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第九章 邪悪な魔力



 優雅な音楽が、フロア中に響く。会場の男女は手に手を取り合い、ダンスのステップを踏んでいた。実際こうした場に出るのは初めてでやや緊張はしていたが、何とか上手く踊れていることにフィア自身、安堵していた。


「フィア様」


 淡い声で、名を呼ばれる。声の主……レナに向かって、フィアは穏やかに首を傾げた。


「どうかなさいましたか?」


 優雅にダンスのステップを踏みながら、レナは穏やかに微笑み、言った。


「ありがとう」


 いきなり礼を言われて、フィアは驚いた顔をする。レナは真っ直ぐにフィアを見据えて、微笑んでいた。


「私は、本当に好きだと思った人と一緒になりたいと思っていたのです。それに、父も母も頷いてくれていた。きっと、珍しいのでしょう、私のような家に生まれた娘は、大抵親の決めた相手と結ばれるということは知っていますから。だからこそ、あの方も私や私の親が頷くと思ったのでしょうしね。

 だから、今回のことはとても困って……でも、フィア様の御蔭で、とても、助かりました。お願いして、本当に良かった」


 だからありがとう。そういってレナは微笑む。それを聞いてフィアも直ぐに嬉しそうに目を細めた。


「これが自分の仕事ですから。でも、貴女のような方の婚約者を務めることができて、とても楽しかった。こちらこそ、ありがとうございました」


 フィアは穏やかに言い、くるりとターンする。うまくレナをリードしつつ、自分も転ばないように気をつけて、丁寧に踊る。緩く腰を抱き、彼女のドレスの裾を踏まないように、とステップを踏む。

 意外と、楽しいものだな、と思う。引き受けた時は厄介だと思ったが、存外楽しい。そんなことを考えていた、その時だった。

 フィアは窓の外で何かが光るのを見た。鋭く、殺意の籠った光。それが何なのかはわからなかったが、自分がとるべき行動は一瞬で、理解出来た。


「危ない!」


 誰かが叫ぶ。それより早く、フィアは咄嗟にレナを庇い、その場に伏せた。

 パァンッとガラスが砕け散る音と同時に鋭い痛みがフィアの左肩を貫いた。焼け付くような痛みが走り、フィアは思わず唇を噛み締める。此処にいる人たちを守る立場である自分が声を上げてはいけない。フィアは自分にそう言い聞かせた。

