旅6
「それは災難に合われましたな」
今晩世話になる家の主人は言った。
「昔なら祟りが怖くて村に入れなかったところですよ」
主人は見事な鬚を撫でながら笑った。彼の鬚は雪のように白く、よく陽に焼けた顔も手伝って、焚火に照らされる鬚はそれだけ浮いているかのようにリゴベルトには思えた。
リゴベルトたちは歩きに歩いて明るいうちに村へとたどりついた。リゴベルトはリトゥーマに案内されるがままに一軒の家についた。リトゥーマはここの主人と顔見知りらしく、早々に話は決まり一晩世話になることになった。
「しかしリトゥーマほどの人間がそんな近くになるまで獣の姿に気づかなかったとはね」
主人は言った。
「警戒を怠ったわけじゃないんだ。つねに周りの景色には注意をしていたし、少しでもおかしな点があれば気づけたはずだ。それが今日は駄目だった。まるで地面から湧いて出たように獣が目の前にいた」
「獣とはそういうものさ。つねに相手の裏をかくことばかり考えている。いくら気を付けていてもたまにはそういうこともあるもんだ。手遅れになる前に気づいたのだから良しとすべきだよ」
「そうかもしれないが、土地柄から良からぬこと考えてしまったよ。まして俺はコスク出だ」
「煙る黒曜石に羽の生えた蛇か。しかしそれは神話の時代のお話だ。わしらも信仰がなくなったわけではないが、そこまで気にするものでもないさ」
「それが俺にはそうもいかんのだ。里ではまだまだ羽の生えた蛇への信仰が厚い。そんなところで育った俺は、頭では分かっているのだが、どうしてもこの手のことには考えすぎてしまう」
「三つ子の魂というやつだな」
「ああ」
リゴベルトは火にあたりながら二人の会話を聞いていた。そして改めて獣の恐怖が甦り、粟立つ思いがした。
ふと、焚火に照らされて腕輪の翡翠が光ったような気がした。それは大鳥の眼だ。
(まったく、私も情けない)
まるで腕輪に叱られているような気がして、リゴベルトは腕輪を撫で脳裏から獣の姿を追い払った。
それにしても、とリゴベルトは思う。リトゥーマも不思議な人物だ。一見すると迷信なんて信じないような人間なのに、そんな彼がこれほどまでに気をもんでいたとは。しかし考えてみれば、彼のような環境で育たなかった自分だってあれほど恐怖を感じたのだ、当然なのかもしれない。それにそういった事にこだわるのは、先の墓参りの件でも分かっていたことだ。迷信や信仰心だけ別だということはないのだろう
「まあまあ、話はその辺にして先に食事にしましょう」
奥さんが大皿を持ってやってきた。皿には串に刺した焼き鳥がのっていた。湯気の立つそれは、香辛料の香りも手伝って食欲をそそるものだった。
「これは豪勢だな」
リトゥーマはいった。
「わしらにしてやれるのはこんなもんだけさ。さ、軍人さんも腹いっぱい食ってくれ」
礼を言うと、リゴベルトは齧り付いた。口の中に肉汁が広がり、よだれが口の中に溢れた。塩気も申し分なく、あっという間に一本たいらげてしまった。考えてみれば今日はなにも口にしていない。焼き鳥を口にすると思い出したかのように腹が鳴った。
「あらあら」
奥さんはいった。リトゥーマは何時ものように顔をくしゃっとさせ、主人は鬚を撫でながら声に出して笑った。
リゴベルトは苦笑いをすると、新しい串に手を伸ばした。
「ところで」食事が終わるとリトゥーマは言った。「アデンス山脈の道はどうだろうか」
「落石や崩落なんてことも聞かないし、最近じゃ盗賊も顔を見せない。まあ大丈夫だろうよ」
主人は言った。