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第五十一章 自己犠牲



「あーあ。お前らの所為で御主人の所に行っちゃったじゃん。後で説教食らうの俺たちなんだけど?」


 大きな剣を地面に突き立てながら、シャムはジェイドとアレクを睨みつける。シストとアルをルカの元へ行かせるために、足止めをしてきた憎い敵への憎悪を込めて睨むが、二人とも動じはしない。


「此奴らを、消す。それが、僕らに出来る御主人に対しての、罪滅ぼし」


 ぺルはそう言って、ナイフを突き出す。冷たい黒の瞳には相変わらず光も、感情も点らない。まるで機械仕掛けの人形か何かのような彼の攻撃を躱し、アレクは笑った。


「お前らみたいなひよっこに俺たちがやられるとでも?」


 挑発するように、アレクは言う。怒りと同時に灯る闘志が、茶の瞳の奥でゆらゆらと燃えていた。


「アレク、油断してはいけませんよ。彼ら、何か仕掛けてきます」


 ジェイドは冷静にアレクを窘め、敵を見据える。真剣な翡翠の瞳を見つめ返し、シャムはからからと笑った。


「そっちの緑のはなかなか冷静じゃねぇか。俺たちは割と強いぜ?」

「ノアールとか、ロシャには勝てない……けど、僕たちの力も、捨てたものじゃない」


 冷ややかに、ペルもそう言う。それを聞いて、アレクは小さく肩を竦めた。


「だろうな」


 軽んじているつもりはない。眼前に居る少年たちはアレクやジェイドの部隊に所属する幼く未熟な騎士たちと同世代に見えはするが、それは見た目だけ。その内面は、戦闘能力は、決して軽視できるものではないことは、わかり切っている。本気で相手をしなければ、危険だろう。そう思いながら、アレクも剣を握り直した。


「はは、戦闘部隊の騎士様にそう言う視線を向けてもらえるとは、光栄なこった!」


 そう叫び、シャムがアレクに斬りかかる。しかしそれはアレクに届かない。ジェイドが咄嗟に張った防御魔術で阻んだためだ。


「ありがとなジェイド!」


 アレクはそう声を上げ、逆にシャムへと斬りかかる。その攻撃は、ペルが張った障壁に阻まれ、ぶつかったアレクの剣が火花を散らした。敵も同じように役割を分けているらしい。


「なかなか強い障壁だな」


 壊せない、そう呟いてアレクは眉を寄せる。そんな彼の言動に反応することもなく、ペルは冷静に障壁を張っている。その合間合間にシャムから繰り出される攻撃を、躱し、時にジェイドに守られながら、アレクも攻撃の機会を窺っていた。

 ……そんな時だった。


「僕の特技、知ってる?」


 ぽつりと呟くように、ぺルが言った。黒い瞳が、アレクを捉える。その黒曜石のような瞳が、怪しく光った。


「呪術、だよ」


 無表情なペルが静かにそう言い放つ。すっと突き出された彼の指先に集まる、黒い魔力。それが向く先は……――


「アレク!」


 叫び声と同時に、ジェイドがアレクを庇うように前に飛び出した。ペルの指先から放たれた黒い光がジェイドの腕を包む。それがぐるりと腕を取り巻くのと同時に、縄か何かできつく締めあげられたような感覚が走る。


「く……っ」


 ジェイドは表情を歪める。体内を巡る、異質な魔力を感じた。


「……外した」


 残念、と小さく呟いて、ぺルは腕を下す。そして、若干拗ねたような口調で言葉を続けた。


「攻撃の方、先に潰すつもりだったのに、失敗した」


 狙ったのは、アレクの方だったという。ジェイドがあまり戦闘に慣れていないことは、理解出来ていた。そうなれば、アレクを殺してしまえば彼らの勝ち目は薄くなると、そう推測しての行動だったのだ。尤も、その思惑はジェイドが彼を庇ったことによって叶わなくなってしまったけれど。


「まぁ、良いんじゃね? 守備が居なくなりゃ、攻撃だって潰しやすくなる」


 シャムはそう言って、笑う。どちらを先に狙っても、結局は同じことだ、と。そう言いながら、彼はペルを褒めるようにぽんぽんと頭を撫でた。

 一瞬茫然としていたアレクははっとすると、慌ててジェイドに駆け寄った。


「ジェイド、大丈夫か?!」


 心配そうに、彼の顔を覗き込む。何が起きたのか、どういった魔術をかけられたのかはわからない。しかし、痛みに強い彼が声をあげるほどだ、きっと只事ではないのだろうとアレクは思う。

