第五章 仲間と従兄と…
アルと別れた後、フィアは自分の目元をタオルで冷やしていた。少々時間を要したが、何度鏡を確認しても泣いていたことはわからないであろうレベルにまで涙が乾いたところで、それを確認してから、フィアは中庭に出た。
ノトの頃から、中庭に行くのが好きだった。元々花を見るのが好きだったフィアだ。花が多く植えられているこの場所でゆっくりと時間を過ごすのは、楽しみの一つだ。アルも時々此処に来ては、せっせと花の手入れをしているという。
「庭師にその話を聞いた時は驚いたな」
そんなことを思い返しながら、フィアは中庭に視線を巡らせた。
他の部隊はまだ訓練中なのだろうか、主に雪狼のメンバーたちが談笑している。一歩踏み出すたびに、シャラリと金属が擦れる音が聞こえた。その理由はフィアが魔力抑制機をいくつか身につけているからで。
誰かを傷つけずに済むように、という想いによる行動だ。先刻のことがショックで、尚のこと気を使っているのだった。また、魔力を暴走させて仲間を傷つけてしまうようなことがないように。やはり、自分の魔力が何なのかわからない以上、そうして制限をかける方法しか思いつかなかったのだった。
自分の能力を知っている者がいると、ルカは言っていたっけ。その人物とは一体、何者なのだろう?
「おーいフィア! こっち来いよ」
そんなことをつらつらと考えながらぶらぶらと歩いていたフィアは誰かに呼びとめられた。聞き慣れない声。ルカやアルの声ではなかった。
フィアは驚いていた。今まで他の騎士に親しげに呼ばれることはなかったからだ。それはフィアの性格と境遇故。元々小さな村で生まれ育ったフィア。内気で、他人との接点を持ちたがらない気質は両親を失い、男として生きる事を決めてから更に酷くなってしまい、なかなか他者と打ち解けることが出来なかった。どうにもすぐに警戒してしまい、きつい言い方をしてしまう。本当は、思っていないのに冷たい発言をしてしまうこともしばしばあった。そんな性格の所為でフィアは仲間と仲良くしたいと思っても、それを素直に表現することが出来ないのだ。そんな様子だからだろう。周りもなんとなくフィアには近づきがたいと思っているようだった。そのことをフィアは心の何処かではそのことを寂しくは感じていたものの、それを顔に出すことはしなかったし、自分の性格を変えることもできないし、と半ば諦めてもいた。
フィアが思っているより長い間茫然としていたのだろう。声の主はフィアの方へ歩み寄ってきた。驚きから、フィアが返事をすることなく、声をかけてきた人物を見つめていると……その相手はくつっと笑って、声をあげた。
「なぁにぽかんとしてんだよ」
「痛っ」
不意にぺちっと額を叩かれた。唐突な彼の行動にフィアは瞬きをする。しかしフィアを叩いた本人はにこにこしていた。淡紫色の髪と瞳で、ルカより少し背の低い少年だった。この少年は何故、自分に声をかけてきたのか? そして何故、自分の名を知っているのか。若干動揺しつつ、フィアは彼に尋ねる。
「なっ何で俺を……?」
「は? 理由なく仲間を呼んじゃ駄目なのか? ちょっと話したいな、と思って呼んだだけだけど」
フィアの反応にきょとんとしている少年。彼のそんな表情に、フィアはさらに困惑した。一体、何なんだ? そう思いつつ、フィアはもう一度瞬きをする。こんな風に自分に声をかけてきた人間は初めてだ、と。
と、フィアを見つめていた少年はあぁそうか、という顔をした。そして、人懐っこく笑い、自己紹介する。
「悪い悪い! いきなり呼ばれりゃ吃驚もするよな。俺はお前を知ってるけどお前は俺を知らないだろうし。俺、シスト。シスト・エリシア。お前と同じヴァーチェだ。仕事一緒にすることも多いと思うから、敬語とか堅苦しいの、なしで頼むよ」
シストと名乗った少年は握手を求めて手を出した。女性のように色が白く、細くて、綺麗な手。暫く驚いた顔をしてから、フィアは恐る恐るそれを握り返した。
