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第十六話 トラウマ




 アレクからの連絡の後、騎士たちは部隊ごとの連絡を受け、解散した。任務に赴くもの、訓練に向かうもの、休息を取りにいくものがばらばらに、歩いていくなか、フィアは自室に戻っていた。雪狼のヴァーチェは自主訓練との指示が出ていたため、剣の練習をしようと思っていたが、どうにも気分が乗らず、やはりもう少し休むことにするから、という名目で部屋に戻ったのだった。

 ベッドに寝転んで考えるのは、アレクが皆に呼びかけた、合同任務のことである。

 竜。自分の村を襲い、多くの人を殺した生き物。それを討伐するための任務。危険を伴う任務。騎士でさえも、竜を相手取って、死んだ者がいると聞いている。それほどに、この国では竜という生き物が恐れられているのだ。それを思うと恐怖心に支配される。

 ……それでも、とフィアは思う。そして、軽く首を振って、呟いた。


「俺は何を、迷っている」


 強くなろうと、大切なものを守りたいと思って騎士になったのだ。誰かが大切なものを失って泣くことがないように、と。答えなんて、最初から出ているではないか。フィアは身体を起こし、ある場所に向かっていった。



***



 剣がぶつかり合う高い金属音が響き渡る。まだ幼さの残る騎士たちの声と、熱気。それに埋め尽くされた中、フィアは目的の人物の姿を探した。


「ルカ」


 フィアが向かった先は、訓練所でアークの騎士の特訓に付き合っていたルカの所。ルカが相手をしていたアークの騎士は驚いた顔をしてフィアとルカを見比べる。真剣な表情のフィアを見て、何か察したのだろう。


「ルカ教官、俺少し向こうに行っていますね」


 ルカに相手をしてもらっていたアークの騎士は空気を読んで、笑顔で言った。ルカはすまなそうにその騎士に頭を下げた。


「あぁ、悪いな。話が済んだら、もう一回やろう」


 その言葉に頷くと、アークの騎士はルカたちから離れていった。フィアも申し訳なさそうに彼に詫びて、その背を見送る。


「珍しいな、お前が訓練中に此処に来るの。どうかしたか?」


 普段のフィアなら、訓練の邪魔になるようなことは絶対にしない。しかも、今日はもう部屋に戻ると先程いっていたのだ。ルカはいつもと違う雰囲気のフィアに驚きつつ、訊ねた。フィアは少し顔を俯けたまま、言った。


「俺、炎豹の任務に同行しても良いか?」


 フィアの言葉に、ルカは目を丸くする。そしてすぐに表情を引き締めると、ルカは惑うように視線を揺らし、言った。


「お前、アレクの話聞いてたか? 相手は……」

「聞いていた。火竜、だろう。俺たちの村を襲ったのと同じだ」


 ルカの言葉を遮って、フィアは静かに言う。俯いているため、亜麻色の髪が影を作り、表情は窺えない。そんな様子を見ながら、ルカは溜息を吐いて、窘めるような声音で言った。


「お前、苦手だろ。火竜。他の魔獣は楽に倒せるのに火竜を相手にすると普段の半分の力しか出せないじゃねぇか。そもそも魔力の属性としても相性は良くない。そんな状態で行って、怪我でもしたらどうするんだよ」


 ルカの言う通りだった。フィアは竜が苦手なのだ。訓練にしても仕事にしても、火竜と対峙すると過去の記憶がちらつき、恐怖から力が半減する。剣が鈍り、氷魔術も上手く発動しなくなる。足が震えているのが、目に見える時さえあった。そんな状態で任務に臨むのは、はっきりいって、自殺行為に近い。それがわかっている以上、ルカは頷くことが出来なかった。上官としても、家族としても。

 それに、とルカは付け加えるように言う。


「それに、病み上がりなんだ。無理は……」

「だから、猶更行きたいんだ」


 フィアは何とかして従弟を止めようとしたルカの言葉を凛とした声で遮った。迷いなく、力強い、口調で。思いがけない言葉に、ルカは目を見開き、口を噤む。フィアはそんな彼を真っ直ぐに見つめ、言葉を紡いだ。


