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第二十八章 立場と私情


 ロシャの魔術で屋敷の外に出されてしまったルカは屋敷の中に駆け込もうとした。先刻の爆発で屋敷には火がつき、激しく燃えている。そのまま中に留まり続けるようなフィアではないことは知っているが、心配なのに違いはない。彼は、氷属性の魔術使いなのだ。暑い場所は、一層苦手なはず。否、それだけではなく……炎に包まれる空間は、彼にとって恐ろしい記憶を呼び起こすものなのだ。

 剣を鞘に納め、走りこもうとしたルカの手を誰かが掴む。思いがけない力に驚いたが、ルカはそれを振り払おうとした。フィアがまだ中にいるのだ。助けに行かなくては。その思いだけが、彼の心の中を占めている。他のことなんて、一切頭になかった。

 しかし、その人物は決してルカの腕を放そうとしない。ルカが藻掻けば藻掻くほど、なお強い力でその手を強く握る。いらついた様子で、ルカは怒鳴った。


「誰だ?! 離せ……!」

「落ち着け、ルカ」


 静かな声で、名を呼ばれる。ルカは自分の腕を掴む人物を見て、目を見開いた。

 真っ直ぐに自分を見据える銀色の瞳。見覚えのあるその姿。ルカは、小さくその名を呼んだ。


「……クオン」


 ルカの手を掴んだのは風隼の統率官、クオン。彼の銀の髪が炎の熱気で熱くなった風に揺れる。ルカは瞬きを繰り返してから、クオンに問うた。


「お前、今まで何処にいた?」


 一緒に閉じ込められてはいなかったよな、とルカが訊ねるとクオンは笑って答えた。


「お嬢さま方が詰め込まれてた馬車の傍だよ。馬車が走れないようにしておかなくちゃと思ってさ。でも、それを先にやってくれた奴が居たみたいで、俺は用無し。それなら中に戻ろうと思ってたら屋敷が爆発して、お前らが此処にワープしてきたって訳だ」


 そう言って、クオンは肩を竦める。


「馬車?」


 ルカは怪訝そうにクオンが指差した方を見た。


「ほら、みろよ。あれに乗せて、お嬢様方を港まで運ぼうと思っていたんだろう」


 確かに、巨大な馬車のの中からちらほらと目を覚ました令嬢たちが降りてきている。馬車の車輪が壊されている様子で、その車輪の近くには小さな水たまりがあった。


「水たまり……あぁ、フィアの魔術か」


 ルカはそう呟いた。ルカにはわかった。フィアは自分の魔術で馬車を故障させたらしい。クオンもそのことに気づいていたらしく、微かに笑みながら言った。


「お前の従弟は頭の回転が速いな。魔力の質も良い。部屋から此処は大分離れてるのに、そこにある馬車の足回りを綺麗に壊せるとは……驚いたよ」

「あぁ。俺の自慢の従弟で、部下だ」


 クオンはルカの言葉を聞いて、すっと表情を消した。そこに宿るのは、不安げな光。静かな声で、ルカに問う。


「……その子は、まだ中に?」

「あぁ。だから俺、行かないと」


 ルカは頷き、もう一度屋敷に入ろうとする。気が気ではない。燃え盛る屋敷。フィアにとってあの空間にいることは、一分だって耐えられないだろうから。


―― 燃える家。


 それは、フィアの両親が炎に巻かれて死んだあの日の光景にも重なって見える。幼い頃に心に負った傷が癒えることはない。幾ら強がっていてもフィアは、普通の人が負うよりずっとずっと深い傷を、心に負っているのだから。

 すぐにでも、助けに行ってやりたい。せめて、傍にいて大丈夫だと言ってやりたい。不器用で意地っ張りなフィアはそれを求めていないかもしれない。それでも……!

 そう思ってルカは駆け出そうとする。が、またそれをクオンが止めた。駄目だというように、クオンは強い力でルカの腕を握る。


「何で止めるんだよクオン!」


 ルカはそう吠えるように言った。焦りの色を灯した真紅の瞳が揺れる。

 無論、クオンもルカの心境を理解していた。ずっと共に戦ってきた仲間なのだから、ルカが考えていることも、彼の従弟の境遇も、良く理解している。しかし、屋敷に戻ることは、頑として許さない。掴んだ手の力を緩めることなく、冷静な顔で、声で、クオンはルカに言う。