握手しつつ、シストはフィアの手をじっと見つめていた。何処か感心するように。しげしげと自分の手を見つめるシストにフィアは訊ねた。
「どうかしたか?」
「へ? いや、随分細い手だなっと思ってさ。気をつけて握らないと折れそうだ」
冗談めかした口調でそういって、シストはにっと笑った。厭味のない笑顔に自然とフィアの表情も緩む。それを見たシストはへぇ、と少し意外そうな顔をした。そして、少し悪戯っぽい表情を浮かべ、言った。
「可愛い顔も出来るじゃん。それに、お前、護衛向きだな。顔だけ見ると」
その言葉にフィアは目に見えて不服そうな顔をした。そして半ば拗ねたような声色で、言う。
「……それは男らしくないと言いたいのか?」
大きく分けて騎士の仕事は二つ。魔獣などの討伐と、貴族の護衛。そのために護衛向き、ということは裏を返せば戦いには向いてなさそう、という意味合いになる。それは少し不愉快だ、と僅かに顔を顰めてフィアが言うと、シストは慌てて否定した。
「違うって。お前の強さはお前がノトの時から知ってる。さっきの決闘も見せてもらった。あれなら十分此処でやっていけるだろうし。俺がいいたいのは貴族のお嬢様方が好きそうな顔だなってこと。気を悪くしたよな、ごめん」
そういって、シストはすまなそうに笑う。悪気はないようだが……結局女顔だという意味じゃないか、とフィアは溜息を吐いた。……尤も、女なのだからどうしようもない事なのだけど。
そして、ふと気付いた。何故、この人物は自分のことを知っているのだろう? それも、今ノトの頃とか言っていなかったか? 自分はこの少年、シストに出会ったのは勿論、見たのすら今日が初めてだ。
「ノトの時からって……何でだ? シストはルカと同期ぐらいだろう?」
フィアはそうシストに問いかけた。少なくとも自分の同期ではない、とフィアがいうと知らないのか? というように首を傾げたシストは答えた。
「確かに俺はルカと同期。でも、お前有名人だったからさ。ノトの中で凄い力を持った美少年がいるって。氷属性魔術が得意だって聞いてもいたし、雪狼に入ってこないかなぁとずっと思ってたんだ」
そういって、明るくシストは笑う。それを聞いてフィアはなるほど、と溜息を吐き出した。
「それはどうも」
肩を竦め、フィアは感情の籠らない声で答える。美少年だのなんだのと、そういった言葉をかけられることはしばしばあり、その度に呆れたようにそう返答していたのだ。それをきいてシストは溜息を吐く。そして肩を竦めながら、いった。
「まったく……噂通りの奴だな、お前は」
「噂?」
少しだけ、身構える。先刻の決闘騒ぎの原因になったような噂だったら、訂正しなければならない。そう思いながら眉を寄せるフィアの頬を軽く小突いて、シストは説明した。
「凄く綺麗で強いのに、ものすごーく無愛想だってさ」
皆勿体ないって言ってたぞ? シストは冗談っぽく笑って、そういう。真剣な話かと思っていたフィアは拍子抜けなシストの返答に一瞬ぽかんとした後、溜息を吐き出しながら、いった。
「……悪かったな。無愛想で」
フィアはフン、と鼻を鳴らしつつ、笑った。シストもそれを見てくつくつと笑い声をあげる。
「フィアさ、絶対にその性格で損してると思うよ。そうやって黙っていれば綺麗なんだから彼女の一人や二人いても可笑しくないし、女王様の執事辺りに召しあげられてもおかしくないのにさ」
シストは真顔でそういう。フィアは苦笑した。元々女性であるフィアは女性にモテても仕方がないし、かといって男にちやほやされたいと思ったこともない。しかし此処は気の利いた冗談の一つも言うべきか、と思いながらフィアは肩を竦め、口を開いた。
「失礼な奴だな。黙っていようがいまいが女性は寄ってくる。性格で女性が離れていったことはそうないぞ」
それは事実だった。大抵の女性はフィアが冷たくあしらうと離れていくのだが、中にはそういうドライな所が素敵!といってなおさら燃え上がる女性もいるのである。尤もフィアにとっては迷惑なだけなのだが。
それを聞いて、シストは可笑しそうに笑った。
