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第五十二章 罪と悪魔と絶望と…



 フィアとシストはフォルが召喚した魔獣を必死に倒していた。背中合わせになり、自分の後ろはパートナーに任せ、自分の前に来た敵を斬り、魔術で撃ち落とす。素早さも攻撃力もまちまちな魔獣は、呆気なくフィアとシストの剣によって倒される。しかしその数は、減っているように見えない。


「あぁぁもう! キリがねぇ!」


 終わりの見えない戦いに、シストが声をあげる。魔獣一頭一頭は強くないものの、次から次へと湧き出てくるために、なかなかその魔獣の召喚者……フォルの元へは行けないのだ。強くないとは言っても油断をすれば、傷を負う。この局面で傷を負うことは致命的であると理解しているため、フィアもシストも強行突破を図ることは出来ないのだった。

 当の本人、フォルは暇そうに二人を見物している。ふあ、と欠伸をしながら、緩く首を傾げて、問いかける。


「まだ終わらないの?」


 いい加減に飽きてきちゃった。呟くようにそう言うフォルを睨み付け、シストは吠えるような声をあげた。


「そんなに俺たちと遊びたきゃ、此奴らを消せよ、今すぐに!」


 シストが苛立った声でそう言うと、フォルはくすりと笑って首を振った。


「それは無理な相談だね。僕が欲しいのはフィアだけだから、邪魔ものである君には……ん?」


 不意にフォルの言葉が途切れた。彼は蒼い瞳を大きく見開いて、固まっている。そのまま暫く黙りこんだ後、彼はそっと溜息を吐いて、言った。


「……あーあ。皆やられちゃった、か。意外と強いんだね。ディアロ城騎士団。僕が創った”操り人形”たち、皆壊されちゃったみたい」


 彼はどうやら、仲間……否、部下である操り人形たちの動向を探っていたらしい。残念、などと呟く彼だが、その表情に仲間を思っての悲痛の色は、一切ない。強いていうならば、自分が作ったものを壊されたことに対する多少の悔しさ、のようなものは見えるが……声音は、いつも通りのものだ。


「ロシャも、シャムもぺルもブランシュもみーんな、フィア達のお仲間にやられちゃったって訳、残念」


 そう言って、彼は肩を竦める。そんな彼の反応にフィアは固く拳を握り締め、震える声で言った。


「貴様……彼らは、貴様の仲間では、なかったのか?」


 そう問いかけるフィアの蒼い瞳は、怒りに燃えている。彼にとっては、仲間はかけがえのない存在。しかしフォルはそうは思っていないようで、その様が恐ろしく、厭わしい。

 フィアに睨まれても、フォルは一切動じない。寧ろ、彼の反応が理解出来ないらしく、不思議そうに首を傾げて、逆に問うた。


「どうして? あの子たちは、僕が作ってあげた存在だよ。無事に帰ってきたらご褒美の一つもあげようかと思ったけど……役に立たないなら、必要ないよ」


 弱い駒は要らないもの。そう言って、彼は肩を竦める。フィアはぐっと唇を噛み締め……緩く、首を振った。彼に、”人としての”思考を求めることは、無意味だ。そう思いながら彼は顔を上げて、言う。


「……しかし、彼らが居なくなったことで、これから俺の仲間たちが此処に来るだろう。貴様のその余裕も、そう続くまい」


 そう言って、フィアは冷たく笑って見せる。その言葉は強がりなどではない。彼の言葉が事実であれば、それぞれ影猫の操り人形たちを相手取っていた仲間たちは此処に着てくれるだろう、そうなれば、今度こそ形勢逆転のはずだ、と。

 フィアの言葉にフォルは一度、ゆっくりと瞬いた。それから、声をあげて笑いだす。


「あははっ! フィア、君さ、皆無事で此処に来ると思ってるんだ? 流石に甘いんじゃないの?」


 そう言って、フォルはくすくすと笑う。心底可笑しい、そう言いたげな表情に焦りの色は一切見えない。そんな彼の様子にシストは驚きと焦りの混ざったような表情をして、問う。


