第四十二章 悔しさと涙と、決意と
なす術がなかった。フィアを安全に取り戻す方法も、ノアールたちを止める方法も、思いつかなかった。誰一人、動けなかった。誰一人、進めなかった。止められなかった。守れなかった。全てが……全てが、仕方がないことだった。それは、確かだろう。
しかし、これが最善だったと、胸を張って言えるものが、この場に一体何人いるだろう。
「……んで」
ロシャ達が消えてから暫く呆然としていた騎士たちの中で最初に口を開いたのはシストだった。静かな、静かな声で、シストは何か呟く。
―― 次の瞬間。
「何でだよ!!」
ガッとルカの胸倉を掴み、シストが叫ぶ。
「シスト?!」
それを見て他の仲間たちは驚いた声をあげる。満身創痍の体の何処にこんな力が、と思う程の大声でシストは怒鳴る。
「なんで、何でフィアを連れて行かせた?! 無理矢理でも取り返せばよかったじゃねぇかッ! 彼奴らに連れて行かれたら、何されるかわからねぇ! 約束守って、生かしておくかどうかすら、わからない!」
何の保証もない。彼らが、約束を守るかどうかも、フィアをどうするつもりなのかもわからない。そんな状況だったのに、なぜ行かせたのか。そう叫び、シストはルカを見据える。ぎゅ、とルカの胸倉を掴んだままに、震える声でシストは言った。
「三日しかない……三日で、奴らの住処を探し出して、フィアを助けだせるのか?! それともまさか、本気で戦闘のための訓練をするとか、言いだすんじゃねぇだろうな?」
揺れる、揺れる、紫色の炎。強い怒りを湛えたその瞳がルカを射抜いている。
ルカは答えない。シストに胸倉を掴まれたままに、眼を伏せる。それがなおさら彼の怒りを助長する。シストは手に込めた力を強くして、続けて怒鳴った。
「答えろよ……答えろ! 何で奴らを止めなかった?! これだけ、力がある騎士がいるのに、どうしておとなしくフィアを渡した?! 彼奴は、お前の大事な従弟じゃねぇのか?! 何で……ッ!?」
何で、どうして、どうして……!? 吐き出されるのは、疑問の言葉ばかり。咳き込みながら、ぼろぼろの体で、彼は叫ぶ。
もう二度と、逢えないかもしれない。そうなることの恐ろしさを、シストは嫌という程よく知っている。もう二度と、あんな想いをしたくはない。きっとルカも、同じ想いだと、そう思っていたのに。
と、不意に、叫び続けていたシストの声が途切れた。声が途切れると同時に、シストの体がその場に崩れ落ちる。
「シスト?!」
不意に倒れこんだシストを抱きとめ、ルカが驚いた声をあげる。
「大丈夫です。眠っているだけですから」
静かな声で、ジェイドが言う。彼の手はシストに向けられていた。シストがおとなしくなったのは、ジェイドの魔術……植物麻酔の影響。暴れるシストをおとなしくさせるために、ジェイドが使った魔術だった。
ふ、と息を吐いて、ジェイドは流れてきた前髪を払って、言う。
「……やれやれ。怪我人相手に魔力は使いたくなかったのですが、こうしないとシストの命が危ないですからね」
そう言ったジェイドは眠っているシストをルカから受け取り、抱きあげた。
ぐったりと眠ったままのシストの眼尻から一筋、涙が落ちる。どうして、という掠れた声が微かに聞こえた。ジェイドはそんな彼の額をそっと撫でると、仲間たちに微笑みかけて、言う。
「僕たちは先に戻っています。皆も早く戻ってきてくださいね。……行きますよ、アル」
ジェイドは足で地面に空間移動のための魔法陣を描いた。暫し茫然としていたアルはその言葉に頷き、彼が描いた魔法陣の中に入り、一緒に城へ戻っていく。
「……俺たちも帰ろうぜ」
