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第七章 真実



「ルカ、お前も来るのか?」


 オルフェウスの塔の長い螺旋階段を上りながらフィアは前を歩くルカに訊ねた。ルカは振り向かずにいつも通りの声音で答える。


「お前一人で行かせる訳にはいかないからな」

「……馬鹿にするな。迷子になんかならないぞ」


 確かにまだ幼かった頃は城の中で迷子になったこともなくはなかったが、今はもうそんなことも起きない。一人で行けたのに、と少し拗ねたような口調で言う、フィア。しかしルカの言葉が意味する所はそこではないらしく、ルカは苦笑気味に言葉を濁した。


「そうじゃなくてな。……ああ、ついた」


 ルカは言葉を切って、ドアを開けた。

 埃の臭いと蜘蛛の巣に包まれたオルフェウスの塔の部屋。かつては何らかに使われていたらしいのだが、今はただの廃墟。立ち入る人間も居ないという。人が住まなくなった家は寂れると聞いたことがあるが、まさにその通り。窓ガラスも砕け、外からの風が吹きこんでいる。月明かりが微かに射し込むだけの薄暗いその部屋に近づく人間はそうそう居ないだろう。幽霊が出る、という噂さえも立ってしまうほどだ。


「……あ」


 ふと、フィアは声をあげた。誰もいないはずのその部屋に一人の女性が座っているのである。まさかこんなところに人がいるなんて、とフィアは息を飲んだ。

 女性はフィアたちの方を向いたようだった。薄暗い部屋の中では、その顔は、まだよく見えない。女性だと思ったのは、その影が身に付けているのが、どうやら豪奢なドレスのようだったから、だった。


「ディアノ様、フィアを連れてきました。お待たせして申し訳ございません」


 ルカがその女性の前に跪き、頭を垂れる。フィアも慌てて同じようにしながら、挨拶をした。


「遅れてしまい、申し訳ございません。フィア・オーフェスと申します。以後、お見知りおきを」


 フルネームを名乗ることも随分減ったな、とふとフィアは思った。家族が死んでからファミリーネームを名乗ることが少なくなったから、である。その理由は、自分一人がオーフェス家の生き残りだと実感してしまうから。自分しかオーフェスの名を名乗る者がいないことが哀しくて、フィアは聞かれない限り、自分の姓を名乗るのをやめてしまったのである。しかし、ルカの話し方からして、今自分が話している相手が位の高い人だとわかったから失礼のないように、とフルネームで名乗ったのである。

 フィアとルカの様子を見て、女性はくすりと笑った。


「顔をあげて、私によく顔を見せてくれないか」


 少し低めの声だが、確かに女性の声だ。言われた通りフィアは顔をあげてはっとした。

 目の前に立っているのはフィア達が仕えている女王……ディナにそっくりだった。長い焦げ茶色の髪に鮮やかな赤と緑の瞳。珍しいはずの、オッドアイ。長い緑のドレスを身に付けた、美しい女性……


