温かなスープ
私はやっと街を見つけたことで安堵からか、その場で倒れ込んだ。
今まで暗闇の中で力走していた私にとっては、この街の光はとても眩しいものだった。
横になり、喘ぎながらも、美しい月夜と暖かい光に包まれながら私はそのまま眠りに落ちた。
まただ。
また救えなかった。
自分は何度家族を失えば気が済むのだろう。
失う度に心の中に喪失感が積もっていく。
彼女はもう戻らない。
何度笑おうとしただろうか。
何度彼女の願い事を叶えようとしただろうか。
結局俺は笑うことができなかった。
俺は呪われているのだ、一族に。
この呪いをどれだけ憎もうとも、消えることはない。
何度失敗したっていい。
何度失ったとしても、成功する道があるのならばそれまで耐えればいいだけのこと。
大丈夫、今回がダメでもまた次がある。
そう考えながら、俺は意識から目を覚ました。
「あなた、女の子よ」
聞き慣れた女性の声に混ざって赤子の泣く声が聞こえてくる。
赤子は力強く、与えられた生を目一杯に使おうとしている。
「お父さん、見て!僕の妹だよ!可愛いなぁ」
5つにも満たない小さな少年が赤子の頬を人差し指で軽く突いている。
女性も、少年も、その赤子を見て可愛らしい笑顔を浮かべている。
俺はその赤子の頬を親指の腹で撫でた。
「どうか、幸せになってくれ」と願いながら。
目を覚ますとそこは森の中ではなかった。
寝ていた所は冷たく固い土の上ではなく、雲のように柔らかいベッドの上だった。
私の周りは寒い夜風ではなく、白く暖かい毛布に包まれていた。
重い体を起こし、窓の外を見た。
私が最後に見た景色は真っ暗な夜と相対する街の光だ。
だが外の景色は黒色だった空は水色へと変わり、新月だった代わりと言わんばかりに輝かく太陽が存在していた。
私が今いる場所はどこなのだろうか。
幸いボロボロの廃墟ではなく、しっかりと整備と掃除がされており、生活感まで漂っている建物だ。
あの状況から自分の足でここまで来たとは相当考えにくい。
あそこで死んだと仮定してここがもしあの世ならば身体の感覚は無いのではなかろうか。
そのため、考えうる可能性は誰かが私をここへ連れて来たと考えるのが妥当だろう。
だがその連れて来た人物によっては少し警戒しなければならない。
もしも昨日の誘拐犯の男達ならば、今すぐにここから逃げることを視野に入れる方が得策だ。
その男達ではないにしても、私は目覚めたその日に誘拐された身だ。
ただの人狩りかもしれないが、私に何か価値があるとするのならば他の人にも注意を払わなければいけない。
だけどもしこの家の家主が優しい方ならどうだろう。
ある程度は信用できるのだろうが、それでも皮を被っている可能性もある。
そんなに沢山の可能性を考えても結局対処できる程の技量は持ち合わせていない。
こんなに悩んでいても結局未来は私の行動次第で変わり、そこから過去に戻ることはできないのだ。
「はぁ」
無意識にため息が口から漏れてしまった。
すると窓と反対側、ドアのある方から何かが軋むような音が聞こえた。
音に気づいたのと同時に私はそのドアの方に目線を移した。
ドアがゆっくりと開き、そのドアの奥には優しそうな目をした黒髪の女性が立っていた。
女性は一瞬目を丸くさせた後すぐに優しく微笑んだ。
「具合はどう?」
上品な話し方に、私は肩の力を少し緩めた。
女性は手に、木でできたトレーのようなものを持っており、その上には2つのお椀が置かれていた。
「あ、大丈夫です。すみません、ここまでしてもらって」
女性はニコッと笑うと部屋の中へと歩みを進め、私が座っているベッドの横にある机の上にトレーを置いた。
女性の方は横に置いてあった椅子に腰掛けゆっくりと話し始めた。
「あんな夜に女の子が森の中で寝てたんだもの。保護しない訳にはいかないわ。それによく見たら泥だらけで傷も付いていたから尚更ね」
そう言って彼女は私を憐れむような笑みを浮かべた。
正直、その表情を向けられて良い気分にはならなかった。
まるで私が可哀想な子供のように見られているように感じてしまうからだ。
彼女には全く悪意は無いのだろうが、同情というのはやはり人が最も感情として抱きやすいものではないかと思わせる。
「温かいスープお口に合えば良いんだけど、良かったら飲んで。お水もあるから」
と、トレーの上にあるお椀をほんの数ミリ私の方に寄せて言った。
スープの湯気から漂ってくるほのかな香りは私の心をすぐに落ち着かせた。
「ありがとうございます」
女性は私の返事を聞くと柔らかい笑みを浮かべながら頷き、そのまま部屋を出て行った。
私はまだ温かいスープのお椀を手に取り、スプーンでかき混ぜてから一掬いを口の中に入れた。
決して濃くはなく、だが味はしっかりと付いている、飲みやすいスープになっていた。
私は一掬い、また一掬いと口に運んだ。
昨日までは食べるものも、飲むものもなく、一度は手放そうとまでした生を、この一杯のスープで実感することができた。
昨日のことが嘘であるかのように、陽光を反射するスープの水面は揺れ輝いていた。