったのです。
切ない初恋は終わりを告げたのでした。
それからの数ヶ月は母の具合が悪かった事もあり引き篭って過ごしました。
何度もジョシュア様からお手紙をいただきましたが、全て読まずに宝石箱にしまいます。
読んでしまったら心の傷が更に深くなるような気がしたのです。
何度もお手紙をいただいたので、一度だけお返事を書きました。
「ジョシュア様、楽しい思い出をたくさんありがとうございました。
お幸せを心よりお祈りしております。
アリア」
私は16をとうに過ぎて間も無く17になろうとしています。
すっかり体調が戻った母は、私の嫁ぎ先を心配するようになりました。
「もうとっくに社交界デビューをしていなければいけなかったのに、私の世話でごめんなさい」
母の言葉に私は被りを振ります。
「そのうち、誰か見つかりますわ」
持参金も少なく、顔も10人並みの貧乏子爵令嬢を喜んで迎えてくれるおうちは皆無に等しいと思いますが、母の心労になってはいけませんから。
「今度の舞踏会でデビューしたらどうかしら。ドレスは私の古い物になってしまうけれど、良い品だからかえって流行の先端に見えるかもしれないわよ」
母の実家は男爵家でしたが、商売に成功して
羽振りが良かったそうですから、嫁入支度のドレスも沢山残っています。
「そうですね。
ドレスは古い物でも構いませんが、
何しろエスコートしてくださる方がおりませんから難しいと思いますわ」
なるべく母を傷つけないように、やんわりお断りします。
「あら、ジョシュア様にお願いすれば良いじゃないの」
母は知らずとは言え、容赦無い言葉で私を痛めつけます。
「お母様、ジョシュア様には決まった方がいらっしゃるのにお願い出来ませんわ」
精一杯虚勢を張って言い繋ぎます。
「あら、そうなの?残念ね。
それなら、私の友人の息子さんに頼んでみましょう」
母はノリノリで手紙をしたため、執事に渡しました。
正直、舞踏会など行きたくは無いのですが、
これ以上病み上がりの母を刺激するのも避けたいところでしたので、仕方なく従う事にしました。
それに王女様の婚礼間近のこの時期なら、ジョシュア様とローズ様に出会す事もないと踏んだのです。
母の友人、モーガン子爵夫人は色良い返事をくださり、舞踏会の当日に、御子息のアイザック様がエスコートしてくださる運びとなりました。
私は母の古いドレスの中から、シンプルなアイボリーのシフォンドレスを選びました。
これなら、色合いは古さを感じさせません。胴まわりに絞りを入れれば最新のデザインになりました。
針仕事は小さい時からしていたので得意ですし、無心になれたのも良かったと思います。
そうやって、わざわざエスコートしてくださるアイザック様に失礼がないよう精一杯身なりを整えました。
仕上げは宝石箱にあった領地の山で拾った綺麗な石を細い革紐で編み込んで作ったチョーカーです。
舞踏会の当日、アイザック様は馬車で迎えに来てくださいました。
優しい笑顔が素敵な方です。
整ったお顔立ちというわけではありませんが、お人柄が滲み出ています。
実際、アイザック様はお優しい方でした。
「アリア嬢、初めまして。
私も舞踏会は不慣れですので不手際があるかもしれませんが、ふたりで楽しい思い出をつくりましょう」
エスコートも思いやりがあり、スマートです。
「アリア嬢はとても可愛らしい方ですね。
そのドレスも品があって素敵です」
褒め言葉も誠意に溢れていますし、お直ししたドレスを褒めて頂き、思わず笑顔になりました。
そして、こんな素敵な方に決まった方がいない訳がないと思い当たりおずおずと謝りました。
「アイザック様、本当は別の方といらっしゃる予定だったのではありませんか?
