指令
軍人の家系に生まれたリゴベルトは早くから少年兵として志願し、順風満帆の人生を歩んできた。若くして砦一つまかされたのだ、それで満足しなければ何に満足しろというのか。
それでも、とリゴベルトは手元に目を落とした。数えるほどの持ち物、それが今のリゴベルトに残されたものだった。カリカラの砦の陥落と共に粗方の物は無くしていたが、それだって大した数ではない。元来リゴベルトは物に執着がなかったのだ。
そんなリゴベルトでも唯一大事にしている物があった。先祖代々受け継がれている腕輪だ。腕輪には大鳥が精巧に掘られ、両目は翡翠で輝いている。
腕輪をそっとなでる。これだけは肌身離さず身に着けていたおかげで無くすことはなかった。
荷物をまとめると、修繕された鎧をまとい、兜を手に取り、新しく支給された剣を腰の鞘に治めた。
世話になった兵士に別れを告げると、馬に跨りキートの砦を後にした。
時刻はまだ早い。夜明け前の薄暗い中を、馬の吐息とともに歩んでいく。砂漠だといってもこの時間はまだまだ寒く、風が吹くとリゴベルトは身を震わせた。羽織ったマントの前をしめた。
リゴベルトは昨日のことを思い返す。リゴベルトはキートの軍団長の部屋に通されると、敬礼の姿勢をとった。胡麻塩頭の軍団長は、見ていた書類からチラッとリゴベルトに目をあげると、椅子に座るよう指示をし、また書類にまた目を戻した。てっきり軍法会議にかけられるものだとばかり考えていたリゴベルトには、この展開は意外だった。
それから軍団長は眉間に皺をよせたまま書類から顔をあげず、リゴベルトに話しかけようとはしない。こちらから話しかけるわけにもいかず、リゴベルトがしばらくそうしていると、群団長はため息をついて書類から目を離した。
「どうもこんな片田舎の砦を任されている身としては、中央の考えはいまいち分からん。読んでみなさい」
リゴベルトは渡された書類にさっと目を通し、自分の目を疑った。
「どう思うかね」
「どう、と言いますと」
「そこに書かれている内容だよ」
「私にも……さっぱり」
そこにはこの度の責任ををとり、リゴベルト軍団長はコスクの砦へ転任、至急向かうべし、と書かれていた。
「私はまた、砦を任されるのでしょうか」
「降格もなにも書かれていない、おそらくそうだろう」
どうして、とリゴベルトが言うよりも早く、キートの軍団長は言った。
「さっきも言っただろう、私にも分からんと。だが、任務は任務だ、荷物をまとめ、明日の朝一番に出発しなさい」
寛大な、というにはあまりにもいきすぎた処遇に、リゴベルト自身どう反応していいのか分からなかった。
「寛大な処置、感謝いたします」
なんとかリゴベルトが言えたのがそれだけだった。
「寛大な……か」軍団長は鼻を鳴らした。「一つ訪ねたいのだが、勇敢なこの国の軍人として、敵に背を向け、部下の半分を失い、死守せねばならん砦を放棄し、ほうほうのていで逃げだしてきた軍人がいたとしたら、君だったら、どうするかね?……すまん、こんな皮肉を言ったって、どうにもならんのは分かっているのだが。私もまだまだ駄目だな」
軍団長はそういって苦笑いをした。
「あの……一つよろしいでしょうか」
「なんだ」
「コスクとは……どこにあるのでしょうか」
「南だ。南の、国境沿いの砦だ。ここと同じ、砂漠だ。もっとも、あちらは高山にあって、こことは比べ物にならないほど酷い環境らしいが。君も聞いたことがあるだろう、老いた山という名の遺跡を。あそこだよ」
(あの方の言う通りだ。俺は砦を無くした。ヤナケも死んだ。顔なじみだった兵士たちも死んだ。それもみな、私みたいな無能のせいで……)
その事実が、今更ながらリゴベルトの心に重くのしかかる。
それでも、リゴベルトは南に歩を進める。軍人とそて、やるべきことがあるのだ。都のマリまでいけば、コスクまでの案内がまっているはずだ。