「陛下……?」


 思わずフィアの口から零れる言葉。それを聞いてその人物が目を細めた。


「私の名はディアノ。ディナではないよ」


 その言葉にフィアははっとして、頭を下げた。


「失礼いたしました」


 身分の高い人間の顔を見て別人の名を呼ぶなど、失礼極まりない。慌てて謝るフィアをみて、ディアノはくすと笑った。そしてひらりと手を振って、言う。


「気にすることはない。私とディナは双子なのだから間違えても当然だ。昔からよく間違われていたから慣れてもいる」


 その言葉でフィアは納得した。女王に双子の姉がいたことは噂で聞いていたからである。


―― そう、双子の姉が“いた”ということを。


 それを思い出したところで、フィアはさっと血の気が引くのを感じた。

 つまり、眼前に居る彼女は、幽霊、ということで。それは流石に驚きだし、……多少の、恐ろしさも感じる。

 そんな彼の様子を見て、女性はこくりと頷いた。


「そう。姉が“いた”んだよ。今はもう居ないがな。ディナ・ローディナスの双子の姉、ディアノは既に死んでいるのだからな、私は確かに幽霊のようなものだ」


 お前の思った通りだよ、と彼女、ディアノは言う。それを聞いてフィアは驚いて目を見開く。今思ったことは、口に出していない。


「何故……」


 自分の考えたことがわかったのか。そう言いたげなフィアを見て、ディアノは可笑しそうな顔をしつつ、言った。


「何故思っていたことはわかったか? それは、無論お前の顔を見て、というのもあるが……私がお前と同じような力を持っているからさ。形やルーツは違うがな」

「同じような、力?」


 予想外の返答に、きょとんとするフィア。ディアノはそんな彼を見つめて微笑むと、言った。


「特殊な魔力さ。他人とは違う、他人に恐れられうる魔力……そのおかげで、お前の力がどういった力であるかも、お前が何を思い悩んでいるのかもわかったのさ。勿論、その魔力のルーツも、な」


 彼女は言う。フィアの悩みを解決する術を知っている、と。ルカが置き手紙に書いていた全てを知っている人間、というのは彼女のことなのだろう。フィアはそれを理解すると前のめりになって問うた。


「一体、何なのですか? 俺……否、私は……」


 それが知りたい、とフィアは言う。しかしそれをディアノは静かに制して、微笑んだ。


「少しずつ説明するよ。信じられないことも多いだろうが、落ち着いて聞いてほしいからな」


 焦らなくて良い、話さなければならないことはたくさんあるのだから。落ち着いた口調でそういうディアノ。そう言われてしまっては、落ち着かざるを得ない。ディアノは黙ったフィアを見ていい子だな、と言った。


「本当はお茶の一つでも出してやりたいところなのだが、生憎と“この体”では飲み食いする必要もないものだから」


 そう少し冗談めかした声音で言った後、彼女は一つ息を吐いて、言った。


「さて、私はディナ女王の双子の姉。数年前に死んだといわれるこの私は今此処にいる。その理由は単純……魂が此処に留まってしまったからだ。私が死んだことは事実だ」


 此処にな、と彼女は言う。ふっと息を吐き出してから、彼女は遠い昔を思い起こすような顔をして、ふっと息を吐き出して、言葉を紡いだ。


「何故此処に魂が囚われたままになったのか、初めは違う理由のみを想定していたのだが……どうやら私と似た境遇のお前に出会い、お前に真実を告げてやるという役割も負っていたようでな」


 因果応報とでもいうのか、否、其れともこれも私への罪の償いの一つなのだろうか、などと淡々と話すディアノ。どうにも回りくどい話し方をする彼女に、フィアは少し眉を寄せる。


「どういう……」


 彼女……死んだはずのディアノが此処、オルフェウスの塔にいることと、自分の魔力。何か、関係があるのだろうか。話の展開がつかめず、困惑するフィアに、ディアノは言った。


「私以外に、お前の魔力のことをしっかりと伝えられる人間は、恐らく存在しない。お前の魔力は……あまりに特殊だからな。その魔力がどういった力であるか確信を持てるのも、その真実を伝えられるのもきっと、私だけだったのだろう。

 だから私は、死んだ後もこの場所に残ることになった。もしかしたら罪を犯した私への、神からの罰なのかもしれないな」


 随分と長く此処にいたのだ、と彼女は言う。

 ずっと一人で、この場所に、滅多に誰も訪ねてこないこの場所に? フィアはそれを聞いて、視線を揺るがせる。何と言葉をかけて良いのかわからず悩む彼を見て微笑むと、ディアノは言った。


「初めはこの状況に怯えもしたが……お前の従兄が此処にきて、お前の話を聞いた時、理解した。私は、私と同じように“普通ではない魔力”に悩んでいるお前を助けるために、此処に残されていたのだと。残っていて良かった、とも思ったな」


 こんな私だから助けてやれる、とそこで一度、彼女は言葉を切った。そしてふっと目を細めながら、柔らかな声で言う。


「……誰かの力になることは生前、私がなし得なかったことだから、もしかしたら私にとっても未練だったのかもしれないな」


 そういった彼女はふうと息を吐き出した。

 ずっと、彼女は一人、この塔にいたのだという。死んでから……否、自ら命を絶ってから、ずっと。初めは自殺した罪故にこの塔に魂が囚われてしまったのだと思っていた。それならば仕方ないと諦めていた。幸い彼女が持つ“特殊な力”で周囲の様子を知ったり、見たりすることは出来ていたし、霊体であるために空腹や寒さ暑さに苦しめられることもなかった。

 ただただ退屈な日々。いつ終わるともしれぬ時間。そんな時、この塔でルカに出会ったのである。彼は従弟の魔力について悩み、一人静かに考えられる場所を探して此処に来たようだった。


―― 貴女、は?