「俺は確かに竜が苦手だ。でも、倒せない魔獣がいる騎士なんて、騎士じゃない。どんなものからでも誰かを守れるだけの力が、俺も欲しいんだ。俺はトラウマを克服したい。そのために、行きたいんだ」


 冗談や身勝手な強がりで行きたいといっている訳ではない。騎士として強くなるために行きたいと、このまま竜を放置したら被害を受けるかもしれない人たちのために行きたいのだといって、フィアは顔をあげた。そのまま、真っ直ぐにルカを見つめる。何かに怯えることなく、誰かを守ることが出来る騎士でありたい、と。迷いの消えた、蒼い瞳。その瞳を暫く見つめた後、ルカは溜息を吐いて、笑った。


「わかったよ。お前は一回行くと決めたら聞かないからな。行って来い。気をつけてな」


 そう言って笑ったルカは、そっと彼の頭を撫でてやる。フィアはそれを聞いて、少し表情を綻ばせながら、力強く頷いたのだった。



***



 リーダーであるルカから許可を得たフィアは、その足で炎豹の訓練場に向かった。炎豹の統率官、アレクに挨拶するため、である。

 辿り着いた炎豹の訓練所は独特の雰囲気が漂っていた。勿論、何処の部隊も真剣に訓練に取り組んでいるのだが、炎豹のそれはより一層張り詰めた空気の中で行われている。

戦闘をメインに行う部隊、それが炎豹だ。護衛の任務などは殆ど請け負わず、魔獣の討伐に赴くことが多い。それも、大型の魔獣や群れを相手取ることが多い部隊なのだ。危険の多い任務に赴く、一瞬の油断、一瞬の怯みが命に係わる部隊。訓練でも力が入るのは当然のことだろう。

 剣がぶつかり合う音と、炎豹の騎士が得意とする炎魔術の熱気に包まれている。派手な音、魔力が飛び交っていた。


「暑いな……」


 氷属性魔術を得意とするために暑さが苦手なフィアは額に伝った汗を片手で拭って、目的の人物を探した。熱心に訓練に取り組んでいる炎豹の騎士たちの邪魔をしないように気を付けながら。


「アレク様」


 漸くアレクを見つけ、フィアは声をかけた。振り向いた彼の茶色の瞳が驚いたように見開かれる。


「ん? あ、お前はルカの従弟の……名前なんだったかな」


 どうやら、フィアのことは知っていたらしいが、名前が思い出せないようで唸るアレク。どうやら、記憶力が良い方ではないらしい。無理はない。炎豹だけでも、結構な数の騎士がいるのだから。そう思いながら、フィアは笑みを浮かべた。


「フィア・オーフェスと申します」


 スッとお辞儀をしてフィアは自己紹介をした。アレクは短い茶髪を掻きあげて、喉の奥でクックッと笑った。


「礼儀正しいな。本当にルカの従弟か? まぁいい。雪狼のお前が此処にいるということは、今回の任務に同行してくれるということだな」


 そんなアレクの言葉にフィアは無言で頷いて、アレクの濃い茶色の瞳を見つめる。アレクはフィアをじっと見つめ返し、そして、ふっと笑った。


「いい瞳だな」


 アレクは低い声で呟くように言う。その言葉にきょとんとするフィア。愛おしげに細められたアレクの茶色の目は、まるで子供の成長を喜ぶ親のそれのようでもある。アレクはにかっと笑って、言った。


「覚悟の決まった迷いのない瞳だなと思ったんだ。お前みたいなやつが一緒に来てくれるのは心強い。……よろしく頼む」


 アレクは何処までも、精神的な強さを持った人間が好きらしい。フィアの真っ直ぐな瞳が気に入ったようだった。

 ルカから、フィアの話は時折聞いていた。体は小さいが強い心を持った騎士だ、と。なるほど、それは身内の欲目だけではなかったらしい、そう思いながら、アレクは握手を求めて手を出した。暫し躊躇してからフィアはその手を握り返す。訓練に訓練を重ねたアレクの手は、荒々しく、それでいて、優しい。アレクはフィアの手をぎゅっと握ってから、ぼそりと呟くように言った。