それなら、その方に申し訳ない事をしてしまいました」
アイザック様は一瞬驚き、その後淋しそうに笑い仰いました。
「ずっとお慕いしている方はいますが、
私とは釣り合わないのです。
もういい加減諦めなければと思っていたところでしたから、アリア嬢が気になさる事はありませんよ」
私は思わず言ってしまいました。
「アイザック様も?」
アイザック様は目を丸くしてお尋ねになりました。
「という事はアリア嬢もお慕いしている方がいらっしゃるのですね。
その方も叶わぬお相手という事ですか?」
私はコクリと頷きました。
「同じ境遇なんて不思議なご縁ですね」
私とアイザック様は顔を見合わせ笑い出しました。
こんな風に笑うのは久しぶりです。
同病相哀れむ、でしょうか。
「私たちは良い話相手になりそうですね」
アイザック様の言葉に私は笑って頷きました。
それからアイザック様はおもむろに仰ったのです。
「ただ思うのです。
このまま何も言わずに諦めていいものなのか。
そして自分はこのままでいいのか、と。
釣り合わぬならそれなりに、どんな小さな事でもいいから成し遂げて彼女の前に立ち、思いを告げて終わりにすべきではないかと」
アイザック様の言葉は私の心に刺さりました。
私は何も成し遂げていない。
私だけが何も無かったのだと。
「アイザック様、私目が覚めました。
何か私に出来る事を探して、成長した姿で思いを伝えて、そして玉砕しますわ」
私とアイザック様は古い友人のように握手をし、舞踏会へと赴きました。
舞踏会では、私のドレスとチョーカーが珍しいようで、沢山の令嬢やご夫人方から声を掛けられました。
正直にお直ししたドレスと手作りチョーカーです、とお話しましたところ、皆様から是非私も欲しいと声を掛けていただいたのです。
これは転機と考えて走ってみましょうか。
帰り道、アイザック様にお直しドレスと手作りチョーカーの評判が良かった事と、皆さんが欲しがっていた事をお話しました。
「それは事業として成り立つよ。やってみたらいい。
立ち上げとかについては手伝うから大丈夫」
モーガン子爵領は大穀倉地帯を持ち、取れた穀物を手広く扱っていらっしゃるのだそうです。
実はお金持ちでしたのね。
「それに、そのチョーカーは手作りなのか。石はどうしたの?」
「これは小さい頃領地の山で拾ったものです。キラキラして綺麗だったので」
アイザック様は驚いて私のチョーカーを凝視しています。
「アイザック様、どうなさいましたの?」
「申し訳ないのだが、そのチョーカーを見せて貰えないかな」
私は頷き、チョーカーを外してアイザック様にお見せします。
渡されたチョーカーの石を念入りに確認して
アイザック様は仰いました。
「これは大変な事になるかもしれない。
だが、私にはチャンスに違いない。
アリア嬢、このチョーカーを暫くお貸しいただけないだろうか」
私は頷き了承しました。
アイザック様は私の手を握り謝られました。
「申し訳ないのだが私は暫くの間出掛ける。
少し長くなるかもしれない。
アリア嬢の事業立ち上げについては、うちの家令に指示していくから心配は要らないよ」
「それは構いませんが、何かありましたか?」
アイザック様は目を輝かせて仰いました。
「まだ分からないけど、これは物凄いチャンスかもしれないんだ」
馬車が邸前に着いたようです。アイザック様が先に降りてエスコートしてくださいます。
「そうですか。是非そのチャンスを掴みとってください。応援していますね」
アイザック様に手を取られ馬車を降りると、驚いた事に、門前にジョシュア様とローズ様が立っていらっしゃいました。
ジョシュア様とお会いするのは数ヶ月ぶりでしょうか。
懐かしくて恋しくて涙が出そうです。
ジョシュア様とローズ様は私とアイザック様の握り合った手をじっと見ています。
気を取り直したジョシュア様が近づいて来られ私をじっと見つめて仰いました。
「アリア、久しぶりだね。元気そうで良かった」
「ジョシュア様、お久しぶりです。
本日はどうされましたの?」
私は微笑んで尋ねます。
「今夜が社交界デビューだったと聞いてお宅へ伺ったんだ」
相変わらず優しいジョシュア様。
「ありがとうございます。とても有意義な時間を過ごしてまいりました」
私の言葉にジョシュア様はハッとされた様です。
「アリア、会えない間にすごく大人になったようだね」
私はにっこり微笑みます。
ジョシュア様は私の耳元でこっそり仰いました。
「アリアの社交界デビューを見たかったけれど。次の機会を楽しみにしているよ」
「そうですね。何処かでお会いするかもしれませんね」
私の言葉にジョシュア様が悲しそうな顔をされました。
「私はいつかアリアのパートナーになりたいな」
私は驚いて小さな声で言いました。
「ジョシュア様、ジョシュア様にはローズ様がいらっしゃるではありませんか」
ジョシュア様は困った顔をされています。
こんなところをローズ様に見られたら誤解されるかもしれません。
急いでローズ様を見ると、何故かアイザック様とお話されています。
「ローズ様とアイザック様って、お知り合いでしたか?」
ジョシュア様に尋ねてみます。
「そうだよ。私たちと同じ。幼馴染だよ」
「幼馴染」
頭の中がぐるぐるします。
何だか分かりました。
アイザック様の意中の人はローズ様。
私の大切な人はジョシュア様。
アイザック様と私は合わせ鏡だったという事でしょうか?
私は思い切って伝えます。
「ジョシュア様、私、今頑張ろうと思っている事があるのです。それがきちんと形を成したら、その時にジョシュア様にお伝えしたい事があるのです」
ジョシュア様は眩しそうに私を見て仰いました。
「アリアがそう言うのなら何か重大な決心なんだろうな。
わかった。その時まで待っているよ」
そう言って侯爵邸に帰られるジョシュア様とその横を歩くローズ様。
やはり絵画のようにお似合いです。
私はアイザック様に顔を向けると言いました。
「アイザック様の意中の方はローズ様ですね」
アイザック様は少し頬を赤らめ仰いました。
「そしてアリア嬢の意中の人はジョシュア様だね」
「………」
とうとうふたりで顔を見合わせ大笑いしてしまいました。
「何だか親近感が湧いた理由が分かりました」
「道理で同じ匂いがすると思ったよ」
「同じ匂いって何ですか。同じ匂いって」
私とアイザック様はからかい合いました。
よくジョシュア様としていたやり取りの様です。
アイザック様はふいに真面目ならお顔で仰いました。
「取り敢えずやれるだけやろう」
「そうですね」