「それは、どういう……」


 掠れた、シストの声。それを聞いて、フォルは猫のように、眼を細めた。フィアと同じ、サファイアブルーの瞳に、悪戯な子供のように無邪気な光を灯して、彼は言い放つ。


「確かに僕の仲間は皆やられた。でも、君たちの騎士団が無傷だとは誰も言ってないよ? 大体皆ぼろぼろだね……それに」


 に、と笑みを浮かべ、彼は言う。


「一人、死んじゃってるみたいだけど、気付いてないのかな?」


 そんなフォルの声を聞き、シストとフィアは、絶句する。彼らの周囲には無数の魔獣、そもそもフォルが近くに居る時点で、少し離れた場所にいるはずの仲間たちの気配を探ることは、出来ずにいた。……今も、探れないままでいる。

 信じられない、信じたくない、そんな二人の表情を見て目を細めながら、フォルはわざとらしく笑みを浮かべた。ゆったりと首を傾げ、煽るように問いかける。


「あれ? 本当に気づいてなかったの? それはまぁ、そうかな。これだけの魔獣の相手してたら、味方の魔力を探すのなんか、不可能だよね」


 そう言った彼は歌うような声音で、言った。


「教えてあげる。といっても、僕には名前が解らないんだけど……緑の髪の、眼鏡かけたお医者様だよ。彼、ぺルの死の呪いを受けた後で、自分自身の魔術でシャムとぺルを道連れにしてくれたみたいだねぇ……なかなかやるじゃん」


 フォルはそう言って、笑った。そんな彼の称賛の言葉も、フィアとシストには届かない。


「ジェイド様が……」

「やられた……?」


 二人は、思わず言葉を失う。

 ジェイドは、確かに戦闘向きの騎士ではないだろう。しかし、決して弱い存在ではなかったはずだ。それなのに、彼が死んだというのだろうか。

 嘘だ、と言いたかった。しかし、フォルの表情から、声音から、嘘は感じない。きっと、真実なのだろうと、わかってしまった。理解したくなくとも。

 茫然としている二人を見つめ、フォルは口角をあげる。赤い舌で軽く唇を舐めて、目を細めた。

 もっともっと、絶望すれば良い。生きるのが嫌になるほどに。そうなればなるほど、自分の力は増大するのだから。そう思いながら。

 フォルは、他者の負の心を糧として強くなる存在。相手の絶望や落胆、哀しみの感情は、彼の魔力を増大させるのだ。


「君の所為だよ、フィア」


 フォルはそっとフィアに近づき、囁いた。嬲るように、甚振るように、追い詰めようとするように。


「ねぇ、気付いてる、フィア? 君がさっさと僕の要求のまないからこういうことになったんだってこと。君がおとなしく僕のところに来ていたら、あのお医者様も早く死なずに済んだんだよ」


 歌うように、彼は言う。黙り込んだまま拳を握るフィアを見つめ、フォルは追い打ちをかけるように、言葉を紡ぐ。


「……尤も僕たちの手で世界を征服するまでは、だけどね。まぁ、征服した後でも一生奴隷として扱うって手もあったんだから、死なずに済んだかもね。そう思えば、悪いのはフィア、君なんじゃない?」


 フィアはぐっと息を呑む。その表情には、珍しく、迷いの色が揺れていた。

 自分の所為で、仲間が傷ついている。ジェイドに至っては、死んだという。……自分などの、ために。そう思うと、体が震えた。


「フィアやめろ、聞くな。お前は、何も悪くない」


 シストは強い口調でフィアに言う。それがフィアに聞こえているかは定かではないけれど、伝えなければならないと思った。事実、自分たちは巻きこまれたなどとは、一度も思っていない。皆望んで、彼を助けに来たのだ。

 しかし、フォルはそんな彼を見て、言葉を紡ぐ。


「君……シストって言ったっけ? 随分な口を利くね。でも、君もそろそろ限界なんじゃないの? さっきから、大分苦しそうだけど」


 そう言うと同時、フォルはシストとの距離を詰めた。驚き、目を見開くシストをそのまま蹴り飛ばす。思わぬ攻撃に倒れ込んだシストは腹部を押さえて、咳き込む。じわりと、制服に血が滲んだ。