 しかし、ジェイドはそんな彼の肩を強く押して引き剥がした。そして凛とした声で、言う。


「アレク、余所見をしない。戦いの鉄則でしょう」


 そう言い放つ彼だが、表情は強張っている。魔力が直撃した腕が痛むのだろう、そこを強く押さえるもう一方の手も、微かに震えている。アレクはそれを見て、眉を寄せた。


「でも……」

「でもも、何もありません! 死んでも貴方に傷は負わせませんから、ご心配なく」


 きっぱりとそう言いきるジェイドを見て、アレクは目を見開いた。


「そんなこと言ってる場合じゃねえだろ?!」


 死んでもなんて言い方をするな、とアレクは叫ぶ。その厳しい口調に、ジェイドは困ったように微笑んで、言った。


「言い方が悪かったですね、すみません。いつも、貴方には言葉が足りないと叱られているのに」


 ジェイドはそう言って、そっと息を吐き出す。隣に居るかつてのパートナーとは、散々喧嘩をした。元より性格が真逆なのだ。反りが合うはずがないと思い、自分たちを組ませた上官に不満を抱いたこともあった。しかし、今となってはその喧嘩すらも、懐かしい。


「……貴方に、攻撃に集中してくれと言いたかったのです。僕の武器は銀弓(これ)だけです。この片腕はもう、動きませんから、矢を放つことも出来ない……もう僕に出来るのは、魔術で貴方を守ることくらいなのですよ」


 そう告げたジェイドは、ほんの少し困ったように笑った。

 そんな彼の言葉に、アレクは大きく、目を見開く。その瞳を瞬かせ、彼は掠れた声で問うた。


「動かない、って……」


 どういうことだよ、とアレクは呟く。確かに魔力が当たってはいたが、傷はないように見える。痛みを感じているらしいことはわかっており不安ではあったが、動かないとは、一体どういうことだろう。……嫌な、予感がした。

 そんな彼の問いにジェイドが答えるより早く、ぺルが口を開く。


「悪魔の呪術”石化”……呪いが当たった場所から少しずつ、体が動かなくなっていく呪い……」


 僕が得意な呪術、だよ。そう言って、ペルは目を細める。何処か満足げなその顔を見て、ジェイドはそっと、息を吐き出した。


「……そう、でしょうね。その呪術は、聞いたことがありました」


 ジェイドは冷静に答える。その言葉に、ペルは僅かに表情を変えた。


「最後にどうなるかも、知ってる?」


 ぺルの問いにジェイドは頷いた。そして、平然と答える。


「全ての体の機能が停止する。つまり……死にますね」


 そう答えて肩を竦めるジェイド。アレクは小さく息を呑み、上ずった声をあげた。


「何でそんな平然としてられるんだよ?!」


 あっさりと自分の死を認める発言をしているジェイド。その表情に焦りや恐怖はない。当事者ではないアレクの方が焦っているほどだ。

 しかし、焦っているのは彼だけではない。呪術をかけた張本人、ペルの相棒であるシャムも、驚いているようだった。今までずっとぺルと組んできて、ぺルの呪いを受けた者は皆、自分の死を感じ取り、絶望の表情をしていたのに……眼前の医師は変わらず、穏やかに微笑んでいるのだから。


「僕たちは、炎豹の仲間たちを守ることが仕事。そのためならば命を捨てても構わない……それが、僕の持論です」


 無論、部下たちにそれを強制することはしない、寧ろ生き残るようにと伝えているけれど……彼自身としては、アレクを守って自分が死ぬなら、それで良いと思っている。彼はそう言って、穏やかに微笑んで見せるのだ。

 アレクはそれを聞いて、顔を歪めた。掠れた声で、呟くように言う。


「馬鹿な事言ってんじゃ……」

「事実ですので」


 アレクの言葉を遮って、ジェイドは言う。ぐっと言葉を飲み込んだアレクは、怒ったような、困ったような視線を、彼に向けた。ジェイドはそれを見て小さく笑うと、言葉を続ける。