ジェイドとアルがいなくなってすぐ、クオンがそう声をかけ、ルカの背を押した。アレクも拳を震わせて俯いているアンバーの頭に手を置いて、言う。
「行くぞ、二人とも。作戦会議だ」
此処で立ち止まってる場合じゃないだろ、と冷静で力強い声で、アレクは言う。そして、乱暴にルカの頭を撫でると、言った。
「……お前の決断は間違ってねーよ、ルカ。シストも混乱してるだけだ。気にすんなよ」
そんな彼の言葉にルカはぎこちなく笑う。
「あぁ。……ありがとな、アレク」
「良いってことよ」
先行くぞ、とアレクは歩き出す。そんな彼の背を見つめたルカは力なく笑った後、一度だけロシャ達が消えた方角に視線を投げた。
―― ごめんな。フィア……
そんな、誰にも届くことのない呟きを漏らし、彼は仲間たちを追ったのだった。
***
城に戻ったジェイド以外のセラたちは会議室に集まっていた。大きな任務がある時などの打ち合わせに使われる会議室はしんと静まりかえっていて、壁掛けの時計だけがかち、かち、と規則的な音を刻んでいた。
……誰も何も言わない。否、言葉を発することができないのだろう。何を言えば良いのか、これからどうするべきか、何もわからず、口を開くことに、躊躇っている。
アンバーの予言がすでに現実になりつつあるということを理解してしまった。覚悟はしていた。していたはず、なのに……仮定が確信に変わるだけで、こんなにも空気が重くなるものだとは、誰一人思っていなかった。
「……こんなにも早いなんてな」
椅子に腰かけていたアレクがポツリと言って、笑った。いつものように、明るい笑みで。周りを元気づけるように。その様子を見て、クオンもふっと笑みをこぼす。
「覚悟する暇さえなかったもんなぁ」
そういって、クオンは肩を竦める。
「……ごめんね」
アンバーはそういって、俯いた。もう少し早く言うべきだったと、申し訳なさそうに謝る声は、今にも消えそうで……
ルカは溜息をついて、アンバーの額を小突いた。
「馬鹿。お前の所為じゃないだろ」
「……でも」
アンバーは今にも泣き出しそうな顔をする。確かに、アンバーにもどうしようもないことだった。もっと早く今回の状況を予知し、伝えることが出来ていたとして、現在の状況を回避する術があったかどうかは、わからない。しかしそれでも、責任を感じずにはいられない。
と、その時。ルカがアンバーの頭に手を置いた。そのまま、ぐしゃりと乱暴に撫でる。いつも、フィアにしているように。驚いた表情を浮かべたまま顔を上げるアンバーを見て、ルカは笑って見せる。
「大事なのはすでに起きてしまったことより、此処から先の事、だろ」
ルカはアンバーの頭から手を離しながら、そう言って、笑った。
その言葉は、いつもフィアが言っていたことだった。起こってしまった過去を悔やむよりも前を見て進む方がいい。フィアはそのことを自分の身を以て知っている。泣いていても、悔やんでいても、現状が変わることはない。起きてしまった過去は、変わらない。
―― 俺が泣いたところで、父さんや母さんは戻ってこない。だから……
ならばせめて、これからは何も失わないで済むように強くなりたいのだと、フィアは口癖のようにそう言っていた。
それを思い出しながら、ルカはアンバーに言う。
「今から、考えていきゃ良いだろ。まだ、全てが終わった訳じゃない。俺だって、全部諦めて彼奴の提案を呑んだ訳じゃないからな」
ルカは、明るく笑いながらそう言う。アンバーはその言葉に励まされたようにぎこちなく微笑み、そうだよね、と呟いた。
***
それから暫くして、ドアが開きジェイドが入ってきた。一斉に視線がそちらを向く。
「シストはどうだ?」
