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第二十章 温もり




 一方、キャンプを離れたフィアは近くの村……コトス村に来ていた。もし自分たちの討伐作戦が失敗し、竜が暴れた場合、被害を受けることになる村、フィア達が今回守らねばならない村だ。元々が平和な農業村で、花や野菜を栽培している家が多いと聞いている。確かに、ぽつぽつとある家の合間に畑が多くあるようだった。

 フィアがこの村へ来たのは、村の状況が自分の村によく似ていたから。そこを訪ねることで、集中力を高めようと思ったのである。守らなければならないものを目にすることは重圧にもなるが、改めて頑張らなければ、と思うことも出来るため、フィアは時間が許す限り、任務地の傍を歩き回ることにしていた。

 報告通り、今のところ竜の姿は見当たらない。襲われる前に竜の討伐をしてしまえば、一切被害が出ることなく終わるだろう。そう思いながらフィアはそっと、息を吐き出した。

 もう既に陽はすっかり暮れている。そのために、外に出ている人間は居ない。ぽつぽつと光の灯った家から、微かに声が聞こえてきた。

 楽しそうな子供の笑い声。そんな子供に応える両親の声。賑やかな笑い声と、団欒の空気が流れてくる。それを感じているうちに蘇ってくるのは、幼い頃の記憶だった。


『フィア、ご飯よ!』

『ママ! 今日のご飯はなぁに?』


 手を繋いで家に帰る自分と母。優しく、温かな手。家に帰れば待っている、頼もしい父親。その大きな体に抱きついて笑ったあの日は、遥か昔のことのように思われる。

 そんな記憶に浸りつつ、一人で佇んでいた、その時。


「お姉ちゃん、だぁれ?」


 低い位置から不意に声をかけられて、フィアは驚いた。目線を落とせば、髪を二つに結んだ小さな女の子が立って、自分を見上げていた。こてり、と首を傾げながら、舌足らずな口調で、少女はフィアに言う。


「こんな時間にお外にいると危ないよ。竜に連れて行かれちゃうよってパパもママもいうもん」


 幼いながらにフィアの事を心配しているらしい。心配そうに眉を下げ、フィアを見上げている。フィアはそれを聞くと身を屈め、女の子と目線を合わせて、微笑んだ。


「俺は平気だよ。心配してくれてありがとうな」


 フィアの一人称を聞いて驚いたらしく、彼女はぱちぱち、と瞬きをする。そして、素っ頓狂な声をあげた。


「お姉ちゃんじゃなくて、お兄ちゃんなの?!」

「そうだ。よく間違われるけどな」


 フィアはそう言いながら、苦笑した。フィアは実際女性なのだから、間違われる、というのもおかしな話だ、と思いながら。しかしそんなことを知らない彼女はそうなのかぁ、といって、無邪気に笑った。フィアはそんな彼女を微笑ましげに見つめていたが、ふと気がついて、訊ねる。


「どうして君は此処にいる? 此処は確かに危険だ。家まで送ろう」


 フィアの質問に、女の子ははっとした顔をした。そして、困ったように眉を下げ、ぽつりと呟くように言う。


「……アリサ、お家がわかんなくなっちゃったの」

「え?」


 思いがけない展開である。フィアが困惑した声をあげたためか、女の子は俯いてしまった。服の裾を握った手が小さく震えている。

 彼女に話を聞く限り、この村は意外と広いらしく、アリサ(というのが彼女の名らしい)は家を出て来たはいいが、迷子になってしまったらしい。


「どうして家を出た? 危ないといわれていたのだろう?」


 彼女の状況を知ったフィアが困ったように訊ねれば、アリサは尚更深く俯いてしまった。叱っている訳じゃないから、とフィアが宥めるように言えば、彼女は漸く口を開いた。


「お花がね、ほしかったの」


 ぽつりと、アリサは言った。


「花?」


 彼女の言葉に目を丸くするフィア。アリサはこくん、と頷いて、言った。


「今日ね、ママのお誕生日なの。ママはお花が大好きだから、あげたくて、お外に出てきたの。お花のお店が閉まっちゃってたから、摘みに来たんだけど……」

「探しているうちに迷子になったのか」


 フィアの言葉にアリサは頷く。子供の純粋な思いつきによるトラブルのようだった。自分にも、覚えはある。母のため、父のためと思って動いた時、後先を考えないのは子供の癖のようなものなのだろう。そう思いながら、フィアは微笑んで、優しくアリサの頭を撫でた。


