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第二十四章 帰郷



 フィアとルカは二人で休みを取り、帰郷の段取りを整えた。彼らの故郷……ルピリアはごく小さな村だが、平和で暖かく、村人同士の中も良い。畑で作物を作り、それを販売して生計を立てている村人が大半の、穏やかな村だ。フィアとルカはそんな村の中で生まれ育った。幸い、二人が仕える城からそんなに遠くなく、馬に乗ればすぐにつく場所だった。だから、いつものように馬に乗って帰れば良い。そうフィアも思っていた……のだが。中庭に出たところで、フィアは立ち止まる。


「おいルカ、何故馬が一頭しかいないんだ?」


 そこに立つ馬を見たフィアは、怪訝そうな顔をして訊ねる。騎士として働いている以上、フィアも一人で馬に乗れる。てっきり一人一頭ずつ、それぞれ馬に乗っていくものだと思っていたのだ。しかし、そこに繋がれている馬は何故か、一頭だけ。それも、ルカの愛馬であるネーヴェである。それは一体何故か、と問うフィアを見て、ルカは笑った。


「おいおい、良家のお嬢様は一人で馬に乗ったりしないぜ?」


 揶揄うようにそういうルカ。そんな彼の言葉に目を見開いて、フィアが言う。


「……歩いていけと?」

「まさか。”婚約者”を歩かせる訳ないだろ?」


 そういいながら、ルカは一つウィンクをする。……嫌な予感しかしない。フィアの顔が引き攣った。


「それはつまり」

「察しが良いな。騎士服じゃ駄目だ、服を着替えて来い。パーティー用のあのひらひらじゃなくていいから女の服な。騎士団に入る前に着てた服、大して成長してないんだから多分着られるだろう?」


 冗談めいた口調でそういうルカ。フィアはそれを聞いて盛大に顔を顰めた。


「無茶を言うな。俺が騎士団に入ったのは十歳の時だぞ。十歳の時の服が着られる訳がないだろう」


 確かに他の騎士たち……男性のように大きく成長した訳ではないが、それでも確かに成長している。子供扱いされるのは腹が立つ。そう思いながら、フィアはルカの足を蹴った。それを聞いたルカはそりゃそうか、と苦笑した後、悩むような声をあげた。


「うーん。なら、仕方ないか、ルピリアにつく前に街に寄って……って、それじゃあお前が女だってバレるな。あー、ちょっと待ってろ、借りてくるから」


 それが一番早いわな、と一人で納得するルカを見て、慌てたフィアは声をかける。


「あ、おい! そうまでしなくても! 諦めてこの格好で行けばいいだろう、が……あぁもう!」


 フィアが止める間もなく、ルカは城内に戻って行く。その背を見つめ、フィアは盛大に溜息を吐いた。


「……彼奴に諦めると言う選択肢はないのか……」


 ルカの言う通り、街中で女性物の服を着ようものならあらぬ誤解を抱かれるか、或いは女性であることがバレるだろう。だから、任務という名目で“女装”すると伝えてある城で着替えていくのは一番良い手段なのだろうが……フィアとしては、女性の恰好をして長時間過ごすこれからを思って嘆息する他ないのだった。



***



「お待たせ。ほら、これで良いだろ?」


 戻ってきたルカは女物の服を持っていた。本気で借りてきたのか、と溜息を吐くフィアを見て笑いながら、ルカは言う。


「風隼の奴に借りてきた。潜入捜査の時に彼奴らが着るようなヤツだから、サイズも大丈夫だろ?」


 ほい、と渡された服を受け取って、フィアはそれを広げる。確かに、パーティで着るようなドレスではないが、街中を歩く少女たちが着ているようなワンピースである。確かに、風隼の騎士たちが着られるサイズということは、フィアも余裕をもって着られるものだろう。そのワンピースをひらひらと揺らしながら、フィアはルカに声をかけた。


「これを受け取ったところで確認しておきたいんだが」


 どうした、と首を傾げるルカを見つめながら、フィアは問いかけた。


「お前がいいたいのは、仮にもお前の婚約者を演じる俺が騎士の恰好で村に帰るのはまずい。だから女の恰好をしてお前と一緒に馬に乗って帰る、と。そう言う訳だな」


 に、と笑みを浮かべ、ルカは頷く。


「ご名答」

「拒否権は」

「今更あると思ってんのか?」


 くつくつと笑いながら、ルカは愛馬の鬣を撫でている。やれやれ、と肩を竦めたフィアは彼が寄越した服を手に、一度自室に戻る。本来なら当たり前のように着ていたであろう服を仕事のために着るというのもおかしな話だな、と思いながら彼はワンピースに腕を通したのだった。