ルカは心配そうにジェイドに問う。シストが負っていた傷が深いものだったこと、そしてそのぼろぼろの体で相当無理をしていたことをこの場にいる皆が知っている。全員、心配していたのである。
彼の問いかけにジェイドはいつものように微笑んで、頷いた。
「大丈夫。ちゃんと処置してきました。かなり深手であったのは事実ですが……あのまま、おとなしくしていればすぐに治るでしょう。今はまだ眠っていますよ。アルに任せてきました」
そんな彼の返答に一同は安堵の声を漏らす。とりあえず、一つの心配は取り除かれた。そう思いながら。
ジェイドも席に着くとアレクがアンバーの方を向き直る。そして、切り出した。
「まず、先に聞きたいことがあるんだが……ロシャがお前の弟って本当か?」
そんなアレクの問いかけに、こくりと頷いてアンバーは言う。
「本当だよ。でも……あの子は僕の弟であり、そうではない、というか」
そう言葉を濁す、アンバー。それを聞いてクオンは訝し気な顔をする。
「どういう意味だ?」
そう問われ、アンバーは哀しそうに笑った。
「今のあの子は……ハクは、人間じゃないんだ。ルカには言ったよね? 彼らは……生物じゃない。作り物、っていうのが正解だ、って。だから、あの子は、僕の弟であって、そうじゃないものなんだ」
そこで一度彼は言葉を切る。そして掠れた声で、言った。
「だって、僕の弟……ハクは、五年前に死んでるんだから」
アンバーの言葉に皆、息を呑む。
「死者の蘇生、ということですか、そんな、馬鹿な」
ジェイドが緩く首を振る。五年前に死んだはずのアンバーの弟。それが、先刻自分たちの前に立ちはだかっていた少年……ロシャだという。そんなこと起きるはずがない、とジェイドは言う。医学を専門とする彼にとっては一層、信じられない言葉だった。
そんなジェイドの、他の仲間たちの反応を見て、アンバーは力なく笑った。
「色々、僕も調べてみたんだけど、死者の蘇生というよりは、死者の魂の再定着、って所かな。ロシャの見た目は僕がよく知っている姿と殆ど同じだったけれど、多分、完全に同じ肉体ではないし」
一応ちゃんと葬儀もしたのだから、とアンバーは言う。
「魂の再定着、ねぇ。そんなこと、可能なのか? 俺の家でも、聞いたことないぞ」
クオンは眉を寄せ、そう問いかける。彼は一応、名門とされる魔術師の家系の人間。しかし、そんな彼の家でも、今のアンバーの話にあったような魔術は聞いたことがない。そうクオンが言うのを聞いて、アンバーは苦笑混じりに首を振った。
「幾ら名門の君の家でも、そんな魔術は扱ってないはずだよ。だって、殆ど禁忌……悪魔の領域の魔術だろうからね」
本来、人の死は覆るはずのないものなのだ。死者の魂を再定着させ、駒のように使うなど、本来あってはならないことだろう。
「当然です」
険しい表情で、ジェイドは頷く。彼にしては珍しい、怒りの表情。人の命を守り、救う立場である彼からすれば、そのような魔術の行使は到底許せないものなのだろう。
アンバーはそんな彼に、小さく頷いて、言葉を紡ぐ。
「その通り。死んだ人間の魂を別の肉体に再定着させるなんて、普通の人間では思いつきもしない……そもそも普通の人間では出来ない所業だよ。それが出来る人物が、ノアールや……ロシャ、操り人形たちの上に、いるってことだろうね……」
それがきっと、ノアールの言っていた”主”なのだろう。アンバーはそういって、口を噤んだ。
静寂が、部屋を埋める。まだ姿も知らない、影猫の頭領の膨大な力に、人の死すら利用することのできる残酷さに言葉を失った騎士たちは、黙り込んだまま、俯いていた。
***
―― 一方……
草鹿の病棟の一室……アルは、眠っているシストの隣にいた。重傷ということもあって、シストは手当の後、きちんとした設備のある此処の部屋に寝かされていた。