 初めてディアノを見た時には驚いたルカだったが、すぐに彼女のことを受け入れた。そして、彼の魔力について相談したのである。フィアが持つ人並み外れた魔力。日に日に増していくそれの正体。そして……自分と(フィア)との関係を。

 最初はフィアのことを知らなかったディアノ。ルカから話を聞いて初めて彼のことを見て、知ったのだ。彼は“特別”な存在であるのだということを。それをルカに伝えると、彼は少し悩んだ末に、その説明をしてほしいとディアノに頼んだ。自分では上手く、そして冷静に伝えてやれる自信がないから、と。ディアノはそれを承諾して、現在に至るのだ。

 さぁ、伝えてやらなければならない。そう思いながらディアノは真っ直ぐにフィアを見る。真剣な表情を浮かべる彼を見て、ディナは口を開いた。


「さて、本題に入ろうか。お前がもつ魔力は特別なものだ。普通の人間では知り得ない、魔力……それはきっと、お前もわかっているな?」


 人間では持つことのない魔力だ。そう呟くように言った彼女の言葉に、フィアは戸惑いながら頷く。自分が持つ魔力がただの人間が持つには強大すぎる自覚はあった。その正体がわからないものだから恐れているのだ。例え今から聞かされる言葉がどんなものであったとしても、わからないままよりは良いだろう。そう思いながら、フィアはディアノを見つめ返した。

 少し緊張した様子のフィアをじっと見つめたディアノはすっと息を吸いこんで、言葉を紡いだ。


「フィア……お前が有している魔力は、天使の魔力だ。お前は、天使の血を引いているのだ。それが、普通の人間では持ちえない魔力を有している理由だ」


 その言葉に大して衝撃を受けることもなく、フィアは首を傾げた。衝撃を受けなかったというよりはその言葉があまりに突飛なものだったものだから、理解できなかった、の方が正しいけれども。

 確かに、天使の子などと呼ばれたことはあるが、と思う。でもそれはあくまで整った容姿を示す賛辞の言葉と、フィアは思っていた。自分はただの人間だと。

 天使族。それは特殊な種族。天界に住むという、特殊な魔力を有する種族、伝承上の存在だ。自分がそれであるとは……到底思えない。

 そんなフィアの反応を見て、ディアノはすっと目を細め、小さく溜息を吐き出した。まぁ信じられないよなと思いながら彼女は言った。


「実感がない、といったところだな」


 それも致し方なかろう。そう呟くのと同時、彼女はフィアの額をつついた。ちょっとした悪戯のように、ごく軽く。その刹那、フィアは激しい眩暈に似た感覚を覚えた。視界が歪む。足がふらつく。立っていることすら、できない。


「フィア!」


 がくんっと膝を折り、座り込むフィアを驚いた声をあげつつ、ルカが支えた。彼の手が、熱い程に感じられる。それくらい、体温が下がっていた。

 フィアは肩で息をしながらディアノを見る。彼女の手には黒い手袋がはめられていた。ディアノはふっと息を吐いて、口を開いた。


「私が今はめているのは悪魔の手袋(デビル・グローブ)というアイテムだ。悪魔の魔力を閉じ込めた道具。悪魔の魔力を帯びたものは危険であるために珍しいものだから早々出回る物ではないのだが……ルカに無理を言って仕入れてもらった。お前に、お前の種族を伝えるにはこれが一番早い」


 ディアノはそういうと、その手でルカの額を同じように小突く。しかしルカはいつも通り、平然としている。自分はあんな風に力が抜けてしまったのに、どうして。そう言いたげな顔をするフィアを見て、ディアノは言った。


「普通の人間は触られても平気なのだよ。多少の影響は受けるが、少なくとも倒れたりするようなことはない。しかし、天使と悪魔の魔力は互いに反発するから、お前は体に変調をきたす。何故ならお前には天使の血が通っているから。天使は悪魔の魔力に弱いだろう?」