***



「着替えてきたが」


 ルカに渡された服に着替えたフィアはルカのところへ戻った。どうやら見送りに来たらしいシストとアルまでいる。こんな姿をもう一度晒すことになろうとは、とフィアは溜息を吐き出した。

 ルカは着替えてきたフィアを見て、笑みを浮かべる。


「お、なかなか似合うじゃねぇか。可愛い可愛い」

「……揶揄っているのか貴様」


 どうやら随分ご機嫌斜めの様子のフィアを見て、ルカは肩を竦める。まるでシャンプーをされたばかりの猫のよう。これ以上揶揄えば、本当に行くことを拒否されそうだ。シストもそう思ったのだろう、軽く肩を竦めて笑っている。


「フィア、気を付けてね?」


 部屋を出てきたフィアに丁度会って見送りに来たらしいアルは少し歪んでいる胸元のリボンを直してやりながら、フィアにいう。そんな二人の様子を見て、同じく見送りに来たシストは可笑しそうに笑っていた。力なく頷くフィアの頭をぐしゃりと一度撫でて、ルカは言った。


「さ、そろそろ行くぞ。じゃあ、行ってくるな!」


 そういって、ルカはフィアを先に馬に乗せる。その前にひらりと飛び乗ってから軽く手を振る彼に、シストとアルも手を振った。


「おぅ! フィア、男にナンパされないようにな!」


 揶揄う口調で叫ぶシストをフィアは睨んで、呟くように言った。


「……余計なお世話だ」

「まぁまぁ。ほら、出発するぞ。しっかりつかまってろよ!」


 ルカは拗ねているフィアを宥めてそういうと、一度軽くネーヴェの横腹を蹴った。一度高く嘶いて、ネーヴェは強く地面を蹴る。びゅ、と耳元を風が吹き抜けていくのを感じながら、フィアは慌ててルカの腰に腕を回した。



***



 びゅうびゅうと、耳元を風が駆け抜けていく。馬に乗るのは随分久しぶり、それも二人で乗るのは相当久しぶりで、暫くはルカに掴まってじっとしていることしかできなかったフィアだったが、少しずつ感覚を取り戻し、必死にバランスをとる必要がなくなってくる。ネーヴェの足が地面を蹴る音や吹き抜ける風の音、流れていく景色を感じる余裕が出てきた頃、ルカは笑いながらフィアに声をかけた。


「それにしても、久しぶりだなぁ、フィアとこうやって一緒に馬乗るの。憶えてるか? 初めてこうやって乗った時、お前怯えて泣いてたろ? ルカこわいよぉ、ってさ。……可愛かったなぁ、あの頃のフィア」


 懐かしむように、ルカは目を細める。無論、彼が思い出しているのは幼い頃。まだフィアがただの女の子だった頃だ。騎士として村に帰ったルカが馬にフィアを乗せてやった時、彼……否、彼女は怖がって泣いていた。今やフィアにあの頃の弱弱しさはない。自分と同じ騎士となったフィアと一緒に馬に乗ることになるなんてなぁ、と少し感慨深そうな顔をする。そんな風にルカが呑気な感傷に浸っていた、その時。


「前見ろ、馬鹿」


 そういうと同時、フィアはルカの背中に頭突きをした。流石に手綱を取り落とすようなことはしなかったが驚いて、ルカは声をあげる。


「痛っ! 頭突きは無しだろ」


 乱暴だな、といいながらフィアの方へ抗議の視線を向ける。フィアは顔を真っ赤にして黙ったまま、俯いていた。

 無論、フィアもしっかり覚えている。幼い頃にこうしてルカと馬に乗ったことも、その時に怖くて泣いてしまったことも。もう、思い出したくもない、弱い頃の記憶である。もうあの頃の自分とは違う、とフィアは思う。あの頃に比べ、ずっと強くなった。一人で馬に乗ることだって出来るようになったし、並の騎士よりそれが上手いという自負もある。