傷に関しては、ジェイドが治療したのだから問題ない。まだジェイドの麻酔魔術の所為で目を覚ましていないだけのはずだ。目を覚ましたらすぐに診察が出来るように、とアルは傍についているのだった。
眠ったままのシストの横顔を見つめていたアルは、ふっと視線を外に投げる。何も変わらない、いつも通りのはずの、外の景色。しかし今は、それが酷く無機質な、色の褪せたもののように思えていた。
「フィア」
アルは近くにいない大切な友の名を小さな声で呼ぶ。返事があるはずがないことは、理解していたけれど。
いつもなら、すぐに返ってくる声を思い出して、アルは顔を歪める。男性にしては高い、冷たいようで優しい声。それが、今はない。いつもすぐ傍に居た人間が居ないというのは、酷く不安なものだとアルは痛感していた。
「う、ぅ……」
小さな呻き声が聞こえて、アルははっとする。視線を戻せば、シストが目を開けていた。揺らぐアメジストの瞳が、アルを捉える。
「あ……目が覚めましたか、シストさん」
良かった、と呟くアルを見つめ、シストは答えることなくゆっくりと瞬く。混乱したように、眉を寄せている。
ジェイドの魔術の影響で多少、記憶が混乱しているのかもしれない。少し、診察をした方が良いだろうか……そう思った瞬間。
「ッ……!」
不意にシストが跳ね起きた。そのまま、ベッドを降りようとする。彼のあまりに唐突な行動に流石にアルも慌てて、シストの腕を掴んだ。
「シストさん駄目です! 傷が開いちゃいますよ?!」
幾らジェイドが治療をしたとはいえ、すぐに治る訳ではない。暫くは絶対安静だ。そんな状態で勢いよく動けば、傷が開きかねない。
おとなしくしていてくれ、とアルが言っても、シストは首を振る。
「離せアル! 俺、行かないと……!」
そう怒鳴って、シストは暴れる。必死の形相で。
一瞬は、記憶が混乱した。何故自分は眠っていたのか、何故体が痛いのか、と。しかしすぐに、思い出したのだ。かけがえのない相棒を連れ去られたことを。
寝ている場合ではない。あれからどれほど時間が経ったのかわからないが、未だ今なら間に合うかもしれない。彼の、フィアの魔力を追うことが出来るかもしれないのだ。
「駄目です!」
アルは必死にシストを止める。そんな彼をキッと睨み付け、シストは怒鳴る。
「離せ! 一人でも行く! フィアを助けに……ッ!」
そう叫び、シストはアルの手を振り解こうとした……その時。
「一人で何が出来るっていうんですか?!」
アルが思いきり怒鳴った。普段怒鳴ることのないアルのそんな声に、シストは思わず怯む。
「そんなボロボロの体で、一体、何をしようっていうのですか!? 死にに行くつもりですか、そんなこと、僕が絶対に許しませんッ!」
悲痛な声で、アルは叫ぶ。その言葉は真剣そのもの。彼のこの体でフィアを探しに出れば、間違いなく死んでしまう。そんなこと、許す訳にはいかない。医師としても、友人としても。
アルの剣幕にシストは息を呑み、黙った。そのままベッドに座り、布団を握りしめる。
アルの、言う通りだ。この体で、この状況で、一体何が出来るというのか。そう思いながら、唇を噛み締める。
「畜生、畜生ッ!」
強く布団を殴り、シストは泣き叫んだ。無力な自分が悔しいと、そう言って泣き叫ぶ。
「何も、何も変わってない、俺は、パートナー一人守れない……ッ! 弱い、弱い、ままだ……ッ」
泣き叫ぶシストを見つめるアルは、きつく胸を押さえた。黄色の瞳が、悲しげに揺らいだ。痛いほどに感じる、シストの気持ち。悔しさ、悲しさ、やるせなさ……それらが全て綯い交ぜになったその感情を、何と表せばよいのだろう?