「落ち着けって。ルカ、彼がお前の従兄であることは俺も知ってる。彼の事が心配なのも、助けに行きたいのもお前の顔見てたらわかる。……でも、今は立場を考えろ。お前は雪狼の統率官(セラ)だろう? 騎士だ。一人の身内の事よりも大勢の人の事を考えて行動するべきじゃないのか?」


 鋭い銀の瞳がルカを見据える。後ろで束ねた長い銀髪を熱風が靡かせた。相変わらず、赤い火の粉が漆黒の夜空を彩っている。クオンはそれ以上何も言わず、真っ直ぐにルカを見つめた。それだけで伝わるだろうとでもいうかのように。


「……く、そッ」


 ルカは唇を噛んだ。

 本当は、ルカも最初からわかっていた。今は、自分の気持ちを優先にして動いくべき時ではない。一部隊のリーダーとして、何より、この任務に向き合う騎士として、動かなければならない。フィアを助けに行きたい気持ちは山々だが、クオンの言う通り、今は一人より大勢を優先すべき時だ。このような大混乱の中で私情に流されてはいけない。私情に流されて、一番大切なことを見失ってしまっては、意味がない。

 冷静になれ。最善の行動をとれ。今、何をするべきだ。何を考えるべきだ。……何を救い、何を捨てるべきだ。統率官になったばかりの頃、父から頭に叩き込まれた鉄則だった。

 一人を救うために大勢を犠牲にしたのでは意味がない。時に、何かを捨てなければならないこともあるのだと、ルカは知っている。例え、その“捨てるもの”が、かけがえのない存在……家族だとしても、それが最善であるならば、非情な決断をしなければならないことだってある。


「……わかったよ」


 ルカが呟くように言うと、クオンは小さく頷いて、ルカの手を離した。気持ちを落ち着かせるように深く息を吸ってから、ルカは自分が知っている情報をクオンに伝えた。


「……首謀者のロックは死んだ。仲間と思われる奴に殺された。……今まで俺たちが調べてきた悪魔の魔力を持っている奴に」


 ルカの報告に、クオンは表情を険しくする。ぐしゃり、と髪を掻き揚げて、嘆息した。


「本当か? くそ……手がかりを失ったってわけか。……まぁ、いい。今回の誘拐はこれで未然に防げた訳だしな。とりあえず、あのお嬢様方の所に行くぞ。目が覚めてこの状況だから混乱してるだろうしな」


 クオンはそう言って、馬車の方を指さす。確かに、目を覚ました令嬢たちは困惑した表情。今にも泣き出しそうな顔をしている女性もいる。無理もないだろう。目を覚ました途端に、この惨状では誰だって泣きたくなるはずだ。


「確かに、そうだな。パニックになったら大変だし……」


 ルカは、クオンと共に、彼女たちの方へ向かう。


―― フィア、どうか無事でいてくれ……!


 燃え盛る屋敷を一瞥し、心の中で祈りながら……




***




―― その、一方で。


「はぁ、しつこい……ッ」


 フィアは、変わらず戦っていた。ルカに渡された短剣と、魔術、騎士として鍛えた体術で。相手は三頭の合成魔獣。痛覚のない、感情のない、機械のようなソレ。ロシャが残して行ったおまけは、きっとロシャに命じられたのだろう。フィアを殺せ、と。

 主人の命令に忠実に、フィアに襲い掛かる三頭の合成魔獣。フィアの頭を、胸を、首を、狙って飛び掛ってくる。その度、急所を庇って攻撃を防いでいた。合成魔獣の忠実さはさっきのロックの様子を見ていたため、理解出来ている。フィアが隙をついて逃げようとしても、その道を阻む。そして牙を、爪を向けるのだ。フィアを殺す、その目的のためだけに、魔獣たちは動く。


「……ちっ」


 フィアは思わず舌打ちをした。ぐい、と流れてきた汗を拭う。痛覚のない相手と言うのは非常に厄介だ。人でも魔獣でも、痛みを与えられれば隙が出来る。しかし、この合成魔獣はロックに作られた、モノだ。痛みも苦しみもなく、ただ淡々とフィアを攻撃する。殺されるその瞬間さえも、痛みを感じないのだろう。

 対するフィアは、すでに傷だらけだ。命に関わるような傷はないものの、体中に負った傷はぴりぴりと微かな痛みを発する。無視しようにも、ふとした動きで激しく痛み、顔を顰める事になる。戦いだけに集中しようとしても、なかなか難しい。