―― それなのになんで俺は今こんなことを……


 頭を抱えたくなるような心境になりながら、フィアは溜息を吐き出す。それから、先刻の辱めを返すように、言った。


「……それにしても、貴様に白馬は吃驚するくらい似合わないな」


 そういって鼻で笑うフィア。生意気な従弟の顔をじとりとした眼で見たルカは溜息を一つ。


「五月蠅いな、自覚はしてるっての」


 そういいながらルカは肩を竦めた。

 ディアロ城では多くの白馬を飼っている。任務の際の移動手段であり、共に戦う仲間でもある。白馬である理由は、見た目が良いからだとか、白色が純潔や誠実さを表しているだとか、初代の国王だか女王だかが白色を好いていたからだとか、様々な理由があるらしいが……護衛対象である貴族の女性たちに評判が良いのは事実である。

 そんな訳で城所有の馬も多いのだが、今乗っているのはルカが個人で所有している馬だ。ルカは昔から馬が好きであり、現在乗っている白馬、ネーヴェをとても大切にしている。脇腹に雪の結晶のような模様があるから雪を意味する異国語で名を付けたのだとか。彼が馬を大切にしていることも、乗馬が上手いことも理解しているのだが……彼は決して、お伽噺に出てくるような“白馬の王子様”という雰囲気ではない。似合わない、とフィアが言ったのはそういう意味である。ルカ自身もそれは、認めているところだった。

 認めている。認めているところではある、のだが。


「あんまりそういうこと言ってると、この辺りで振り落として後は歩かせるぞ」


 あんまりきっぱりいわれると、流石に悔しいものがある。そう思いながらルカはじとりとフィアを睨むが、彼はふんと軽く鼻を鳴らして、いった。


「そうなったら俺は城に向かって歩くがな。困るのは、お前の方だろう?」


 そういいながら、フィアはゆるりと首を傾げる。その様はまるで女優のようで愛らしいのだが、今の発言と雰囲気も相俟って、憎たらしいものである。


「あぁもう本当に可愛くねぇ!」


 ルカはそういって、軽くネーヴェに鞭を当てる。フィアへの嫌がらせのつもりで少しネーヴェの速度を上げるつもりだったのだが……フィアももう乗馬に慣れてきてしまった。故に、大したダメージにならない。


「無暗に馬に鞭打つな、ネーヴェが可哀想だろう」


 涼しい顔でそういうフィアを見て、ルカは溜息を吐く。そして、懐かしむように呟いた。


「お前、本当に昔は可愛かったのにな」


 幼い頃の記憶がある分、あの頃は可愛かったなぁ、と思うのも仕方あるまい。今のフィアも可愛い従弟ではあるものの、幼い頃のような弱弱しさはなく、寧ろ自分より勇ましい部分もあるくらいだ。その勇ましさがフィアらしさでもあるのだが……幼く可愛らしかった頃のフィアを知っているルカからすれば、複雑である。

 しかし当人としては、そうした過去のことを話される方が複雑なのだろう。フィアはじとりとした目でルカを睨む。そして凄むような声音で言った。


「今度昔の話をしたら後で氷漬けにしてやる」


 今すぐ氷漬けにする訳ではない辺り、可愛げはあるか。またそれを指摘したら怒られそうだからやめておくけれど。そう思いながら、ルカは小さく肩を竦めた。


「あぁ、わかったわかった」


 悪かったよ、とルカは笑う。フィアは彼の背にもう一度頭突きをしながら、緩く口角を上げた。彼とて、従兄の言動に本気で怒っている訳ではない。寧ろ、こうして昔の話をすることができる相手がいるというのは、幸せなものだとも思う。騎士として生きるようになってからも変わらないルカの振る舞いが、フィアを安心させていることもあるくらいだった。


「家についたら覚悟しておけ、お前が俺を揶揄った分、足技を食らわせてやる」

「ほほう、そりゃあ気を付けておかなきゃな」


 軽口を投げ合いながら、二人は故郷に向かっていく。



***



 馬を走らせるうち、目に映る景色が見慣れたものになっていく。幼い頃に離れた故郷の風景。街中ならばその景色も目まぐるしく変動するが、田舎であるこの辺りの景色は、然して変わっていない。そのことに安堵しながら、フィアは穏やかに目を細めた。


「よしっと、到着。久しぶりに来たなぁ、俺も」


 馬を止め、ルカは息を吐く。此処まで自分たちを乗せて走ってくれた愛馬の首を撫でながら、彼は周囲に視線を向ける。統率官としての仕事がある以上、彼もそう頻繁に帰郷する訳にはいかない。そんな彼がこうして故郷に帰ってくるのは、随分と久しぶりなのだった。