「アリサは優しい子だな。だが、早く帰ろう。アリサのママはきっと心配している」

「……ママ、怒るかな」


 心配そうにアリサは呟く。大好きな母に怒られるのは、嫌なのだろう。フィアはそれを聞いて、くすりと笑う。


「怒るかもしれないな。でも、すぐに笑ってくれるさ。アリサのママにとって、アリサに誕生日おめでとう、といってもらえることが一番のプレゼントだと思う」


 フィアがそういうと、アリサは顔を輝かせ、早く帰らなきゃ、と言う。叱られる不安よりも、母に祝いの言葉をかけなければという使命感の方が勝ったらしい。フィアはそんなアリサの手を引いて、歩き出した。



***



 フィアは村の中の幾つかの家を訪ね、アリサの家の場所を訊いた。アリサは子供だったため迷子になったらしいが、思ったより此処から離れていない。ほっとした様子で、フィアはアリサの家の方へ、歩き出した。

 手を繋いで歩く間、アリサは何度もフィアの方を見て笑っていた。まるで、本当の兄妹で一緒にいるかのように。フィア自身も、まるで妹が出来たような気がして、少しくすぐったいような暖かい感情を胸に抱いていた。


「お兄ちゃんの手、冷たいね。お外、寒かったの?」


 ふと疑問に思ったように、アリサは訊ねた。きゅ、とフィアの手を握る手は、確かにフィアのそれよりも暖かい。


「ん、そうでもない、かな。俺は、氷属性の魔術が一番得意だから、だろう」


 フィアの手が冷たいのはフィアの魔力の所為だ。氷属性の魔力が強い者はどうしても体温が低くなる。そうフィアが説明すると、アリサはフィアの手を握る力を強くした。フィアが驚いた顔をするのを見て、幼い少女は無邪気に笑う。


「アリサがお兄ちゃんの手、あっためてあげる」


 そう言いながら、彼女は手に込める力を強めた。自分の体温を分け与えようとするかのように。照れたように笑うアリサの髪が、夜風に揺れた。


「ありがとう、アリサ」


 フィアはそういって、サファイアブルーの瞳を細める。

 優しい声。純粋な思いやりを宿した瞳。愛情を見も知らぬ自分に与える彼女の、子供特有の暖かな手をそっと握り返して、フィアはゆっくり歩いた。

 子どもというのは、温かいものだな、と思う。父にとって、母にとって、自分もそうだったのだろうか。そう考えながら、フィアはそっと、自分の両親を思った。血の繋がらない自分を本当の子として育ててくれた両親に、フィアは感謝していた。いつも優しく笑ってくれた母。自分を守ってくれた父。最期の時まで自分を守り、助けてくれた大切な家族。両親にはまだ伝えたいことが、たくさんあった。感謝も、懺悔も。たくさんたくさん、伝えたいことはあったというのに、それを伝える術がないことを哀しく思っていた。


「……アリサ」


―― その代わり、というわけではないけれど……


 歩きながらフィアはアリサを呼んだ。アリサはきょとんとして、フィアを見る。ふっと微笑みを浮かべたフィアは、くりくりとした瞳で自分を見上げるアリサに、何かを差し出した。


