王子様は魔境を駆け戻る
その頃ウィルキンスはといえば、魔境を飛ぶような速さで駆け抜けていた。
それでも急遽単独の帰途を決断した初日、二日目に比べれば、継続して走れる速度は落ちている。
徹夜こそしていないが、事態の打開策を求め一刻も早く王都へと戻るべく、気は急き立てられ。
必要な休息は取っているとはいえ、心休まらずの状態では疲労が蓄積するばかりであった。
人並み外れた身体能力の持ち主でも限界がある。
「チッ、余計な体力使わせやがって……」
咄嗟に飛び退いた先で盾にした大樹の幹に爆ぜる音と共に、辺りに焦げ臭さが広がる。
再度大地を蹴り、抜いた長剣の切っ先を向けたのは……黒い毛皮の中型の魔獣。
強いて言うならば形状は犬や狼に近い。だが似て非なる生き物。
人と変わらぬ大きさだが、爆ぜる火炎球をその口腔より吐くのが厄介だ。
一度足を止めてしまえば、荒さが収まらぬ呼吸と下肢の筋肉の倦怠が強く意識させられた。
奇襲の初撃を外した魔獣は抜き身の刃を警戒して、距離を残したまま威嚇の唸りを上げる。
万全の体調だったなら、初撃を受けに回る事なく先に存在を察知して切り捨てながら突破してたであろう。
注意力もやや散漫になっていたようだ。気付くのが遅れた。
この状態からでは攻撃に転じた瞬間に二撃目の火炎球が来るか、牙を直接突き立てに来るか。
幸い睨み合いになった。互いに攻めの瞬間に生じるはずの隙を狙っている。
深く静かに呼吸を繰り返し整えながら、体内の魔力を長剣を持つ右手に集中させるよう意識する。
振り被らない。
魔獣は刃を意識している。
勢いが加われば致命傷を与えられるだけの膂力がある事は見た目で判断できているはずだ。
だからこそ切っ先が正面から外れる瞬間が来ると予測して構えている。
突き貫くならば真っ直ぐ走らねばならず、それよりも速く火炎球を浴びせるだけの事。
獲物を狩る事に特化した賢さは、武器を携え腕に覚えがある者すら屠る。
こちらとしては火炎球をまともに受ける気などない。
爆ぜる衝撃は結構きつく、強引に倒してもその後に支障が出る。
右手に充分な魔力が漲った事を確信すると、ウィルキンスは迸る水柱を長剣の先端より放つ。
直線的な攻撃に当然避ける魔獣。俊敏さでは劣らない。
お返しとばかりに放たれた火炎球も同様に直線的であり、ウィルキンスもまた横へ跳躍する。
過剰な魔力供給で持続させたままの水柱を横殴りに回転させながら。
正面から直撃させる圧力は失っているので大した攻撃にはならないが、動揺の隙は作れる。
本命は水柱を浴びせた後に来る雷撃だ。間髪居れず連続で撃つその分まで魔力を漲らせてあった。
後先考えてるのかわからない馬鹿力だが。
同様の高出力を維持し続けなければならない遺跡の結界突破に比べれば、身体への負担はマシだ。
雷撃を喰らい痙攣する魔獣が微動だにしなくなるまで、切っ先を下げずに睨み続ける。
抜き身を手にしたまま傍に寄り検分して、完全に絶命している事を確信すると大きく息を吐き、肩を下げた。
「今日はこの辺で休む地点を決めるか……、もし連戦に遭ったら厳しいな」
独り言を呟き、自分に言い聞かせる。
純粋に駆けるだけならもう少しの時間頑張れなくもないが、魔獣の襲撃を鑑みると厳しい。
過剰に魔力を駆使しての撃退は本分ではない。
勘働きが鈍り後手に回り、一撃が重く俊敏さも同格の相手に真っ向から挑むには体力が落ちていた。
晩飯と朝飯は、この魔獣でいいだろう。
魔境外縁の最寄の村までぎりぎり足りる量の携帯食は、持ってきてはいるが。
(あいつ……これだけで凌いでるから、早くせめて食料だけでも持っていってやらないとな……)
ちょっと間の抜けた感じの素朴な顔立ちの小柄な少女。栗色の丸い瞳は怒っても険が無い。
城のお仕着せを着ていながら、村娘といった雰囲気が残っていて。話していても面白かった。
最後に別れた時は血やら何やらで酷い顔になってたが。痛めた箇所は良くなっただろうか。
記憶にある水場へと立ち寄り、そこから少し離れた場所を今宵の寝床に決めて警戒線の結界を張る。
火を焚いている間はどうせ寄ってこないだろうが。
生木の枝を適当に切り落として、葉と共に盛大に燃やす。
煙が目に痛いが魔境に巣食う獣も嫌がるから、風向きが変わる度に座る位置を変えながら適当に凌ぐ。
加減のできない火炎魔法は最初の枝を短い時間で消し炭にしてしまうので、追加の枝を被せて普通の焚火になるまで調整する。
剣で串刺しにした魔獣を火に突っ込んで。毛皮を焼き尽くしたら取り出して。
焼けた部分の肉を短剣で削ぎ落として、冷めた頃合を見て噛み千切る。固い。
焼けてない部分はまた火に戻して、焼けたら肉を削ぐ。二食分だけ焼ければいいので、残りはそのまま燃やす。
臭いが、いつも一人で野営してる時なんてこんなものだ。朝食べる分は小枝に刺して、土で汚れないように突き立てておく。
手近な範囲に生えてた食べられる野草を掴み取り、生のまま咀嚼。苦味ばかりが際立つが気にしない。
それでもまだ携帯食のえぐみよりマシだっていう。
追加の枝は少なめにしたので、寝る支度が整う頃には火は小さくなってゆく。
荷物袋が無いので毛布も遺跡の中へ置いてきた。マントに包まって地面の固さを直に感じながらまどろむ。
しっかり回復できれば、明日太陽が沈む頃までには魔境を抜けられるだろう。
夜明けまでに魔獣が警戒線を越えてきたら、睡眠は短くなるか。
だが移動中の遭遇に比べれば、常に先手を打てるので割と楽にあしらえる。
焚火を用意するのと同じ程度に手軽な単発の攻撃魔法で充分だ。魔力を漲らせる必要も接近戦を挑む必要もない。
(ル……ル、何だったかなぁ。帰ったらユンカースに聞こう。名前がわからないと玄関から離れてたら呼べないからな)
睡夢の中では、何故か貴族令嬢のドレス姿に扮した少女が出てきて、あまりの似合わなさに大笑いした。
そして突如現れたモップの柄で見事な胴突きを鳩尾に喰らい、悶絶した。一本!という声は騎士団長か。
色々混ざりすぎてて全くわけがわからぬ。