「ただ、僕が居なくなり、防御がなくなった後が怖いので、僕が動ける内にこの二人を倒しましょう。ほら、急いで」


 急かすようにジェイドは言う。辛いだろう、苦しいだろう、……恐ろしいだろうに、いつも通りに笑っている彼を見つめ、アレクは唇を噛み締めた。


「何で、お前は……」


―― そこまで、他人のために全てを投げ出せるんだ。


 そう、問いかけようとした。しかし、ジェイドの瞳を見て、その言葉を飲み込み、そっと息を吐き出す。

 ずっと前から、知っていた。ジェイドの性格も、持論も。パートナーとして、ずっと彼と共に、一緒に戦ってきたのだから。

 アレクは小さく溜息を吐いた。そして、敵を見据え、剣を構える。その表情から迷いや戸惑いは消えていた。


「五分で終わらせるぞ」

「了解です」


 ジェイドは穏やかに微笑み、頷いて見せた。


「覚悟は、決まった?」


 そんな言葉と同時、ペルは彼の武器らしい小型のナイフを片手に、ジェイドに斬りかかる。ジェイドはそれを自身の弓で防いだ。金属が擦れる音が、鈍く響く。


「初めて、見た。僕の呪いを受けても、怯えない人間」


 ぺルはぽつりと、呟いた。その瞳にはごく僅かに、困惑が滲んでいる。今まで何人も、自身の呪いを受けた人間を見てきた。その誰しもが、すぐに訪れる死に怯えた。少しずつ機能を失っていく体に恐怖した。それなのに……眼前の敵の表情は酷く穏やかなものなのだ。そんな人間は今までに一度も見たことがない。

 ジェイドは彼の攻撃を防ぎながら、緩やかに笑って、答えた。


「僕は他の仲間より年上ですからね……多少は覚悟も決まっているようです」


 ジェイドは、騎士団の中では年長者。彼が統率する部隊には殊更、幼い騎士が多い。それ故に、であろうか。戦いや任務の中で命を落とすことに対する覚悟も、幾らか据わっているのだと、彼は言う。それを聞いて、ペルは少し、眉を寄せた。


「……変なの」

「俺たちでさえ、消されんのに怯えてんのにな」


 シャムも小さく呟くように言う。


「消される? 誰にだよ」


 アレクは、シャムに斬りかかりながらそう訊ねた。シャムはアレクの剣を自身の剣で弾きながら、答えた。


「勿論、俺たちの御主人に。役に立たない駒は要らないだろうよ」


 半ば吐き捨てるように、彼は言う。駒、という言葉に、ジェイドは表情に色濃く、悲しみの色を滲ませた。


「そうですか……貴方がたも、気の毒、ですね」


 ジェイドは心の底からそう思っていた。元来、草鹿の騎士は他人を傷つけることを嫌う。それは、敵に対しても同じ……出来ることならば、敵でさえ、救いたいと願う者ばかりなのだ。ジェイドも、その筆頭である。

 シャムは一瞬驚いたように目を見開いた後……その表情を、引き締めた。


「……下らない同情は、いらねぇよ」


 低く唸るようにそう言うと、彼はアレクの剣を弾き、強く地面を蹴った。向かう先は、ジェイドの元。ジェイドは驚いた顔をして、その剣を受け止める。


「……ッ」


 ジェイドは少し、顔を歪める。ペルの斬撃に比べると、シャムの攻撃は数倍強い。押さえ留めることで精一杯で、弾き返すことは出来そうになかった。シャムは強い光を灯す漆黒の瞳でジェイドを見つめながら、低い声で唸るように言った。