 周囲で女性たちの悲鳴が上がる。フィアに覆いかぶさられたまま、レナは驚きで目を見開いていた。

肩の痛みを堪えながらすぐに体を起こし、フィアはレナに詫びた。


「いきなり申し訳ありませんでした。……お怪我は?」

「わ、私は、平気です。でも、フィア様、肩が……!」


 今にも泣き出しそうな顔をして、レナが言う。フィアの白いタキシードの肩の部分は赤く染まっていた。その染みは見る見るうちに、広がっていく。


「大丈夫ですよ。慣れていますから」


 フィアはレナを安心させるように微笑むと、立ちあがって割れた窓ガラスを見た。

 僅かにではあるが、邪悪な魔力が残っている。普通の魔力ではない。悪意と、殺気に満ちた魔力。何の魔力だろうか。フィアが考えていた時。


「フィア!」


 会場にシストが飛び込んできた。随分と焦った様子で。


「くそっ! 逃げられたか」


 割れた窓、騒然とした会場を見て、シストは小さく舌打ちする。状況が飲み込めないフィアは、シストに訊ねた。


「何のことだ?」

「悪い、詳しくは後で説明する。……怪我人は?」

「いない」


 先程周囲を見渡した時に一応確認したが、怪我をした人間はいなさそうだった。小さく首を振りながらのフィアの言葉に少し安堵した顔をするシスト。


「そうか。よかった……って、お前が怪我してるじゃないか!」


 すぐにフィアの肩の傷に気づいて、シストは声を上げた。そして心配そうにフィアの顔を覗き込む。


「だ、大丈夫かこれ」


 着ているタキシードが白い分、赤い血は良く目立つ。酷く痛々しいそれを見て、シストは眉を下げた。


「これくらい大したことない。忙しい奴だな」


 怪我をした当人以上に慌てているシストにフィアが苦笑する。そしてすぐに表情を引き締めると、窓の外を見た。


「シスト、お前は今のこの攻撃が予想外、というわけではないようだな? 俺の任務についてきたのも、パーティの前に姿を消したのも、そのためか?」


 詳細はわからずとも、それくらいは、想像がつく。フィアがそういうと、シストは小さく頷いた。


「あぁ。こうして攻撃してくる奴がいるかもしれないから見張っておけ、と言われていた。だからこうやって攻撃する奴を止めようと思って外にいたんだが」

「言われていた、って誰に……ッ?!」


 誰にそんな指示をされたのかと問おうとしたフィアは自分の視界が歪むのを感じ、息を呑んだ。ぐらり、と世界が回るような感覚。


―― くそ……毒か?


 心の中で呟く。歪む視界と微かに震える身体。風邪を引いた時のような、鈍い頭痛。それが、身体の中から冒される感覚であることはすぐに悟ることが出来た。

 しかし、此処で倒れるわけにはいかない、とフィアは思う。今は任務中。しかも、シストの様子から推測する限り、ただの”貴族の護衛”の任務ではないだろう。その場合、一人でも人手があった方がいいはずだと、フィアは冷静に考えていた。

 シストはそんなフィアの様子に気づかないまま、フィアの問いに答えた。


「誰にって……お前の従兄。俺たちのリーダーだ」

「ルカに、か?」


 痛みを堪え、息を整えながらフィアがいうと、シストはもう一度頷いた。


「そう。俺もあんまり詳しく聞かされてないんだが……最近、妙な事件が続いていてな。

 こういうパーティ会場で正体不明の何者かが人を襲うって事件が続いているんだ。万が一今回の会場にも現れたら困る、フィア一人で対応するのも大変だろうから傍についていてくれ、って」


 そうルカに頼まれたのだとシストは語る。それを聞いて、フィアは苦笑した。


「なるほど。過保護な、彼奴らしい」


 体の変調に気付かれまいとするように、フィアはわざといつものような軽口を叩く。そんなフィアの言葉にシストは軽く肩を竦めながら、いう。


「お前らしい反応だな。ルカに、フィアにはこのことをいうなって言われてたんだよ。多分、お前のそういう反応を見越してだと思うけど。

 ……って、そうじゃなくて! 追わないと! さっきの魔力!」


 シストは漸く思い出したように叫んだ。何でも、会場に入った頃にその魔力……異常な、悪意の籠った魔力に気が付いて、一度フィアの傍を離れ、魔力の持ち主を探していたのだという。それが姿を現した以上、追わなければならない。

 フィアはそんなシストを小突いた。そう言うことなら早く言え、と呆れた声でいった。


「この会場はもう安全なんだろうな?」


 フィアは隣にいるシストに訊ねる。此処がまだ危険なら、レナを守るのが優先だからである。此処を離れた瞬間に襲撃される、などということがあってはならない。


「あぁ。逃げていくのは、見えた。他に気配はない」


 フィアはシストの返答にほっとしたような顔をした後、表情を引き締め、ドアを指差した。


「そうか。なら、行こう。今ならまだ魔力を追える」


 あれだけ独特な魔力だ、辿ることは比較的容易にできる。ヴァーチェ以上の実力をもつ騎士ならば、尚更だ。しかし、時間が経てば経つほど、その手がかりは少なくなっていき、やがては追うこともできなくなる。何としても、今回の事件の犯人を見つけ出さなくてはならない。今回、自分が居合わせた場所で遭遇出来たのを好機と捉える他ない。これ以上に被害が出る前に、食い止めなければ。予想外の追加任務だが、泣き言は言っていられない。

 フィアはシストとともに会場から走り出ようとして……足を止めた。


「すまない、シスト。先に行っていてくれ」


 すぐに追いつく。そういって、フィアはレナの元に戻った。

 突然自分の前に戻ってきたフィアにレナは驚いた顔をする。フィアは彼女の前に跪き、レナの手の甲にキスを落とした。予想外の行動に、レナは目を見開いたまま固まった。フィアはすっと顔を上げ、申し訳なさそうに微笑む。