 ふ、と一つ息を吐き出したルカは同じく久しぶりに帰郷したはずの従兄に視線を向ける。馬から下りたフィアはといえば、慣れない服に戸惑っている様子で、ワンピースの裾をくいくいと引っ張っていた。


「……スカートはやはり嫌いだ」


 そうぼやく彼を見て、ルカは苦笑を漏らす。久しぶりに帰ってきた故郷への感想より先にそんな発言が出る辺りが彼らしいというか、何というか。そう思いながらルカは軽くフィアの頭を撫でてやった。


「我慢しろ。家入ったら着替えて良いから」


 ルカはそういって苦笑いをしつつ、ドアを開けた。


「ただいま」


 そうルカが声をあげる。室内にいた黒髪の女性は少し驚いた顔をした後、表情を綻ばせた。


「あら、ルカ! お帰りなさい。久しぶりね?」


 笑顔でルカを迎え入れた女性がルカの母であるイブ。淡い紅色の瞳で、黒い髪を長く伸ばした明るい女性は、フィアが幼かった頃から変わらない。久しぶりにその姿を見たフィアはルカの後ろで表情を緩めていた。

 息子であるルカはセラとしての仕事が忙しく、滅多に帰ってこないため、イブは久しぶりに会った息子の姿を見て、立派になったわねぇ、と微笑んでいる。


「何だ、ルカが帰ってきたのか?」


 玄関での会話に気がついたらしく、奥から男性が出てきた。ルカはに、と笑って軽く手を上げる。


「おう、ただいま、親父」

「お帰り、ルカ。それで、俺たちの可愛い姪っ子は何処だ?」


 実の息子への挨拶もそこそこに姪の姿を探している彼こそ、ルカの父親、ルイ。ルカは父親によく似ているらしく、ルイの瞳もルカと同じ紅色をしている。良く似ている、とフィアも思っていた。彼が自分の姿を探していることに気がついて、フィアは一つ咳払いをすると家の中に入った。


「お久しぶりです、伯父上。伯母上」


 そう挨拶をして、フィアが微笑む。ルカの後ろから姿を現したフィアを見て目を丸くするイブとルイ。それもその筈。彼らがフィアに会ったのはフィアが騎士団に入る前。髪を切ったフィアに会ったのは初めてなのである。あれからも村には一応帰っていたフィアだが、自身の両親の墓参りをするくらいで、村の人間と顔を合わせることはしないようにしていたのだ。

 だから、驚かれるのはわかり切っていた。わかり切ってはいたのだが、完全に固まってしまっている伯父伯母を見て、フィアは少し困ったような顔をした。


「……あの」


 あまりに長い沈黙に居た堪れなくなったフィアが口を開くのと同時、イブが叫んだ。


「フィアちゃんなの?! まぁまぁ、こんなに凛々しくなって!」


 嬉しそうに声をあげたイブはぎゅうっと姪っ子を抱きしめる。背丈はフィアの方が少し高いのだが、幼い頃のフィアをよく知るイブからすれば、その目に映る姪は幼い頃の姿のままなのだろう。こんな風に誰かに抱きしめられるのは久しぶりで、フィアは目を白黒させている。


「驚いたなぁ。これじゃあ貴族の護衛に引っ張りだこだろう?」


 感心したように笑いながらフィアを眺めるルイ。彼もかつてはディアロ城騎士団に所属、それどころか雪狼の統率官を務めていた身だ。フィアの容貌、雰囲気を見ていれば、要人警護に引っ張りだこであろうことは予想がついたようだった。フィアはその言葉に苦笑しつつ、頷く。


「こんなに綺麗な子、貴族じゃなくても護衛を任せたいと思うわ、きっと街中でもナンパされてばかりで大変でしょう?」


 イブはそういいながらフィアの頭を撫でている。流石に気恥ずかしそうにしているフィアもお構いなしのイブ。母の相変わらずな溺愛ぶりにルカが呆れた顔をして、騒ぐ両親を諌めた。


「母さん、いい加減にしてやってくれ、フィアが困ってるから。それにそもそもフィアが騎士やってることは秘密なんだから、あんまり大騒ぎするなよ」


 誰かに聞かれる可能性もあるだろ、とルカは冷静に言う。それを聞いてイブはあら、と声をあげ、フィアから離れた。


「あ、そうだったわね」


 漸く解放されたフィアはふぅ、と息を吐く。こうして愛されることは嬉しいのだが、慣れないためどうしたら良いかわからなくなってしまう。イブはそんなフィアの頭を優しく撫でながら微笑んだ。