「敵に同情されるほど堕ちちゃいない。特に、お前みたいな奴にはな」

「ふふ、死にかけている相手に、と言いたいのですか?」


 可笑しそうに笑いながらジェイドは問うた。その表情は何故か穏やかだ。ち、と舌打ちをして、シャムは一度剣を引く。


「それも、含んでる」


 ぺルが静かな声で言う。そして、彼はちらりとジェイドの腕を見た。


「そろそろ、第二段階、でしょう?」


 ゆるりと首を傾げながら、彼はそう問うた。その言葉に、ジェイドがぴくりと反応する。そして暫し黙り込んだ後……微笑みながら、頷いた。


「そう、かもしれませんね。……アレク、少し急いだ方が、良さそうです」


 少し弱い彼の声を聞いて、アレクは彼の方へ、視線を向けた。その顔は微かに青ざめているようで……


―― 只事では、ない。


 その雰囲気を感じ取り、アレクは呆然としつつ、口を開いた。


「ジェイド、お前自分で何とか出来ないのか」


 掠れた声で、そう問いかける。答えがわかり切ってはいても、問わずにはいられなかった。ジェイドは困ったように笑って、軽く首を振った。


「残念ながら、僕の専門は医術であって、呪術ではありませんから」


 こればかりはお手上げです、そう言ってジェイドは笑う。しかし、未だにジェイドの瞳に恐れや怯えは見えなかった。

 その様子に少なからず驚いているのは、アレクだけではない。


―― この人間は、どうして怯えないのだろう。


 呪いをかけた本人、ペルも、そう思いながら、揺らぐことのない翡翠の瞳を見つめていた。


「悠長に喋ってる場合じゃないよな? 俺たちがさっさと終わらせてやるよ。苦しむ前にな」


 にやり、と笑って、シャムがジェイドに向かって剣を振り上げた。彼の消耗具合は、シャムもよくわかっている。もう、防ぐ気力すらないはずだ。アレクが庇いに入るにも少し、遠すぎる。

 静かに溜息を吐き出したジェイドは、翡翠の瞳を細めた。


「そう、ですね。時間はなさそうです……だから」


 フッと顔を上げたジェイドは、にこりと笑った。


「貴方方を道連れにして散ることにしましょう」


 そんな言葉と同時に、ジェイドは自由に動く方の手を敵の二人に向けた。刹那、敵たちの足元からするすると植物が伸び、そのまま絡みつく。


「何だよ、これ?!」


 焦った顔をするシャム。


「っ! 取れない?!」


 今まで無表情だったペルの顔にも、焦りの色が浮かぶ。

 呪いを受けたというのに、このような強い魔術を使って体が平気な筈がない。はっとした顔をして、アレクはジェイドを見る。


「ジェイド、無茶は……」

「アレク、良く聞いてください」


 ジェイドは静かな声で、アレクの言葉を遮った。いつも以上に真剣な彼の声音に、アレクは思わず口を噤む。彼を真っ直ぐに見据えながら、ジェイドは言葉を紡いだ。


「僕は、いずれにしても死にます。それが呪いのためか、彼らの攻撃のためか……それは、わかりませんが、どうしたって僕が城に帰ることは出来ないでしょう」


 全てを悟ったように、彼は言う。しかしその声は震えることなく、表情は穏やかなままだ。彼は顔を上げて、守るべき相棒を見据えたまま、優しい声で言う。


「だったらせめて、貴方を守り、散ることにします」


 それが最善だと、彼は言う。普段と何も変わらない、穏やかな表情のままに。


「な……っ?! 何を言いだすんだよ!?」


 アレクは動揺した声をあげた。そんなことを認めることは出来ない、と。しかしジェイドはそんな彼に微笑みかけて、言葉を続ける。


「今の貴方はほぼ無傷。しかし、このまま戦い続けたら、僕の防御も脆くなる。そうしたら貴方も傷を負うでしょう。そうなっては、意味がありません。だから、どうか貴方は無傷で、フィア達を助けに行ってください。きっと、他の皆は無傷という訳にはいかないでしょうから」


 ジェイドは微笑み、敵二人を植物で拘束したままに、自分の魔力を流し込む。緩やかに侵食する魔力は、穏やかで、けれども冷たいものだ。


毒の茨(ポイズン・ローズ)……植物属性魔術の中で最強の魔術です。僕ら草鹿の騎士は、滅多に攻撃の魔術は使わないのですがね……一応、使えるのですよ、僕も。魔力を過剰に消費するのと、使っている人間も動けなくなるのが最大の欠点ですが……これで、もう彼らは抵抗できないでしょう」


 ジェイドはすっと目を細め、自分が拘束している敵二人を見つめる。その表情には、自分が死ぬことに対する恐怖よりも、敵を二人殺めることへの罪悪感が滲んでいた。


「ジェイド……」


 アレクはそっと、彼の名を呼んだ。呼んだけれども、その先に紡ぐべき言葉が、浮かばない。無茶を叱れば良いのか、感謝を告げれば良いのか……或いは、別れの言葉を、紡ぐべきなのか。

 まだ、信じられないのだ。ジェイドが、敵の呪術で死ぬなんて。

 いつも一緒に居た。何度も、共に任務に赴いた。互いに守り合い、支え合い、時に喧嘩をしながらも、相棒としてやってきた。それぞれが部隊長になってからも、時折は共に戦っていた。……そんな彼が死ぬなんて、信じられなかった。信じたく、なかった。