 確かに、そうだ。天使は悪魔に弱かろう。それは理解できる。けれど、とフィアは反論するように、言葉を紡いだ。


「しかし、魔力は遺伝するものなのでしょう。天使の魔力もそのはず。もし、私が本当に天使族だというならば、尚のこと。しかし私の両親は普通の人間でした。事実、此処にいるルカも私の従兄。しかし彼にも天使の力はない。だとしたら私は……」


 何でもない人間の親から天使の子供が生まれるはずがない。それなのに、自分の血族のルカには、天使の魔力はおろか、普通の魔力さえも宿らない。そのことからいっても、自分が天使などであるはずがないと、フィアは反論する。

 彼の言うことも尤もだとディアノは思う。彼がそう言うであろうことも予測出来ていた。ディアノも事情を知らなかったのならば、確かにそうかと頷いていたことだろう。

 けれども彼女は知っている。フィアが何故天使の魔力を持ち、何故その血族であるルカが魔力を持たないのかを。


「なるほど、確かにそうだな。でも……血が繋がっていないとしたら?」


 静かなディアノの言葉にフィアは目を見開く。瞬く蒼の瞳を見つめて、彼女は言葉を続けた。


「私の目を見ろ、お前はさっき、何故私を見てディナの名を紡いだ?」

「それ、は」


 ディアノの瞳とディナの瞳は全く同じ色だった。珍しいといわれている片目ずつ色が違う瞳。右は燃えるような赤色、左目は翡翠色。それはあまりにディナとよく似ていたものだから、彼女であると勘違いをしてしまったのだ。だから、彼女たちが双子だと聞いて納得した。双子なのだから、似ているに決まっているに決まっている。姉妹は、血族は、遺伝で何処かは似ているはずなのだ。……普通は。

 何かを察した様子のフィアを見て、ディアノは悲し気に微笑む。そしてそのまま静かな声音で、彼に問うた。


「私はディナとまったく同じ瞳だ。私と彼女は双子だから当然だな。双子だといわれるのに、全く違う色彩だったら、それは血の繋がりを否定することになりうるわけだ。……じゃあ、お前はどうだ? お前の両親、親族の瞳や髪の色は? お前のような蒼色の瞳を持った者がいるか? お前のような亜麻色の髪の者がいるか?」


 ディアノの容赦ない言葉がフィアを追い詰める。否定したくともできない現実を突きつけられていた。

 フィアの髪は柔らかな亜麻色だ。しかし、彼女の両親、祖父母、親族たちはみな黒い髪。そして瞳の色も赤や黄の暖色の者ばかり。しかし、フィアの瞳は目が覚めるような蒼色……血の繋がりを表すようなものは……何一つ、ない。

 両親が天使でないなら自分が天使であるはずがない。けれど、もし、その両親が、本当の両親でなかったとしたら?


「そもそもの話、天使族の容姿には特徴があるという。聞いたことくらいはあるのではないか? 伝承のレベルであるとしても」


 ディアノはフィアにそう問いかける。フィアは緩く、首を振った。聞いたことがないと。すると彼の隣に立っていた従兄が口を開く。


「天使は、亜麻色の髪に蒼い瞳を持つ。伝承として伝わる姿は、それだ」

「その通りだ」


 ルカの言葉にディアノは頷く。フィアは何か言いたげな顔をしたが、口を噤み、俯いてしまった。固く握られた拳が、微かに震えている。

 否定したかった。けれども、これだけ情報を揃えられては、否定できない。自分の容姿は明らかに伝承に伝わるそれで、先刻ディアノが身に付けていた悪魔の魔力を纏う物体に体が拒否反応を示したのは間違いなく。……何より、自分の両親と、親族と、血の繋がりを感じさせる要素は思い返す限り、確かに一つもなく。

 全てを悟った様子のフィアの瞳から涙が零れ落ちた。


「私と……父、母……ルカは、他人ということなのですか?」


 ディアノは静かに頷いた。それを聞いたフィアは顔を覆い、声を殺して泣きだした。

 騎士になってから、こんな風に泣いた日はなかった。弱さを露呈するようなことはしなかった。苦しくても悲しくても、泣きはしなかった。けれどもこればかりは……耐えられなかった。

