道案内
マリはミラフローレスを中心に十一の地区に分かれている。その中でも北東のトリビージャ地区は新顔や地方出の部族がまず住みつく一角で、マリの中でもとりわけ貧しい場所だ。
リゴベルトはそんな一角でクスコまでの案内人を待っている。ケチャ族のリトゥーマ、兵舎で一度顔を合わせているが、地方部族特有の何を考えているのか分からない表情に加え、顔に入った入れ墨がよりその印象を強めていた。だからリゴベルトにはリトゥーマがあんな事を言い出したのは意外だった。
「ここにいる奴らの影響で文字を使い始めたが、元来俺たちは文字を持たない部族だ。だからこそ記憶が頼りになり、家族とのつながりを大事にする。ひるがえせば、それは自分自身につながるからだ。自分自身を持たない人間は、そのうち人波にもまれ、存在を失っていく」
すぐにでも出発したがっていたリゴベルトをリトゥーマはそう言ってい諫めた。集合場所を言うと、リトゥーマはリゴベルトの前からいなくなった。
結果としてはしたがって良かった、とリゴベルトは思った。両親をはじめ一族に祈りをささげることも出来たし、懐かしい顔にも出会えた。フリアとフリアの子供たちを思い出すと、自然と笑顔がこぼれる。あの子たちの為にもやらねばと、腰に佩いた剣の柄を握った。
それにしても、とリゴベルトはあたりを見渡す。約束はトリビージャのカハマルカ通りだったが、どこにもリトゥーマの姿は無い。カハマルカ通りは狭い通りだ。それらしい人が居ればすぐにわかる筈だが、リゴベルトの近くにいるのは襤褸をまとってうずくまる老人だけだった。
リゴベルトは銅貨を取り出すと、老人の前に置いた。
「お優しい事ですね」
振り返ると、リトゥーマが居た。
「そうやって、この町にいる貧しい人間にお金を配ってまわるおつもりですか?」
「出来ればそうしてやりたいが、私にはそこまでしてやれる蓄えはないよ」
「冗談ですよ」リトゥーマはそいって入れ墨だらけの顔をゆがめた。多分笑ったのだろう。「何にしても、やらぬ偽善よりやる偽善ですよ。それはそうと、待たせてしまいましたかな」
「いや、私もさっき来たところだ。礼を言うよ、行ってよかった」
「先祖は大事にするもんですよ」
リトゥーマも銅貨を老人の前に一枚置くと、先に歩き出した。
カハマルカ通りはスアロン通りにつながり、そのまま郊外へと続いている。
「コスクまではアデンス山脈を伝っていきます。ここから舟で近くの港町まで行くという手もあるんですが、そうすると間にある森を抜けねばならなくなり、陸路よりも時間がかかってしまいます。何より、あそこら一帯の部族は手荒いですからね。コスクへつく前に土には帰りたくないでしょ」
「道案内は君に任せるよ。何も知らない私が文句をつけて、君より安全で早くつけるとも思わないからね」
「そうですか。では、遅れずついてきてくださいね。山道なんで疲れると思いますが、なるべく私も無理はしないようにしますから。月が三度満ちればコスクに辿りつくでしょう。それより早く着いたら、お捻りの一つでも貰いたいもんですね」
「頼むよ」
リゴベルトたちはそのマリを抜けると、まずはアデンス山脈へと道をとる。