 拳を、唇を震わせているアレクを、翡翠の瞳が捉える。春風のようにふわりと微笑んだ彼は、言葉を紡ぐ。


「早く、お行きなさい。貴方の力を求めている仲間の元へ。……僕は、平気ですから」


 微かに笑うと、ジェイドはまだ辛うじて動く方の手で、アレクの肩をそっと押した。その手の温もりを感じ、ぐっと唇を噛み締めて……アレクは頷いた。仲間の覚悟を無駄にしまいと。


「わかった。……ありがとう」


 もう、彼の覚悟は変えられない。自分を犠牲にしてでも、彼は自分を守ろうと、仲間を助けようとしているのだ。此処で自分がもたもたした所為でその覚悟が無駄になるようなことがあってはならない。だから……告げるのは、感謝の言葉だけで良い。そう思いながら、アレクは真っ直ぐに、ジェイドを見据える。

 彼の言葉を聞いて、ジェイドは小さく、頷いた。


「えぇ、アレクも、気をつけてくださいね。あぁ、それと」


 ふと、何かを思いついたような顔をするジェイド。アレクは、それを聞いて、不思議そうに首を傾げる。そんな彼を見つめて、ジェイドは悪戯っぽく笑いながら、言った。


「アルに伝えていただけますか? 美味しい紅茶の淹れ方を、教えられなくてごめんなさい、と」


 それは、他愛もない、教え子との約束。ジェイド様のように美味しい紅茶を淹れられるようになりたいと、コツを教えてほしいと以前強請ってきた、白髪の少年。きっと彼はかけがえのない親友のためにそれを用意したかったのだろう。その手伝いは、終ぞできないままだった。それを詫びておいて欲しい、とジェイドはアレクに言う。

 冗談めいたその言葉にアレクは一瞬、呆気にとられた顔をする。しかしすぐに破顔すると、力強く頷いて見せた。


「……了解」


 アレクはにっと笑うと、剣の柄でジェイドの肩を突いて、彼に背を向ける。そして、そのまま走り出した。一度も振り向くことなく走っていくパートナーの頼もしい後ろ姿を見送り、ジェイドは目を細める。

遠ざかる背中を追いたいという想いは、既にない。そんな彼がただ願うのは、大切な相棒(パートナー)の……そして、仲間たちの無事だけだ。


「……お前って本当にお人好しなんだな」


 ぽつり、と聞こえたのは、自分が魔術で捕えた、敵の一人……シャムの声。声の主の方を見れば、未だ何処かあどけなさの残る顔に困惑を灯し、ジェイドを見つめていた。


「何故ですか?」


 微笑みを湛えたままに、ジェイドは彼に問いかける。


「普通、少しでも長く生きたいと願う。それが、人間という生き物」


 シャムの代わりに、ペルがそう言う。彼もまたその幼い表情に困惑を滲ませている。ジェイドの魔術により近いうちに訪れる死への恐怖よりも、自身の呪術に屈することがない人間への疑問が、優っているようだった。

 ジェイドは彼らの言葉を聞いて、穏やかに目を細める。


「そうですね。出来ることならば、僕ももっと長生きしたかったです。まだまだ知りたいことは沢山ありましたし、未来を見守りたい大切な仲間も、部下も居た。出来うることなら、こんな所で命を落としたくない……しかし、僕一人の命で仲間が一人救えるのなら、その方が良いのですよ」


 迷いなくそう言い切る彼を見つめ、シャムは呆れた顔をした。


「それがお人好しだって言ってんだよ、馬鹿。そんな人間、いるかよ」


 吐き捨てるようにシャムは言う。彼にとっては、信じられない程のお人好しなのだ。彼が今まで見てきた人間は皆、身勝手な存在だったから。

 自分たちの都合で子を棄てる親。自分たちの生活の維持のために子どもを雀の涙ほどの賃金で働かせる大人。やっとのことで食料を手に入れた子どもからそれを奪う大人。そんなものしか、見てこなかったのだ。故に、ジェイドの行動は、到底、信じられるものではなかったのである。

