自殺男とハッピーニューイヤー
自殺を決意し、塔に上った男。
そこから見えたものと、男の運命は。
どうしようもない世の中を生きる皆様へ。
短編ヒューマンドラマ。
僕は死のうと思う。
今日死のうと思う。
一度死のうと思うと、今までなぜ死んでいなかったのか不思議なほどだった。
「死のう」声に出すと勇気が湧いてくる
「死のう、死のう」歌うように口ずさむ。僕はもう死ぬこと以外考えられない。
年の初めに会社をクビになり、もともと散財気味な性格で貯金もない。かといってもう一度就職する気にもなれなかった。
30数年間生きてきて1度も恋人はおらず、親しい友達もいない。両親は僕が成人するなり「働け」といって家から僕を追い出した。
会社では僕がいた部署は毎年成績が下がっていった。僕は一生懸命仕事をしたが周りからは疫病神と呼ばれ、誰も近寄らなくなった。
金もなく、職もなく、友人すらいない。
むしろ、なぜ今まで生きていたのだろう。
去年の年末辺りから次第に視野が狭くなっていることに気づいた。
比喩ではなく本当に視野の端が黒いモヤでおおわれているんだ。
そこからぼーっとすることが多くなった。何を見ても死ねるか否かで判断するようになった。
会社をクビになる少し前の話だが、会議のデスクの上のホッチキスを見ていたら会議が終わっていた。
僕にとって一応用意された席に座って会議を眺めるよりも、ホッチキスの殺傷性を考えるほうがよほど有意義なことに思えた。
現に会議で一言も発言せずとも物事は決まるのだから。
そういうことで僕は死ぬことにした。
死のうと決心するとほんの少し心が軽くなった。
少ない有り金を全部持って街に出る。僕はどこで死ぬべきだろうか。
電車に乗ると幸せそうな顔が並んでいた。誰も僕のことなど見ていないのだろう。
カップルや親子連れ、仲良く連れ添う老夫婦、肩を組んで座る若者。
皆少し浮かれているようだ。
そして、今日はやけに人が多い。もしかしたら連休なのかもしれない。
気づくと曜日や日付の感覚はなくなっていた。死ぬ人間には必要ないからかもしれない。
少し前からわからなくなっていた。必要ない感覚は無くなる、人体は凄いな。
僕は車内を見渡す。休みで浮かれる乗客たちは、
僕が今から死ぬだなんて考えもしないのだろう。
そう思うとますます僕は一人であることを実感し、立っていることが虚しくなった。
電車を降りてから耳鳴りがし始めた。いや、幻聴だろうか。
何語かわからないが耳元で誰かが囁いている。
視界の端のモヤも広がってきていて、はっきりと見えるのは真正面だけになった。
視覚の次に聴覚も危うくなってきた。
必要ない感覚からなくなっていく。人体は凄いな。
駅から出ると日が暮れようとしていた。夕焼けが目に染みる。
運河沿いに少し歩くと目指していた場所についた。
電車の車内広告の写真を見て決めたのだ。
昔からずっと来てみたかった時計台で、僕が生まれた日に完成したらしい。
人生最後はこの場所で終わらせたいと思ったのだ。
真四角の時計台は下から見上げるとかなりの高さで、少し離れて見ないと文字盤が見えない。
文字盤の少し上に鐘がついてある。
かすかではあるが毎日この時計台の鐘の音を聞いていた。
時計台の周りには屋台やキッチンカーが止まっていて、
テーブルと席があちこちに設けられている。
そこに座って観光客や地元の人々が食事や会話を楽しんでいる。
おなかがすいたので、最後に何か食べることにした。
管理人の目をすり抜けて、時計台を上る。
今日は見学ができないらしいが、それでも上りたがる観光客の対応で、管理人は忙しそうだった。
時計台の鐘があるところまで来た。不用心に転落防止用のフェンスはなかった。
都合がいいと同時に観光客が落ちたらどうするのだろうかと思った。
日はとうに暮れていて、そばにある橋や川沿いの街の明かりがチラチラ輝いている。
とても綺麗だった。その灯りを眺めながら鐘のそばで最後の時間を過ごした。
あと十数分で日が変ろうとしていた。
鐘を囲む低い壁の縁に足をかけ、壁の上に立つ。
屋根を支える4本の柱のうち、出口から一番遠い文字盤側の一つによりかかる。
さっきよりも視点が高くなると同時に、覗き込めば真下が見えるようになった。