「細いなぁ、オイ」


 折れそうなんだけど、とアレクが素直な感想を述べる。確かに、アレクほどの握力があれば、フィアの華奢な手くらい折ることができるような気もする。


「いつも同じようなことを言われます」


 慣れています、とフィアは苦笑した。素直なその反応がまた気に入ったらしく、アレクは嬉しそうな笑みを浮かべた。


「ま、実力は確かなようだから良いけどな。見た目で判断するつもりはないし」


 アレクはフィアの手を離し、背を向け……次の瞬間、素早く動いた。その手元できらり、と光ったのは……一振りの剣だった。

 鋭い光。勢いよく抜かれた剣。それが、フィアめがけて振り下ろされる。フィアはその気配に気付いた。それと同時、素早く、自分の腰に挿した魔術剣を抜いた。響き渡る高い金属音。剣がぶつかり合い、腕にびりびりっと震えが伝わってくる。何とか、彼の剣を受け止めることが出来た。フィアはほっと息をつく。あと一瞬遅かったら、止められなかった。そう思いつつ、剣を握る手に力をこめる。アレクの剣はフィアのそれよりずっとずっと大きい。フィアの細身の剣でそれを受け止めるのは、なかなか難しい業だった。

 アレクは自身の不意打ちを止めたフィアを見て、感心したような顔をして、笑う。


「反射神経もなかなかだな」

「俺を、試したのですか?」


 荒く息を吐きながら、フィアはそう問いかける。何となくではあるが、フィアはアレクが剣を抜いた理由に気付いていた。そもそも、何の意味もなく仲間であるフィアに剣を向けるような人間ではないはずだから。

 彼の問いかけに、アレクは悪びれる様子もなく、頷いた。


「あぁ。俺たちの任務に同行してくれるっていうのはありがたいが、それは戦力になる人間であってほしい。実力は知っとくべきだ。弱い奴が火竜の討伐に行ったところで、怪我をするのが落ちだからな。流石に、仲間に怪我させてまで任務に同行してほしくはない」


 戦闘部隊の騎士として、何より今回の任務の統率官(リーダー)として、同行する騎士の実力は知っておくべきだと、そう思った結果が唐突な攻撃だったらしい。その意図も言葉の意味も理解出来ない訳ではないため、フィアは特段怒りを感じはしなかった。

 アレクは一度強く、フィアの剣を払う。そして緩く口角をあげながら、言った。


「うん、確かに強いな。ただ、これならどうだ?」


 アレクはにっと笑い、握った剣に力を込めた。フィアの剣が強く押される。ぎりっと鋼同士が擦れる音。驚いてフィアも力を込めるが、アレクの剣はびくともしない。それでも諦めることなく手に力を込めるフィアを見て、アレクは満足そうに笑っていた。

 随分と、楽しそうだ。フィアはそう思いつつ、剣を離さないよう、必死に強く握る。少しでも気を抜いてしまえば、簡単に吹き飛ばされてしまいそうだった。アレクの力はいつもともに訓練している雪狼の誰よりも強い。押し返すどころか、このまま耐えているだけでも、相当な力と集中力が必要になる。

アレクはフィアの力を吟味するように暫し剣を見つめていたが、やがて頷いた。


「うん。思ったよりは力もあるな。でもそれだけじゃあ……」


 刹那。グイッとアレクが思い切り力を込めると、フィアは剣を弾かれ、尻餅をついた。どうやら、先程までは力の半分も出していなかったようである。尻餅をついたまま自分を見上げるフィアを見て、アレクは笑みを浮かべて、いう。


「更に力で押されると負けだろ?」


 ひらりと手を振りながら勝気に笑うアレク。最初から統率官に勝てるとは思っていなかったのだけれど、こうもあっさりと弾き飛ばされたことが悔しく、フィアは少し唇を尖らせた。


「……その点は魔力でカバーしています」


 そう応じながら、フィアは乱暴に剣を鞘に納めた。次やる時にはもう少し、などと小さく呟いている彼を見て、アレクはくつくつと笑いながら細い彼の手を掴むと、彼を立ちあがらせて、言った。