 本当は、本当は、薄々気づいてはいた。不思議に思っていた。親族に自分と似たような髪を持った人間が居ないこと。同じような瞳の人間がいないこと。自分ほど強い魔力を有した人間がいなかったこと。もしかしたらとは、思っていた。実際、お前は本当にあの家の子なのかと村の他の子供達に言われたこともあった。そんなことがあって落ち込んで家に帰ると決まって母が優しく抱き締めて、撫でてくれた。貴女は私たちの子供よ、と。だからその言葉を信じて生きてきたのだ。

 しかしやはり、自分と父や母……そして今隣にいる従兄のルカは、血の繋がりのない他人。それはどうやら、覆らない事実のようだ。母の言葉は、自分の心を守るための、優しい嘘だったのだ。


「俺の両親は、ルカは、他人、だったのですね」


 掠れた声で、フィアは呟く。サファイアの瞳を涙に濡らしながら。

 知らされた現実は家族の事を愛していた彼女にとって、辛いものだった。貴女は私の娘だといって笑ってくれた母。厳しい所もあったが自分を大切に育ててくれた父。そして、今もこうして傍にいてくれている従兄。彼らは皆、自分と血が繋がっていないのだ。本当の家族ではなかったのだ。その現実が、胸に痛かった。



***



 そうしてフィアが泣き出してから、どれくらいの時が経った頃だろう。不意に、ぴしゃりと鋭い音が響いた。それと同時に、頬にじんとした痛みを感じる。


「痛い」


 フィアは小さく声を上げ、驚いたように従兄の方を見た。一瞬理解出来なかった状況を、飲みこむ。暫くは何も言わず、何もせずにいたルカが、不意にフィアの頬を叩いたのだ。そのまま、ルカはフィアの頬を両手で挟み込む。ゆっくり一度瞬いたフィアの涙がルカの手の甲を伝って落ちた。フィアはただ、驚いたようにルカを見つめている。ルカはそんな彼を見つめながら、一つ息を吸って、言った。


「いつまでも泣いてんなよ! 血の繋がりが何だ? 血の繋がりがなかったら、お前の、両親を守りたかったって思いも消えちまうのか?! お前の覚悟はそんなものだったのか、フィア!」


 厳しく、ルカが言う。真っ直ぐな紅玉(ルビー)色の瞳で、フィアを見据えながら。ディアノは黙ったまま、そんな二人の様子を見守っていた。

 彼の言葉に、フィアは瞬きをした。一粒涙がぽろんと落ちる。今までこんな風にルカがフィアを叱ったことはなかった。だから、フィアは驚いたのである。ルカは真っ直ぐフィアを見つめ、変わらず険しい顔をしながら言葉を続けた。

 

「他人だから何だ? 天使の魔力を持ってるから何だ? お前はお前だろう? お前は俺の従妹だし、お前を守って死んだのは紛れもなくお前の両親だ。

 本当の子供じゃないと知っていた筈なのに、お前の両親はお前を守って、死んだ。それがどういう意味か解るか?

 フィア、お前の事を本当の子供だと思って愛していたから、そうしたんじゃないのか。本当に愛していた我が子だからこそ、お前の両親は守りたいと願い、その両親を殺されたから、お前は強さを求めた……違うのか?」


 そう言い切るとルカはフィアの頬から手を離した。あまりの彼の剣幕に暫しぽかんとしていたフィアだったが、やがてその瞳に強い光が灯った。そして彼はグイッと涙を拭って、言った。


「お前のいう通り、だな。しかし……ルカに気づかされるとは、俺も落ちぶれたものだな」

「……お前なぁ」


 フィアの生意気な言葉にルカが苦笑したところでディアノが手を叩いた。


「話は終わったみたいだな。私が思った通りになって良かった」


 本当は少し、心配していた。フィアがきちんと自分の力を、出生の秘密を受け入れられるだろうか、と。

 ルカから、フィアがどういう人物なのかは聞いていた。生意気で、意地っ張りで、けれども家族や友人を大切にする()なのだと、ルカは笑いながら話していた。そんなフィアに、家族と血の繋がりがないということを伝えるのは、あまりに、残酷な気がしていたのだ。

 けれどもどうやら心配はいらなかったようだ。それも、当然か。こんなにも優しい家族がいるのだから。ディアノはそう思いながらふっと微笑んだ。そして優しい声で、彼にいう。