「ごめんなさいね。この子の婚約者なんてやらせてしまって」


 そもそも今日フィアとルカが帰郷した理由は、それ。形だけとはいえ年頃の女性に、それも普段は男として騎士の仕事をしているフィアに婚約者の真似事をしろと頼むのは少し申し訳ないと思うようだった。


「あ、いえ……」


 ……まさか嫌がって、ルカと三十分間鬼ごっこをしていたとはいえない。フィアは曖昧に微笑みながら、そう返した。


「あぁ、そうだフィア」


 ふと思い出したように、ルイが声をあげる。それを聞いてフィアが首を傾げれば、彼は穏やかに微笑みながら、問うた。


「この家にいるときはフィアの事を男の子として扱った方がいいのかな?」

「え?」


 その問いかけは少し予想外で、フィアはぱちぱちと蒼い目を瞬かせる。ルイは小さく笑って、言葉を続けた。


「否、さっきからスカート姿でいるのが嫌そうだからね。下手に女性として扱うよりは男性として扱ってほしいのかな、と。やっぱり五年以上も男の子として生きてきたらそうなるか」


 それを聞いてフィアは目を大きく見開く。それから、ふっと微笑んだ。流石は元城勤騎士。洞察力も人並み以上の様子で、フィアは感心した。そして、素直に頷きながら、いう。


「……ええ。一人称も俺で定着していますし、俺自身も男として振舞うこと、扱われることに慣れていますから、そうしていただけると助かります」


 そういって礼儀正しく頭を下げるフィアを見てイブはほぅっと息を吐いた。


「もう、まさしく美少年騎士、ね。こんな騎士他にはいないわぁ」


 イブは惚れ惚れとした表情でそう呟く。ルカはそれを聞いて大袈裟に眉を寄せた。


「母さん、それを実の息子の前で言うなよ、此処にもいるだろ、騎士が」

「あら、事実を言って何が悪いの? ルカは美少年ってタイプじゃないでしょう?」


 悪びれた様子なくそういう母を見て、ルカは恨めし気な顔をする。そりゃそうだけどさ、と呟くルカを見て、ルイはからからと笑った。そんな彼らのやり取りを見て、フィアも楽しそうに笑う。久しぶりに、家族の温もりを感じられた気がして、幸福な感情に浸りながら。



***



 問題の、ルカに見合いの話を持ってきた相手に誘われた夜会は午後六時から。準備の時間を抜きにしてもまだまだ時間があるから、と彼らは庭に出てティータイムを過ごしていた。穏やかな、午後のひととき。城の中で過ごすのとはまた違う時間の流れ方は心地よく、フィアはそっと息を吐く。此処では男らしくあろうとする必要も、自身の秘密が露見しないように気を張る必要もない。久し振りのそうした環境は、フィアにとって安心できるものでもあった。


「フィア、折角だから、少し手合わせしないか?」


 唐突に、ルイがそんなことを言いだした。ちょっとあなた、とイブが窘めるのを他所に、ルイはまるで子供のような光を瞳に宿し、フィアを見ている。そうした表情は、ルカと同じだな、と思いつつ、フィアは軽く首を振って、言う。


「伯父上と手合わせだなんて……俺では到底相手になりませんよ」


 そういってフィアが苦笑するのも、無理はない。眼前に居る伯父、ルイは元城勤騎士である。フィアが所属している雪狼の元統率官を務めていた彼は、任務中に足に傷を負い引退したものの、現役時代の剣術の腕は騎士団内でもトップであったと聞いている。そんな彼に訓練されたルカが剣術の達人になることが出来たのは、至極当然のことだとフィアも思っていた。

 そんな彼にとって自分はまだまだ力も足りず、相手にならないだろうとフィアは言う。しかしルイは愉快そうに笑って、尚も誘った。


「本気での勝負というわけではないさ。俺たちの姪っ子……否、甥っ子がどれだけ強くなったのかを知りたくてな。少し相手をしてくれないか?」


 そういって軽くウィンクをして見せる伯父。あくまで、家族でのじゃれ合いのようなものだから、と誘われているのを、無碍にするのも少し、気が退ける。そう思ったフィアは小さく頷いて、立ち上がった。


