偽物(仮)
「僕は誰だ?」
「僕は君だ。」
目を瞑ると目の前にはよく見知った顔がある。自分の顔だ。平凡で面白味の欠片もない自分の顔だ。思考の海に沈む時に限ってこいつが現れる。何をするわけでもない、ただ『僕』という存在を見せ付けられる。
「酷く、醜い。醜悪だ。」
「清く、潔い。清廉だ。」
こいつはいつも僕と反対の言葉を投げ掛ける。一見励ましのように聞こえるが、時折僕を諫める事もある。だから、僕の相談事は両親よりも、彼女よりも、先輩よりも、上司よりも、先生よりも、先に話してしまう。彼らよりも僕を分かっていて、彼らよりも僕が分かっていない。
「僕はこのまま生きていけるのか?」
「僕は君が居なくちゃ生きれない。」
「僕は嫌いな人は居ないが、僕を嫌う人は沢山居る。」
「僕は好きな人は居ないが、僕を好く人は沢山居る。」
何が楽しいのか僕を見て笑っている。違う。笑っているのは僕の方だ。いや、そんなことはないか。こいつには僕にはない積極性を持っている。僕にはこいつにはない消極性を持っている。躁がこいつで僕が鬱。僕達が生を受けたのは、入れ替わり立ち替わりで何とか自我を崩壊させずに遣り繰りする為だと、僕は思っている。
「僕にはこのままやっていく自信は無いよ。」
「君にはこれ以上やっていける事は無いよ。」
「違う、僕だってまだ何か出来る筈だ、成せる筈だ。」
「違う、君は才能を持ちあわせて無い、平凡なんだ。」
それにしたって今日のこいつは一味違う。誰よりも自分を認めていた筈なのに、誰よりも自分を認めようとしない。僕が闇ならこいつは光、僕達二人合わせて『僕』なんだ、人間の感情は複雑ったらありゃしない。二律背反で産まれ矛盾を抱えて死ぬ。
「僕に生きる意味はあったのだろうか?」
「君の死ぬ意味はまだ有りはしないが。」
「多分生きる意味は自分で見付けるのかもしれない。」
「精一杯生き抜いた僕を看取る誰かが決めるんだよ。」
成る程、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。良い話を聞いた。
目を開くと夜の寒空の中で一際輝く満月が観察するように僕を照らしている。
眼下の歩道の往来が無くなって久しいが、月明かりでさえもこの暗闇を避けるようだ。
夜風に当たりながら柵を背に天を仰いだ。
「僕はまた本物を晒け出さなかったな。」
甘美な深淵の魅力を振り切って、柵と今日を乗り越えた。