「フィア、お前の魔力は確かに強い。お前は賢い子だから悩んだだろう? 誰かを傷つけてしまうのではないかと。でも、大丈夫だ。訓練すれば普通の魔力同様、使いこなせる」


 安心して良い、と彼女は微笑む。その言葉に礼を述べた後、フィアは疑問に思ったことをディアノに訊ねる。


「何故、私が思っていることを? ……貴女の能力故ということは、理解出来ているのですが」


 先程からずっと、彼女は自分の思っていることを言い当ててきた。それも予想だとか、表情で推測できるレベルでではなく、まるで思っていることすべてを見透かしたかのように。それは何故か。確かに顔に出ている所もあるだろうが、それだけでここまで精密に当てることは、きっと難しいだろう。そうフィアが問いかけると、ディアノは寂しそうに笑って答えた。


「それも勿論あるが……能力を使わずとも解るさ。私もそうだったから。人と違う、強すぎる魔力を持っていた。それが怖かったんだ」


 そういって、彼女は寂しげに語る。


「ディナにはこの魔力がなかったのだが、私は他人が考えていることを読んだり、その気になれば他人の思考を操ったり出来た。幼い頃はそれで良く悪戯をしたんだが……そういった力は、いつでもマイナスに働くものだと思われがちだろう? だから、私は他人に嫌われてな」


 そこで彼女は一度、言葉を切る。そして、そっと息を吐いてから、言った。


「双子である私にこんな力があると広く知られたら、妹も酷いことを言われてしまう気がしてな。女王として生きるべき彼女のために、私は消えることにしたんだ。とった手段は正当ではなかっただろうが……後悔は、していないよ」


 双子は、ただでさえ不吉と思われることもある。挙句、変わった色の瞳を持つ自分たち。自分が何を言われても気にはしないようにしていたけれども、妹が……ディナが悪く言われることにはならないでほしかった。そうなるくらいならば、不穏な因子を持つ自分は消えようとそう決めたのだ。

 だから、だからこそ、フィアの力になってやりたかった。自分と同じように変わった力を持つ彼が、彼を思う心優しい従兄がこれ以上苦しむことがないように、と。彼が悩むなら、力になってやりたかった。彼を支えたいと願うルカの力になってやりたかった。それが、自分の使命だと、そう思っていた。

 そういって、ディアノは微笑む。その笑みは穏やかで優しく、フィアたちが仕える優しい女王のそれに、よく似ていた。



***



「いった、か」


 部屋を出ていく二人の姿を見送り、ディアノは目を細める。そして、そっと椅子に腰かけなおした。


「良い家族だ」


 そう、小さく呟く。思い出すのは、初めてルカが此処にやってきた時のことだった。

 従弟の魔力に思い悩む、彼。一人ですべてを抱え込む姿が命を絶つ前の自分に少し重なって見えて、思わず声をかけていた。無論彼は驚いていたが、藁にも縋るような想いで、自分に問うてきた。従妹(フィア)が持つ力は、どういったものなのか。どうしたら抑えることが出来るのか。どうしたら彼を守ることが出来るだろうか、と……

 彼が持つ力が天使の力であることは、ディアノにはすぐわかった。けれども、一点だけ理解出来なかったのは、全く魔力を持っていない様子のルカの血族が天使の力を持っている理由だった。しかしその疑問点はすぐに解決することになった。


―― 俺とフィアは、血が繋がっていないんです。


 少し寂し気に、彼はそういった。それを聞いて、全て合点がいった。


「お前も、辛かっただろうに」


 ルカも家族想いな少年なのだとディアノは感じていた。だからこそ、そんな彼が血の繋がりを否定することは、きっと辛かっただろう。それでも彼は辛そうな様子など見せもせず、自分の従妹を励ましていた。その様子はやはり、片割れ(ディナ)を守ろうとする自分によく似ていた。

 一人で全てを背負う大変さはディアノもよく理解していた。だからこそ、彼らを支えようと思ったのだ。彼らが、自分と同じ道を辿ることがないように。


「愚かだったなぁ、私は。お前を置いて逝くことの意味を理解もせず……すまなかったな、ディナ」


 傍に支えてくれる人間が居るというのはきっと、頼もしいのだろう。自分にはもうそれが叶わない。だから、ルカにはちゃんと、フィアを近くで支えるようにと助言した。

 きっと彼らは大丈夫だ。そう思いながらディアノは微笑み、読みかけの本を開いたのだった。



***



 ディアノと別れ、部屋を出る。黴臭い臭いが微かに漂うオルフェウスの塔には沈黙が漂っていた。


「いつから知っていた?」


 先に口を開いたのはフィアだった。蒼い瞳で従兄を見据え、訊ねる。自分と血が繋がっていないことをいつから知っていたのか、と。それを聞いてルカは目を伏せた。そして、言い難そうに答える。