「それはそうだろうな。お前に魔力を存分に使われたら、流石に俺でも勝てないかもしれないなぁ」


 自分の力を認める言葉は、何よりも嬉しい。フィアはアレクに向かって、力強く頷いて見せた。


「俺も腕力も磨こうと思っています」


 実際、アレクの言う通り、力では完全に押し負けてしまう。体格の所為、性別の所為にすることは出来るが、そうはしたくないのがフィアである。そのためならば、努力は惜しまぬつもりでいた。

 そんな彼の気概は十分に感じられたのだろう。アレクはにっと笑って、言った。


「あぁ。それがいい。そうしたらお前は無敵だろうな」


 アレクの嫌味のない笑顔に、フィアの表情も思わず緩む。

 頑張れよ、といってアレクはフィアの頭を撫でた。乱暴な手付きではあるが、何処か優しさを感じる撫で方だ。普段は、そんなことをされるとむっとするフィアだが、何故か今回はそうではなかった。拒むことなくそれを受けながら、フィアは思った。

 本当に、兄の人のようだ、兄が居たらこんな感じ、なのだろうか。そう思いながら、フィアは力強い彼の手を感じていたのだった。



***



 アレクと別れ、フィアは雪狼の訓練場に戻った。気持ちの落ち込みは解消されたし、体調も悪くはない。任務までに少し体を動かしておきたい。とはいえ、ルカは今、アークの騎士の面倒を見ているしどうしたものか、と悩んでいた、その時。


「フィア」


 静かな声が、フィアの名を呼んだ。それを聞いて、フィアは声の方へ振り向く。その視線の先に居た人物を見て、フィアは少し意外そうな顔をする。


「シストか」


 呼びとめたのは、シストだった。彼らしくない、覇気のない声だったため、一瞬誰なのかわからなかったのである。シストは彼の声に頷くと、少しだけ迷うように視線を揺るがせた後、紫の瞳で真っ直ぐ、フィアを見つめた。そして、弱い声でフィアに言う。


「お前、炎豹の任務についていくんだって?」


 突然呼び止められた理由を考えていたフィアは納得したように頷いた。


「あぁ。ルカに聞いたか? 今、アレク様にも挨拶してきた。それが、どうかしたか?」


 シストはそうか、と呟いた後、一度目を伏せる。そのまま黙り込む彼を見て、フィアは少し、怪訝そうな顔をした。


「……大丈夫か?」


 聞こえたのは、そんな問いかけ。


「大丈夫って、何が?」


 フィアが一層怪訝そうな顔をして首を傾げれば、不安げに目を逸らすシスト。


「だって、お前……病み上がりだし、さ……」


 ぼそぼそ、と言葉を紡ぎながらも、決してフィアの目を見ようとしない。目を伏せたまま、最終的には口も噤んでしまう。何か言いたげな、しかしそれを口に出すことを迷っているような表情。

その表情の理由に気付いたフィアは溜息を吐いて、シストの額を軽く小突いた。


「全く……いつまでそんな顔をしているつもりだ」

「え?」


 突然そんな言葉を投げられ、シストは訳がわからないという風に顔を上げた。困惑の色を灯したアメジストの瞳が揺らぐ。やっとのことで顔を上げたシストを真っ直ぐに見て、フィアはきっぱりと言い放った。


「敵の攻撃を受けたのも、その所為で三日も寝込んだのも、全部俺の責任だ。お前は悪くない。シストが気にすることじゃない。全く、何度も言わせるな」


 フィアの言葉を聞いて、シストは一度大きく眼を見開いた後、また完全に俯いてしまった。

 ……そう、シストはまだ気にしていたのだ。初めての任務で、フィアの異変に気付かなかったことを。傷を負った彼を心配するよりも、任務の遂行を優先してしまったことを。

 あの時、彼の異変に気が付くことが出来たのは自分だけだった。それなのに彼の異変に気付くこともなく任務を続行し、フィアが倒れるまで何の対処も出来なかった。それを誰に責められた訳でもないのだが、本人の胸の奥にはその記憶が棘として突き刺さったままになっているのである。