「これをママにプレゼントすると良い」

「え? これ、お花の種だよね?」


 フィアがアリサに渡したのは花の種だった。植物魔法を使うときのために持ち歩いているもの。フィアは普段滅多に使わないのだが、氷属性魔術が使えない状況にも戦えるように、という用心のために、幾つか植物の種を持ち歩くことにしているのだった。

 不思議そうに種を見つめるアリサ。フィアは微笑んで、彼女に言う。


「家についてママに渡すまで、大事に握っているといい。そうすれば、きっといいことが起きるから」


 フィアは幼い頃母が自分にしてくれたように、アリサに言う。ささやかな魔法を見せるから、というように。


「本当?」


 フィアの言葉にアリサは目を輝かせる。フィアが頷くのを見て、アリサはフィアと繋いでいない方の手でその花の種を握った。フィアは素直な少女にそっと微笑み、その小さな手が握っている種に少しずつ魔力を送り込んだ。


―― 俺はもう伝えられないけれど……アリサは伝えられる……


 そう思いながら、フィアはアリサのために花の種に魔力を流し込んでいく。それに気づく様子もなく、アリサは屈託のない笑みをフィアに向けて、言った。


「ありがとう、お兄ちゃん」

「あぁ、気にするな。俺が好きでやっていることだ」


 二人は歩みを進めていく。街灯が照らす二人の影が、地面に落ちる。寄り添いながら夜の道を歩いていく大きさの違う二つの影はまるで本当の兄妹のそれのようであった。



***



 暫く歩いていくと、アリサがそわそわしだした。見覚えのある店や家があったらしく、時折、此処知ってる! と楽しそうに話してくる。


「あそこはね、アリサがよくママと一緒に行くお菓子屋さんだよ!」


 無邪気に笑いながらそのお店が何のお店なのかと、フィアに一生懸命説明するアリサ。嬉しそうに、楽しそうに話をする様は、なかなかに微笑ましい。


「そうなのか……」

「お兄ちゃんは、お菓子好き?」

「あぁ、好きだよ」


 フィアはそんな他愛のない会話をしながら、無意識のうちに笑んでいた。こんな風に誰かと他愛のない話をするのは随分と久し振りだな、などと考えながら。

 どれくらい進んだ頃だっただろうか。


「あ、ママだ!」


 不意に、アリサが叫んだ。アリサが指さす先の家の前、慌てた様子の女性が立っている。不安げに、あちこちに視線を投げている。何かを、誰かを、探しているように。どうやらそれがアリサの母親らしい。


「お兄ちゃん、行こう!」


 アリサは興奮した声でそう言いながら、フィアの手をぐいぐいと引っ張った。その瞳は、キラキラと輝いている。母親に向かって走っていこうとする少女は、明るく、嬉しそうに笑っていた。


「ママ!」


 彼女の母まであと少し。そんなタイミングで彼女はフィアの手を離し、母に駆け寄っていった。アリサが思い切り叫ぶと同時、女性ははっとした様子でフィアたちを見た。そして、駆け寄ってくる娘を見て、大きく目を見開き、息を呑む。


「アリサ!」


 彼女の母親は慌てて駆け寄ると、アリサを強く抱きしめた。心の底から安堵した表情で。その肩が微かに震えている。愛しい娘の姿が見えず、気が気ではなかったのだろう。近くに竜が出現していることは村の人々も知っていたはず。そんな状況で娘の姿が見えなくなったら不安にもなるだろう。竜の仕業でなくとも、人間にだって人攫いはいる。一頻り娘を抱きしめたアリサの母親は、彼女に向かって、泣き出そうな声で言った。


「何処に行っていたの?! 心配、したのよ?」

「ごめんなさい……あのね」


 アリサはしゅんとして……ふと思い出したように、フィアに渡された種を母に見せた。


「ママ、これ……!」


 アリサが手を開いた瞬間、種が急速に成長し、花を咲かせた。その様子を見て、フィアはうまくいったな、と微笑む。以前、アルに教えてもらった植物を高速成長させる簡単な植物属性の魔術だ。