「ほら、ノアールにやられた傷、ちゃんと治った訳じゃあないんだろう?」


 無理はしない方が良いんじゃないかな、と言ってフォルは嗤う。


「シスト、お前やっぱり……」


 フィアは焦ったように、シストを見つめる。揺れる、サファイアの瞳。シストはそれを見つめて笑うと、ゆっくり体を起こした。微かに乱れる呼吸を整え、笑って見せた。


「大丈夫だって。俺は、負けない。お前を一人で戦わせたりしないから」


 フィアはそんな彼を、じっと見つめる。大切な、パートナー。いつも一緒に戦っている、かけがえのない存在。傷の治らない体で、自分を助けに来てくれた彼は、いつも通り、笑顔で頷く。大丈夫だ、というように。

 しかし、フィアは笑顔を返すことが、出来なかった。俯き、拳を握ったまま、目を伏せる。


「……俺が悪いというのは、事実かもしれない」


 フィアはぽつりと、呟いた。そんな彼の姿を見つめ、フォルが緩く舌なめずりをする。


「何言い出すんだよ、フィア!」


 シストは大きく目を見開き、声をあげた。彼らしくもない、そんな弱い言葉。弱弱しい態度……それを見つめ、シストは声をあげる。フィアは緩く首を振って、呟くように言った。


「だって、事実だ。全ての始まりは俺が持っている天使の力だ。俺が此処に連れてこられたから、皆が助けに来た。その所為で、たくさんの仲間が傷ついた」


 掠れた声でそう言うフィア。その瞳は迷いに揺れている。考えたくなかった。考えないようにしていた。けれど、今は……考えずにはいられない。この状況は全て自分の存在の所為で起こっているのではないか、と。

 ぐっと、拳を握ったフィアは半ば叫ぶような声で言う。


「そもそも、俺という人間が存在しなければ、皆をこんな戦いに巻き込むことなんて……!」

「馬鹿なこと、言ってるんじゃねぇッ!」


 フィアの声を遮り響いた、叫び。それと同時にバキッと派手な音が響いた。その音に驚き、三人が振り向けば、拳を振りぬいたルカの姿があって。彼は勝気に拳を突き上げて、言う。


障壁(バリア)、ぶっ壊してやったぞ」


 ルカはそう言って、笑う。

 彼は他の仲間たちと共に、少し前に此処に辿り着いていた。しかし、相変わらずにフィアの障壁があり、中に入れなかったのだ。

 フィアの魔術は騎士団の中でもトップクラスのもの。そう易々と壊せるものではない。どうしたものか、と悩んでいた時、ルカはフィアの弱弱しい声を聞いたのだ。自分が全て悪いのではないかと認めるような言葉。泣き出しそうな、哀し気な声を。

 仲間たちは彼に伝えたかった。違う、と。そんなことはないのだ、と。しかし、障壁の中で俯いているフィアにその声は届かない。

 それでも、ルカは伝えたかった。かけがえのない家族であるフィアに、ありったけの思いを。


―― お前は、一人じゃない、と。


 昔から、そうだった。彼は全てを一人で背負ってしまう。意地っ張りで器用過ぎて……しかし何処か不器用な彼。障壁の向こうに居る今の彼の言葉が、きっと今までずっと彼の想い、なのだろう。そんな彼が、痛々しかった。慰めたかった。……元気づけたかったのだ。そんな想いで、ルカが取った行動が、障壁を壊すという荒業だったのである。

 障壁の中に居たフィアたちは、唖然とした。フィアが張った障壁を、外から壊せるとは思っていなかったのだ。フォルも、シストも……そして、誰よりフィアが、驚いていた。

 フィアはゆっくりと一度、瞬いた。そして、唇を戦慄かせる。


「……馬鹿」


 掠れた声が、零れた。そしてルカを見つめ、声をあげる。


「本当に力技でしかどうにか出来ないのか、馬鹿ルカ!」


 そう言って、彼は笑う。今にも泣き出しそうなのを堪えている子供のような、笑顔だった。

 嗚呼、そうだ、いつもそうだった。フィアが落ち込んでいる時は、迷っている時は、いつもルカが助けてくれた。守ってくれた。……支えてくれたのだ。大切な、かけがえのない家族が。