かなりの高さで足がすくむ。落ちたら確実に死ねるだろう。
終わりの時間が近づいていた。あと数分で今日が終わる。
すくんでいた足も落ち着いてきて、真下を眺める余裕ができてきた。
柱から少しずつ手を放し体が不安定になる。準備はできた。
気づくと、時計台の周りには数百人の人間が集まっていた。
屋台は賑わいをを見せるが、人が多くなったためかテーブルは撤去さえていた。
突然、女性がこちらを見上げていることに気づいた。
そして、小指ほどの大きさの彼女は
隣の男性の肩を叩き、慌てて何か話しているようだった。
僕に気づいたのだろうか。
その女性の彼氏だろう肩を叩かれた男性はこちらを見上げ、
驚き興奮した顔で女性と話しているようだった。
その男女を筆頭に周りの人間がポツポツとこちらを見上げ始めた。
少女から老父までがこちらを見上げ、興奮したように何かを話しているようだった。
皆が僕を見ていた。皆が僕に注目し思い思いに感想を言っているようだった。
中には電話を掛けだす人もいた。
もしかしたら警察を呼ばれたのかもしれない。
突然こちらを見上げる男性の一人が大きな声を出した。
未だ幻聴が止まずが何を言っているかはわからないが大きな声で何か叫んでいる。
すると周りの人たちが呼応するように叫び始めた。
僕が死ぬのを止めようとしているのか?
あるはずもない可能性が頭に浮かぶ。
一度浮かんだ可能性は消えず、希望という名に変わって脳を埋めた。
会社をクビになり、恋人も友もいない孤独な僕の死を皆が止めようとしてくれている。
誰からも必要とされず、気にもされず、目にも留まらなかった僕の命を
もったいないと救おうとしてくれている。
こんな僕が人の心を動かしている。
時計台の前のすべての人が僕を見上げ、僕のために叫んでくれている。
瞬間、眼下の空間が怖くなった。
この縁の一歩先には、先ほどまで“死”という希望が敷き詰められた。
しかし、かつてない数の群衆に見上げられ、
自分という存在が認められていることに気づいたとき、
僕は最後の一歩が少し怖くなっていた。
気づくと、視界のモヤが少しずつ晴れていっていた。
今まで耳元にとり憑いていた幻聴も小さくなっていく。
回復した視野は、街の色どりをより鮮明にとらえ、
自由になった耳は見上げる人々の声を拾おうとしていた。
僕の心は、さっきほど死を望んではいなかった。
少なくとも今見える街の景色は、
先ほどの景色よりも幾らか綺麗なものとして僕の瞳に映っていた。
誰かの瞳に映って初めて、僕ら人になるのかもしれない。
生きることはこういうことなのかもしれない。
死を見ようとして初めて生きることに気づけた。
死ぬのは今日じゃなくてもいいかもしれない。
僕は柱に手を伸ばし、身体を支えようとした。
視覚も聴覚も完全に元に戻り、体は再び生きることを決めたようだ。
戻った聴覚に声が届く。
「「いちっ!」」
ん?
「「ぜろっ!」」
声に疑問を持った瞬間。背後から大きな音が響く。
突然の鐘の音に驚き、右足を滑らせる。
柱に伸ばした手は空を切り、右足と同様に支えを失った体は宙に投げ出された。
空気の壁を身体が押し、体の側面を風が流れる。
落ちる中考える。
深夜に時計台の鐘が鳴った。
深夜に異常に人々が以上に集まっている。
様々な光に彩られた町
電車の乗客の浮かれた顔。
そして今耳に届く言葉。
時計台のてっぺんから地面に会うまでのわずかな時間で
すべてを察した僕は最後に呟く。
「あぁ、クソ喰r、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。」
広場に彼を見下ろすものはおらず、
群衆は空を彩る花火に目を奪われていた。
そして、各々が興奮した声で叫んでいた。
「ハッピーニューイヤー!」と。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
はじめは勘違いをテーマにした短い話を書きたくて、
考えているうちにダークな方向へ流れていきました。
書ききってみると、スッキリしたので私は常にこういうことを
考えているのかもしれません。
感想や叱咤激励ありましたら、コメントお願いします。