「……伯父上がそうおっしゃるなら」


 フィアの返答に、ルイは笑みを浮かべ、自身の剣を手にする。周囲を巻き込まないように、とテーブルから少し離れる二人の様子を見て、イブは少し渋い顔をした。


「ルイったら、何も折角オフのフィアちゃんにそんなことさせることないのに」

「まぁまぁ、フィアも嫌いじゃないからさ」


 ルカは小さくぼやいている母を宥め、視線を二人の方へ向ける。

 イブの言葉に、ルカも同意ではある。もしフィアが本気で嫌がっているのなら、止めるつもりであった。しかしフィアはその実楽しそうにしているし……乗り気ならば止める必要はないだろうと思ったのだった。


「さ、やろうか」


 ルイはそういって、剣を構える。フィアはそんな彼を見て小さく頷いた。


「では……行きます!」


 そう声をあげるのと同時、フィアは勢いよく飛び出した。無駄のないその動きはまるで狩りをする獣のよう。剣を大きく振るうことはせず、鋭く、出来るだけ少ないモーションで相手を捕らえようとする。訓練を積んだ騎士でもこんな動きをすることは出来るものはそうそう居ない。

 想定よりずっと素早く鋭いフィアの攻撃に、ルイも一瞬驚いた顔をした。それと同時に、何処か嬉しそうに表情を綻ばせる。


「うん、強くなったな。流石は飛び級でヴァーチェに昇進しただけのことはある」


 ルイはそう呟き、フィアの剣を弾きながら笑う。その余裕の表情からして、まだまだ剣術の腕は衰えていないらしい。フィアはすっと真剣な顔をして、剣を打ち返す。


「俺は、強くなるしか、ありませんから!」


 大切なものを守るためには強くなるしかないと、幼い頃に知ったから、とフィアは呟く。女であることを言い訳にはできない。男として、騎士として強くならなければ、大切なものを守ることができないかもしれない。大切なものを失って、またあんな思いをしたくはない。そう思いながら、フィアは剣を振るっていた。

 ルイはその言葉を聞いて、ふっと微笑み、剣を止めた。今日は此処まで、という彼の言葉にフィアも手を止め、一礼する。


「その強さがあれば、十分にやっていけるだろう。その魔力もあれば、一層」


 そんなルイの言葉に、フィアは少し表情を曇らせる。


「……やっぱり、わかりますか」


 抑制機はきちんとつけている。アルがくれたブレスレット型の抑制機は魔力の暴走をきちんと防ぎ、尚且つフィア自身への負担もあまりない。だから、例えフィアがむきになったとしても相手を傷つけることはないだろうと思っていたのだが、やはりフィアの強い魔力は感知できるのだろう、と思う。

 フィアの問いかけに、ルイは小さく頷いた。


「あぁ。天使の力だろう? 知っていたよ」


 黙っていてすまなかったね、と詫びるルイを見て、フィアは苦笑まじりに首を振る。自身の魔力について知らなかったのは自分だけとは、何とも言えない気分であるが、伯父たちも悪意を持ってそうしたわけではないことくらい、フィアにもわかっている。それについて不平を言うつもりはなかった。

 と、その時。ぽん、と軽く頭を撫でられた。普段そうして自分の頭を撫でるルカのそれより大きな手。それに驚いて顔を上げたフィアの目に映るのは穏やかに微笑む伯父がいて。


「俺はフィアのような子がその魔力……天使の魔力の持ち主でよかったと思っているよ。正しい使い方が出来る者が持つべきだからな。魔力というものは」


 極端に強い魔力……天使の魔力は、普通の人間が持ちえない魔力。それを悪用する人間がいないとも限らない。フィアのように強い正義の心を持つ者がその魔力を有していてよかった、とルイは思っていた。そして、悪戯っぽく笑いながらルイは自らの子供、ルカを見た。


「とはいっても、俺の馬鹿息子に少し魔力を分けてやってほしいけどな」


 それを聞いたルカはひくっと頬を引きつらせ、反論の声をあげた。


「親父、それは俺に喧嘩を売ってるワケ? 今度は俺とやるか?」


 それを見て、フィアはくすっと小さく笑った。その様子を見るに、ルカも一応魔力が弱いことは気にしているらしい。思えば、ルイもイブも魔術が使える。それなのに、息子である自身がほとんど魔術を使えないというのは、不満なのだろう。……尤もそれを補えるだけの剣術を持っているのだから、問題はないのだけれど。そう思いながら、フィアは伯父と従兄のやり取りを見つめていたのだった。