 アリサの手の上で突然花が咲いたのを見て、驚いた顔でアリサの母親がフィアを見る。フィアは彼女に一つウインクをして見せた。暫し茫然としていたアリサははっとすると、母親にその花を差し出して、明るい笑顔で、声で言った。


「お誕生日おめでとう、ママ!」


 これが、プレゼントよ、と得意げにアリサは微笑む。彼女が一人で出かけていった理由を悟った母は、泣き笑いの表情でもう一度、娘を抱きしめた。


「ありがとう、アリサ!」


 アリサを抱き締める母親。そんな彼女の背に腕を回すアリサ。微笑ましい、母娘の姿。フィアはそれを見て、穏やかに微笑んだ。

 幸せそうな親子。温かな家庭。幸福そうな声。俺たちがこの笑顔を守るのだ、俺は、そのために騎士になったのだ。”騎士になってよかった”と、フィアは改めて感じた。


「さて、と」


 フィアはアリサとその母親の様子を見つめていたが、いつまでも此処で突っ立っている訳にはいかないな、と目を細める。明日は、この村を守るために、竜と戦わなければならないのだから。

 さぁ、帰ろう。そう思って、フィアが引き返そうとした時。


「騎士様!」


 高い声で呼ばれ、フィアは振り向く。アリサの母親が深々とお辞儀をしながら、言う。


「ありがとうございました。私の娘を連れて帰ってくださって」


 心の底から、感謝しているという表情。我が子を思う母親だけが浮かべることができる、優しい顔。

 フィアは驚いたように何度か瞬きしてから、ゆっくりと首を振った。そして深く一礼しながら、言った。


「弱き者を助けるのが我々騎士の務め。明日、火竜の退治に行きます。そうしたら、また夜も安全に過ごせます。きっとこの村も、活気を取り戻すでしょう。アリサも、また花摘みにいけるからな」


 フィアは屈んで、アリサに微笑んだ。すると……


「お兄ちゃん、ありがとう! 頑張ってね!」


 アリサはそう言うと、フィアの頬にキスをした。照れ臭そうに笑って顔を赤くするアリサ。フィアは大きく目を見開いて固まり、アリサの母も唖然とする。硬直の解けたフィアはふわりと微笑むと、アリサに言った。


「ふふ、ありがとうアリサ。最高のお礼をもらったよ」


 アリサの頭を愛しそうに撫でながらフィアは礼を言う。


「アリサったら……騎士様にそんなことをして」


 アリサの母は顔を赤くして、フィアに頭を下げる。国内において城勤騎士は尊敬されているのだ。見目も良く、強く、優しい騎士は街でも人気がある。中にはジェイドのように街に来て魔術を教えている者もいるため、尚のことである。

 フィアは何度も詫びるアリサの母親に向かって微笑みかけ、お気になさらないでください、という。


「そろそろ、失礼いたしますね」


 仲間も待っていますから、とフィアは言う。アリサはそれを聞いて寂しそうに眉を下げ、彼に問うた。


「お兄ちゃん、また会える?」


 少し寂しげに瞳を揺らすアリサに、フィアは答えた。


「任務が済んだら報告にくるし……そうだな、アリサが立派な淑女(レディ)になったら、俺が護衛をしてあげるよ」

「れでぃ?」


 ぱちぱち、と大きな瞳を瞬かせて、少女は訊ね返す。フィアはくすり、と笑った。


「お淑やかな女性、ということだ。あまり羽目を外して、お母さんたちを心配させてはいけない。良いな? 俺との約束だ」


 フィアが指切りをするために小指を差し出した。アリサは、花が咲いたように笑うと、小さな指をフィアの小指に絡めた。


「約束だよ!」

「あぁ、約束だ」


 フィアは彼女に向かって頷いて見せると、ゆっくり歩き出した。嬉しそうな、優しい笑みを浮かべて。何度も何度も振り向いて、手を振る幼い淑女に手を振り返しながら。



 

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