 ジェイドはその言葉を聞くと、ふっと表情を和らげた。


「人間、そう捨てたものでもないと貴方たちにも思って欲しかったのです。仲間を守るためなら、誰かを救うためなら、僕はどうなったって構わなかった」

「それが原因で、死ぬとしても?」


 不思議そうに、ペルは問う。ジェイドは翡翠の瞳を細め、ゆっくりと頷いた。


「僕一人の命など、どうでも良いのですよ。それが、僕の信念ですからね。……さて、貴方たちも、そろそろ限界でしょう?」


 けほ、と咳をして、苦しげに、ジェイドは笑う。呼吸が上手く出来ない。呪いを受けたその体で強力な魔術を行使すれば、こうなることは最初から推測が付いていた。既に、意識が揺らいでいる。しかし、敵を道連れにすると決めた以上、最後まで見届けなければならない。そう思いながら、ジェイドはいつも通りに、微笑んで見せる。

 そんな彼を見つめ、シャムとペルもくっと息を呑む。次第に自分たちの身体を蝕んでいくジェイドの魔力を二人とも感じていた。決して苦痛は感じない。ただただ緩やかに麻酔をかけられ、意識を奪われていくような感覚だ。きっと、この魔術を使っている当人の方が苦しいのだろうな、などと思いながら、彼らは、ジェイドを見つめた。

 彼も、覚悟を決めたような顔をしている。もう二度と、仲間に会うことはないのだという、覚悟を。


「この勝負、引き分け、ですね?」


 ペルとシャムに、精一杯の笑みを向け、ジェイドは言う。視界は既にぼやけて、良く見えない。


「あぁ……そうだな」

「自爆、なんて」


 酷いことをするよね、というペルの声が聞こえる。ジェイドはくすりと笑って、頷いて見せた。


「ふふ、僕もこんなことをする他なくなるとは、思っていませんでしたよ」


 ジェイドはそう言うと、二人に流し込む魔力を一層強くした。静かに目を閉じて、そっと息を吐き出す。嗚呼、なかなかに辛いものだ。けれど、自分の想いを果たすことは出来た。それだけで、十分だ。そう思いながら、ジェイドは微笑む。そして、遠のいていく意識の中で、願った。


―― 必ずフィアを取り戻してください。この世界を守れるのはきっと彼だけですから。



***



 ジェイドに別れを告げ、走り、走って、アレクはアルとルカ、アネットに追いついた。振り向いてアレクの姿を見たアルが顔を輝かせる。


「アレク様!」


 明るいアルの声を聞いて、アレクは目を細める。嗚呼、追いつくことが出来た。そう思いながらアレクは息を整える。そして、アルを見据えて、にかっと笑った。


「おう。アルたちも無事だったか。フィアとシストは?」


 自分たちが離脱してから、大分時間が経っている。慣れたアネットの気配を探して此方に来たのだ、と彼は言う。その言葉に、アネットが応じた。


「今、戦ってるとこらしいっス、俺たちも今向かってるんスよ」

「なるほど、そうか」


 それなら、急いだ方が良いだろう。アレクは呟くようにそう言う。それを聞いたアネットは少し視線を巡らせて……アレクに、問うた。


「……ところで、ジェイド様は?」


 気にかかったのは、姿が見えないアレクの元パートナーであり、医療部隊の部隊長のこと。近くに気配も、感じない。……僅かに嫌な予感をしながらも、問わずには、いられなかった。

 アレクは彼の問いかけに、そっと微笑む。そして、静かな声音で言った。


「……敵を、倒してくれた。俺に先行けってさ」


 何となく、その返答の意味を理解した一同は息を呑んだ。特に彼の教え子のアルは、眼を大きく見開いている。その大きな瞳にはうっすらと、涙が浮かんでいる。それでも必死に泣くまいとする彼は、強い。そう思いながらアレクはアルに声をかけた。


「……アル、お前に伝言」

「え?」


 驚いたように瞬く、彼の黄色の瞳を見つめ、アレクはジェイドに託された、伝言を彼の弟子に告げる。


「美味しい紅茶の淹れ方を教えられなくてごめんなさい、ってさ」


 アレクの言葉に、ジェイドからの伝言に、アルの瞳が一層潤む。一度二度と瞬いたその目から涙が零れ落ちるが、それをぐいっと拭って、アルは、笑って見せた。


「ジェイド様、意地悪です。……絶対に、教えてもらいますから、大丈夫ですよ」


 僕は嘘が、嫌いです。そう言って笑う彼は何処と無く、ジェイドに似ているように見えた。


「さぁ……行きましょう。僕たちの天使を助けに」


 アルはそう言って、微笑む。それを見て、仲間たちも力強く頷いたのだった。



 

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