***



 そんなやり取りをしているうちにパーティに出発する時間が近づいていた。


「ほらフィアちゃん、もう少しじっとしていて」


 そんな伯母の言葉と同時、ふわふわとしたブラシで頬を撫でられる。嗅ぎ慣れない甘いパウダーの香りや目元をなぞる伯母の指先に目を閉じながら、フィアはそっと息を吐く。


「申し訳ありません伯母上、時間を浪費させてしまって」


 城での”リハーサル”の時は手先が器用だからという理由でアルに化粧をしてもらったが、今日は彼がいない。フィア自身は自分で化粧をした経験がなく、できる気がしないといったために、今回はイブがフィアに化粧を施してやっているのだった。

 時間を使わせて申し訳ないと詫びるフィアを見て、イブは首を振る。


「何を言っているのよ、身内なのに。それに、時間の無駄だなんて思わないわ」


 寧ろ楽しいのよ、といいながらイブは微笑みかけた。血が繋がっていないとはいえ、フィアは可愛い姪。それも、天使の子と昔から村の中で話題に上がるほど愛らしい顔をした少女だ。本人としては不本意かもしれないがそんな整った顔に化粧を施せるというのはなかなかに役得だと思っていた。


「これで良しね」


 満足げにそういって、自身の化粧道具を片付けた。出来栄えをフィアに鏡で見せれば、本人は少し戸惑ったような顔をした。


「……変な感じがする。可笑しくはありませんか伯母上……否、伯母上の化粧が下手という意味ではなく、俺のようなのがこんな……華やかな化粧をするのは、おかしくありませんか」


 騎士になったのはまだ幼い頃。化粧をするようになるより前だ。母や伯母が化粧をしている姿は見ていたし、騎士になってからも女性たちが化粧をした姿は見てきたが、自身がそうすることはなかったために、躊躇ってしまう。そんなフィアを見て、イブはくすっと笑った。


「良いのよ、これで。そんなに派手にはしていないわ」


 此方の方がフィアちゃんに似合うし、と笑う彼女。確かに、イブが施した化粧は、パーティ用のそれにしては淡いもの。ともすれば地味だ、といわれるかもしれないが、フィアの顔立ちには極端に派手な化粧より、元々のパーツを活かした淡いものの方がよく似合うと思ったのである。

 それを聞いて、フィアは若干納得がいかない様子を滲ませたまま、頷いた。

 ルカを呼んでくるといった彼女の背を見送ったフィアは大きな鏡の前に立つ。そして、溜息まじりに呟いた。


「ふぅ……ドレスというのはこういう着方でいいのかな。慣れないからよく解らない」


 そうぼやきながら鏡の前で一度回ってみる。借り物の、美しい女性物のドレス。普段ならば決して着ることのないそれは、フィア本人から見ればやはり、不似合に見えるようで。


「……やっぱり、似合わない」


 フィアがそう呟いたとき、ノックの音もなしにドアが開いた。犯人はわかり切っている。そちらを見て、フィアは恨めしげに声をあげた。


「……ノックをしろといっているだろうが」

「あ、悪い。つい癖で」


 そう言いながら肩を竦めるルカに反省する様子はない。きっと、この癖が直ることはないだろう。フィアはやれやれと溜息を吐き出した後、恨みがましげな眼でルカを見ながら、口調で言い放った。