「ははっ。そうかよ、まぁ、いいや。お前がモテようがモテなかろうが仕事が出来ることが重要だからな。いつかお前の実力、見せてもらうぜ?」
そういってシストはアメジストの瞳をきらりと人懐っこく輝かせる。そんな彼を見てフィアもサファイアの瞳を細めながら、いった。
「あぁ。俺もシストの実力を見られるのを楽しみにしてる」
そういうとフィアは一度、深呼吸をする。そして改めて彼に手を差し出しながら、言った。
「まだちゃんと名乗っていなかったな。俺はフィア。フィア・オーフェス。ルカの従弟で、今日からヴァーチェに昇進した。宜しく、頼む、シスト」
「あぁそういやお前から名前は聞いてなかったなぁ……宜しく」
シストはそういってフィアの手を握り返す。そしてフィアとシストは笑いあったのだった。
***
そんなこんなでシストと別れたフィアが自分の部屋にいた時のこと。ノックの音もなしに、ドアが開いた。普通の人間なら、驚くか、警戒するかしそうなものだが、フィアはそうしなかった。無論、ノックせずにはいってくるのはルカだ。いつものことだが、と思いつつフィアは溜息を吐いた。
「フィア、今いいか?」
部屋に入ってきてから、ルカはそう声をかけてくる。フィアは声をかけて来たルカを睨んだ。
「困る。今着替えてるんだ。……と言ったらどうするつもりだった?」
フィアが剣を鞘にしまいながらいうとルカは苦笑した。
別に着替えなどしていない。彼女は剣の手入れをしていたのである。いつも通りのそっけない反応をする従弟の様子を見て、ルカは少しほっとした顔をする。
「どうやら少しは立ち直ったみたいだな」
ルカはルカなりに、心配していたのである。自分に魔力をぶつけてしまったことを悔やみ、恐れていた様子の従妹の事を。しかし、その心配は杞憂に終わったようだ。彼の様子を見れば、わかる。ルカの言葉にフィアはこくりと頷いてみせる。
「あぁ。いつまでもうじうじ悩んでいるのは性に合わないからな」
さらりと言ってのけるフィアをみて、ルカは俄かに肩を竦めた。そして、溜息混じりにいう。
「ほんとにお前って奴は」
「可愛くない、だろう? 結構だ。お前に可愛いといわれるとゾワゾワする」
そう言いながらわざとらしく体を震わせるフィアの頭を小突いて、ルカは笑う。大丈夫そうだな、と声をかけてくるルカを見て、フィアは小さく鼻を鳴らすと、自分の剣の手入れに戻った。
ルカは暫くその様子を見つめているばかり。帰ろうとしない彼にフィアはちらりと視線を向けたが、構わずに作業を続けていく。
ふと手を止めて自らの魔術剣を見つめた。自分の唯一無二の武器である魔術剣の手入れをして、切れ味を保つことも騎士の義務だ。いざ戦う時に斬れない、などという事態は笑えない。
不意にカラン、と間の抜けた音が響いた。その音の発生源を見たフィアは思わず眉を寄せる。フィアの眼前には赤い宝石がはまったルカの剣。先刻の音はルカが剣をフィアの前に転がした音だったのである。ルカはそのままフィアのベッドに寝転んだ。
「……何を考えている」
呆れたような、驚いたような顔をしてフィアはルカを見る。その態度は何だといいながらフィアは剣の柄でルカの額を小突いた。
「疲れた。寝るから剣の手入れ、よろしく」
そういうとルカは目を閉じた。そこから先フィアが何度声をかけても、ルカはもう反応しない。こうなったらもう彼は起きないだろう。フィアは溜息をついてルカの剣を拾い上げた。
「……重い」
フィアは思わず呟いた。自分の剣が軽いため、ルカの剣が酷く重く感じるのである。魔術剣は持ち主の性格、特性、体格によって変わるのだから、当然なのだが。
フィアの剣は細く、鋭く、軽い。それは恐らく、フィアが女であることも関係しているのだろう。一方ルカの剣はフィアのものよりも重い。重い、ということは一度に与えられるダメージが大きいということだ。ただし、重さは敵の攻撃を避ける時に動きを制限するというデメリットもある。速さを取るか力を取るか……それも持ち主次第ということである。つまり、フィアがルカの剣を使っても、その力は半減するし、逆でも同じく。そんな風に魔術剣は持つ者に応じて進化、退化する剣だ。だからこそ、此処の騎士たちは自分の魔術剣を大切にし、一生涯使い続けるのである。