守りたかった。助けたかった。連れて行かせたくなんか、なかった。もう二度と、失いたくなかった。傍にいてほしかった、大切な大切なパートナー。自分がもっと強ければ、彼を守ることが出来たのに、とシストは震える声で呟く。
涙を零し続けるシストを見つめ、アルは、そっと息を吐いた。
「シストさん……貴方は、弱くなんか、ないですよ」
アルはそう言いながら、シストの手に触れる。シストは立てた膝に顔を埋めている。まだ肩が震えていた。小さく、畜生と呟く声が聞こえてくる。
「弱くなんかないですよ。シストさんは」
アルは泣いているシストにもきちんと聞こえるように、ゆっくりと、はっきりと、言った。しかしシストは彼の言葉に、小さく首を振る。強くなんかない、と震える声が微かに聞こえた。
アルは震えているシストの手に自分の手を重ねて、微笑んだ。そして、優しい声で言った。
「だって、シストさんは僕を守ってくれた。あの時シストさんが守ってくれなかったら、僕は死んでいたでしょう。あんな傷で戦うのは、辛かったでしょう? それなのにシストさんは戦って、僕を守ってくれた。そんなシストさんが弱いはず、ないです」
あの時は、恐ろしかった。死を覚悟した。シストが戦ってくれなければ、きっと死んでいた。満身創痍で、それでも自分を守ろうと、フィアを助けようと戦おうとしていたシストが弱いはずがない、とアルは言う。
彼の言葉に、シストは反応を示さない。アルはそれを気にすることなく、言葉を続けた。
「それに、完璧な人間なんていないんです。一人きりで戦える人も、此処にはいないですよ」
全てを、貴方が背負う必要なんてない。そう言いながら、アルはシストの手を握る手に少し力を込めた。
「……ね、シストさん。僕もフィアを助けたい。きっと……きっと、ルカ様や他の皆さんもそうだと思うんです。だから……僕らを頼ってください」
静かで、優しい声で……アルは言った。シストが一人で戦う必要はない、と。確かにフィアはシストの相棒だ。しかし、それだけではない。アルにとってフィアはかけがえのない親友で、ルカにとっては大切な家族。他の騎士たちに取っても大切な仲間であることに違いはない。守りたい、助けたい、と思っているのはシストだけではないのだ、とアルは言う。
彼の言葉に、シストは少し顔を上げた。涙に潤んだアメジスト色の瞳を、黄色の瞳が覗き込む。そしてアルは穏やかに、微笑んで見せた。そんな彼を見つめ返したシストは軽く微笑み、口を開いた。
「……なぁ、アル」
「なんですか?」
「……俺、少し泣くわ」
そう言ったシストの瞳は、既に涙に濡れていて。シストの宣言に、アルはゆっくりと頷いた。
「良いですよ」
「でも、すぐに泣き止む、から、だから……情けねぇ顔は、すぐに忘れて」
シストはそう言うと、もう一度膝に顔を埋めた。今度は声を上げず、泣く。静かに、静かに、胸に閊えていた苦しみを吐き出すように、涙を零し続けた。それは、仲間のために強くありたい、強くなくてはいけないと思い続けて、苦しみ続けた、騎士の心の脆さを表していて……
アルは何も言うことなく、ただその隣に座って、そっとシストの手を握っていた。
***
どれくらいの時間がたっただろうか。部屋に響いていた弱弱しい啜り泣きはいつしか消えていた。アルも、シストの手を握っていた手の力を緩める。
「……よし」
暫くして、シストがそう呟いた。いつも通りのシストの声だった。顔を上げたシストは、ぐしぐしと、目元を拭う。そして何処か決まり悪そうな表情でアルを見つめ、言う。
「アル、ごめんな。なんか、いろいろと」
「何がですか?」