 そんなフィアの感情を感じ取ったのだろう。フォルは小さく舌打ちをした。このまま、フィアの気持ちが折れてしまえば、楽だったのに。そう考えながら、蒼い瞳を細める。

 その時。


「主。任務は無事に完了しました」


 そんな声が、静かに響いた。冷静で冷たい声が。声の主……基、ノアールがフォルの隣に現れた。フォルはそれを見て、笑みを浮かべる。


「あぁ、お帰り、ノアール」


 フォルはそう言って、上機嫌に笑う。ノアールは恭しく、そんな彼に首を垂れて見せる。そんな彼らの姿を見て、騎士たちの表情が強張る。


「……任務?」


 掠れた声で、シストが問う。ノアールの、フォルの、残酷さを滲ませた表情からは、嫌な予感しか出来ない。


「あぁ。任務だ。少々、主の命で外の村に、な」


 ノアールはそう言いながら、何かを掲げた。その手には、一輪の小さな花が揺れていた。ごく珍しい、真っ白い、小さな花。……とある村の付近にしか生えないという、珍しい花だった。


「その、花は……」


 大きく目を見開き、フォルは呟く。サファイアの瞳が、驚きに、恐怖に揺れる。その声は、微かに震えていた。ノアールの手にある花は、フィアにとっては見覚えのあるものだったから。

 ノアールは彼らを見据えて、嗤う。その指先に込められた魔力が、ある映像を映し出した。

 それは、とある村の映像だった。穏やかな村の映像。平和な日常が、繰り広げられている。親と子が穏やかに笑い合い、共に過ごしている姿。何のことはない、何処にでもあるような幸せの光景だ。

 不意に、無数の魔獣が現れる。それは容赦なく平穏な村を襲っていく。悲鳴を上げ逃げ惑う人々を噛み殺し、爪で斬り殺し、魔術で焼き払っていく。それはあくまで映像であり……騎士たちには、どうすることもできない。

 映像は、血と土煙に塗れた村の残骸で終わった。ぱちりと指を鳴らしてその映像を消したノアールは、静かな声で言い放つ。


「主の力のデモンストレーションとして、一つ村を魔獣に襲わせた。意外と呆気ないものだったな。あまりに呆気なくて、もうひとつ村を襲わせるべきかと悩んでいるところだ」


 そう言いながら、彼は口角を上げる。そして、残忍な笑みを浮かべたまま、言葉を紡いだ。


「何という村だったか……そう、コトス村だ」


 貴様らは、よく知っているだろうな。そう言い放ったノアールは手にしていた花を握り潰した。白い花弁が、ひらりと地面に落ちる。


―― コトス村。


 それは以前、フィアとアル、アネットが任務で守った村の名前。フィアが思い出したのは、無邪気に笑う少女の姿。将来はお兄ちゃんのお嫁さんになるのだと言っていた、母親思いの優しい少女の姿だ。


「アリサ……ッ!」


 固く拳を握り、フィアはその少女の名を呼ぶ。絶望の滲むその声に、ノアールは満足げに喉を鳴らした。


「どうせなら貴様らに所縁のある場所を使えば良い、と主が仰せでな。貴様らには多くの借りがある。俺や主人の駒を消した罪、貴様らの絶望で支払って貰うこととしよう」


 ノアールはそう言いながら、剣を抜く。そして、凛とした冷たい瞳で騎士たちを見据えた。


「駒……駒、ねぇ」


 小さく呟く、アンバー。彼は拳を震わせ……そして、剣を片手に、ノアールに向かって、飛び掛かる。その姿を見て、クオンが大きく目を見開き、叫んだ。


「アンバー、止せ!」


 そんな制止を聞くこともせず、アンバーは唇を噛み締め、ノアールに斬りかかる。既に体は戦いに傷ついている。元より戦闘が得意ではない彼だが、今はそれを抜きにしても、勝ち目などない。


「愚かだな」


 ノアールは小さく呟き、容赦なくアンバーを叩き落とした。アンバーは小さく呻き、体を起こす。体の傷と痛みに意識が揺らぐ。しかしその瞳に点った強い怒りは、消えることがない。琥珀の瞳で自分を見据えてくるアンバーを見つめ、ノアールは緩く首を傾げた。