「お前の見合い相手をフッたらすぐに帰るからな。俺はもうこんな恰好はごめんだ」


 伯父伯母の頼みだから引き受けはしたが、このような恰好を人前に晒すのは羞恥で顔から火が出そうだとフィアはぼやく。それを聞いてルカは宥めるように言った。


「まぁそういうなって。どうせ結婚式にはこんな感じの服を着るんだぞ?」


 予行練習ってことで良いだろ、と冗談混じりの声音でルカが言うと、フィアは怪訝そうな顔をする。


「はぁ、結婚? 俺が?」


 半ば呆れたようにフィアが言うとルカは笑って、肩を竦めた。


「冗談だよ。……そもそも相手がいないか」


 そう言って笑うルカを見て、フィアはフン、と鼻で笑って言い返した。


「俺は世のお嬢様方のようにおとなしくはできていないんでな、こんなドレスを着せられるくらいなら、俺がタキシードを着てやるさ」


 それを赦してくれる家があるなら嫁にでも婿にでもいってやる、といって肩を竦めるフィア。頼もしいその様を見て、ルカは喉の奥で笑った。


「言うと思った。というか、お前ならやりかねないから怖いな。……まぁ、いいや」


 そう言って一度息を吐いたルカは表情を引き締めた。そして、低い声でフィアを呼び、言う。


「これ、一応持ってろ」


 急に真剣な顔をして何かを差し出すルカ。フィアは怪訝そうな顔をしつつそれを受け取り、少し驚いた顔をした。

 ルカが渡したのは綺麗な装飾の施された短剣だった。


「短剣? 随分と物騒なものを持たせるんだな。今日の俺はただの女性、なのだろう?」


 こんな物騒なものを持っているのはどうなのか、とフィアはルカに問う。


「そうだよ、だからいつもみたいに大っぴらに魔術剣を持ち歩く訳にはいかないだろ? かといって、丸腰ってのは不安だし」

「不安も何も、ただのパーティだろうが」


 そこに危険も何もないはずだが、と言いかけたフィアは口を噤む。


「……ただのパーティではなくなった、ということか?」

「勘が良いな、相変わらず」


 ルカはそう言って小さく頷く。


「さっき、クオンから連絡があった」


 クオン、というのは風隼の統率官の名だ。ルカより一つ年上だが、気さくで、ルカとも仲が良いということを、フィアも知っている。

 密偵部隊の統率官からの連絡、という言葉に、フィアは表情を引き締めた。


「任務か何かか?」

「此処最近、貴族のお嬢さん方が誘拐されてる話、フィアも聞いたことあるだろ? その主犯が今回のパーティーに参加しているらしいって情報を掴んだらしくてな、気を付けろって連絡があったんだ。まぁ、良家のお嬢さん方が大勢集まるパーティーだし、絶好の機会なんだろう」


 なるほど、とフィアは頷く。そう言う状況ならば、確かに武器くらいは持っておいた方が良いかもしれない。そう思いながら、フィアは言った。


「貴様の婚約者役をこなしながらその誘拐犯を捕らえる手伝いをしろ、ということだな」


 任せておけと言わんばかりのフィアを見て、ルカは苦笑まじりに言う。


「手伝えとはいわねぇよ。だけど女の姿で行く以上、巻き込まれないとも限らない。護身用に持ってる程度には問題ないデザインのものだし、持ってろ」

「あぁ、わかった」


 フィアは小さく頷いてから短剣を服の中に隠した。コルセットの間にでも挟みこんでおけば、早々落ちもしないだろう。そう思いながら一つ息を吐く彼を見つめていたルカはふと気が付いた、というように問うた。


「……胸はそのままで行くのか?」


 予想外の言葉にフィアの動きが一瞬止まる。


「はぁ?」

「いや、女としていくんだから、サラシ取ったって問題ないだろ? サラシつけたままよりは楽じゃないのか?」


 そう、今眼前に居るフィアはドレスを着ているものの、どうやらサラシはつけたままでいるようなのだ。女性の恰好をするなら外せば良いのに、と呟くルカを睨みつけ、フィアは言う。


「……お前、本当に統率官なのか? 頭の回らない奴だな」


 吐き捨てるようにフィアは言う。


「なっ?!」


 突然の暴言に、ルカも驚いたように目を見開く。一応気遣ったつもりなのに、とぼやく彼を見たフィアは鼻を鳴らし、ルカに言った。


「大きな事件の手がかりが手に入ったのにクオン様が何もしないはずがないだろう。きっと、風隼の騎士たちが何人か潜入しているはずだ。その時に俺が本当に女だと露見したらどうするつもりだ」


 もし風隼の騎士たちが来ていた時、もしフィアが本来の姿……女性としての体のまま夜会に居るところを見られたら、秘密が露見するかもしれない。あくまでフィアは今回、”女装して任務にあたる男性”なのだ。女性の恰好をするからといって油断していい訳ではない、とフィアは言う。


「あ、そうか……そうだよな」


 気が付かなかった、と呟く彼を見て、フィアは呆れた顔をする。それから、軽く肩を竦めて、言った。


「ドレスを着ているんだから、別に胸があろうがなかろうが女性には見えるだろう。それで十分だ」


 フィアの言葉にルカはそれもそうか、と頷く。そして、にっと笑って、言った。


「でも、少し残念だな。折角久しぶりに女の子のフィアを見れるかな、と思ったのにさ」


 見た目よりちゃんと胸あるのにな、といいながら、触ろうとするルカの手を叩き、フィアは言った。


「触ろうとするな変態。そんなに冷凍にされたいのか?」

 

 べ、と舌を出したフィアはくるりとルカに背を向けるとさっさと歩きだした。


「冗談だっての」


 ルカはくつくつと笑って従妹の後を追いかけた。






 

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