 挙句に、である。


「動きにくい……ッ」


 苛立って呟きながら、フィアは額に、頬に流れてくる汗を乱暴に拭った。火が燃えていたため、周囲の気温は跳ね上がっている。自身の魔術で周りの火だけは消したために、すぐに焼け死ぬようなことはないが、それでも暑さだけはどうにもならない。フィアは氷属性魔術の使い手。こんなに暑い空間の中では、フィアの魔力の威力は半減する。そればかりか、フィア自身の体力を削ることにもなるという、あまりに不利な状況だ。

 そして、もっとも問題なのは今フィアの服装。いつもの騎士服や鎧ならば、せめてズボンならば、例え魔術剣なしでも十分倒せただろう。しかし、今のフィアはロングドレス。幼い頃から男として生きてきたフィアはスカートに慣れていない挙句、裾が長いものだから足に纏わりついて、走ろうにも走れない。いつものような軽いフットワークで動くことも、素早く踏み込み剣を突き出すことも出来ない。普段なら絶対に避けられるような敵の攻撃も、上手く躱せずに受けてしまう始末。そんな状況で戦うのは、フィアにとって随分と厳しいもので。

 しかし、不利であることを嘆いていてもどうしようもない。思考をやめてしまえば、合成魔獣たちに殺されてしまうだけだ。主に忠実な魔獣たちは、淡々とフィアを殺そうと迫ってくる。彼らは強力な魔術を使うわけではない。爪や牙の破壊力がすさまじいわけでもない。一頭一頭の強さはたいしたことないはずなのに、いつの間にやらフィアは劣勢だった。

 何度攻撃を仕掛けただろう。何度攻撃を躱しただろう。フィアの表情にも、疲労の色が色濃くなりつつあった、その時。合成魔獣の一頭がフィアの足元を爪で抉った。フィアは咄嗟に身を躱したが、ドレスの裾に魔獣の爪が引っ掛かる。ビリリッと布地が裂ける音。見れば、ドレスの裾が裂けている。


―― そうか。邪魔なら破いてしまえばいい。


 暑さでぼうっとしていて、こんな簡単なことも思いつかなかった。フィアはフッと笑って、自分のドレスに短剣を刺した。そのまま膝丈で布を裂く。ひゅんっと短剣を振って、フィアは息を吐いた。勝利を確信した表情で。


「よし、これで……少しは動きやすくなったかな」


 スカートであることに違いはないが、それでもこれならば足に引っかかることはない。フィアはすっと顔を上げ、合成魔獣たちを見据える。鋭い、蒼色の瞳。


「さぁ……反撃と行かせてもらおうか」


 短剣を合成魔獣に向け、フィアは笑った。

 そんな彼の雰囲気に気づいてか気づかずか、合成魔獣は低く唸り、フィアに飛び掛かってきた。フィアはそれをひらりと躱した。先刻よりも、軽い動き。立て続けに加えられる攻撃を躱しながら、フィアはじっと魔獣たちを観察した。

 作られた存在とはいえ、これも魔獣だ。ならば、急所は必ず、存在するはずなのだ。魔獣はその形状によって弱点が異なる。胸が硬い甲羅に覆われているものの胸を突いたり、頭が岩のように固かったりするものの頭を殴ろうとしても上手くいくはずがない。だからこそ、騎士たちは的確に魔中の弱点を探る。そして、的確にそこを攻撃するのだ。

 フィアもいつものように魔獣たちを観察する。頭は硬そうだから、駄目そうだ。胸……鎧のような、甲羅に覆われている。だとしたら。


―― 首の後ろ。


 フィアは素早くそこに回り、的確にそこに短剣を突き立てた。甲高い声をあげて倒れる魔獣。幾度か体を痙攣させ、ぴくりとも動かなくなる。やっと一頭倒すことができた。ふうっと一つ息を吐いて、フィアは呟く。


「……もうこれ以上汚れたくないな」


 もう既に自分の汗と血と、今倒した合成魔獣の血、そして煤がフィアのドレスを汚している。これ以上、汚れたくはない。一つ溜息を吐くと、フィアは真っ直ぐに敵を見つめた。


「一頭片付けば、幾分楽になるな……一気に片を付けるぞ」


 フィアは首にかけていた抑制機を外した。これで、強い魔術を使うことが出来る。周りの空気の温度が、すっと下がった。


「じゃあな」


 にっと笑うとフィアは残り二頭の合成魔獣に手を向ける。


「永久に凍て付け、完全凍結(パーフェクト・フリージング)


 静かな声と共に、その部屋の気温が一気に下がる。フィアが部屋を去った後、そこには二つの氷像だけが残されていた。



 

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