にこっと笑ってアルが言う。まるで、何も見ていないし、自分は何もしていない、というように。シストはその笑顔を見て、苦笑を漏らす。そして軽く頬を掻くと、呟くように言った。
「ったく……確かに忘れろって言ったのは俺だけどさ……お前のそういうところに、救われた。ありがとな」
照れくさそうに、シストは言う。アルはそれを見るとふわりといつものように笑って、言う。
「ふふ。こんな僕で役に立てることがあるのなら、良かったです」
アルはそういって、黄色の瞳を細めた。シストの声が、笑顔が、心が、いつも通りに戻ったことに安堵した。怪我人相手に怒鳴ってしまったことに多少後悔もしたけれど、結果的にシストが元気を取り戻したことには素直に、良かったと思えた。
シストはそっと微笑んで、ゆっくりとベッドから降りた。途端、顔を顰め、傷口を押さえる。
「いってぇ……あの野郎、深々とやりやがって……次会ったら見てろよ……」
シストは自身の腹を刺した敵を思って毒づいた。刺された時にも当然痛みは感じたが、こうして落ち着いてしまうと一層痛みを感じる。よく死ななかったな、と自分で思って、苦笑を漏らす。
「大丈夫ですか? 痛み止め、飲みます?」
無理しない方が良いですよ、とアルは言う。心配そうな表情の彼を見て、シストは微笑んで、首を振った。
「大丈夫だ、痛いには痛いけど……それどころじゃないしな」
そう言ったシストは軽く傷を擦って、アルに問いかける。
「ルカたちは何処にいる?」
シストの言葉にアルは目を丸くした。
「え……ルカ様のところに、行く、のですか?」
アルはそう言いながら眉を下げる。シストのルカに対する先刻の反応を思い出し、渋い顔をする。彼と、会わせて良いものか……そう悩む顔をするアルを見て、シストは苦笑混じりに言った。
「大丈夫だよ。さっきの俺は、どうかしてた。ちゃんとルカにも謝る。それから、一緒にフィアを助けに行く方法を考えたいんだ」
真剣な表情で、彼は言う。感情が落ち着いてくれば、わかる。ルカの発言の意味も、理由も……その裏で彼がどれほど葛藤したかということも。あんな感情のぶつけ方をしてしまったことを詫びたい、詫びなければ。そうシストは言う。
アルはその言葉に小さく頷いた。
「そうですか……多分、会議室だと思います。一緒に行きましょう」
シストを疑うつもりはないが、一人で行かせるのも心配だ。そう思ってアルが促せば、シストはこくりと頷く。そのまま歩き出す彼に、アルは心配そうに問いかけた。
「歩けます?」
そう問いかけられて、シストはきょとんとした顔をする。それから、心配そうな顔のアルの額を小突いて、笑う。
「バーカ。何重傷者扱いしてるんだよ」
大したことないよ、と言って笑うシスト。それを見て、アルは頬を膨らませ、抗議の声をあげる。
「十分重傷だったんです! 今の台詞、お腹を刺された人間が言っていい台詞じゃありませんからね!?」
確かに峠は越えたのだろうが、重傷であったことに違いはない。傷が完全に塞がった訳ではない。医師としては、このままゆっくり休んでいて欲しいのだが、ルカに詫びたいという気持ちはわかるために同行を申し出たというだけなのだ。
「無理して傷が開いても知りませんよ? ジェイド様の魔術にだって限界があるんですから」
頬を膨らませながらそう言うアルを見て、シストは苦笑まじりにひらひらと手を振る。
「わかったわかった」
大丈夫だからさ、と言うとシストはさっさと歩き出す。その歩みはしっかりしたもので、そのことにアルはひとまず安堵する。
「辛かったらすぐに言ってくださいね?」
「わかったよ。大丈夫だって」
心配性の友人にそう言ってシストはアメジストの瞳を細める。そして彼と一緒に歩きながら、強く拳を握って、想う。今は傍に居ない、大切な相棒のことを。