「お前が、小さい時から」

「ずっと、俺が天使の力を持っていたことも、知っていたのか」


 なおも問いかけるフィアに、ルカは小さく首を振った。


「否、それはディアノ様に聞いて初めて知った。特殊な力を持ってることくらいは知ってたけどな」


 フィアが実の子でないことは、自身の両親から、そしてフィアの両親から聞いていた。何処か、無関係な所から知るよりは、と先に伝えようと思ったのだと、彼らは言った。血は繋がっていないけれど、確かに家族だと思っている。ルカにも、フィアのことを可愛がってやってほしい、とフィアの両親は伝えてきた。そんなこと、言われなくたってそうするつもりだった。血が繋がっていようといなかろうと、ルカにとってフィアは大切な家族のような存在で、守りたいものだったから。……そんなことは気恥ずかしくて、なかなか伝えたりはしないのだけれど。

 ルカの返答に、フィアは溜息を吐いた。


「教えてくれればよかったのに」


 ルカが一人でそのことを抱え込んでいるのも、大概大変だっただろう。彼がこう見えて責任感が強いことも優しいことも、自分のことを大切に思ってくれていることもわかっている。だからこそ、一人でそれを抱え込み黙っていることは、苦しかったはずだ。

 そんなフィアの言葉にルカは答えず、帰るぞと一言だけ言葉を紡いだ。フィアもそれ以上は追及せず、ルカにくっついて、ルカと一緒に歩きだした。

 ゆっくりと階段を下りていく。静かな螺旋階段に二人分のブーツの足音だけがコツコツと響いていた。



***



「……俺、此処にいてもいいのだろうか」


 どれくらい、階段を降りた時か、フィアはぽつりと呟いた。やはり、不安なのだ。桁外れの魔力を持った自分が此処にいることで、周りが危険に晒されるのではないかと。

 訓練すれば制御できるといったって、潜在的に体の中にあるそれを抑え込むことができなかったら? もしも、ふとした時に魔力が暴走してしまったら? それを考えれば、この場所から、仲間のいるこの場所から去ることが賢明なのではないか、とフィアは思ったのである。

 不意にルカの足が止まり、フィアはルカの背中にぶつかった。鼻を強かに打ちつけ、フィアは呻く。


「ぐ……いきなり止まるな」


 馬鹿、と怒ったようにフィアが言うと、ルカはくるりと振り向いた。眉を寄せ、低い声でフィアに問いかける。


「何でそうなる?」

「は?」


 紅色の瞳がフィアの蒼い瞳を捉える。恐ろしい、とは少し違う感情から、フィアは視線を泳がせる。ルカはそんな彼を見つめたまま、更に質問を重ねた。


「お前が此処にいちゃいけない理由があるか?」

「だって、俺の魔力で誰かを傷つけるような恐れだってある。それなのに……」

「ばぁか」


 ルカはフィアの頬を摘まんだ。まるで、幼い頃のじゃれ合いか何かのように。突然の行動に、フィアは顔を赤くしてその手を払う。そして、上ずった声をあげた。


「何をする!」


 ルカはそんなフィアの反応を見て、溜息を一つ。そして、軽くフィアの額を小突いてから、言った。


「訓練すればいいとディアノ様も仰ってただろうが。ったく。何でもかんでも一人で解決しようとするな。俺がいくらでもフォローしてやる」


 ルカはにっと笑うと勢いよく階段を駆け下りていった。フィアは一瞬呆気にとられた後、溜息をついて従兄を追いかける。

 いわれずとも、訓練してやる。この厄介な力だって、俺の武器にしてやる。大切なものを守るための武器に。そう、フィアは思う。

 しかし、そんなルカの反応で幾らか気が楽になった。絶対、彼自身に伝えはしないけれど。フィアはそんなことを考えていたのだった。




 

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