「騒がしくしてしまって、申し訳ありませんでした」


 せっかくの楽しいパーティを、とフィアが言うと、首を横に振り、微笑むレナ。


「いえ、とても楽しかったわ。……またお誘いしてもよろしくて?」


 今回の任務で縁を終わりにしたくないの。レナはそういった。フィアは彼女の問いかけに、笑顔で頷いた。


「私などでよろしければ喜んで。また、ダンスを一緒に踊らせていただきたいものです。……では、急がねばなりませんので……私はこれで」


 にこりと微笑み、シストを追って走り出したフィアの背中に、レナは叫んだ。


「お気をつけて!」


振り向けば、笑顔で手を振っている。その無邪気な笑みは、優しい気遣いは、フィアたちが仕える人物を彷彿させた。フィアはそれに軽い一礼で応えるとシストを追って走りだしたのだった。



***



 会場を出て、走り続ける、二人。魔力を追って、走る、走る。微かに残る、邪悪な魔力が、唯一の手がかりだ。


「畜生、疲れるな」


 馬で来れば良かった。思わず呟くシストに、フィアは呆れたように言う。


「文句を言うな、とにかく走るぞ」


 流れてきた汗を手の甲で拭い、自分自身をも励ますように強い口調で言い放った。確かに、馬で来ていれば、早かったのだが、二人とも歩いてきている以上、走るほかない。魔力が少しずつ薄れてきているのを感じていたために、二人とも焦っていた。

 魔力を追いかけ、走った末に二人はある場所で立ち止まった。荒くなった呼吸を整えながら、フィアは小さく呟いた。


「……森の中か」


 異形の魔力を追いかけて、二人が辿り着いたのはパーティー会場近くの森。どんよりとした雰囲気は、その森の見た目のためか、森の中に住む魔獣たちの魔力のためか。


「いかにも魔物が住んでそうな場所だな」


 勘弁してくれよ、と呟きながら、シストは長い紫の髪を後ろで一つに束ねた。戦いに備えての準備だろう。

 そんな彼の言葉にフィアは無言で頷いた。……否、無言、というのは少し違う。言葉を発しようにも発せなかったのだ。此処まで普通に走ってこられたのが不思議なほど、フィアの体は絶不調だった。酷い風邪を引いたときのように寒気を感じ、頭痛や眩暈が同時に襲ってきている。挙句、身体には力が入らない。今は任務中だという義務感だけで必死に意識を保って立っているような状態だ。今まで、こんな状態になったことは一度だってなかった。

 一体どういった武器だったのだろうか、と時折霞む意識の中で、フィアは考えた。

 傷を受けたのは肩のため、服をある程度脱がないと傷をしっかり確認できない。本当はすぐにでも確認したかったが、シストがいるため、無理だ。服を脱げば、自分の性別が露見する。性別を隠しているという秘密がこんなところで足枷になろうとは、考えたこともなかった。

 銃か何か瞬間的な衝撃を与えるものだった。ほんの一瞬、自分の肩を貫いた痛み。そして、衝撃。あの衝撃は、おそらく銃や矢などの、遠距離系の武器。だが、妙なことにあの会場には銃弾も矢も残っていなかった。銃弾が体に残っている、というケースも十分に考えられるが、それにしては銃声が聞こえなかった。あそこまで静かに撃てる銃はこの世界にも存在しないはずだ。そもそも、銃弾に毒を塗りこめるなんて厄介なことを思いつく者がいるだろうか? では一体……? フィアは悩んだ。

 ぐるぐると考え、悩んだ末に、フィアはとにかく意識を保つことに集中することにした。ついでに言うのであれば、傷を確認したところで、この場で手当てが出来るかといわれたら答えは否、だ。フィアは治癒魔術を使うことができない。持ち合わせのもので応急処置程度は出来るかもしれないが、現在の不調はどう考えても出血のためではないだろう。その場合、止血したところで大した効果は得られないだろう。