 黙ったままに俯くシストを見つめ、フィアはそっと息を吐く。そして、緩く首を傾げて、問うた。


「何故そこまで気にする必要がある? 俺は平気だといっているのに」


 フィアはずっと疑問に思っていたことをシストに訊ねた。

 確かに、一緒にいた以上シストが異変に気づいてもおかしくなかったかもしれない。しかし、異変に気付かれないように振る舞っていたのはフィアであり、その所為でフィアが倒れたことを、シストが気負う必要は一切ないように思われた。だからこそ、だれも彼のことを責めなかったのだ。それなのに、何故シストは此処まで自分を心配しているのだろう。申し訳なさそうな顔をしているのだろう。それが、全くわからない。

 そんなフィアの問いかけに、シストは暫く沈黙した後、呟く様に言った。


「俺さ、お前より長くこの仕事してるだろ?」


 彼が紡いだのは、そんな言葉。いきなりどうしたのだろうと思いつつ、フィアは頷いた。


「あぁ。そうだろうな。ルカと同期といっていたもの」


 シストはルカと同期生だといっていた。先日一緒に任務に赴いた際にも仕事にも慣れている風だった。彼の言う通り、騎士としての経験がフィアより豊富なのは間違いないだろう。それがどうかしたのかとフィアは問う。

 フィアの問いかけに、シストはすぐには答えなかった。言おうか、言うまいかと悩むような顔をして、目を伏せている。フィアはいつもと違うシストの表情に少し困惑した。


「どうした。お前らしくもない」


 確かに元々快活な方ではないシストだが、こうしてやたらと口籠ることもあまりない。どちらかといえば饒舌な方で、一緒に過ごしているときはフィアが聞き役になることの方が多いくらいなのだ。それなのに、今の彼はやたらと言葉に詰まっている。珍しいな、と指摘すれば、シストは軽く肩を竦めた。


「ははっ。そうだよな。俺らしく、ないよな」


 そういって、シストは笑った。困ったような……何処か、泣き出しそうな笑顔だった。その様子を見て、フィアは眉を顰める。


「言いたくないことなら、無理に言わなくていい」


 無理に聞く気もないし、とフィアがいう。何やら複雑な話のようだし、彼も話したくて仕方無いという風でもない。それならば無理をすることはないとフィアは言うが、シストはそれを聞いて、首を振った。


「……いや。言っておくよ。言えば少し気が楽になる気がするし。聞いてくれるか?」

「お前が聞けというのなら」


 そっけないフィアの言葉にシストが少し安堵したような顔をする。

 訓練に向かうにせよ、任務のための準備をするにせよ、シストの話を聞いてからでも遅くはないだろう。フィアはそう思っていた。訓練よりも、明日の任務よりも、シストの表情の理由を知ることの方が、重要なように思えたのだ。

 シストはそっと息を吐き、フィアに言う。


「此処らで突っ立ってするような話でもないんだ。俺の部屋に来てもらってもいいか?」

「あぁ。構わない」


 そんなフィアの返答に緩く笑った後、シストは歩き出し……ふと立ち止まった。ふわり、と柔らかな風が吹いて、シストの長い髪を揺らす。流れた髪を緩く書きあげながら悪戯っぽく笑って、シストは言った。


「……お前綺麗な顔してるけど、俺男に興味ないからさ、警戒しなくてもいいからな」


 何処かぎこちない表情で紡がれた、そんな冗句。フィアはそれを聞いて、思わず顔を顰める。


「馬鹿なことを言うな」


 どう見ても無理をした表情でいつものように軽口を叩くシストの足を軽く蹴り飛ばし、フィアは溜息を吐き出す。シストはそんな彼の反応に冗談だって、と言って笑う。しかし、やはりその笑みは何処か無理をしたようなものだ。


―― 一体何だというのだろう、シストがこんな顔をするなんて。


 シストの表情を気にしながら、フィアは彼の背を追って、歩き出したのだった。




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