「何だ。何故そのように怒っている?」


 不快そうに眉を寄せるノアール。アンバーはそんな彼を睨み付け、静かな声で言った。


「僕の大切な弟を良いように使った挙句に、駒だって? そんなことを言われて、黙っていられるとでも?」


 アンバーの琥珀色の瞳に怒りの炎が揺れる。愛する家族の魂を操り、人を殺めるための存在とした。そしてそんな彼のことを仲間ではなく、ただの駒だと言った。それが、どうしても許せないのだ。

 ノアールはそんなアンバーの返答に肩を竦めた。そして、すらりと漆黒の剣を構え直す。


「愚かだな。俺や我が主に楯突いた人間がどうなるか、教えてやる。貴様らも、その目によく焼き付けておくといい。ロシャの兄が死ぬ瞬間をな」


 そう言い放ったノアールは剣をアンバーに向けて、振り下ろす。アンバーにはそれを躱すだけの余力はない。アンバーは迫り来る剣に、思わず目を閉じた。

 きっと、このまま死ぬのだろう。あまり、痛くないと良いのだけれど。そんなことを考えたアンバーの耳に届いたのは、鋭い金属音だった。痛みは襲ってこない。アンバーは思わず、目を開ける。そして、自分の目の前に立つ人物を見て、眼を見開いた。


「あ、アル君……?!」


 驚いた声で、その名を呼ぶ。自分を庇うように立ち塞がり、細い腕でフルーレを握っているのは、医療部隊の少年。彼の剣を受け止めたまま、ノアールを睨み付け、彼……アルは叫ぶ。


「もうこれ以上、罪を重ねないでください……!」


 叫ぶ声は悲痛に震えている。大きな黄色の瞳を満たした雫が、次々とその頬を伝い落ちていった。


「ジェイド様は、いつも言っていました。罪を重ねた人間の心は深く傷ついていくと……僕は、僕はもう、誰かが傷つくのを見たくない! 誰かの心の悲鳴なんて、もう聞きたくないんです!」


 アルは涙を零しながらそう叫ぶ。心の限りの、必死の声で。

 精神共鳴の力を持つアルには、全てが聞こえていた。弟の魂で作られた人形と戦わなければならなかったアンバーの葛藤も、自分の仲間が傷ついているのだと悲しむフィアの感情も、苦しみを背負って死んだ、ロシャの、ブランの、シャムの、ペルの苦しみや悲しみも、全て感じ取っていた。だからこそ、想うのだ。もうこれ以上、誰も傷つかないでほしいと、切に祈っていたのだ。例え、それが敵であっても。

 ノアールの冷たい漆黒の瞳が、自分の剣を止めているアルを捉えた。感情の灯らない闇色の瞳に見据えられ、アルはぐっと息を呑む。アルは、元々戦闘部隊の人間ではない。こんな風に殺気を放つ相手と向かい合ったことのない彼の足は、小さく震えていた。


「……碌に世も知らぬ餓鬼の癖に、偉そうなことを言うな」


 低い声で、彼は言う。それと同時に、アルに止められていた剣を勢いよく振り抜く。その衝撃でアルのフルーレの刃が折れ、地面に刺さった。アルはそのまま地面に倒れ込む。


「アル!」


 フィアは親友の名を叫ぶ。そして歯を食いしばって、ノアールを睨み付けた。しかしノアールは動じることなく漆黒の瞳を細め、剣を構え直しながら、言い放つ。


「無駄話にも飽きた……全員纏めて、地獄行きだ」


 そう言って彼は残忍に笑う。


「誰が地獄行きだ? あぁ?!」


 我慢の限界だったと見えるアレクも茶の瞳を燃やし、ノアールに斬りかかる。彼もまた、怒りを必死に堪えていた。かけがえのない相棒を、この戦いで喪ったのだ。敵の、残酷な望みを叶えるために。ジェイドが命を賭して自分たちを守ってくれたのだ。この戦いは、必ず勝たなくては。その想いで、剣を振るう。

 ノアールは自分に斬りかかってくるアレクの剣を受け止めた。華奢なノアールの剣ではアレクの剣を留めることしか出来ない。くっと息を呑み、アレクを睨む彼の表情に微かな焦りが滲む。アレクはその様を見て、逆に笑みを浮かべた。