「それにしても……」
ルカの剣を研ぎ、磨きながらフィアは剣の持ち主を見た。もう既に眠っているらしく規則正しく胸が上下している。良くもまぁ、こんなに直ぐに寝ることが出来るものだとフィアは少し感心した。性別を偽っているとはいえ、従兄妹同士とはいえ、女のベッドで寝るとは、一体何を考えているのやら、とフィアは苦笑する。
否、そんなことよりも。
「普通、他人に武器を預けて眠る馬鹿な騎士がいるか?」
剣を鞘に戻し、フィアはルカの横に置いた。馬鹿、と小さく呟くことも忘れずに。
普通、騎士は武器を他人に渡したりしない。というのには二つ理由がある。一つは勿論自分が丸腰になってしまうから。そんな状況では攻撃してくださいと言っているようなものだ。今この場でフィアに攻撃されたとしても、ルカは文句を言える立場ではない。更に言うなら文句を言うより先に、殺されてしまうだろうけれど。
そして、もう一つは魔術剣の特性にある。魔術剣は、持ち主の魔力の影響を受けて変化する剣。つまり、多くの剣が持ち主の魔力を帯びるのだ。持ち主の魔力の強さ、特性によっては、その剣を持った第三者にも危険が及ぶ。例えば、フィアの剣はフィアがもつ氷の魔力を纏う。フィアに似たタイプの魔力……つまり、雪狼の騎士がもったところで、大した影響はないが、草鹿の騎士や、水兎の騎士がこの剣をもったとしたら、一瞬で凍傷になる。フィアは魔力が強いため、魔力が弱いノトの騎士なら、もしかしたら凍死してしまうかもしれない。前者はともかく、後者は致命的だ。だからこそ、騎士たちは自分自身の剣を他人に渡そうとしないし、ましてや他人の剣に勝手に触れるような真似はしない。
では、何故セラクラスのルカの剣をフィアが触れるのか。答えは実に単純明快、ルカは魔力が弱いのである。魔力が全くない、というわけでもないが、他の騎士に比べ、魔術の能力が低いのは確かだ。氷属性魔術は辛うじて使えるものの、その実力はといえば、入団したばかりのノトの騎士にも劣る。任務時に仲間との意思疎通のために必要不可欠な通信魔術も使えないため、常に通信機を持ち歩かなければならない。
そんな風に魔術で戦えるほどの魔力をもっていないため、今までルカは剣術一本で騎士の仕事をこなしてきた。それは、騎士として生きていく上で大きな欠点だった筈だ。それなのにセラにまで上り詰めることが出来たのはルカの人並み外れた剣術の腕と、努力があったからに他ならない。
そんな従兄の、今は疲れ切った様子で眠っている姿を見つめながら、フィアは呟く。
「そんな体力馬鹿が疲れるほどの何かがあったということか? ここ最近ずっとこんな調子ではあるが」
そう呟きながらフィアは軽く、彼の額を小突く。しかし小さく声を漏らしたものの、ルカは目を覚まさない。それくらい、ぐっすり寝入っているようだ。余程疲れているのだろう、ということが見て取れる。傷や痣がないところを見ると、戦闘ではなかったらしいが、フィアは考えた。
「貴族の護衛か……?」
傷を負わない任務と言ったらそれくらいしか思いつかない。魔獣相手の戦いならば、多かれ少なかれ、何かしらの跡が残るはずだ。まったくの無傷での帰還というのは幾らルカでも、なかなか難しい。しかし、傷はおろか、ルカの騎士服は少しも汚れていない。着替えたのかもしれないが、考えにくいだろう。そのことから考えると貴族護衛の任務くらいしか、思いつかなかった。
「でも、それでそんなに疲れるものか?」
そう呟くが、無論答えなど出ない。そして恐らく、フィアが訊いたところで、ルカは答えないだろう。自分に心配をかけたくないからと隠す癖があることはフィアもよく知っていた。
「……まぁ、折を見て聞きだすか」
そのうちきっと、話してくれるだろう。そう思いつつフィアは自分の剣の手入れを再開した。