 ぼんやりしているフィアを見て、シストは不思議そうな顔をした。


「フィア? フィア、どうした、行くぞ?」


 そう声をかけられ、フィアははっとした。森の入り口を指差しているシストに頷いて見せる。


「わかった。すまない」


 一歩踏み出せば、肩が痛んだ。吐き気がしそうなほどの酷い頭痛に襲われる。


―― 今倒れるわけにはいかない。


 フィアは痛みを堪えながら、シストの後を追った。



***



 静かな森の中を二人は駆け抜けた。

 森の中、というのは魔力が不安定な場所だ。大小様々な魔獣が潜んでいる。幸いなことに二人を襲ってくるものはいなかったが、どの魔獣も心に悪意を秘めている。

 至るところに悪意のある魔力が溢れていて、そのうちに追ってきた魔力が消えてしまった。追いかけようにも、これでは手がかりがない。

 走っていた足を止めて、シストとフィアは息をついた。


「くそっ、またかよ」


 悔しそうにシストが呟く。それを聞いて、フィアは驚いた顔をした。


「また? 以前にも追ったことがあるのか?」


 フィアが訊ねるとシストは頷いた。


「前はルカと一緒に追ったんだ。あの時も魔力が満ちたところに逃げ込まれて見失っちまった。ルカほどの力があっても駄目なのかと思ってがっかりしたよ。

 少し前にルカが疲れ果てて帰ってきた日があったんじゃないか? お前と初めて話したあの日。あの時がその任務だったんだ。ルカはもう少し探ってから帰るからっていわれて、俺が先に帰ってきてたんだけど……」


 フィアは自分の記憶を辿り、思い出した。ルカがフィアに剣の手入れを任せて眠ってしまったあの日の事だろう。


「あの時の任務はそれだったのか」


 フィアは納得した。道理で傷がない割に疲弊していた訳だ。自分のものではない魔力に長時間曝されるのは体力を削られるのである。魔力を持たないルカは、他の人間のように目に見えるような影響は受けないはずだが、体内に蓄積される疲労は人並み以上のはず。それで疲れ果てて帰ってきたというのなら、納得がいく。

 挙句、この森の魔力は何だか奇妙で、尚のこと気分が悪くなる気がした。

 シストは暫く森の中に視線を走らせた後、溜息をついて、フィアの方を見た。


「さて。目標見失っちまった以上いつまでも此処で突っ立ってても意味ないし、帰るか」


 腹減ったしお前も疲れたろ、と少し冗談っぽくいって笑い、フィアを見た。フィアもその言葉に小さく頷く。

 そんな彼の顔を見て、ふとシストは気付いた。すっと紫水晶(アメジスト)の瞳を細め、真剣な顔をしてフィアを見つめる。


「フィア、お前大丈夫か?」

「何が?」


 その問いかけの意味は理解出来るために少し声が上ずる。シストの瞳が、心配そうにフィアを見据える。


「暗いから今まで気づかなかったけど……顔色悪い。傷が痛むのか?」


 シストの言う通り、フィアの顔は病人のように青白かった。元々色白ではあるものの、色が白い、で片付けられるレベルではないとシストも気付いたのである。それがフィアの肩の傷の所為だと思ったらしい。心配して肩に手を伸ばすシストを躱し、フィアはいった。


「平気だ。俺の精神力をなめてもらっては困る。此処の変な魔力にあてられて疲れただけだ。……早く帰ろう」


 いつも通りの声音でのそんな言葉は、フィアなりの精一杯の強がりだった。

 本当は、もう体も限界だった。立っている事だって辛いくらいの眩暈が絶え間なく襲ってくる。ほんの少し気を抜けば、倒れてしまいそうだった。

 それでもそんな様子を露ほども見せず、フィアはすたすたと歩き出した。


「まったく……」


 ああ言い出したら、何も聞かないというフィアの強情さをルカからも散々聞かされて既に知っているシスト。呆れたように溜息を吐いた後、それ以上追及することもなく、フィアの背を追ったのだった。






 

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