 しかし。


「そうはさせないよ」


 ノアールが押されているのを見てか、今まで黙っていたフォルが無数の魔獣を召喚した。放たれた魔獣が、ディアロ城の騎士たちを攻撃し始める。恰好の的は、倒れ込んでいたアルとアンバーだ。


「ッ、くそ!」


 アレクは小さく毒づくと、ノアールの剣を素早く突き離して、二人の方へ跳んだ。倒れたアルを抱き起こし、魔獣を切り裂く。アンバーも必死に身体を起こして、魔獣たちに応戦し始めた。

 魔獣の牙が、爪が、地面を、騎士たちを切り裂く音。剣と獣の爪がぶつかり合う耳障りな音が、たちまちその場に響き始める。


「くそ、皆……!」


 フィアとシストも仲間たちに加勢しようとした。フォルが呼びだした魔獣の数は膨大で、無傷でやり合えるとは到底思えない。

 しかしフォルが、それを赦すはずがない。先刻フィアがしたように、強力な障壁を仲間とフィアたちの間に張って、愉快そうに笑う。


「フィアと君は此処で見てなよ。仲間が一人ずつノアールと魔獣に殺されるのをね」


 それが、僕たちに逆らった君らへの罰だ。フォルは冷たい声でそう言い放ち、笑った。


「嫌だ……ッ!」


 フィアは耳を押さえ、首を振った。何も見たくない、聞きたくない、そういうかのように。仲間が傷つく様など見たくない。仲間の苦悶の声など聞きたくない。……誰かが死ぬ可能性など、考えたくない。そんな想いで、彼は必死に耳を塞ぎ、首を振る。

 嗚呼、良い顔だ。そう思いながら、フォルはフィアに歩み寄る。そして、彼の耳元に、甘く囁いた。


「ねぇフィア、今ならまだ間に合うよ? 僕に忠誠を誓うというなら、彼らを殺すの、やめてあげる」


 僕だって本意じゃないんだ、とフォルは微笑む。妹を想う兄のように。フィアは揺らぐ瞳でそんな彼を見つめた。


「ね? どうする?」


 優しい声で、フォルはフィアに問いかける。その姿を見て、シストが吠えるような声をあげた。


「やめろ! フィアに近づくんじゃねぇッ!」


 そう叫び、怒りに身を任せたシストがフォルに斬りかかる。フォルはそちらを一瞥して溜息を吐くと、シストを魔力で弾き飛ばした。地面に転がったシストは、顔を歪め、呻く。


「う、……」


 普段のシストならば、容易に躱すことが出来たであろう攻撃。しかし今の弱った体では、不可能で。シスト自身も、自分の身体に限界を感じていた。ノアールに付けられた傷が開き、血が滲むのを感じる。くらくらと視界が歪んだ。


「シスト!」


 悲痛な声で、フィアは彼を呼ぶ。そしてフォルの方を見て、懇願するような声をあげた。


「フォル、もうやめろ、もう、やめてくれ……!」


 もうこれ以上、仲間が傷つくのを見たくない。これ以上、大切な人たちを傷つけられるのならいっそ……――

 そんなフィアの心情を理解している仲間たちは、叫ぶ。


「やめろフィア! 俺たちは大丈夫だから!」

「心配、しないで……!」


 少し離れたところでそう叫ぶアルとルカ。平気だから、と微笑む仲間たち。しかし、その体は既にぼろぼろだ。これ以上戦えば、きっと彼らは……命を、落とすだろう。フォルもノアールも、彼らを殺すだけの力は持っているのだから。

 嫌だ。失いたくない……全部、俺の所為だ。俺が、こんな力を持っているから! そう思いながら、フィアは唇を噛み締める。そして泣き出しそうな顔をして、首を振ると、フォルを見据えながら、震える声で叫んだ。


「俺が……!」


 お前に従えば、仲間には手を出さないのか。フィアが、そう訊ねようとしたその時。


―― フィア。


 不意に、声が響く。優しく、柔らかな声。


「え?」


 フィアの名を呼んだのは、聞き覚えのない、声だった。


 

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